生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年07月12日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
明治政府の重鎮・大山巌夫人の捨松は8歳の頃に会津城に籠城しています。12歳の頃女子留学生に選ばれアメリカに留学、帰国後、薩摩藩士、かつ、会津城突入の大山巌にプロポーズされて24歳の時、家族の大反対を押し切り結婚します。鹿鳴館の貴婦人といわれ、当時の外交に一役買ったそうです。看護学校を設立したり、この籠城の苦しい体験を平和に役立たせた女性です。会津魂をそれぞれの人生の中で開花させた会津の女性に改めて敬意を表します。厳しい環境を乗り切り自己実現への道を模索しつつ美しく生命を開花させていく会津の女性達、先の東日本大震災でも是非、逞しく生き抜いておられました。それぞれの風土の伝統は実に素晴らしです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年07月11日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
坂本竜馬が暗殺された場所が寺田屋で、池田屋は新撰組が急襲した旅館で、そこには坂本竜馬はいませんが、日本の歴史上、とても大切な場所ではあります。池田屋さんは今は居酒屋ですが、2005年頃はパチンコ屋さんでした。三条大橋の偽宝珠(橋の欄干にある飾り)には池田屋事件の折の刀傷跡と言われるものを、しみじみと眺め、歴史を味わいました。さて、現在でも残る京都のあちこちの名所は時間をかけてみれば見るほど京都に行きたくなります。寺田屋で坂本竜馬を救った「おりょうさん」は明治39年に横須賀で死亡していますが、その人生は必ずしも幸福だったとは言えないようです。厳しい人生を歴史に翻弄されても、心は神仏への信仰に向けられて平安感に死ぬ人も沢山ありますが、出来れば神仏からの愛を日常生活で感じ取れる人生を送りたいものです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年07月10日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
24回のテレビ録画の為に2012年は京都に月に一度新幹線で通いましたが定宿は心のともしび本部のあるすぐ近くの某ホテルでした。そのまた近くに池田屋という食のお店が、かの有名な池田屋の跡地だと知り、非常に驚き感動したものです。高瀬川が直ぐそばを流れ、京都市役所前のホテルオークラ敷地には長州藩邸跡地という表札もあり佐久間象山寓居跡と歴史好きにはたまらない三条河原町界隈です。この池田屋さんでは何回も録画の後に夕食に通い色々と空想しつつ日本の歴史を思索しました。さて自分が誕生した年の歴史を気をいれて勉強していただきたいのですが、私が生まれた年に2・26事件がありました。この自分の誕生の年の歴史とその前後を勉強しますと自分の性格形成に大きな影響を与えているのが分かります。この思索は自分を非常に楽にさせてくれますが、その手法について暫く考えていきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年07月09日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
有名人の生育史と自分の生育史と比較しつつ、自分のものを軽く見る人に触れると、とても哀しくなります。歴史上の人物の歴史は確かに重みがありますが、自分を平凡と軽く見ると、どんでもない大きな過ちに陥ります。一番大きな過ちが神の存在と自分との関係を軽く見てしまう無意識の傾向が誕生してくるからです。息を引き取ると世界が終るように自分が世界の中心であることを何よりも意識しておきましょう。世界の中心は自分なのです。カールロジャースという学者のパースナリティ理論・命題1は世界の中心が自分である、という意識からスタートしていますが、この命題を学ぶ結果、自分の言動に責任を感じ、苦しむ人々に想いがおよび、どんな立場の人々(精神病患者を含み)に対しても、その内部の心の奥深くに目を向け、その苦しむ人の主観を心から傾聴し、その上で何とか共に明るく元気に生き抜こう、と思わせるその原点が自分が世界の中心である、という哲学に開眼していきます。有名人の生育史は面白いけれども、自分の生育史を低く見ると、自分の人生を大きく捻じ曲げていく事を意識化しておきたいものです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年07月08日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
以前、人気がありました大河ドラマの八重さんは明治維新の後、明治9年に洗礼を受けますが人生の流れは本当に不思議です。洗礼を受けるまでの心を知りたいと思います。あの会津城で銃をもって戦い、日清日露では篤志看護婦として活躍し昭和7年までの88才の人生は何とも刺激的な人生で、この女性の日記を読みたいものです。歴史に翻弄されても、その流れの中に天命を見出し、その命を十分に自分と人々の幸せに貢献していく姿は見事なまでに美しい。自己実現への道を自分の生育史の中からあぶり出す知恵を学びたいと思いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年07月07日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人が誰かと最初に出会う、その時の最初の一言で全てが決まる時がありますので、この言葉は恐ろしいような気がします。親友の紹介で初めて会った人が何か刺のあるような言葉をつぶやき、それが挨拶の最初の一言であれば、多分その新しい関係は上手く行きません。最初の一言はその人の日々の想い、特に人間に対する優しさ、愛情、自分や他者を粗末にして生きているかどうか、を的確に表現しているものです。このような人の言葉は自虐的、皮肉風、希望の無いような、つまり他者否定のような言葉が出てきます。大脳は相性を数秒で判断すると言われていますのでインスピレーションを私は尊重しています。暫くこの最初の一言が歴史を変えたり人間関係を支配したりするので色々と思索してみようと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年07月06日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
或人に向かい「自分は何の為に生きているのか?」と質問すると怒り出す人がいます。余計なお世話だ、こんな状況の時にはそれどころではない、と怒りまくります。質問のタイミングに失敗した事例かもしれませんが、そのあとの反応が非常に重要なので経過観察に入ります。本人は当面の問題を解決した後、考えようとしますが、私の経験によれば、この質問をする前に十分洞察しているので、その混乱は予測していますから、怒りを抑えながら丸くその場を納めます。数週間するとほぼ全員が、この厳しい質問の御陰で、自分の抱えていた問題は、どうでもいい、と気づきましたと連絡が入ります。この厳しい問いかけは危険そのものなので、問いかけの前の状況は十分研究しておく必要があります。ストレスの大半は生きる目的が明確になればなるほど、半減するものです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年07月05日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
どんな人にも日々のストレスはありますが自分が生きていく目的を明確に意識している人には、このストレスは試練として解釈されているので辛いけれども、それ以上の意味を感じているので傍らに置いて生きていけるようです。何かを信じ、そこに希望を置いている人間の強みでしょう。太極拳を楽しく演武している時と同じです。演武していても自分が抱えている諸問題は依然として存在しているわけで、逃避しているわけでもなく、見て見ぬふりをしているわけでもありません。どうしても解決しなければならない問題は、その時がくるまで平然として放置しておきます。どこを目指して生きているのかを楽しみながら意識化するとそれ以外の問題は小さく見えてくるようです。自己実現の道を歩む人は何故か元気です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年07月04日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
公式の文書や手紙は建前が理路整然と書かれていますが、それは当然のことでしょう。しかしその公文書を書いた人々の手紙や私文書が後年、発見されると、その困難の最中に、どんな祈りをささげて生き抜いていったか、その心の軌跡がとても人間的で暖かく好意が持てます。西郷頼母も松平容保も、その手紙や内々の文書には困った時に神仏に手を合わせて祈ります。どんな人間でも厳しい人生の場面に遭遇すると自然と頭を垂れて何か偉大なものに救いを求めますが、この姿はとても美しく感動します。この二人は自分だけが生き残った事をとても悔いながら生きていきますが、その心を想うと切なくなります。自死を選ばなかったこの二人は何とも偉大な人物だと私はほれぼれします。厳しい現実に遭遇しても生き残った以上は天命を全うし自然死を迎えるまで努力したいと思いました。困った時の神頼みをするのが人間の美しい心。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年07月03日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
ドラマでは綾野 剛さんが会津藩主・松平容保を演じていますが、この殿様も中々の人物で、生き甲斐の心理学が希望する逞しい人生を生き抜きます。戊辰戦争を生き抜き日光東照宮の神主さんをしたりして明治26年に目黒の自宅で生涯を終わります。この殿様の6男の恒雄の長女・松平勢津子は昭和3年に秩父宮と結婚します。歴史は非常に残酷ですし、現代の私達から見ると驚きの連続ですが、与えられた人生を最後の最後まで天命に生き抜く決意をだいじにしつつ歴史ドラマを楽しみたいと思います。

:<比較宗教学の視点からの心の旅>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年07月02日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
大部前の話ですが、直ぐ影響を受ける私でしが、私の大好きな大河ドラマを数回見て、会津藩と明治維新に熱を入れた頃がありました。会津藩家老・西郷頼母(西田敏行さんが演じている)の生き方を注目しています。頼母の家族(母、妻、その子供達:娘達は16歳、13,9,4ン2歳を含む)は戊辰戦争の際に頼母の自宅で21人が自害しています。しかし彼は明治36年まで生き延びています。卑怯者ではなく堂々たる人生ですが生き延びようとするその意思は、まさに私達「生き甲斐の心理学」が望む壮烈な生命力とそれを生き抜く人物なのです。この人の生き抜こうとする態度を古典や歴史の中で意識化すると、この現代社会の複雑な姿を、いかに解釈したら日々の憂鬱な感情が少しは減るか、自分なりの知恵が浮かんできます。日本がまた戦争に巻き込まれないように、それぞれの立場で努力しましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年07月01日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
