五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

食べていくということ

2008年02月26日 | 第6章 螺旋状に上昇する意味
「5万年前」というタイトルの本が、去年あたりから私の周辺で流行っています。

現在に至るまで、自分の祖先がどうやって生きてきたかをDNAのデーターを基に、生物学的見地で書かれたこのような本を読むと、精神衛生がよくなるのを感じます。

宇宙の果てを考えたり、人は死んだらどこに行くか、とか、考えたらきりのない話題はたくさんあります。不可知論的な話題であったものが、科学の発達により、限りない真実として私たちの知識に入り込んでくる時代になってきました。

自分という身体が、いったいどのようにして此処まで生き抜いてきたか?

私の祖先が生き延びてきたからこそ、私が今、ここに居るわけです。

とにもかくにも、「食べて生き抜いてきたのです」

太古の昔は、食べるための行動で一日を過ごしていたはずです。
畑を耕し、めぐる季節に順応しながら、環境適応していくことで、「住まう」ようになったのは、人類の歴史からみると、ほんの上澄みの歴史しかないはずです。
そのほんの上澄みのそのまた表層を生きている日本に住まう私たちは、世界中を駆け巡り、世界中から集まってくる食べ物をお金で買い、好きなように頂いています。
5万年かけて移動した人類が、あっという間にシャッフルされ、そうはいっても国と国の境界線は一層厳しくなり、自分がどの国の国籍を持っているかが、大変重要になってしまいました。

食べるものを買うために必要なお金。

それを得るために、どんな仕事に就くか。

人類は、媒体を置くことで、より「知」が必要となるのです。

しかし、
よく考えてみると、「どうやって食っていくか」
たったそれだけのことなんです。

しかし、しかし、そんなシンプルな人間の営みが、いつしか見えなくなってしまったように思うのです。

お金を得るための仕事。
仕事をするために必要な勉強。
勉強するために必要な努力。
努力するために必要な、決意と意志。

決意と意志が生まれるには、愛すること、愛されることの意識が、とても大切な要素なんだなぁ、と思います。

「食らう」ことは、「愛」を頂く、ということに繋がります。

さてさて、今日も「食らう」ことを考えながら、食事の支度を始めます。


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