五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

法螺を吹いて見神欲

2015年02月14日 | 第2章 五感と体感
実家にホラ貝が届きました。指導を受けていた尺八の師匠が齢九十で亡くなったのと本人も体力的にも尺八に限界を感じた気配のある父が以前から「法螺、法螺、ホラ」と呟いていたのですが、ついに手に入れました。

今治の某法螺伝道者から送られてきた箱を開けると
中には、
法螺。
法螺を包んで首から下げる編み紐。
教本。
法螺貝のCD。
が、はいっておりました。

最初から吹けるわけない、と、思いきや、何と法螺貝は息を吹き込みその共鳴する音を発するのではなく、自分の声そのものが拡声して響き渡ることが判明。
手にしてみないと解らない、と、いきなりハードルの下がった錯覚に陥り、ホラ吹き大会が始まりました。

なるほど、「ホラを吹く」と云う事の由来は、そこから来ているのだと、改めて知る事となった次第です。

自分の生き甲斐を魂の方向に向けることで、見えてくるものが白装束の修験道の領域であるような無いような、そんなイメージを持っている父の見神欲(デジデリウム)は衰えていないかな、と、窺うこともできそうです。

役行者が葛城山で生まれ育ち、あれやこれやと能力を蓄え疎まれつつも吉野金峯山寺を聖地として開山する前から、日本の国には多くの聖地と霊山があったはずです。それぞれの地域に住まう人々が、山を仰ぎ、海を仰ぎ、天を仰ぎ、頭を垂れ、生き抜くためのエネルギーを頂いて世を繋いできました。

明治政府が海外を真似し、強引な宗教改革をしてしまったことで、日本の八百万の神々+諸々の宗教は、分離されあいまいさを法的に排除しました。それでも無意識の中に一層溜まる人の神を見る力(欲)は、抑圧的に層と成してきたはずです。
歴史の学びで、そのあたりの事を丁寧に教えることができないので、ますます日本人特有の察しの文化が強調されてきたのかもしれない、と思う事が度々あります。

古層から積まれてきた人の自然な取捨選択は、そうそう切り落とすことはできません。形成される人の思考と感情と行動に抑圧された信仰の歴史が日本という個性として分化されていることは、文化人類学的に言うと当たり前の事なのです。

自分の中にある山岳宗教的な記憶は、声明の呂律を聴くことで魂の深いところから湧き上がってくる回帰のような情動がその証拠かもしれません。

老いた両親に少々手間が掛かり始めたこの時期に実家に行く毎にホラ貝を吹きながら、その呂律を学ぶ事は、私の楽しみの一つにもなりそうです。
ホラ貝を吹くことは、声明を唱えることに近いように思いますが、謡いをしていることで、感は掴めそうです。

父が、「お前も一つホラ貝を買うか?」と、聞かれたので、すかさず、「いやいや、私に楽器を買ってくれるんだったら、小鼓がいいわ、」と、どさくさに紛れておねだりアピールしておきました。

今日も実家に行かねばならないので、勿論、ホラ吹き練習やってきます(笑)
人生の道行きに自分に何が手に入るか解りません^^;
金峯山寺で聞いたホラ貝の音の物凄さは、ホラ貝を吹いた山伏の修行している身体と心と魂そのものであることに、気付かせていただき、これまた何がきっかけで気づかされるかわかりません。

合掌

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