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五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

湧きだす感情は?

2009年08月28日 | 第1章 意識と知覚
「湧き出す感情は?」いきなりそう問われても戸惑うのは当たり前です。

常に自分の本音の感情を意識していても、その時の現実吟味力に何らかの偏りがあれば本音の感情というよりも、成育史上から湧き出す考え方(思考)に覆われて、なかなか感情までいきつかない場合もあります。

かたくなな概念が自分を支配していることに気付いていてもそれを認めたくない自分もいます。

人は心と体と魂で成っています。

魂は普遍的な柱のようなもので、心と体は、日々の生活の中で、その柱を取り巻きながら自分の中に湧き上がる違和感と戦っているように思います。
心がかたくなであれば、いつの間にか身体にその違和感が表れます。

身体症状…

眠れない。食べられない。食べ過ぎる。便秘や下痢。
胃が痛い。頭が痛い…
学校に行けない。教室に入れない…

堂々めぐりのようですが、そんな時に、また問うてみます。
「今、ここでの感情は?」

昨日の不安でもなく、明日の不安でもなく、遠い将来の不安でもなく、「今ここでの感情」を意識化します。

人に言わなくてもいいんです。心の中に湧き上げるだけで充分なようです。


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不安感を意識する

2009年08月26日 | 第1章 意識と知覚
夏休み気分から脱し、本格的に活動再開です。

なので、初心に戻り、おさらいです。

いろんな不安を抱えて過ごしている人が多いなか、その人が自分の「不安感」という感情に佇むことができたら、前進の印かもしれません。

不安感に佇む術を知らないばかりに、何かに頼ってしまい、ぐるぐると同じパターンを繰り返してしまう人は案外多いように感じます。

何かに頼ることは、一見「安心」のように見えますが、これが結構落とし穴だったりします。。。
頼ること=依存することで、自分の中に湧き出している不安感を益々見えなくしてしまいます。

人は自分の中に、自然治癒力を兼ね備えています。
「自分の中の違和感」は自分にしかわかりません。

二学期が始まり、笑顔が戻った人、悲しみが深まった人、いろんな再会があると思います。

もう一回、初心に戻り、自分の不安感と向き合って、心の整理を互いにしてみようじゃありませんか

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性格が暗い、明るい、

2009年08月05日 | 第1章 意識と知覚
昨日は四十肩発症のため、しょうがなく自制して自宅謹慎の一日を過ごしました。
そんなわけで、夏休みの期間中にせねばならない書類の整理をしました。

書類は山積みになるばかりで、整理しなくてはただのゴミです。
気になりながらも、次から次へと作成しなくてはならない書類に追われる日々。
ようやく、整理のチャンスがやってきたというわけです。

一年を振り返り、改めて人の内在する「よき方向に向かう傾向」に、「ヒト」がただ子孫を残すためだけではく、「生きる意味を考える生き物」であることをしみじみと思いました。

「身体の不調は、何かの啓示です。
今までの自分を多少反省しつつ、今度は良くなるように努力あるのみ。
反省してもしょうがないです。」
と解釈する私は、防衛機制で言うと「昇華」に当てはまるようです。

性格が明るいか暗いか、と問われれば、「明るい」と答えますが、厳密に言うと、いつも明るいわけではなく、「解釈が前向きで明るい傾向である」と言ったほうがしっくりきます。