どんなに勉強して記憶に叩きこんでも人は直ぐ貴重な知識を忘れますが、さりげなくふと訪問した美しい所は生涯、忘れないものです。有名な欧米の教会の色々の情報を事前に勉強しようと努力していても、直ぐ忘れますが、実際に訪問したシャルトルの大聖堂の複雑な地下聖堂の構造はいつまでも新鮮なものとして、いつも自然に心に浮かんできます。また、以前、訪問した厳島神社の老舗の宿からの風景は幼児時代の或風景と同じだった事から、あーあ、そうだったんだ、此処だったんだ、と幼児時代の幸福を再現させてくれました。このように百聞は一見にしかずで、人生の日々の中で、視覚からくる幸せ感はこれからの人生を益々、美しくしてくれます。ですから出来ればいつも、意識して美しいものを見たいものです。汚いものは心を傷つけやすいので、努力して視覚にはいつも美しいものを見たいものです。汚いものは人々の目に何故かあちらから飛び込んでくるようですので、意識していつも美しいお花、大自然の風景、星空、絵画を楽しむと心も自然と豊かに平安になるようです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年06月30日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人は意識、無意識で自分が正しいと信じて生きています。ですから時々感じる寂しさとか愛の孤独感についても、その原因は自分には無い、社会のせい、人のせいにして生きています。また、そうしないと益々変になつていきますので、ある意味、今の解釈をよしとしないと生きていけません。しかし、どうしても切なくて哀しい時、心から自分を大事にしてくれる相談者がいればいいのですが、そんな人はあまり居ません。相談に行けばいくほど、益々、嫌な事態になるようです。癒してくれる人を持つ人は本当に幸せな人と言えるでしょう。そういう相手が居ない場合の解決方法はセルフカウンセリングの手法を覚える事しかありません。寂しさ、愛の孤独感はその人の生育史から捻出されてくる理想(こうありたい、こうあらねばならなし、というイメージ)と現実の解釈から生まれますので、先ずその理想のイメージの内容を現実吟味力で再点検します。次に現実の解釈が正しいかどうか、それも現実吟味力で再点検しますと、その二つの内容が少々、現実離れしていた、ど気づく場合もあります。理想を捨てるか、現実を100パーセント受け入れるか、その中間で納めていくか、この作業を月に一度の割合で行う事しか方法はありません。厳しい現実は変わりませんが、このセルフカウンセリングの手法に慣れ成功していくと、自分の力を信じ逞しく生き抜く勇気が出てきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年06月29日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
味覚を病気で喪失した知人は悲劇です。食べないと生きていけないので味が無くても毎食、必死で食べています。さて味覚を意識しなしと人生の醍醐味、生き甲斐が半減します。味わう事を意識化した人は幸福感が倍加するそうです。味覚を意識化すると平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感が確実に増加しますので、食事の折に、どんな味を今、感じているか意識と言葉にしてみて下さい。涙が出るくらい幸せになります。甘い、酸っぱい、辛い、美味しい、と意識化するのです。某大学病院での事例ですが、腐敗したものを意識して食べさせて鬼のような母親が心を病んで入院してきました。この事例は子供は心の病気にはなりませんでしたが、その母親が何故か、心を病んでしまったのです。この昔の体験は味覚の神秘をしみじみと私に沢山の事を教えてくれ、味覚研究の多方面での示唆を与えてくれました。味覚は幸福感と直結していますし神学、哲学、宗教学、政治学、経済学とも深く結びついていきます。味覚の中に雄大な神仏を感じ、素晴らしい愛の世界を提供したシェフも存在しています。味覚の世界を是非、思索しましょう。人々の幸福を簡単にもたらす世界でもあります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年06月28日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
富士山への信仰は江戸時代に再燃しますが明治初期には「宮下文書」のように国家神道からも政府からも偽書として葬られていきます。古代富士王朝が存在したかどうかは、その筋の専門家におまかせするとしても、私達祖先が富士山や筑波山、大山、白山、磐梯山等への山岳宗教に平安感を感じ取り生きた歴史は消せません。邪教と言われた古代の宗教もある種の人々に幸福感を与えた事は事実です。「自己肯定・他者肯定」の思想がフランス革命の後、法律化されてきますが国連憲章でうたいあげる人類の基本的人権の思想を得るまでには長い歳月が必要でした。富士山信仰が時の政府を不安定にさせ、都合が悪かったからです。それほどに富士山信仰は日本人の背骨のような存在でした。富士山信仰を消滅させていく歴史の中でも一番面白いにが古事記、日本書紀の研究でしょう。何故、大和王朝が富士山信仰を撲滅すべく必死だったか、ご興味のある方は生き甲斐の一つとして研究なさいませ。ここでは今でも何故に日本人がこれほど富士山が好きなのか、生き甲斐の心理学が何故に、これほど富士山を愛しているのか、その理由を知って欲しいとおもい、ながながと書いてきました。深い魂と歴史、民話、伝説、大自然、そして火山という恐れ、この富士山をこれからも大いに楽しみつつ、そのエネルギーを頂きましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする