五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

元旦ミサで禅問答

2013年01月02日 | 第2章 五感と体感
新しい年を迎え、心身を糺しミサに与り、正月に読み切れるわけの無い「お正月に読む本(五冊の内の一冊^^;)」を読み始め、大晦日までの慌ただしさから一気に鎮まった元旦を過ごしました。

皆様、あけましておめでとうございます。

今年は我が家にとっても転換の年です。いよいよ家族全員が税金を支払うことになるからです。親から独立することは、やっぱりおめでたいことであり、「食わしてもらう」から「自分で稼ぐ」ようになって始めて、自己責任の意味が見えてくるのだと思います。

カトリックK教会の主任司祭さんはアメリカ人です。彼は毎年お正月に袴を着けられます。今年も大きな身体にツンツルテンの着物を着、袴はご自分の大きな身体に合い、西陣織りだと思われるストラ(肩から掛ける帯のようなもの。袈裟と同等)を掛けられます。
昨日、ふと、神父さんの腹に目が留まりました。きちんと、袴を美しく締めていらっしゃいます。袴帯を締め袴の紐を整えることが未だ出来ない私は、ミサというよりも袴ばかりが気になり、茶道好きだけあって、さすがだなぁ・・・と、感心しました。

千利休は、南蛮寺で行われるミサの典礼に大きなヒントを貰ったはずです。カトリックの聖杯を掲げ祈りを唱え、ワインとホスチア(ご聖体)に祈りを捧げ、信徒にそのホスチアを与えた後の片付けなどは、まるで茶会の席に居るような気分になることがあります。
この茶会の席に居るような気分に成る時は、神父さんの聖杯を扱う所作と指先が美しいと思った時に限りますが。

織田信長がキリスト教を擁護し、その後、親の敵のように禁じられ、日本では無残な歴史ばかりが目につきますが、安土桃山の文化以降は、キリスト教を外しては考えられないのです。

もともと空海が西安で、出合った景教にしても同じですし、そもそもシュメール人がもたらした文化や思想は、神道の礎でもありましょうし、仏教が入ってきたことで、益々交わりながら古事記も編纂され、日本独特の宗教観が生まれてきているのだと思うのです。

正しい事など、どこにもありはしない・・・。
「正しい事など、どこにもありはしない」ということが、正しいことであると思っていることこそ、この固有の思想に誇りを持つ事が、この国の生き抜く道でもあることをそろそろ受容してみるのは如何かしら、と、つらつら思い巡らし、「少なくとも私自身がこのアイデンティティに居直っていれば、ま、いいか、」と、アメリカ人の神父さんの綺麗に整っている袴紐を眺めいたという、元旦でありました。

今年こそ、袴を一人で着けられることが、私の自立目標&自己責任、ということで…。

元旦から、妄想巡らす癖が止められない私ですが、関わる皆様と、今年も例年通りお付き合い頂ければ幸いです。今年もよろしくお願いいたします。

告知:
2013年1月13日から2月9日まで、銀座プロムナードギャラリー(銀座三越下~東銀座までの地下通路・歌舞伎座の手前)において、「江戸表具を愛する会」に参加します。新歌舞伎座の見物の際は、ぜひ地下通路をご利用くださいませ。



クリック応援お願いします♪「生き甲斐の心理学/五感で観る」
人気blogランキング
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする