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五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

家族の幸福

2009年12月18日 | 第1章 意識と知覚
長年、当たり前だと思っていた考え方とか風習が、ある日ある時「当たり前ではない」と知った時に、心の中で縛られていた何かがほどける体感を味わいます。

親と子の関係はそれだけ深いのです。

自分の考え方が、すべてだと信じ、生きていくことはとても大事なことです。
自分を信じることが、自己肯定かというと、これは、ちょっと違うかもしれません。

自分の考え方をかたくなに信じ、他者否定を繰り返す人を見ていると、その人の自己肯定は、かなり歪んだものに見えてきます。
自己肯定の中に潜む、自己否定が浮き彫りにされてくる場合もあります。

親子の関係の中で、「幸福」と「幸福の条件」を意識し出した時に、自分の身体と心から湧き上がる幸福感を思い出してみると良いと思います。
「自分にとっての幸福は何か?」を思索しつつ、
「自分は何のために生きているのか?」
「自分の生きがいとは何か?」
「自分の身体と魂と心を大切にしているか?」
を、自問自答する必要がありそうです。

親の成育史から学習した「幸福の条件」をあたかもそれが「子供の幸福」であると思い込んでしまうのは、親の愛情の表れでもありますが・・・

子供は、生まれてから今日までの経験で、親から多くのことを学んでいます。
たかだか、10数年、、、と思っては大間違いだと私は思います。

じっくりと、静かに、子供の話を聴いていると、そこから彼らの人生哲学が語られてくるのです。
その語られる言葉から、親が一所懸命育ててきた証がほとばしり出ます。

子供の個性が羽ばたいていくことに戸惑いを感じながら、親は今一度、自分の幸福感を見つめ直す必要がありそうです。

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型からみる自由自在

2009年12月11日 | 第1章 意識と知覚
茶道や華道、スポーツ、能楽、舞踏、演劇・・・・・
音楽にしても各宗教の典礼にしても「型」から外れたものに出合うと、「何かヘン」だと感じることがあります。

カウンセリングというあなたと私の関係のなかで、「カタチに囚われることなく、倫理道徳に関係なく、湧き出す感情を大事にしてください。」というような内容のやり取りは、必ず通る会話の工程です。

他者の話を聞くときに、私たちは、ある理論系図を頭に浮かべます。
その理論系図をめぐり、私はブログを書き続けています。

やみくもに、「うんうん、」と聴き続けているわけではないのです。
、とは言っても、自分の解釈が先行してしまうこともしばしばあり、反省しきりの日々をおくっています。

「聴く」訓練は、型を体得し、それを自由自在に扱えるまで続きます。
いつまでか?
たぶん、生きている限り、ずっとだと思います。

人は「型」を体得する訓練を好みます。なぜ、飽きないのでしょう?

人類の歴史は長く、古(いにしえ)の人々が長い時間をかけて作ってきた「型」には、普遍的なありようと自由さが籠められているからではなかろうか?

型を体得している人ほど、観ている者に「真・善・美」を感じさせます。

感性と型「理論・技術」は、切っても切れない関係です。

五感を磨き、型を学び、いつしかそれがほんとうに自分のものになるまで、学び続けたい。。。という気持ちが、次から次へとやってくる好奇心へと繋がっていくようです。

「私」という器の中身の変化を拒まず、常に学んでいたいと、しみじみ思います。

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私とあなた

2009年12月06日 | 第1章 意識と知覚
子供と親
生徒と先生
妻と夫
部下と上司
同僚
友達
「あなたとわたしの関係」と「わたしとわたしの関係」は、深い深い繋がりがあるようです。

私が感じる違和感は、私のどこから湧き上がってくるのか。。。
まずは、そこから考えてみるのが良さそうです。

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多様な自分

2009年12月05日 | 第1章 意識と知覚
本音の感情を聴きとりながら、
ありのままの感情を大切に。。。。と言いながらも、
じっさい、ありのままの感情を大切にしてみると、こんどは解釈の仕方に、歪んだものが見えてくることがあります。

