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五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

沈黙の・間・「傾聴4」

2010年02月28日 | 第1章 意識と知覚
傾聴1~3までは、「無防備な状態をつくる」ことと「共感」について書きました。

傾聴の仕方は、自分自身の自問自答にも役に立ちます。他人を傾聴する前に、自問自答の修練が必要です。

今日は、「間」について書きます。

他人から悩みの相談を受けた時に、「自分が相手にとって頼りになる答えを持っている」と思っていたら、それはカウンセリングではありません。

答えは自分自身の内に宿っています。

自分自身の内に宿る答えを感情を整理しながら見出していくことを「お供」することがカウンセリングだと私は理解しています。

もやもやした感情が湧き上がり、自問自答しだした人には時間が必要です。
その時間を無視して話しかけることは、相手が自分自身を考える時間を無視していることになります。

子供の答えは私の答えと思い込んでいるお母さんが横に居ないと、子供は自分の湧き出す感情を整理しながら自分の答えをちゃんと話していきます。

その言葉を待つことは、尊い沈黙の時間です。

言葉と言葉の「間」をお供することは、言葉にならない言葉を共有する大切な「時」なのです。

この「間」を大切にすることで相手との信頼関係が深まってくるように思います。

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共感とは?「傾聴3」

2010年02月27日 | 第1章 意識と知覚
相手の「言葉」に同調し、その言葉に囚われることが共感ではありません。

そんなことをしていたら話を聞いている本人が自分の中の真実を見失っていきます。
「同調できない防衛機制」の取り扱いを傾聴する側が自己分析しておく必要は必須です。

「共感」とは、相手の感情を理解することです。

理解することと、同調することは違います。

言葉は、時によっては、裏返しの感情を表現します。ボキャブラリーの少ないことが理由でうまく表現できていない場合もあります。
不安感と平安感は、表裏一体の同質なものなので、心の奥底の感情とは違う言葉が無意識に発せられることもままあります。

心と体がぴたりと合うような言葉を発するには、傾聴する人の感受性からくる言葉の豊富さ必要です。話す人には、その人の成育史から醸し出す言葉の傾向があります。

相手の不安の感情を「吐き出す言葉」に傾聴する側が囚われることなく添っていくと、不思議なくらい感情が豊かになり、本来の表情に戻っていきます。

時間をかけてゆっくりと聴く行為は、相手をそのまま受け容れることの基本の時間と空間です。言葉だけで見えてくるものではないのです。

表層的に表現される言葉と、心と体の奥底で叫んでいる感情を見分けていくことが「共感」だと私は理解しています。

相手の言葉に翻弄しているようでは、共感の条件が整っているとは言えません。

傾聴する側の訓練に、自分の成育史をカウンセリングの理論を使い理論武装する意味は、そこにあります。
生涯修行です。自分を知ることに興味を持ち出すと、生きている甲斐が見えてくるかもしれません。

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無防備「傾聴1」

2010年02月25日 | 第1章 意識と知覚
どんな人に話を聞いてもらいたいですか?

眉間に皺を寄せ、深刻ぶった人に話を聞いてもらいたいとは思いません。
しつこい人も嫌です。

自分の考えを押し付け、暗い解釈をしたり、
説教を言い出す人には絶対に悩みを打ち明けたくありません。

自分の気持ちを語っても、肯定しすぎず、否定もせず、ただ、フンフンと聞いてくれるだけで、充分だと思うことは多々あります。
よい聞き手に恵まれると、他人には言われたくない自分の確固たる気持ちを言語化することでゆるゆると緊張感がほぐれてきます。

自分が喋りやすい人の「無防備な状態」とはどういうことなのか、考えてみたいと思います。
どうも「自分と気が合う」というだけではなさそうです。

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自分とは

2010年02月24日 | 第1章 意識と知覚
自分とは何者であるか?

死んだらどこにいくんだろう?

何のために生きているのだろう?

ほんとうの自分とは?

考えても考えても簡単に答えは見つかりません。

見つからない答えの「問い」を自分で問いかけながら生きているのが「人」かもしれません。

自分を廻る日常の出来事は、自分自身に多様な感情を湧き出させます。
違う出来事を経験しているにもかかわらず、いつも一貫した考えからくる感情が出ていたら、それは、何かに固執している故でしょうか?深く悲しい思い出から抜けられないからでしょうか?

