五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

日本橋の浮世絵

2014年10月04日 | 第2章 五感と体感
ただいま、古美術商をしている友人から表装のお礼に頂いた浮世絵を表装しています。
日本橋を行き交う先には、江戸城がそびえ、そのまた先には富士山が見えます。

日本橋。

来月、年に一度の表導会の展覧会に出すには会場の場所柄も相応しく、この浮世絵を軸にすることにしました。

天秤背負った商人、
仰々しい参勤交代の列ではありますが、皆さん、江戸に上がって楽しいことが待ちうけているといった笑顔で顔がほころんでいます。そして、それを見つめる怪しげなお侍。
酒瓶を持つお使い風の小僧は、しょんぼりと歩いています。
武士の両親に手を引かれ嬉しそうに飛び歩く坊ちゃんは、ちゃんと刀を差しています。
どこぞの商人が橋の袂で手を揉みながら何やら話をしている様子。
旅は道連れ、旅人二人も何だか楽しそうに息投合・・・。
隅田川には荷物を積んだ舟も行き交っています。

いつの世も人の喜怒哀楽は同じですね。

時間を掛けて伊勢物語から裂の取り合わせを思索し、
10月からの某講座のテーマは「もののあはれ」。
橋弁慶を謡いながら、仁和寺に琵琶を返して源平合戦に臨む経正をも想い、、、

2千年の、いやいや縄文を加えたらもっとですが。。。今この時に、それだけの時空が自分の視野に入っていると、とても幸せな心地になるのです。

物理的に見えているものだけを見る生活よりも、壮大な時間と空間が見えてくるとこんな楽しい事はありません。

朝から何を読もうと勝手ですが、早朝4時から伊勢物語を読む生活は、プライスレスな至福でございます(笑)

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我が子に何を教えるか

2014年10月03日 | 第2章 五感と体感
先日、電車を乗り換えるため、自分が乗ってきた電車を降り、同じホームの向かいにやってくる電車をぼんやりとしながら待っていました。
ホームの縁から二メートルぐらい離れたところに2歳ぐらいの坊やとママがいました。ママは坊やの乗っていたバギーを持ち、坊やは立っています。
そこに電車がやってきました。私達の目の前に電車が滑り込んでくると同時に坊やがそのホームの縁に向かって飛び出したのです。
すると、同じぐらいの年頃の娘の手を左手で持ち、右手に二人分の傘を持っていたママが、とっさに飛び出した坊やを傘でふさぎました。

瞬間の出来事。

見ていた私は戦慄が走りました。

その坊やは、お腹に傘がぶつかり、止まった瞬間くるっと振り向き、今度はママに走り込み、「痛い痛い」と泣き叫びました。

傘で止めたママと私は、眼差しで微笑み合い安堵の感情を確認し合い、互いに別の車両に乗りました。

その間の出来事は、多分10秒ぐらいだったと思います。

「痛い痛い」と泣き叫ぶ坊やに母は、「痛かったのね。。。」と声を掛けています。
そして、私達に目を合わせることなく、その電車に乗らず別の場所に去ってしまいました。

「それ、ちょっと、違うんじゃないかな、、、」
という思いが湧き立ち、モヤモヤとしているうちに目的地に着きました。

子供に何かを教えるタイミングは、時には怒りの感情で伝えることも親の役目です。
危険がいっぱいのこの世を生き抜くためには、まず、何が怖くて怖くないかを身をもって体験させながら教育していかなくてはなりません。
坊やは傘で止められなかったら、大惨事になったことは間違いありません。
そして、その場にいた私達は目撃者として、証言する義務を背負わせれることになっていたはずです。

親は、まず傘で止めてくださった方に、一言「ありがとうございました」と、言うべきでしたし、あまりの驚きにそこまで気が回らなかったとしたら、坊やに真顔で「今、あなたは死ぬところだった」ということを伝えなくてなりません。

それが、親となった人の義務でありましょう。

「痛かったのね~~」と、優しく身体を包みこむだけでは、危険な体験の学習にはならないのです。

怖い
怖くない

という感情は、人が生き延びる為の大切な感情です。私達はその感情を「原初感情」であると学びました。

自然の脅威や他動物の襲来の中で、生き延びてきた祖先は、それらの感情を身をもって体験しながら学習たわけですが、現代社会では、何が怖くて怖くないかは、きちんと説明しなくては理解できないくらい複雑になっています。

この学習は、厳しい言い方ですが、親の責務です。

我が子に何を教えるか。。。
親の教育は宝物です。その宝物を携えながら我が子が生きてゆきことを忘れてはなりませんね・・・。


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有馬の湯のおもてなし

2014年10月01日 | 第2章 五感と体感
有馬温泉の宿に着くと、まず目に入ったのが、フロントの壁に掛かる奈良画の掛け軸です。
漆塗りの長椅子におかれた白い陶器の鉢に有馬の野草が活けられ、喫茶室に通されると、李朝の棚に華道家の本が置かれてあります。
目を喫茶室の奥の壁に向けるとリーウファンのドローイングが目に入り、その作品をひきたたせるように花が活けられています。

旅館にしてもホテルにしても、花と花器と背景の作品と壁、諸々の設えのバランスに心を籠めた空気を感ずるところは希少です。
心をこめてもセンスが無いと、こんなものなのよね。。。と、美に対する解釈の違いだと諦め気分になります。
「設え」というのは、それだけ難しいものなのでしょう。

有馬の老舗旅館のご主人が14年前にテレビで出合った「これだ!」という華道家に弟子入りし、学び続けていらっしゃるそうです。
奇しくもその華道家は私が姉のように慕う友人の師匠でもあり、活けることについて、私自身も友人から四半世紀以上話を聞き続け、作品を観続けてきました。

有馬の旅館で、息の合うというか、自分の体感に塩梅良い浸透圧を感ずる設えに出合い、大変嬉しく思いました。

中大兄皇子、大海皇子が天智、天武となる前に訪れていた有馬の湯。そこに額田王、持統となる鵜野、謀反の罪で殺される有馬皇子、そして斉明天皇もおられたはずです。
山深い有馬まで女性達がよくも歩いたものだと感心しながら宝塚駅からバスに揺られ山越えをし、そのような妄想を体感して愉しもうと友人と訪れた有馬の湯でありましたが、思わぬ素敵な出会いで、現世をも愉しむこととなったのです。

有馬温泉は太閤の湯として有名で、黒田官兵衛も幽閉から解かれた後、ここで療養しました。
とはいえ、「私達は、有馬皇子ね」と、息投合し、金の湯、銀の湯に浸かったのでありました。

その日の月は三日月で、ふと空を見上げると南の空に煌々としておりました。
都会の喧騒から解き放たれ、しんとした宵のなんと心地の良いこと。
有馬の湯の効用は、当分の間心身に貯金できそうです。

息の合うおもてなしに感謝しております。お金を貯めてまた行きたいです。


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