この解釈を巡って、またまた感情が右往左往します。

この右往左往する感情をさらに否定も肯定もせずにありのままに湧きあがせることができたら、多様な自分自身に出会うかもしれません。

メビウスの輪のようなお話ですが、自分の個性の中身は一つだけではなさそうです。

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言葉で伝える

2009年12月04日 | 第1章 意識と知覚
不安感を聴いてくれる人に出会うと、自分がなぜこうなのか分かってもらうために相手に伝えるための相応しい言葉を探します。

思いと感情が、しっくりとした言葉に変換された時、なぜか、浄化された気分になります。

人は言葉で想いを伝えることのできる生き物です。

だからこそ、湧き出す感情と成育史に育まれた自分の考え方を大切にしたいものです。個性の美は、伝えることから芽生えてくるように思います。

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ことばと怒り

2009年12月03日 | 第1章 意識と知覚
不安は人の本質ですが、不安感を通り越して怒りを感じたときに、いきなりキレちゃう人が多くなったと言われています。

でもね、
「むかつく」とか、「きもい」などと言っている人たちの言葉をひとつひとつ丁寧に否定も肯定もせずに聴いていくと、徐々に次々と美しい言葉が口から出てくるのです。

「聴くこと。」「話すこと。」
とっても大事な人間関係の築きかただと思います。

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知覚と意識の深い関係 1

2009年11月17日 | 第1章 意識と知覚
知覚と意識は、自分を見ていく上で最初の一歩だと認識しています。

私とあなたの関係において、または、日常の出来事に対して、自分が知覚する違和感、同感を意識しているでしょうか?

「あれ?

なにか変…」

その知覚を大切にしていないと、心のバランスが崩れていくように思います。

「なにか、へん、、、」に気持ちが留まり、でも、何がヘンなのかわからず混乱していく経験は、成育史の中で、誰もが経験することです。
とくに思春期は、「何かヘン」を知覚しながらも、その解決の術が分からず、悶々としているうちに、親からあれこれと言われ、ついつい反抗的になってしまったりするものです。

自分の中の何がヘンなのか?、何と何の間に違和感を感じているのか?
もっと分かりやすく言うと、「理想と現実のギャップは、どうなのか?」
もっともっと分かりやすく言うと、「自分はいったい、どんな考え方に縛られているのか?本音は何なのか?」そんなことを自問自答していくと、知覚から意識へ自然と流れていくのです。

否定も肯定もされず、静かにフンフンと聴いてくれる相手がいなければ、まずは、自分と自分の会話、自問自答を楽しんでみようではありませんか。。。

知覚して意識化して、言葉にしてみる。。。さて、どんな言葉が飛び出すでしょう。。。

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現実吟味力って何?不安その4

2009年10月27日 | 第1章 意識と知覚
特殊な用語は、「業界内」では通用しても業界外の人にとっては何だかさっぱりわかりません。

昨日の鳩山首相の所信表明演説の全文を読んでみました。
解り易い言葉は、業界外の私は「わけのわからない言葉」に関して拒否する感情が湧くことなくひとりの国民として最後まで読み通すことができました。
内容に賛否することは、まず、知ることから始めなくてはなりません。
その点では、よい文章だったと思います。
さて、
他人のことは、こうやって批評できます。
これが、自分に関していうと、なかなか…

心理学の用語も特殊なものがたくさんあります。

読むことはできても、その意味が自分の概念と繋がらないケースはたくさんあります。

昨日のある勉強会で「自己の現実吟味力は健全か?」「自己の現実吟味力の低さで失敗した経験はあるか?」
そのような問いかけをしてみました。

現実吟味力…なんでしょうねぇ~、、、確かにわかるようなわからないような用語です。

「現実」を「吟味」する「力」と言ってしまえばそれまでですが、
感情には、すべて意味があります。その湧き出す感情を抑えたり、否定し続けていると、自分の心と体に支障をきたしていきます。