日常の生活の中、いろいろなことを見たり聞いたり触れたり味わったり匂いを嗅いだりしています。そのたびごとに、人の感情は変わります。感情は川の流れに似ているように思います。

清らかに流れる水をみると綺麗だと思います。
淀んで滞るような流れの水をみていると胸が詰まったような苦しさを感じます。

川の流れと感情は同じだな、といつも思います。

自分の滞る感情の裏にある不安感に自分自身が耳を澄ますには、どうしたらよいのでしょう。。。

明日から傾聴について書こうと思います。

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直感を信じる「愛の孤独感18」

2010年02月23日 | 第1章 意識と知覚
17日間にわたり、「愛の孤独感」自己愛について私なりの整理してみました。
まだまだ、書き足りません。時を経たら新たに書き綴ります。

自己愛は、自分がどうやって人に愛されたいか?人を愛すのか?

自己表現の傾向を自分自身がどう処理しているのか?

人からどんな言葉をかけられたら自分は満足するのか?

人との関わり方がわからない。。。
スムーズにしゃべりたいのに、言葉がうまく出てこない。。。
思っていることとやっていることが何か違う。。。
○さんの前に出ると、自分が馬鹿になったような気分になる。。。

自分自身に湧きあがる自分の中の違和感は、自分自身の直感が自分に知らせてくれています。

「私とあなた」「私と私」の関係において、何かヘンだな、と思ったら、その直感を大切に…

ヘンだと思う直感を放置せず、「何がヘンか」立ち止まり自分に問いてみると、新たに自分の内側から思いもよらない「不安感」が湧いてくるかもしれません。

その不安感をどのように解釈していくか。。。

ブログはまだまだ続きます。

とりあえず、「愛の孤独感は」ここで終了します。お付き合いくださりありがとうございました。


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共感能力「愛の孤独感17」

2010年02月22日 | 第1章 意識と知覚
確かに空気読めない人も、この「共感能力」という用語と通じるかもしれません。
でも、もっと大事なのは、自分自身の現実吟味力が健全であるか否か?ということです。

その現実吟味力の欠落が「故意的ではない無意識の空気読めない状態」を作り上げているようです。、「あの人は、空気が読めない」という言葉の使い方には注意が必要です。日本人特有の「皆同じが心地よい傾向」も忘れてはなりません。

人の悪口を言ったり、文句を言ったりして、周囲を暗くしたり、いつも同じパターンで失敗する自分の傾向に気付かなかったり、自分の不安感にとどまれず、すぐに怒りの感情を爆発させたり、いろいろです。

「自分にはそんな傾向はない!」と言い切る人ほど、「あれれ?」と思います。

他人に気を遣う人が共感能力が優れている、とも言い切れません。必要以上に他人の気持ちを考えすぎることも、共感能力の無さに繋がります。

「人は人、自分は自分。あなたと私は別である。」私自身、この言葉を呪文のように唱えながら過ごす時があります。呪文のように唱えなければ、自分以外の感情と自分の感情の区別がつかなくなるからです。

自分の「いま、この時の本音の感情」を自分自身が確認することは、そうそう簡単なものではなさそうです。

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異常な期待「愛の孤独感16」

2010年02月21日 | 第1章 意識と知覚
たとえば、親の理想が強く異常に期待されて育った子供。でも、その子供が親の期待に添えず希望の学校に行けなかったとき、異常な期待から異常な侮蔑に変わっていくケースに時々出くわします。

夫の仕事がうまくいっている時は愛想のよい妻も、リストラがきっかけで急に態度が変わってしまうとか。。。

「この人に会って私は救われた!」と言って相手を褒め称えていたにも関わらず、自分の期待とは違う側面をその人に見出した瞬間、軽蔑と侮蔑の感情が芽生えてくる、というケースもあります。

幼いころ、親に期待して、それが叶えられなかったとき、自分は愛されていないんだ、、、と、思うことは、この傾向の始まりと言っても過言ではなさそうです。

「異常な期待と、異常な軽蔑」という現象は、「同質なものだなぁ~」と思うことは、仕事を通してしみじみ感じます。

私自身が自分でしなければいけないことと相手に期待することを混同しないように日々暮らしたいものです。

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軽蔑する感情「愛の孤独感15」

2010年02月20日 | 第1章 意識と知覚
人を軽蔑しやすい傾向は、「情の深さ」といつも繋がります。

息子が借りてきた映画を一緒に観ました。グラントリノです。(クリントイーストウッド監督・主演)
人を軽蔑し、世間に唾を吐き、自分に湧きあがる怒りの感情をフィルター掛けずにそのまま吐き出す男が主人公です。
でも、そうなるには理由があります。彼の戦争体験です。

違う人種であっても同じ感情を持つ人を目の前で殺してきた恐怖と懺悔が彼の感情を抑圧に導き、毒舌を吐く嫌われ男となっていくのです。

でも、あることがきっかけで、彼は「彼自身の悔いのない人生」をおくるために行動を起こしていきます。

映画を見終え、私にとって余韻の残るいつものテーマが頭に浮かびました。

「人は何のために生きているのか?」「悔いのない人生とは?」「あなたは体と心と魂を大切にしているか?」です。

情の深さゆえに行動していく映画の主人公は、人の愛し方愛され方が分からない人ではありません。ただ、過去の過ちが愛されることを拒み、愛することを抑制していくことで、他者との関係に大きな溝を生んでいくのです。
彼の取った行動は、彼のアイデンティティの統合によるものであり納得のいくものです。でも、私のアイデンティティの統合ではありません。私だったら何を考え、何をするか…?

