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五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

自分を一本の木に例えるなら?

2012年09月27日 | 第1章 意識と知覚
日本人のアイデンティティと自己のアイデンティティを意識化することが昨日の勉強会のメインのテーマでした。

キリスト教文化で生まれた心理学の学問を学ぶことは、理論を学ぶだけなら問題ないのですが、やはり私は日本人です。なので、臨床心理学を学び続けていくには、このテーマで向き合っていくととしっくりするのです。

昨日はアマテラスと持統天皇の関係を学びつつ、自己のアイデンティティについて、それぞれの思いを語り合いました。

そこで、問われたことを一つ、ここで私も問いかけてみます。

前後のセッションは長くなるのでここでは書きません。

「あなたが木であるとしたら、何の木ですか?」

この問いに、「菩提樹…」と、ふと思いました。

根っこも幹も枝もどこもかしこも安定感がある菩提樹。葉っぱの緑は黒々しています。

ある方に、どこの菩提樹を思ったの?と聞かれ、気付いたことがあります。

それは若い頃旅した印度の旅で、ルンビニに立ち寄ったことを私は思い出していたようです。釈迦が生まれたルンビニの生誕地だという場所で見た菩提樹の木です。
私が初めて菩提樹という木を意識した場所であり、以降、この映像が自分の中に象徴化されていることに気付きました。

数十年、ルンビニに行ったことを忘れていました。

記憶とイメージ、というのは、いつどこでどういうふうに引き出されてくるかわからないな、と、またまた面白さを感じた一日でした。

天の岩戸を開けたアマテラスのお顔(面)が、光に当たっていなかったので真っ白だったことが「面白し」の語源だと、どこかで学んだような気がしているのですが、ガセでしたらごめんなさい(笑)

余談ですが、日曜日の日本経済新聞の本の紹介に目が留まりました。フランスでベストセラーになった本です。「フレデリック・ルノワール著の哲学者キリスト」原点に帰りたく、自己のアイデンティティを見直す意味で、フランス人がキリスト教から紐解いていくことは当然のことです。キリストを哲学者とみなし、中世の悪行以前の原点を見つめる作業をしたくなる情動は、人類の普遍的欲求なのだと、しみじみ思います。

日本人はというと、古事記・日本書紀のアイデンティティを含みながらも、それ以前の古層を学ぶことの情動が湧くのは、やはり当然のことであると思うのです。

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五感で聴く

2012年08月13日 | 第1章 意識と知覚
8月11日、山元町某仮設住宅集会所でのパラソル喫茶のお手伝をしてきました。

前日は佐賀県の看護学校の夏休みを利用してボランティアの旅をしていたハルちゃんと当日の料理のお手伝いをし、夕方から傾聴についての勉強会を行いました。多くの方に「生き甲斐の心理学」の「傾聴について」を聞いていただき、勉強し、実践されていらっしゃる方々からの質問や思いも聞くことが出来、充実した二日間でした。御夕飯を頂きながらの語り合いもありがたいものでした。

パラソル喫茶の当日は、いつもならオアシスにアレンジメントしたお花を準備していくはずなのですが、お盆の時期でお花の種類が少なく、親しい方のお家の庭に咲いているお花を分けてもらい、それを仮設まで持っていき、そこで飾ることとなりました。

ベンチでゴソゴソと準備をしている私に小学生の子供が遠巻きに見に来ました。

「お花、これに飾ってみない?教えてあげるよ」と私

「うん」

ユウカちゃんが、楽しそうにお花をハサミで切っていると、今度はレナちゃんがやってきました。

「私もやりたい」

ユウカちゃんとレナちゃん、夢中になってオアシスにお花を差し始めました。

すると、

パラソル喫茶が始まったことを知らされたおばさま方が、4人、5人と連れ添ってやってきました。

二人の子供が黙々とお花をデザインしているのを見て、皆さんも「あら、やろうかしら」と、口々に。

「家は、四畳半一間だから、テーブル置いちゃうと、他に何もおけないのよ。お線香だって火事になるから立てられないし、お花だって、花瓶倒しちゃうし」等と、言い合いながらも、馴れた手つきでお花をオアシスに差していきます。