本音と建前を混同していくうちに自己に湧き出す感情が見えなくなっていきます。

明日から、この現実吟味力を7回に分けて書いていきます。

自分の個性の美をここで見つめるには、良い機会だと思います。どうぞ、お付き合いください。

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不安感と現実吟味力ーその3

2009年10月26日 | 第1章 意識と知覚
体調が悪かった時代があります。10代から30代のころです。
見た目は元気なのですが、いつも血の気のない身体が、いろいろと支障をきたしていました。

その頃の自分自身の身体の現実を吟味する力は、かなり低かったと思います。

30代の半ば頃に血液検査をし、あまりの数値の低さに「よく生きていますねぇ」と言われ、そこで、初めて自分の健康感を吟味しました。

女性の方ならよくおわかりでしょうが、一か月の周期的な体調の変化に翻弄されていたことにもそのころようやく気付きました。

貧血を克服することで、自分の不健康さに初めて気付いたわけです。

人は心と体と魂で成っています。

「今、自分が気になるのは、いったいどれ?」

不安感を抱いているとしたら、まずは、そこから始めてみるのもひとつの「不安感の意識化」のようです。

話は変わりますが、
昨日福祉関係の試験を受けた皆さま、お疲れ様でした

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不安ーその2

2009年10月25日 | 第1章 意識と知覚
昨日の続きです。

不安といってもいろいろあります。

☆不安感を撥ね退けながら、緊張感をもって、能動的に行動する。
☆自己の不安を克服するために他人に八当たりする。
☆不安が増長し、眠れなくなったり胃が痛くなったりする。
☆不安がつのり、無気力になる。
☆不安と不安がせめぎ合い、自分を見失う。

数分間瞑目して、浮かぶ私の事例を書いみました。

不安は段階的に五つに分けられます。(ストレス曲線)

不安→怒り→身体症状→鬱→錯乱

不安感は、生きるために不可欠な感情です。
今日の自分は、どんな不安感と向き合っているのか、それが意識化できれば、道筋が見えててくるはず…

「いま、このとき」の感情をみることから、こつこつと…

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不安感とどう向き合うの?

2009年10月24日 | 第1章 意識と知覚
漠然と不安なのか?
もやもやと掴めそうで掴めない不安なのか?
要因が明確な不安なのか?

{心理療法の世界では「人は不安」が本質と云われている。}と教えられたとき、箍(たが)が取れたような安心感を覚えました。
以来、自分に表れる不安感が、ある程度明確な形になって見えるようになってきました。
「なぁんだ、人って、不安が本質何だ。。。不安でいいんだ!」
この概念が、私をずいぶん助けました。

さて、その不安感、
どうやったら自分の不安感を知覚することができるのでしょう…

「いま、ここでの自己の感情」を自分が感じ取ることは、とても大切な作業です。

一分くらい、呼吸を整えながら、自分を否定も肯定もせず、瞑目してみると、留まることに耐えられず逃げてしまう自分もいたり、あれやこれやと不安が湧きあがってきたり、ピンポイントで不安が明確に見えてきたり、、、、

瞑目してみて、表れる自分の状態を、まず意識化してみる必要がありそうです。

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経験の蓄積

2009年10月23日 | 第1章 意識と知覚
ある学校と関わり出してから二年目の秋を経験しています。

思春期真っただ中の子供たちを接しながら、学ぶことがたくさんあります。
毎回が自分との出会いです。

「素」である自分と向き合える時間を与えられたことは、カウンセリングという世界に足を踏み込んだ私の大きなお恵みだと解釈しています。
「素」である自分は、一つではありません。たくさんたくさんあります。
たくさんあっても、自分は自分です。