かといって「解釈が暗い」ことが悪いことではありません。自分を卑下するのではなく、自分の傾向である「個性の美」と向き合うことのほうが大切です。

こんな自分をどう扱っていくか、、、それには、まずは自分の傾向を知ることからかな、と思います。

突発的な出来事で、自分が感じることを意識してみることは、自己の傾向を知るよい機会です。

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感情をとらえる

2009年07月30日 | 第1章 意識と知覚
自分が悲しいのか悔しいのかわからずにやみくもに周りにあたり散らされるとたまったものではありません。

自分の湧き上がる感情が意識化されていないからこそ、当たり散らしちゃうもかもしれませんが・・・

当たり散らされた方は、それが続くと段々と自分の感情を抑え込んでしまいます。

気付くと、心がすっかり暗闇の世界に。。。

私と私以外の人との関係は、そうやって互い影響し合って成り立ちます。

夫婦、舅、子供との関わり、同じ屋根の下で暮らしていれば、それがもっと密度の濃い人間関係となります。

「私」の感情をとらえることは一番大切な作業です。

自分がその感情によってどのような「言動や行動」をしているか・・・ちょっと立ち止まって観察してみる時間を持ってみるのは如何でしょう・・・

30秒くらいかければ、自分の内に留まる感情が見えてくるはず
もし、見えてこなければ、ちょっぴり疲れているかもしれませんよ~~

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相手の理想化

2009年07月28日 | 第1章 意識と知覚
おだてに乗ると、あとで大変なことが必ず起こります。

自己過信による大失敗です。

たとえば、仕事場で「先生、先生!」と言われ、分をわきまえず、相手の「理想化」に乗っかってしまうというようなことです。

あなたと私の関係において、相手の私に対する「思い込み」をどの時点で意識できるか。

謙遜という言葉がふさわしいかどうかわかりませんが、「身の丈を知る」ことはどんなときでも意識していたいものです。

それと、自分が相手に対して「どこまで責任を負えるか」または、「どこまで関われるか」、自分の現実吟味力を測ることも大切です。

天まで昇る嬉しい気分の後は、ちゃんと地面に着陸したいものです。

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夏の目標

2009年07月20日 | 第1章 意識と知覚
与えられたことを、ひたすらやっていたここ数年。
ひたすらやっている時期を少し脱してきたように思う今日この頃。

そうすると、次にまた表れてきます。。。課題が。
これが私の性分だからしょうがない、と苦笑いするばかりです

「ほんとうにできない」「嫌だ」「やりたくない」、、、と思うことは手をつけません。「やる」「やらない」の判断は、自分の中でうずく好奇心が私のスケールかな、と思います。その次に、時間という問題。関わる時間があるかないか。

あんまり先のことを考えず、とりあえず8月いっぱいに「せねばならない」ことを中心に、蝉の鳴き声と一緒に真夏を楽しむことにしようっと

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お題は日本神話

2009年07月13日 | 第1章 意識と知覚
週末、二泊三日の勉強会でした。

テーマは日本神話。

「古事記や日本書紀が長い歴史を経て、日本人のアイデンティティにどのように影響されているのか。」それを自己分析する三日間でした。

特に「穢れ」と「禊ぎ」について、思索しました。

幼い頃は、紙芝居や絵本で触れていた「いなばの白ウサギ」や「ヤマタノオロチ」「ウミヒコ・ヤマヒコ」・・・確かにお話はわかりますが、それが穢れと禊ぎにどうつながるのか?

「けがれる」ことによる「みそぎ」。
「けがれている」ことによる「みそぎ」
・・・陰と陽・・・

「恥」と「清め」にも関係していきます。

映画「おくりびと」に「死に触れた職業を始めた夫」に妻が「穢らわしい!」と叫ぶ場面があります。この場面はとても印象的でした。

「死」は穢らわしいという日本の文化思想は、確かに生きています。仏教の葬儀に参列した後は、塩で身を清める風習があります。
穢らわしい自分を清めてから神社に入ります。そのために水で清める場所があります。

「恥」もそうです。「恥をさらす」「恥を知れ」・・・

ユーロ圏のホテルのアンケートで、日本人の客が一番マナーを守り、部屋を綺麗に使い、クレームが少ない、という結果が出たそうです。
日本には「旅の恥はかき捨て」という言葉も生きています。海外の人たちが相対的にそのように感じていることが、逆に私自身のアイデンティティを客観的に捉えるきっかけにもなります。

自己主張に乏しい、無口?、おもてなしの心?配慮?気遣い?察する?
おとなしい、謙遜?謙虚?

繊細な心遣いか?恥の文化か?自信が無いのか?気が弱いのか・・・???

とりあえず、他人のことは分からないので自分の中で考えてみることと致します。

三日間、思索に更けましたが、まだまだ思索が足りません。始まったばかりです。
そんなわけで数日、「穢れ」「禊ぎ」について触れていこうかと思います。

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無理せず、いじらず、

2009年07月10日 | 第1章 意識と知覚
「こんな解釈だとだめ!もっと楽に考えようよ!」
そう言われて励まされても、あるがままの感情が暗いのをスグに明るく出来ないから落ち込んでいるわけで、「あなたには、そんなこと言われたくない!」
そんな経験は誰しもあるように思います。

暗い暗いあるがままの感情を意識化できているだけでも、光の可能性を感じます。

自分が疲れていることが意識できていなかったり、感情が湧かず、何に接しても喜怒哀楽が表現できないと、もっと深刻な状況かもしれません。

「あるがままの感情」を無理していじくらないで、自分自身でそっと見つめることで、自分の内にある答えが見えてくると信じています。

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やりたいことをやる

2009年06月29日 | 第1章 意識と知覚
好き?嫌い?

平安感?それとも不安感?

満足する?それとも不満?