小さなフラワーアレンジメントを「それぞれ自分の座るテーブルに飾ってください」とお願いすると、嬉しそうに中に入って行く皆さん。

初めてお会いする人とのラポールを取ることは、きっかけが必要です。
お花のお陰で、私も皆様と話をするきっかけが掴めました。

スタッフ皆で作ったお萩やシソ巻きをほおばりながら、私も仲間に入れていただきました。

五感を使って話を聴くことは、やはり、話の内容だけではないのです。話の内容から醸し出す感情を聴くことなのです。

片づけを終え、ハルちゃんと私に、わざわざお家から出てご挨拶にいらしてくださった方の、「訴える感謝の目」が、ずっと私の目に焼き付いています。

眼差しとの会話のみで、互いに特別な言葉は交わしませんでした。でも、互いに通じ合った気持が嬉しかったのは、たぶん私だけでは無いと思いました。
ささえ愛山元さんのお手伝いをさせていただき、ほんとうに良かった、と思った瞬間でした。

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生き甲斐の条件

2012年01月04日 | 第1章 意識と知覚


昨日は「謡い初め」でした。

日頃お会いできない先輩方の間に挟まれ、その謡いに委ねながらも楽しく揚々と謡う事が出来ました。
皆様ありがとうございます。

そして、懐深く温かいお心でいつも接してくださる師匠様、ありがとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

お神酒を頂き、日本酒「菊水」から始まった宴は毎回のように快く、我が道をいく皆様の独立心にいつものように諸々教えられることが多く、やはり我が道しか歩むことができない自分自身を実感した一日となりました。

楽しい話題もあれば、体得についてのあれこれの話題も色々飛び出しました。
その中で、印象に残った話題は、自分自身の体得についてです。
その話題の中で、印象に残ったのは、
「同輩から技量についてのあれこれを指摘されるのが、一番嫌。私の師匠はあなたじゃない!!」という言葉です。
「自分の技量については自分がやらなくてはどうにもならないし、誰かが助けてくれるわけじゃない~」そんな言葉もしみじみと響き、私もほんとうにそうだなと思っています。

カウンセリングにしても、話を聴いてもらいだけなのに、悩む自分の行動や言動に対してを指摘し、まるで悩んでいる本人を諌めさせるような言葉掛けをされると「哀しい思い」を体験します。二度とこの相手には話なんか聴いてもらうもんか、と思います。

人は元来「孤独」です。

自分の心身をどうにかしていくのは、自分自身でしかありません。

自分の心身のかじ取りをするのは自分次第だとほんとうに思った時、深い孤独感と同時に自ら湧き出てくる喜びを感じたことがあります。

技術や技量は結果的に他者に判断されていくものかもしれませんが、それらを体得することは自分の生き甲斐に繋がるはずです。
孤独感と不安感をよくよく心得ている人は、不平不満があんまり口から出てきません。

自己実現と生き甲斐は、自分自身と向き合うことからしか生まれてこないものだと思います。

生き甲斐の条件は、まずは自分の孤独を知ることから始まるのかもしれません。

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天国を信じている人

2011年12月28日 | 第1章 意識と知覚
「そろそろ携帯電話を持ったら?」

と、単独行動の多い親しい来年88歳になる神父さんに問うと、「要りません」と、きっぱり。

彼はスロベニア人です。共産党政権の国になった母国に40年間入れなかったどころか、その立場上、自由に他国をいったりきたりすることができないことを覚悟で、日本に渡り55年経ちました。
スロベニアとなってからは、ユーロにも加入し、国が開かれました。神父さんもここ10年毎年母国を訪問しています。とても幸せそうです。
もともと、天性の明るさのある神父さんなのですが、鎖された国の重荷はあったようです。毎年徐々に更に色々なことを話してくださるようになってきました。

普段は、某大学の敷地にある修道院に住まわれていますが、夏の季節になると涼しい土地に移動します。ものすごいぼろ屋に一人で住むわけです。

神父さんをお世話してくださる方々が亡くなったり、病気になったりして、私達も神父さんの住まう環境を心配しつつあります。
そんなわけで、「一人で暮らしている中、何かがあったら心配だから、携帯持ったら?」と問うわけです。