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私は利用されている「愛の孤独感14」

2010年02月19日 | 第1章 意識と知覚
私はこの人に利用されている。。。と、感じたことはありますか?
「ひょっとして利用された?」、案外利用されたことを意識化することは簡単でも、自分がだれかを利用しているという事実は意識化できない場合が多いかもしれません。

「私は人に利用されやすいわ。」と言う人は多いのですが「私は人をいつも利用してるわ」と言う人にはめったに出くわしません。

人は人を利用し、利用されて生活しています。

とくに仕事において、「利用される・利用する」バランスが崩れてくると、「利用された」と思う(無意識の場合もある)人に、「嫌」な感情が湧いてきます。

人を不快にさせる人間関係の中で、これは大きな原因の一つかな、、、と思います。

利用しあうことを、口にしなくても、互いにバランスを保たれていると、仕事もスムーズに動きます。

でも、出世欲の強い上司、人に責任を押し付ける同僚、あなた任せの後輩、、、、、

人を簡単に利用するくせに、誰かにものを頼まれると、無視したり、即座に断る人もたくさんいます。断るだけでなく、怒りや不満をぶつけてくる人もいます。

「私は、人を利用することは苦手なタイプ。。。」と思っている人ほど、無意識に誰かに何かを要求しているかもしれません。

職場。ボランティア。習い事。友達。学校。。。そして、家族。
自分が関わるグループの中で、自分はどのように働いて、人と付き合っているか?
自分は、どんなバランスで、「利用」の需要と供給を出し入れしているか、点検する必要ありそうです。

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感謝の心「愛の孤独感13」

2010年02月18日 | 第1章 意識と知覚
「ありがとう」
と言えない人にときどき出くわします。

感謝の心を持たない人。
感謝の言葉を口にしても心から思っていないな、と分かる人・・・

理想と現実のギャップがストレスを生みます。
臨床心理学では、理想と現実がその人の中で統合された状態は「感謝と満足」以外考えられないと教えられました。

なるほど、と、思います。現状に不満足で理想の思いがが次々と現れたなら、現実を見ることへの不安感が広がり、ますます理想と現実のギャップが大きくなっていきます。

だとすると、感謝と満足を感じることができないと、常にストレスの中にいる不満だらけだということです。

感謝の心も愛の訓練次第です。

人を愛すること愛されることを知らなければ、感謝の心も育みません。
人は一人では生きていけません。人を通して学ぶことだらけです。

感謝する気持ちは、現状の受容と明日への活力だと、私は思います。

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理想と現実の識別「愛の孤独感10」

2010年02月15日 | 第1章 意識と知覚
こうありたい自分・・・・たとえば、「この人と結婚したい」「私は女優になりたい」はたまた「私は神になりたい、、、」、つまり、「~したい、」というのは「理想」です。

でも、叶わない状況にある自分、平凡な自分、人間である自分、、、自分の今が理想とは反対の場所にいたとしたら、理想と現実は、どのくらい離れているのでしょう。。。

昨日、「マグニチュード8」というアニメーションを途中から観ました。お台場に弟と出かけたお姉ちゃんは、そこで大地震に遭遇します。家のある成城学園まで、弟とたどり着くのですが、そこで、現実を知ります。家に戻る途中に弟は死んでいたのです。「理想と現実の混濁」、つまり、弟が亡くなった瞬間、あたかも弟は生きているという精神状態となります。通う学校にたどり着いて初めて弟の死を思い出します。

この場合「あたかも弟が生きているかのような理想と現実の混濁」です。

私とあなたの関係において。。。私は、親子関係において、無意識の中でよくこの状態を体験しています。(私と母の関係、私と子供の関係)

ここでちょっと立ち止り、互いの関係性をよくよく眺めてみると、自分の中にある「混濁」が見えてくるかも・・・

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威張ってる人「愛の孤独感9」

2010年02月14日 | 第1章 意識と知覚
「自己の重要性」を他人に知らしめ、自分の個性を誇りを持ち、少しでも自分よりも上に立とうものなら、徹底的に攻撃される。。。