岐路に立ち、何度も何度もこれらの自問自答をしながら生きている私たちです。

小さな選択から大きな選択まで、曖昧さを保ちながらも、何かしらを選んでいます。

「結局はこういう生き方なのよねぇ~」と、苦笑いすることも自分を愛しむ慈しみある赦しの一つかもしれないな、と思うのです。

そのような繰り返しの感情を経験しながら、岐路での選択は死ぬまで続きます。

雨降りの日曜日、自分のやりたいことをやり続けている友人・知人に会いました。
「私にはこれしか道がない」と思いながら、同じことをひたすらやり続けることができること、それ自体が才能だ、と思います。

好きな服を作り続けたり、好きな場所で好きな作品を作り続けたり、好きな場所で好きな料理を作る・・・好きなものを選択してその心地よさで生きること・・・

こうしなければ、家族と暮らしていけない、、、こうしなくては、子育てはできない・・・こうしなければ私らしくない・・・私の中に潜んでいるいろいろな思い込みからスウッーと解放された一日でした。

我武者羅に学んできたものを一旦緩める時期に来たような気持ちが湧き上がってきているのは、心の余裕が出てきた証拠かな?とも思います。

そろそろ、いいんじゃない?

うんうん・・・

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何でこうなっちゃうの

2009年05月29日 | 第1章 意識と知覚
何で自分はイライラしているんだろう?
何で自分は自分でも言いたくないことをついつい言ってしまうんだろう?
自分では、良かれと思っていても、相手は何でイヤな顔するんだろう?

「何で?」
と自分が思った時は、「恵みの思いが天から降りてきた♡」と思ったほうが良いかもしれません。

自分の言動、行動、解釈は、自分という中に取り込まれているので、ほとんど無意識に自分という存在を表しています。

だから、「何で、私はこうなっちゃうんだろう?」という意識化は、自己の概念や解釈を考察、吟味し、必要あらば変えていく素晴らしいきっかけなのです。

子供の頃、思春期の頃は、「何で?」という思いは、私の中に常に付きまとっていました。何で?という思いは、歳を重ねるごとに段々と少なくなっていく傾向にあることは当然だとも思います。

意識の下で我慢しているもの、諦めているものが、「何で?」と言わせない、ということもあり得るような気がします。

「何で?」を「ま、いいか!」で放置せず、「何でこうなっちゃうの?」から見えてくる自分のストレスを意識に上げてみるのもたまにはよいのでは?

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気づくこと

2009年05月28日 | 第1章 意識と知覚
カウンセリングの学びを始めて10年。

勉強仲間の中には、発足当時から続けている方も少なくありません。
通信講座ができてから22年。
大勢の方が、この学びに出合いました。でも、途中でやめた方のほうがはるかに多いのです。
どの分野でも同じことが云えます。
100人の人が居たとしたら、その中でやり続ける意思を持つ持つ人は、5人居たら良いほうかもしれません。

カウンセリングの学びは、決して楽チンなものではありません。

4月から、本格的にエンカウンターに参加しています。
エンカウンターとは、自己開示という意味です。

自己との出会い。
カウンセリングという学びを始めて初めて、エンカウンターという機会を得たことに感謝を感じています。

やみくもに参加し、メンバーに恵まれないために辛い思いをする人も居ます。同時に参加者自身が、エンカウンターの意味を履き違えて、自分で自分の首を絞めることもよくあります。
またまた、世話人が、とんでもない人であると、もう最悪です。

心の防衛機制は、自分自身の経験から生まれてくるものです。

理論で分かることと、体得することは別だとしみじみ思います。

知識を得ることで1分で解決することもあれば、一生かけて解決したいと望むものもあります。中には、解決なんかせずに自分の内にある壺に封印したいものもあります。

10年という学びは、決して長い期間ではありません。私は、まだまだあと10年以上生きたいと思っているからです。
私が生涯を通して学び続けることがカウンセリングの学びであるということに、喜びを感じるようになりました。

共に学び合うお仲間とともに、個々に向き合う時間を大切にしていきたいと思います。

私たちは、「時」という流れの中で生きています。

流れの中で生きながらも、自分は自分です。

「自己というフィルターを通して見ている世間」を自己分析していくことは大切な修行です。

自己と向き合うことを意識し始めると、他者が見え始めます。

息が絶えるまで、「自分」と付き合っていきたいものです。

最良の見方であり、最高の友であり、最低の友でもあり、最悪の敵である「自分」との関わりを気楽に気楽にのんびりと。。。

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源氏物語~その五

2009年05月13日 | 第1章 意識と知覚
源氏物語に登場する人物は、男女問わず、性格が明確に記されています。
実際、小説に性格の説明があるというわけではありません。物語を通して、登場人物の成育史から読み取れる人柄を読者が感じることができるのです。

読み手は、その人柄を勝手に解釈し、好きとか嫌いとか、思いながら読み進めていくわけです。

ドラマチックな物語も良いのですが、さりげなく優しい女性が花散里です。
彼女が物語に登場すると、読んでいる私も小休止できます。
紫式部も、そんな小休止、というコンセプトで花散里を描いたのかどうかはわかりませんが、光源氏も、仕事に恋に疲れると花散里を訪ねます。
花散里自身も、実姉の様子を垣間見ながら、安定を求めて生活することを望みます。

登場人物は、ほんとうに私の前にいるかのように、描かれています。

人物設定がとてもリアルで一人の人間として統合されているのです。

私にとって、そこが、源氏物語の面白いところであり、引きこまれていく理由でもあります。

さて、宝塚の勉強会まであと少しです。もうちょっと源氏物語について書けるかな?
今回の勉強会は、そんなことをつらつら思いながら、「エリクソンの人格形成の発達について」と重ね合わせていくと、ますます面白さが増すかな?と思っています。
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放っておいて

2009年04月23日 | 第1章 意識と知覚
人と関わること。
私はどこまで関わるか。

どこまで関わるか、ということを意識しておくと、自分のできること、できないことを測ることができます。

人との関係において
「お願いだから、私を放っておいて・・・」
そう言われたら、私はこの言葉をどう解釈するだろうか・・・

ほんとうに放っておいた方がよいのか、それとも相手の甘えの構造からか・・・
言われた自分は試されているのか?それとも嫌われているのか?

状況によって、言われた自分は、いろいろな想いが湧き上がります。

ただ、私がどのくらいその人と関わるか、どんな関わり方をしたいのか、何のために関わるのか?それらの自問自答は生き抜くことに必要な要素でもあります。それでゆえ、目的があいまいだと、巡り過ぎ、しまいには堂々めぐりになっていきます。

もし、「その人の答えはその人の内に宿っている」ことを信じることができるならば、見えてくるのは「愛と信頼」のように思います。

「愛と信頼」、これを信じていれば、放っておいて大丈夫かな。。。
揺らぎながらも、相手を信頼することは、あなたと私の気付きの一歩に近づくものであるように思うのです。

「放っておくこと、さりげなく、厭味なく、自然体、愛する、などなど。。。、」どれもこれも修行の重ねが必要なようです。

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NHKプロフェッショナルの感想

2009年04月21日 | 第1章 意識と知覚
NHKのプロフェッショナルに、師匠の関わる団体の方が出演しました。
海外の紛争地に赴き、武装解除の支援をされている方です。女性です。若いです。

どのような活動をされているのか、具体的な活動映像を見ることで、多少理解することができました。

「Sさんは、究極のカウンセラーだ・・・」これが私の感想です。

「生きるか死ぬか。」

家族を殺され、子供が一人で生き抜く姿は、日本に住む私には、信じられないものです。

紛争地帯で武器を持たずに生き抜く方法の答えは、必ずその人自身に宿っていると言い切ります。

その選択は、甘いものではありません。
選択し、決意しなくては生きていけないからです。

長年における失意が重なり、希望も夢も持てなかった子供が、彼女の論理的、かつポイントをついた働きによって、選択と決意を自分自身で実現していきます。

私は、この番組を見て、大きな流れのなかにいる弱きひとりの人間をケアすることで、どうしようもない流れを変えることができることを知りました。
できる、というより、可能性を信じることができるという表現の方がしっくりくるかもしれません。

「できないことを言い訳する人は、プロではない。」
Sさんが茂木さんの質問に最後に答えた言葉です。

久しぶりに、きっぱりと言い切った言葉に真の迫力を感じました。

なかなか人には言えない私の想いを 言語化してくださった気持ちよさも同時に感じました。

今後のご活躍をお祈り申し上げます。

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自分の内にある答え

2009年04月13日 | 第1章 意識と知覚
良かれと思って、アドバイスし続けても、結局、その人が言われていることに意味を感じなければ、その人にとってのアドバイスではありません。

おんなじところでつまづいて、同じ失敗を繰り返す。。。
この「私の傾向」を愛することができたら、生き易いのになぁ~と思うことがしばしばあります。

私が「うん、これこれ!」と腑に落ちたとき、何かとやっかいだった自己の傾向を受け容れる体制ができつつあるチャンスかもしれません。

親が私の答えを持っているわけではありません。
友達が私の答えを知っているわけではありません。
占い師が答えを出せるわけでもありません。

でも、一人で悩むことに不安があるならば、否定も肯定もせず聞いてくれて、しかも説教しない友達に話を聞いてもらうのが一番かな・・・

話を聞いてくれるのは、なにも人ばかりではありません。砂浜に座って、海と語り合うのも良し、仏像と向き合うのも良し・・・

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