そうしたら、昨日はこんな言葉が帰ってきました。
「もし、誰かと二人で死んだら、そっちのほうが問題でしょ。一人で死ぬなら、とっても幸せです。」

孤独と常に向き合ってきた人から紡ぎ出る言葉だな、と納得致しました。

ほんとうに幸せなんだと思います。

こっちは、心配だから、時々はお節介を致しますが、それはそれで、本当に楽しいひと時なのです。

人は、どんな人でも一人で死んでいくのです。よくよく考えてみると、そうなのです…。私だってそうなのです。

65年もののナポレオンで乾杯し、紅茶にカシスのリキュールをたっぷり注ぎ、意気揚々と帰って行かれました。

65年前は、祖国を逃れ、ローマで神学を学んでいらした頃。。。人生は、面白いと思いました。
当然、私はまだ生まれていませんが、思いもよらぬ日本の地で繋がる不思議さ…。これも必然です。

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年の瀬に思う事

2011年12月21日 | 第1章 意識と知覚


Bon Noel! Paris↑

今年度の学校の冬休みは、いつもより長いように思います。

雪国は、すでに冬休みに入っていることと思いますが、雪の無い地域は22日あたりから1月10日くらいまであるのではないでしょうか。

今年は、去年とは違う思いの年の瀬です。

こうやって通常通り働いて暮らしていけること自体が幸せで、他に望むものはありません。

今年もあと11日…
一日を大切に、一気に駆け抜ける事と致します。




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香りの記憶

2011年06月02日 | 第1章 意識と知覚


二、三日前に大切に使っていた胡椒が底付きました。

4年前にブラジル土産で頂いた白胡椒と黒胡椒の粒。
料理をするたびにその人との思い出を愉しんでいました。

日本に一時帰国し、赴任先のブラジルへ戻る途中、ニューヨークで亡くなった神父さんから頂いたものです。

あれから4年が経とうとしています。ヒロさん帰天後、彼と親しくお付き合いしていた方々との繋がりもでき、この世に居なくなってしまったことで湧き出してくる空虚感を持ちながらも、充実した日々を過ごしています。

一時帰国に持ち帰ったお土産を少しずつ皆に分けてくださり、胡椒の粒を馴れない手つきで小袋に詰める動作を想像するだけで、妙な愛おしさを感じさせる身近な存在でした。
兄という感じだったかな・・・

ヒロさんの訃報を受けた時、帰りの新幹線の待ち時間に新大阪でタコ焼きを買おうとお店に並んでいる最中でした。
この知らせと同時にタコ焼を買うために並んでい待っている私・・・というのもヒロさんらしいよ、と。。。思い、新幹線の中で黙々とタコ焼きを頂いたことが昨日のように思い出されるのです。ヒロさんとタコ焼きが今やセットとなっています。

香りは、様々な記憶を蘇らせます。

良くも悪くもです。

ヒロさんの胡椒は、物質的には無くなりましたが、お決まりの文句ではありますが血となり肉となり、私の中にも留まっているわけです。

そして、無くなった胡椒に代わる「お次の胡椒」は、パリのスーパーで買ったものです。胡椒の蓋を開けると、芳しい香辛料の香りが、香ってきました。

そうよね、本当は、こんな香りよね・・・

4年も経てば、香りも飛んじゃうんだなぁ~と、ケチッて使用していたことを少々悔みましたが、キッチンに一緒に立っていてくれたヒロさんに改めて感謝しています。飛んじゃった香りからしっかりとヒロさんとの記憶が蘇っていたのだから、それで良かったわけです。

今度からは、パリのマルシェの香りを蘇らせながら、キッチン仕事を愉しむことといたします(^^)

