五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

義経と静御前

2012年08月03日 | 第2章 五感と体感
武士の世の始まりを作ったのは平清盛ですが、武士の世を確立したのは源頼朝であろうと解釈しています。

平清盛にとっては、本来なら我が同士であった頼朝の父親義朝と、この武士の世を立ち上げたかったのだと思うのです。
落ち延びようとした父親を味方に殺害され、父とはぐれたおかげで清盛の義母池の禅尼の口添えで流罪で済んだ頼朝。しかも源氏のテリトリーである伊豆で成長期を過ごすこととなるわけです。

気性が荒く欲の深い家臣の存在、そして頼朝の味方にまで裏切られた生育史が織り成した冷酷で猜疑心の強い性格は、同じ源氏の有能な血筋を次々と貶めてゆくのです。
読んでいると吐き気がするくらいの嫌悪感を感じます。

一の谷から屋島までの戦いで、名武将として力を発揮した義経は、鎌倉側に執拗に追い込まれていくわけです。

腰越で兄の鎌倉入り許可を待つ義経が綴った兄への手紙「腰越状」は、ほんとうに切なく、鎌倉入りも出来ず、無念に京都に引き返し、結局そこから頼朝に追われることとなるのです。

吉野、多武峰を彷徨い、静御前と生き別れ、名武将と云われる義経は、鎌倉に称えられることなく落ち武者以上に哀れに追われていきます。
義経と生き別れた静御前が頼朝の前で舞ったときの歌「しずやしず賤(しず)のをだまきくり返し昔を今になすよしもがな」は、義経が兄頼朝に訴えたかった心情そのものだったように思えます。

ベターハーフは生き別れても一体でした。

さて、いよいよ去年の6月から読みだした新平家物語は最終巻16巻に突入です。読み終えるのに一年以上かかってしまいましたが、今日から3日間、世田谷美術館通いになりますので、田園調布から乗るバスの中でゆったりと最後の章を堪能したいと思います。

本日金曜日は12時~14時まで不在となります。。。でも、館内にはおりますので、呼び出してください。

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