このような人と一緒に仕事をしていると、自分のほうがヘンなのか?という思いに駆られて、身体症状にでたり、鬱になったり、相手ではなく自分が病んでいきます。

とくに、このようなタイプが会社の上司だったりすると、相手が「へん」なことに気付きにくいのです。

あなたは、どんな「愛の原型」を持っていますか?
どのように親に愛され、愛し、出会った人を愛し愛されることは、やはりお手本がなくては身に付かないように思います。

そのお手本が、愛の訓練を怠ると、「愛すること愛されること」を知らずに大人になっていきます。

今一度、自分の愛の原型を思い起こしながら、自分はどうか?点検してみると、もっと自信が生まれると思います。

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不安感にとどまる「愛の孤独感7」

2010年02月12日 | 第1章 意識と知覚
昨日のブログであなたは不安感にとどまることができますか?
という問いかけをしました。

私たちは日常、いろいろな感情を体験しながら生活しています。それらを意識し出したらきりがありません。「チベット仏教の死者の書」や「ギリシャ神話」に触れると、自分が意識していない人間の持つ感情の豊富さに驚きます。

自分に湧き出す「不安感」を自分はどのように扱っているのか…?

人の本質は「不安」です。「不安感」を「平安感」に導くためにはどうすればよいのでしょうか?

「不安感」を放っておくと、「怒り」が湧き出し、そのうち「身体症状」→「鬱」→「錯乱」と移行していきます。これは「ストレス曲線」と言います。

その対極にあるのが「幸福曲線」です。
幸福曲線とは「平安感」「友好的感情」「健康感」「幸福感」「統御感」です。

理想と現実のギャップで顕わになった自分の不安な感情を5つに分けてみると、自分が陥っている不安は、いったいどのあたりに当てはまるのでしょう?

不安にとどまることができると、こんな自己分析ができます。

不安にとどまる自分を防衛機制(フロイトの14の防衛機制2009年9月ブログ掲載)によって、どのように扱っていくかも自分次第です。
あるいは、不安にとどまれず、無意識または意識的に防衛機制を使うことで、他人を傷つけているかもしれません。または、傷つけられているかもしれません。

成育史は宝物です。自分の体感や経験は、自分にしかわからないものです。そして自分の成育史が自分の不安感を解決していくヒントをもたらしてくれるはずです。自分の「体と心」の内は、自分が思う以上に広いものです。心と体は宇宙そのものかもしれません。

一週間かけて、前置きを書きました。
明日から、「愛の孤独感について」もう一歩踏み込んで書いていきます。

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他人のストレス

2009年12月28日 | 第1章 意識と知覚
ふと気付くと、他人のストレスに巻き込まれていることがあります。

自分がとても明るい解釈をしているのに、なんだかとっても暗い解釈をしている人が横に居たら、けっこうその気分は暗い方へと導かれて行ってしまうこともよくある話です。

自分の問題か?
相手の問題か?
それらを意識してみると、案外、自分のストレスではないことに気付いたりすることがあります。

心の事業仕分け、大切にしていきたいものです。

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成育史と抑圧の関係 2

2009年12月20日 | 第1章 意識と知覚
ある日、ある時、何かのきっかけで、「え!????、これって、私だけが思ってたものなのぉーーー???」という経験を持っている方は、幸せだと思います。

他を知らないばかりに、自分を苦しめていたものが、成育史による経験からきたものだと知った時に、思わぬ浄化作用を起こすことがあります。

でも、
子供は、そうは簡単にいきません。
人間関係が広くなく、行動範囲もせまく、言語表現も豊かではないから、気づくと身体症状に出ていたりしています。

人込みの中に入れない・・・
心臓がドキドキする・・・
眠れない・・・
胃が痛い・・・
頭が痛い・・・
教室に入れない・・・
友達との違和感に苦しむ・・・

確かに生きてきた年数が少なく成育史による経験も少ないのですが、よくよく考えてみると、私自身の成育史における、不安の根源は、だいたい15,6歳までの経験によるものだ、と思うのです。

子供たちの話をじっくりじっくり聴いていくと、素晴らしい人生哲学をすでに持っていることに感動します。
「どうやったら私は生きのびることができるか」という答えをすでに持っているのです。
でも、それらを言語化して、元気になる子もいれば、そうでない子も多いのです。

成育史における経験の中で育まれた概念が、抑圧という防衛機制で支配され、意識に上がらないので身体に出てくるケースも少なくありません。

成育史をやみくもに自己受容することは自虐的な行為です。
自分の本音の感情を自己受容するために、理論的な検証作業も必要になっています。

現象には、必ず理由があります。

それは、宝物である成育史を意識化してみることから始まります。

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