五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

どこに美しさを見出すか

2017年03月09日 | 第2章 五感と体感


どこに美しさを見出すか。 2017年3月9日

どこに美しさを見出すか。
幼い頃から今に至るまで、美しさを感ずる「感情」には変わりは無いはずですが、美しさを見出す対象には、少々の変化が起こっているはずです。

華道家の友人と話をするうち、最近の自分の花の好みが、またひとつ変化した話題になりました。
「ここ数年、枯れた紫陽花の花や立ち木枯れの百合の花が、ほんに美しいと、感じていたが、それを踏まえたうえで、最近は藪椿の花と木の姿を美しいと思い、松を育てる事に心惹かれる」と友人に言うと、「間違い無く日本人のDNAだわ」と言われました。友人自身、山に花材を探しに入ると、それをしみじみ感ずるそうです。

縄文時代から日本人が整えてきた「はれの日」の室礼を覗けば覗くほど、削ぎきったものが見えてくるものです。
でも、私自身にしても、自分の内に重ねてきたものが無い限り、削ぐことはできず、重ねてきたものをどう削いでいくかが、ある程度の年齢になると本来見えてくるのが人の業なのかもしれません。

何を削いで、何を表すか。
その表現に、しつらえる者と見る者の互いの息が合うと、その空間が至福の気に包まれるのです。それを感ずる人に成ることが出来て初めて美しさの原点に立ち返る事ができるのだと思います。
自然の中で大らかに美しさを感ずることと表裏一体であり、同質であるのです。
そのことに執着する以外は、「おおらか」であれば良いと思うのです。
それが私らしさだと表現すれば、そうかもしれません。

奈良の東大寺二月堂のお水取りが後半に入り、そろそろ春の滴が混じる空気が重くなってきました。穢過を祈る時期と同時に、そろそろ花まつりの室礼を考える時期です。「天上天下唯我独尊の御釈迦様にどんな花を設えるか」というテーマにひたすら時間を費やす事に喜びを感ずることに美しさを見出すと、やはり美しさは決して物質的なものではあるまいと、納得するのでした。

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