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空阿弥陀仏(明遍)

2008-06-08 | 日本文学
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年 6月 8日(日)11時53分18秒

>筆綾丸さん
『今物語』は面白いですね。
私は「三六 蓮華谷の念仏」に惹かれます。

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 鎌倉武士、入道して高野(かうや)の蓮花谷に行ふありけり。この者が寝(ぬ)る所にて、夜な夜な女と物語をしける音のしければ。具したりける弟子ども、おほかた心得がたくて、便宜(びんぎ)のありけるに、ある弟子、この入道に尋たりければ、「さる事あり。我が女(め)の鎌倉にありしが、夜な夜なこれへ来るなり。それに何事も言ひ合はせ、又、ふるさとの事のおぼつかなさも語り、世間の事もはからひなどしてあるなり」と言ひければ、弟子、いふはかりなくふしぎにおぼえて、不思儀の余りに、空阿弥陀仏にありのままに申しければ、空阿弥陀仏うち案じて、さる事も多くあり。この女のいたく恋しく思ふによりて、魂(たましゐ)などの通ふにこそ。この定(ぢやう)ならば、臨終の妨げにもなりなんず。急ぎ祈るべきぞ」とて祈られけり。
 ある時に、「念仏にて祈りてみむ」とて、蓮花谷の聖(ひじり)三四十人ばかりめぐり居て、この入道を中に据ゑて、念仏を責め伏せて申したるに、入道も同じく申しけるが、空阿弥陀仏の秘蔵(ひさう)の本尊の、帳(ちやう)に入りたるがおはしましける、そのかたをつくづくとまもりて、おそろしげに思ひて、わなわなとふるひければ、空阿弥陀仏、よりて、「などおそろしげには思ひたるぞ」と問へば、「その御本尊の御前(おまへ)に、かの女房がまうで来て、我を世にうらめしげに見て候ふが、などやらん、あまりにおそろしく」と申ければ、その時、空阿弥陀仏、「門々不同八万四(もんもんふどうはちまんし)、為滅無明果業因(ゐめつむみやうくわごふいん)、利剣即是弥陀号(りけんそくぜみだがう)、一声称念罪皆除(いつしやうしようねんざいかいぢよ)」と、たかく誦(ず)せられたりければ、この女の顔の、中より二つにわれて、散るやうに見えて失せにけり。これをば人は見ず、ただ入道ばかり見て、いとどおそろしくて、つんつんとかみへ踊りたるが、その後はもとの心になりて行ひけり。
 念仏のちからのたふとき事、いとど人々たふとびあひけり。
本体の女は、つやつやさる事なくて、もとのやうに鎌倉にありけりとぞ聞こえし。天魔のしわざか、又、女の恋ひしと思ひけるがゆゑにか、いとふしぎなり。
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冒頭に「鎌倉武士」とあり、少し奇異な感じがしましたが、「語釈」によると、「熟した語としての用例は古くは見出だせない。近世になると、「鎌倉武士の風儀を紊す佞臣」(近松『曾我会稽山』)などとある」そうですね。
「この女の顔の、中より二つにわれて、散るやうに見えて失せにけり」は、いかにも画家の文章だな、という感じがします。
また、「解説」によると、醍醐寺蔵『念仏得益験記』に「足利太郎入道理阿、蓮華谷高野住ス、俄物狂也、・・・・」という異伝があるそうで、こちらも面白いですね。
コメント
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