五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

傾聴について。4

2012年08月10日 | 第2章 五感と体感
傾聴について。4日目です。

無防備・感情の共感・受容・間について書いてきました。

今日は、「理解」することについて書きます。

理解する事とは、一体どういうことでしょうか?

私達は平素の生活において、色々な出会いがあります。
色々な考え方の人がいて、色々な感情の湧き出し方をする人がいて、それぞれの考え方で起す行動も様々です。
現在、地球に70億人の人が住んでいます。
その70億分の1が私であり、かけがえのない私自身の個性です。
だから、違って当たり前なわけです。

傾聴する中で、相手の考え方に賛同することが傾聴としての聴き方ではありません。賛同しなくては傾聴が成立しない、と考えていたら、それは方向性がちょっと違うかもしれません。
賛同するしないに関わらず、理解することはできるわけです。どうしてこういう考え方になったのか、どうしてこういう行動を起こすのかを理解することは、前回に書いた「無防備・感情の共感、受容」に直結しています。

そして、なにより大事なのは「人が好きか」です。

傾聴の条件の中で、もしかしたら一番大切なことかもしれません。

人を愛おしいと思い、人と関わることに喜びを持ち、人と交わることを大切に思う事ができているか。。。

嫌々傾聴していたら、相手は見抜きます。
恐々傾聴してたら、相手は不安になります。
自分の考えを主張するのは、相手を不快にさせるだけです。
思いやりを感じなかったら、相手は嫌な気分になります。

1無防備になっているか。
2相手の感情に共感できるか。
3あるがままに受け容れることができているか。
4間を置いているか。
5理解する努力をしているか。
6人が好きになれるか。

このことを意識しながら傾聴できるよう、私も日々精進したいものです。

本日、山元町の某場所にて「傾聴」勉強会を開かせていただきます。
そこでは、これに合わせてロジャーズの6条件も共に勉強したいと思います。

駆け足でしたが、4日にわたり、傾聴について書かせていただきました。参考になればありがたいです。

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傾聴について。3

2012年08月09日 | 第2章 五感と体感
昨日のブログでは、「無防備」と「感情の共感」について書きました。

今日は「あるがままに受け容れる」について考えてみます。

何故、今の自分をあるがままに受け容れなくてはならないのでしょう。

苦しいこと。
辛いこと。

できることなら、こんなに苦しいことや辛いことは自分に起こってほしくないことです。

でも、現実は変えることはできません。

理想と現実のギャップが不安感を湧きあがらせます。

このギャップが広ければ広いほど不安感が強くなるようです。

そのような状態の方を傾聴するにあたり、無理やりに「良い方に解釈しようよ、、、とか、違う見方もあるよね、」等と、相手の感情を否定するような対応をしていくと、悩む人は、「自分の話を聴いてくれてない」という思いが強くなっていきます。

そのためには、相手の言葉をあるがままに受け容れる聴き方が大事になってきます。

そして、

ゆったりと、時間をかけて、相手の紡ぐ言葉のペースに合わせて聴いていくことです。傾聴者が主導権を握り、傾聴者の考え方に相手を誘導してしまったり、せっかちに聴いていくと、不安感を持つ人は、次第に傾聴者に対し不安感が湧きあがってくるようです。

つまり、「間」を置く、ということです。

続きはまた明日。

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傾聴について。2

2012年08月08日 | 第2章 五感と体感
傾聴二日目 

テキストは48ページです「人はどうしたら上手に傾聴できるか」

そこには、無防備になれるか?と書かれてあります。
無防備とはどういうことでしょう。

傾聴する側にしても同じ人間です。いろいろな経験をし、今に至っています。人間として同じ立場にあるのに傾聴者は何故無防備でいなくてはならないのでしょう。

もし、自分が悩みを持ち、他者に話を聴いてもらいたいな~と思った時、どんな状態の人に話を聴いてもらいたいですか?
そのことを思いうかべると、なぜ、「無防備」であることが必要なのかが理解できると思います。

傾聴の訓練で、まず大事なことが一つあります。傾聴する側である自分自身の「傾向」。つまり「人とのかかわりにおいて自分はどんな傾向があるか」とか、「自分の考え方の傾向は、どんなものであるか」とか、「自分の湧き出す感情に、パターンはないか?」を検証し、自己分析する必要があるのです。
そのためには、自分が生まれてから現在までの生育史を振りかえってみることが大切な作業となるのです。