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自己カウンセリング5「感情の整理」

2011年03月19日 | 第1章 意識と知覚
昨日の書いた傾聴について、もう少し解りやすく書きます。

悲しい、

怖い、

もうダメだ、

どうしていいのかわからない、

まだまだ混乱してる、

緊張が続いてる

不安感の感情を吐露している人の言葉をそのまま受容してください。これらの否定的な言葉を肯定的な言葉で言葉掛けする必要はありません。

「悲しい」「悲しい…」

「怖い」「怖い…」

「もうダメだ」「もうダメ…」

「どうしていいのかわからない」「どうしていいのかわからない…」

「まだまだ混乱している」「まだまだ混乱している…」

「緊張が続いている」「緊張が続いている…」

傾聴者は、クライエントの言葉を反復します。

そうすると、自分が話した言葉を客観的に聴くことができる日が訪れてきます。

一週間経ちました。

そろそろ自分の感情を意識化できる人はできてくると思います。

昨日私の仙台の市街地に住む義従姉と電話で話しました。
今日から水道が使えるようになり、テレビもようやく見ることができるようになり、自分の住んでいる間近での状況の映像を数日前に初めて見てたそうです。「今は精神的には緊張状態が続いているし余震が怖い」とのこと。こうも言っていました。「東京は大変そうね」と。

自分は、今、緊張状態の中にあることを意識できている義従姉に私は安心しました。

見えない不安感は、不安感を増長していきます。
自分にとって、どこまで関わるか。自分が関係するどの人までを心配するか。もし、その分別が出来ていない人が身近にいらっしゃいましたら、その方の不安感を傾聴してください。

情報の整理は、感情の整理から始まります。

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揺るがないものは?

2010年12月14日 | 第1章 意識と知覚
希望を持ちながら、自分の進む道を「あたりまえのように」進んでいくことが出来ている人は幸せです。

やるべきことを「当たり前のことよね!」と、言える日々を送ることが何故できないのでしょう?

「かったるいから…」「めんどくさい…」「だるぅ~~」
…それも解ります。いつも先延ばしにして、ギリギリになって「しまった!」と思うのは、私自身、日常茶飯事です。

でも、言いわけしながらも「希望」という矛先は自分の中にいつもあるようです。
よほどの出来事が無い限り、ブラックホールに落ちていくことは自分にはないと思っています。

なぜ、私はそのように言い切れるのでしょうか?

思春期における、家庭環境は確かに自分に不統合をもたらしましたが、振り子のように動く感情の中で、それなりに自分の嗜好を確立していったことは確かです。

エリクソンの発達心理学から自分を見てみると、0歳から2歳までに形成されていくという「希望」は、ちゃんと自分の体と心に体得されているようです。

0歳から2歳までに育まれる「希望」。
お母さんが、自分の子供に頬ずりをし、おむつを取り替え、「可愛い可愛い」と慈しみ愛しながら子育てすることが、「基本的信頼」を形成していくそうです。

「うるせーーー」と言いつつも、言われつつも、その母子関係をじっくり思い返してみると、「希望」「不信感」という「基本的な信頼感」が自分にはどうなのか見えてくるようです。

案外、大切なことは揺らいではいないかもしれません。

でも、それが形成されず、苦しんでいる人が存在していることは忘れてはいけません。

エリクソンの8つの人格形成について「テキスト生き甲斐の心理学P139参照」

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親子

2010年10月11日 | 第1章 意識と知覚
子供の反乱なのか?
それとも親がヘンなのか?

家族という世界は、ある意味、自分のすべてだといっても過言ではありません。
両親と妹4人で旅をしてきました。
旅に妹が加わったのは、記憶の中では中学生の頃以来かもしれません。

親の「思考」と「感情」と「行動」は、子供の「思考」「感情」「行動」を支配していきます。

父親の言動や行動が「嫌だ」と思っていても「ヘンだ」とは思わなかったのは、その環境が自分にとって当たり前だったからです。
大人になり、他者との関わりにおいて、自分を吟味できるようになってきて初めて「ヘンだ」ということに気付いたわけです。

私自身、言い訳する人に嫌悪感を覚え、世の中をやたらと否定的に捉えることに「怒り」感じるのは、どうも父親の性格を無意識に思い出すからかもしれません。そのくせ、自分では暴言(不平不満)を吐いている意識が無い。。。これについてはすでに諦めとスルーするコツを学習しています。