私というひとりの自分です。

「学校」という場所で、もう一度育ち直しをしている自分は、今、中学2年生ぐらいのところにいるかなぁ~、と思います。

「今、子供を育てている時以上に、見えてくるものがある、」ということは、カウンセリングの理論を学んだから、というだけではなさそうです。
年齢を重ねることによる経験の蓄積によって、私の心の引出しが増えた、ということが云えそうです。

15歳なら15年分の尊い成育史。
成育史は宝物です。
美しい宝物に出合える私は幸せです。

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馴染みの場所で

2009年10月22日 | 第1章 意識と知覚
自分が慣れてきたのか?
相手が慣れてきたのか?

いやいや、自分がこの場にほんとうに馴染んできたのかな・・・

手伝い始めて今年で6年目、回数で五回目の勉強会がある場所で始まりました。

今年は、朝から夕方までの長時間の勉強会です。

師匠のお人柄ゆえ、特に今年は嬉しいことに去年、一昨年講座を取ってくださった方が多く、私も初回からほどほどの緊張感でのスタートを切りました。

ある学校のこの場所は、私自身、20年前からのお付き合いですが、建物も内装もそのままで、自分の出身校よりも馴染んだ場所となっています。

今年度のこの勉強会のテーマは「エンカウンター」。
「自己と向き合う」です。

世話人の采配と、参加者によって、空気感ががらりと変わる内容なのですが、
相変わらず、ゆるりとした空気の中、参加者の皆さんとの和んだ空気で一日過ごすことができ、改めて師匠の世話人ぶりに感心した次第です。

半年間、馴染んだ場所で、志を持つ皆さんと、和やかに学んでいきたいと思います。よろしくお付き合いくださいませ。

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腰越勉強会

2009年10月06日 | 第1章 意識と知覚
今日は雨。
台風の影響で波が高く、腰越漁港の漁船は鎌倉のお隣、逗子の小坪漁港にすべて避難したそうです。

そんな天候の中、ほとんどの方が参加。お疲れ様でした♡

さて、今日のお題は「ストレス曲線と自己実現の関係」
耳慣れない人にはちょっと不思議な組み合わせの言葉に聞こえるかもしれません。

具体的には、自分の選択したもの(事)が、「不安、怒り、身体症状、鬱、錯乱」というストレスに追い込んだ事例を思い起こしながらの勉強会でした。

本音の感情が言葉に出れば、しめたものですが、たいていは、その手前でグルグルと繰り返し表れる自己の傾向に取り込まれてしまいます。

でも、親しい人や家族に、ある程度の知識や理論を身に付けている人がいたらどうでしょう。否定も肯定もせず、あるがままを受け容れてくれる身近な人がいたら、その人は闇のような暗い感情や身体症状を表出することができるはずです。
時間はかかるかもしれませんが、人には自然治癒力というものが備わっています。

暗い感情を表出できる環境は、私からみると天国のような環境です。
それができない環境にいたとしたら、その人は抑圧がどんどん深くなっていきます。

「理論は虚しいが、理論がなければ学問は成り立ちません。」という師匠の言葉を胸に、学ぶことに精進しようと、改めて気持ちが奮い立った勉強会でもありました。

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他人のことはわかりません

2009年09月08日 | 第1章 意識と知覚
人の話をどこまで聞き、関わっていくか?

自分が人のためにやっているという思い込みに酔ってしまうことほど、怖いものはありません。ボランティアや慈善事業の怖さです。。。

それと、「人のために何ができるか?」この言葉も私にとっては脅威と傲慢にしか聞こえません。「人のため」は「自分のため」でもあります。
「自己の内に答えがある」ことを常に意識することが必要です。

厳しい言い方かもしれませんが、「他人のことはわかりません」

人の話を聞くことについて、「自分がどこまで関わるか」をまず明確にしていく必要があります。
身の丈に合った聞き方ができるようになるには、学びが必要です。

気を引き締めて、学びを続けていきたいものです。

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