自分がどんな「思考と感情と行動」で暮らしているのか。。。

その「自己の傾向」を知らずして、他者を傾聴しようとすると、きっと相手の傾向に巻き込まれて疲れ果ててしまう可能性が大きいかもしれません。

自分の傾向を受容出来ていると、軸がしっかりし、無防備さ、つまり自由自在な自分として相手の感情に共感できるようになるのです。

傾聴するということは、話のあらすじを聴きとることではありません。相手の主張に同意することでもありません。

相手の話す内容から醸し出す「感情を聴きとること」が最も大切なことなのです。

そして、相手の感情を感じ取りながら、その感情の整理が出来るようひたすら傾聴していきます。

答えは、本人が持っているのです。それを傾聴者が侵害してはなりません。

:傾聴は明日にも続きます。

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傾聴

2012年08月07日 | 第2章 五感と体感
どうやったら話が上手に聴けるのか・・・

私にとっても永遠の課題かもしれません。

自分自身が、どのように話を聴いてほしいのか。。。
どのような聴かれ方が嫌なのか。。。

この二つを意識してみることから、傾聴訓練をしていきたい、と思います。

続きは、明日に。

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原型が繋がる

2012年08月06日 | 第2章 五感と体感
世田谷美術館で現在開催されている「村山知義展」を拝見し、生育史の中で育まれてきた自分の傾向や意識している考え方に改めて気付かされました。

私の祖父は1900年生まれで、村山知義氏は1901年生まれ。
ほぼ、同じです。

その村山氏の表現してきたプロセスの展覧会は、意外にも自分に通ずるものがあり、驚きと共に安堵感を覚えたのです。

1920年代…。その時代がもたらした文学、演劇、美術、舞踏、思想等が、私自身の体内に宿っていることに気付いて、異質なものではなく深いところで繋がる原型のようなものを感じました。

社会問題、思想を描いた祖父の絵も、洗練され一世を風靡した村山氏には及びませんが、まさしく私の原型と一致したのです。

繋がらないものだと思いながら憧憬を持ち続けていた20代の頃の無意識の中に納められていたものが、この年齢になって段々と繋がるものとして浮き上がってきたのかもしれません。

自分には繋がりの無い人だと思い込んでいた村山氏の仕事に触れることができ、自分のアイデンティティがシャキッとしたような思いになりました。

無事に江戸表具を愛する会も終了いたしました。表具に関わらず、表具を見ながら仕事の話や旅の話や、近況等を互いにお喋りし合う事も出来、とても尊い期間を過ごさせていただきました。
人との繋がりは私の財産です。皆様に感謝しております。

秋の作品展、来年早々の作品展に向けて、また張り切って制作いたします^^/

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子供の姿

2012年08月05日 | 第2章 五感と体感
世田谷美術館でおこなっている「江戸表具を愛する会」では、和綴じ本を作るコーナーも設置しています。

夏休みなので親子での来館も多く、夏休みの自由課題にもお役に立っている?かもしれません。

初めて作るものに取り組む子供の姿は、なかなか素敵です。
ギャラリーのテーブルに並べられた材料に興味を示す子供達は大抵集中力があるようです。
物を作る楽しさを知ると、考える力も芽生えてきます。

無心に手を動かし、紙を切ったり針と糸を使ったりして出来上がったものに喜ぶ表情に触れると、ホッとしたものを感じます。
いつの世も同じだなぁ~という思いが湧きあがります。

美術館通いをしてふと気付きた事が一つあります。それは来館する子供達がゲームや携帯を手に持っていないという事です。
美術館に入る時くらい持たせないよう親が配慮しているのか、持たせない考え方なのか、それは解りませんが、不思議と以前は当たり前であった様子が、貴重に思えてなりません。

世田谷美術館の工作室でも子供の工作コーナーを企画しているようです。

子供の姿を見ると、親の姿が見えてくるのは、当然のことでしょう。美術館に興味が無ければ子供を連れて行こうとは思わないからです。
物を作る子供が口に出す言葉を聞くのも私の楽しみの一つです。

小さな子供達の姿に触れ、世の中憂うことばかりではないことを感じています。

紙と色鉛筆さえあれば、何時間でも楽しむことのできた小学生頃の自分の姿も重なりますし、絵の環境の中で育った私の遊び場が美術館だったことも体感で思い出すのです。未だに私の遊び場は美術館かもしれません。

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真夏の砧公園

2012年08月04日 | 第2章 五感と体感
世田谷美術館通いが続いています。

江戸表具を愛する会にいらしてくださった皆様、お暑い中、ほんとうにありがとうございました。

砧公園は、年々木々が成長し、大木の多い公園です。大きな木々は灼熱の太陽を遮断してくれます。
いくら木陰があるからといい、暑い事には変わりませんが、それでも違いはあるようです。

今日も厚くなりそうですが、お越しの際は気をつけておでかけください。

新たな出会いや数十年ぶりの再会や、日頃お付き合いしている皆様との環境を変えた場所での会話も楽しいものです。

明日までの展覧会です。

掛け軸や額装、屏風のあれこれをどうぞお楽しみください。

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義経と静御前

2012年08月03日 | 第2章 五感と体感
武士の世の始まりを作ったのは平清盛ですが、武士の世を確立したのは源頼朝であろうと解釈しています。

平清盛にとっては、本来なら我が同士であった頼朝の父親義朝と、この武士の世を立ち上げたかったのだと思うのです。
落ち延びようとした父親を味方に殺害され、父とはぐれたおかげで清盛の義母池の禅尼の口添えで流罪で済んだ頼朝。しかも源氏のテリトリーである伊豆で成長期を過ごすこととなるわけです。

