五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

思い出のバンド

2008年02月13日 | 第1章 意識と知覚
再結成したポリス。
今日は、東京ドームでコンサート。
私はチケット買いそびれ、「ま、いいか、、」と思ったものの、行きたい気持ちも半分。幸か不幸か、夜に仕事がらみの用事ができたため、それを理由に行くのをやめました。

20代の前半、「U2」が出始め(今も活躍しているアイルランド出身のバンド)、社会的現象のように、ハマる人が周りに結構いました。大学にはいったものの美術の世界で食べていくにはなかなか難しく、中退して、中には世界中放浪する友達もいました。60年代、70年代が過ぎ、80年代に入った頃は、なにか柱を失ったような感じで、掴むもの、もしくは反抗するものという対象が薄れ、自分というものに回帰せざるえないような、社会風潮であったようにも思います。

防衛機制でいえば、逃避ともいえそうですが、本人は本当に悩んでいるのだから、その時の分析をしようとしても、今の私にはできません。
ふらりふらりとしながら、結局、私は日本で生きることを選びました。

そんな中、当時、親友ともいえた男友達がT大の彫刻科を中退し、旅に出たのです。
日本にいよう、と決意した私と入れ替わるように、彼は旅にでました。

その頃の通信手段は、手紙しかありません。
二年間くらいでしょうか。
ひたすら手紙のやり取りをしました。

南米から始まり、最後はサンフランシスコ。
マラリアになって、高熱に浮かされて、ふと目覚めると、自分の寝ているベットのまわりに山羊がいた話とか、マチュピチュに行く山岳鉄道の風景とか、彼の旅日記が、克明に書かれてありました。
サンフランシスコでは、逞しく働く姿がありました。
その間、私たちの間にあった音楽は、ポリスでした。

旅をしながら、どんどん大きくなっていく彼に、羨ましさも感じながらも、励まし合いながら、互いの生活を自分のものにしてきたように思います。

あれだけ、手紙をやりとりし、帰国し商売を始めた友人と会ったのは一回だけ。
「こいつは、立派に食べていけるな」、それを感じたらもう会う必要を感じなくなったのです。

互いに自分の方向性を求めて、手紙を交わし、自問自答をしたおかげで、今の自分があるのだ、と思います。

今日は、同じ空の下、どこに住んでいるかわからない友も、あの頃の自分を思い出しているかもしれません。




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コメント (1)
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