投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2009年 5月21日(木)01時41分44秒
東山千栄子氏の「ダーチャの思い出」はあまりに素晴らしい文章なので、続きも紹介しておきます。
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その間にお台所では夕食の仕事が始まっているわけですが、私のおりました頃には、女中さんの月給が八円から十二円ぐらい、料理人のおばさんが二十円位でした。なお、女中さんたちに別に食事を出すような場合には、朝ならば紅茶を茶さじに山盛り一ぱい、お砂糖を角砂糖なら四つ位の分量、これは、女中さんはみんなめいめい自分のサモワールを持って来るからです。それから白いパン一斤と牛乳を一合位。お金で上げるとすると、これが十五銭でした。その頃の物価では、白パンが一斤で五銭、黒パンニ・三銭でした。白パンを食べるのは主に朝食の時で、多くは黒パンでした。
そろそろご主人の帰っていらっしゃる五時頃になると、お出迎えの人たちで停車場が一ぱいになります。御主人を待ちながら、奥さん方や子供さんたちが、四方山話しに花を咲かせて、ここがダーチャ生活独特の社交場になるのでした。やがて汽車が着くと、今朝出がけに奥さまから註文された、パンや肉やソーセーヂなどの食料品を山のように両腕にかかえた御主人が、降りていらっしゃる。その荷物を家族中で持ち合ってダーチャに帰る・・・ということになるのでした。
一家揃っての楽しい夕飯の時間は七時から八時頃。ボリシチなどをお腹一ぱいに頂きます。開放的な生活ですからどこのお家からもピアノやレコードの音が聞えて来ます。都会では、お隣のこともまるで判らないような生活をしているのですが、このダーチャではすべてが開放的なのでまた笑い声や人声などで、どのお家にはどんな娘さんがいるとか、青年がいるとかいうことが判るのでした。
ボルシチでございますか?これはロシヤ独特の、作り方は簡単ながらおいしいお料理です。(中略)
もともと社交好きなロシヤ人は、日曜日とか祭日とかになると、大ていお客さまをお招きするのでした。若い人たちならボートやテニス、年配の人々は樹の下でチェスやトランプをして楽しく時間を過します。それから、若い人でもお年寄りでもみんなが散歩します。それに、お茶やお食事。お酒ももちろんのことです。
日曜日や祭日には、女中さんたちも、村の人たちもみんな晴着を着飾ります。娘さんたちなら更紗のブラウスに、ひだの多いスカート。それに刺繍のある大きな前かけをして、頭は派手な模様のきれで包みます。村の青年たちは、白や青や赤などの派手なルパシカに長ぐつ。みんなが停車場の近くの広場などに集って、アコーデオンやパラライカを弾きながら、歌ったり踊ったり・・・・それはそれは、とても賑やかな、楽しい雰囲気でした。ロシヤ人はとても散歩と歌が好きな国民ですから、林の中の道などでも、よく何人かが一しょになって歌いながら通っていました。
けれども、こうした楽しいのんきなダーチャ生活にも、八月の半ばを過ぎた頃からは、朝晩はペーチカをたかなければならないような寒い日が訪れるようになります。そうなると、ちらほらと落ちる枯葉に誘われるように、次ぎ次ぎに人々はダーチャを去って、モスクワに引き揚げて行きます。あれほどあこがれて出かけて来たダーチャ生活だったのですが。実はダーチャの人々は、モスクワ生活への郷愁にもう堪えられなくなって来ていたのですね。冬は社交シーズンで、お芝居、音楽会、舞踏会と、胸をときめかすたのしいものが一ぱい待っているのです。そしてやがて、その屋根には白い雪が降り出し、次第にダーチャは雪に埋もれて行くのでした・・・。
(昭、二四、十月)
東山千栄子氏の「ダーチャの思い出」はあまりに素晴らしい文章なので、続きも紹介しておきます。
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その間にお台所では夕食の仕事が始まっているわけですが、私のおりました頃には、女中さんの月給が八円から十二円ぐらい、料理人のおばさんが二十円位でした。なお、女中さんたちに別に食事を出すような場合には、朝ならば紅茶を茶さじに山盛り一ぱい、お砂糖を角砂糖なら四つ位の分量、これは、女中さんはみんなめいめい自分のサモワールを持って来るからです。それから白いパン一斤と牛乳を一合位。お金で上げるとすると、これが十五銭でした。その頃の物価では、白パンが一斤で五銭、黒パンニ・三銭でした。白パンを食べるのは主に朝食の時で、多くは黒パンでした。
そろそろご主人の帰っていらっしゃる五時頃になると、お出迎えの人たちで停車場が一ぱいになります。御主人を待ちながら、奥さん方や子供さんたちが、四方山話しに花を咲かせて、ここがダーチャ生活独特の社交場になるのでした。やがて汽車が着くと、今朝出がけに奥さまから註文された、パンや肉やソーセーヂなどの食料品を山のように両腕にかかえた御主人が、降りていらっしゃる。その荷物を家族中で持ち合ってダーチャに帰る・・・ということになるのでした。
一家揃っての楽しい夕飯の時間は七時から八時頃。ボリシチなどをお腹一ぱいに頂きます。開放的な生活ですからどこのお家からもピアノやレコードの音が聞えて来ます。都会では、お隣のこともまるで判らないような生活をしているのですが、このダーチャではすべてが開放的なのでまた笑い声や人声などで、どのお家にはどんな娘さんがいるとか、青年がいるとかいうことが判るのでした。
ボルシチでございますか?これはロシヤ独特の、作り方は簡単ながらおいしいお料理です。(中略)
もともと社交好きなロシヤ人は、日曜日とか祭日とかになると、大ていお客さまをお招きするのでした。若い人たちならボートやテニス、年配の人々は樹の下でチェスやトランプをして楽しく時間を過します。それから、若い人でもお年寄りでもみんなが散歩します。それに、お茶やお食事。お酒ももちろんのことです。
日曜日や祭日には、女中さんたちも、村の人たちもみんな晴着を着飾ります。娘さんたちなら更紗のブラウスに、ひだの多いスカート。それに刺繍のある大きな前かけをして、頭は派手な模様のきれで包みます。村の青年たちは、白や青や赤などの派手なルパシカに長ぐつ。みんなが停車場の近くの広場などに集って、アコーデオンやパラライカを弾きながら、歌ったり踊ったり・・・・それはそれは、とても賑やかな、楽しい雰囲気でした。ロシヤ人はとても散歩と歌が好きな国民ですから、林の中の道などでも、よく何人かが一しょになって歌いながら通っていました。
けれども、こうした楽しいのんきなダーチャ生活にも、八月の半ばを過ぎた頃からは、朝晩はペーチカをたかなければならないような寒い日が訪れるようになります。そうなると、ちらほらと落ちる枯葉に誘われるように、次ぎ次ぎに人々はダーチャを去って、モスクワに引き揚げて行きます。あれほどあこがれて出かけて来たダーチャ生活だったのですが。実はダーチャの人々は、モスクワ生活への郷愁にもう堪えられなくなって来ていたのですね。冬は社交シーズンで、お芝居、音楽会、舞踏会と、胸をときめかすたのしいものが一ぱい待っているのです。そしてやがて、その屋根には白い雪が降り出し、次第にダーチャは雪に埋もれて行くのでした・・・。
(昭、二四、十月)