気性が荒く欲の深い家臣の存在、そして頼朝の味方にまで裏切られた生育史が織り成した冷酷で猜疑心の強い性格は、同じ源氏の有能な血筋を次々と貶めてゆくのです。
読んでいると吐き気がするくらいの嫌悪感を感じます。

一の谷から屋島までの戦いで、名武将として力を発揮した義経は、鎌倉側に執拗に追い込まれていくわけです。

腰越で兄の鎌倉入り許可を待つ義経が綴った兄への手紙「腰越状」は、ほんとうに切なく、鎌倉入りも出来ず、無念に京都に引き返し、結局そこから頼朝に追われることとなるのです。

吉野、多武峰を彷徨い、静御前と生き別れ、名武将と云われる義経は、鎌倉に称えられることなく落ち武者以上に哀れに追われていきます。
義経と生き別れた静御前が頼朝の前で舞ったときの歌「しずやしず賤(しず)のをだまきくり返し昔を今になすよしもがな」は、義経が兄頼朝に訴えたかった心情そのものだったように思えます。

ベターハーフは生き別れても一体でした。

さて、いよいよ去年の6月から読みだした新平家物語は最終巻16巻に突入です。読み終えるのに一年以上かかってしまいましたが、今日から3日間、世田谷美術館通いになりますので、田園調布から乗るバスの中でゆったりと最後の章を堪能したいと思います。

本日金曜日は12時~14時まで不在となります。。。でも、館内にはおりますので、呼び出してください。

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できた!という達成感

2012年08月02日 | 第2章 五感と体感
東急セミナーBEの表装教室は、かれこれ20年以上続いています。この教室を私が引き継いでから10年が経とうとしています。光陰矢のごとし。。。

人に教えるなんてとんでもない、と思いながらも師匠の「指導することで実力がついてくる」という言葉を信じながら、結局は講座生の皆様に支えられてここまできました。
未だに、指導するというよりも、技術の習得を講座で一緒にさせていただいています。

表装を始めるにあたり、書道や画等がキッカケで始める方も多いのですが、伝統工芸の技術に興味を持たれている方もいらっしゃいます。兎にも角にも、一番最初に制作するものは紙表装です。
普段何気なく見ている掛け軸をいざ作るとなると、案外大変です。自分が今行っている工程の意味など解らないまま仕上げていくことなど当たり前です。
段々と数をこなしていくことで、自分がやっている工程の意味が解ってくるのです。

昨日、第一作目を仕上げられた方がいらっしゃいました。

自作の掛け軸は、いいものです。

何がイイって。。。
訳も分からず、言われるままに作って、それでもちゃんと掛け軸になっているわけです。
この感動は、作ってみなければわからないものだと思います。

私の教室では、一副仕上がる毎に、皆さんと鑑賞し合い、手を叩いて喜び合います。
昨日も、皆さんと喜び合い、「どこに掛けようかな~」とウキウキしているNさんに私も遣り甲斐を感じました。

できた!という達成感を共に味わうと、達成感は一層吟味されていきます。

そうすると、次への意欲が湧いてきますし、出来たという自信が、平素の生活にも影響していくはずです。

カウンセリングの理論は、こんなところにも役立つのです。暮らしの中で、理論を役立てることとは、こういうことなのです。

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世田谷美術館にようこそ~

2012年08月01日 | 第2章 五感と体感
真夏の砧公園は、木々が多いといえど、やっぱり暑い!

その砧公園の中にある世田谷美術館で江戸表具を愛する会を開催しているわけですが、暑い暑いさ中、初日から多くの方がいらしてくださり、心から感謝しています。

仕事やら勉強やらで追われている生活なので、長年お付き合いしている方々と、ゆっくりお話できる機会が持ちにくいのが現状です。でも、年に一度の展覧会会場に居れる時は、制作の緊張感から解放され、私がリラックスできる唯一の時かもしれません。

年に一度でも再会できる人との会話は、ほんとうに有難いものです。
もちろん、このブログを読んでいらしてくださる方、大歓迎です。

今回も5月あたりから準備を始めたのですが、結局前日まで制作するあり様。。。
もっと早く始めれば、屏風も作れたのにな~~、、、と反省したりしていますが。。。

日曜日までの展覧会。私が会場に居るのは3,4,5日です。

ミニ和綴じ本作りコーナーもありますので、お子様には夏休みの宿題のヒントにもなりそうです。

金曜日はできれば2時以降くらいがゆったりとできそうです。
最終日は4時までですのでお気を付けください。

暑さ真っ盛り!気をつけてお出かけください。

尚、本日と明日1.2日は仕事がありますので不在となります。

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