三つ子の魂百までも。。。

「言い訳」とという「自己主張」によって自己を防衛する父の傾向は、やっぱり三つ子の魂。。。です。
そのくせ、自分と関係ないことだと、太っ腹な「思考」(考え方)になります。

その落差に振り回されていたのだ、と数十年目にして、自分に湧きあがる気持の悪い違和感の原因に行き当たったわけです。

「家族」という存在は、銀河系のようにある法則で渦巻いています。
その法則の中で、自分がバランスをとることができれば、健全に生活できるのでしょうが、なかなか上手くできないから衛星のようにぐるぐると廻るのです。ぐるぐると廻っていると解決の糸口が見えません。

自分の傾向を眺めてみると、父親の傾向と母親の傾向から自分を成り立たせていくための術を身につけていることがよくわかるのです。
人は一人で湧いて出てきているわけではありません。

親子の関係から見えてくる自分の傾向は、どんなに嫌でも逃れることはできませんが、「ヘンだ」と気付けば軌道修正は意識的にできるはずです。

家族の旅は、そんな意味で良かったと思います。数十年の時間をおいて家族像が確認できただけでも幸せなことなのかもしれません。

それにしても、自己主張が強く話のまとまらない家族であることは、よく解りました。私も反省をこめつつ、今日はクールダウンします。

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人が好き「傾聴10」

2010年03月06日 | 第1章 意識と知覚
人が好きですか?

傾聴について書いてきましたが、今日がとりえず最終回です。
時期がきましたらまた書きます。

昔、人嫌いの神父さんに会ったことがあります。私はその神父さんを知りたいと思い、ミサを通して私なりの心の交流を図ろうと思いましたが、無駄でした。図ろうと思う私のほうが気持ち悪さを感じ、得も知れぬ不快感と不安感が自分を支配するようになりました。
そこで、どんなことを感じたかというと、
「自己肯定・他者肯定」の問題です。
表面的には「自己肯定・他者肯定」なのですが、彼の心の奥底にある「自己否定・他者否定」が私を気持ち悪くさせたようです。
つまり、「神父さんは皆、人が好きである」という私の思い込みと理想が、私自身のアイデンティティのギャップを生み、不安感を呼び起こしたのです。

それ以降、神父にも人嫌いは居るのだ。。。人間だもんね。。。でも、これからはそういう人には近づくのはよそう。。。ということを学習しました。

私は人が好きです。
人の持つ感情の曼荼羅に触れることは、私自身の中に宿る見えてこない感情を呼び起こしていきます。
人を知ることは、自分を知ることと同じなのです。
幼いころから、父の転勤の関係で、知らない土地で、風習の違う人々と交流する術を身につけてきた私は、人の感情を見つめることが習慣となり、いつしかそれを楽しむようになっていました。
同じ言語を持つ人々との交流の中にも異文化交流の面白さがあります。

「どうやったら傾聴がうまくできるのか」10日間にわたり、理想的なことを書いてきましたが、これらの内容を修業していくのが「傾聴したい人」に課せられた課題です。

「個性の美」を人から見出すことのできる聴き手でありたいと思います。

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五感で観る「傾聴9」

2010年03月05日 | 第1章 意識と知覚
話を聞く中で、話を聴くこととはどんなことなのか?

話の内容に囚われて、相手の不安感に添えなくては傾聴ではありません。

自分の感情が上手に言語化され、その感情が自分から湧きあがっているものだと自覚することができるようになれば、あとは具体的な解決方法を考えるだけです。

今湧き出している自己の感情を観ることにお供するのがカウンセラーの役目です。

答えは自分の内にあります。

さて、そのお供に大事なのがカウンセラーの「幅ある五感と体感」です。
(五感とは聞くこと・見ること、匂い、味覚、触覚)

五感を通して目の前の人から観えてくるものは、言葉以上の何かを訴えています。
言葉以上の何かを体感を通して感じることが傾聴する側に必要なことです。

相手の秘密の内容を知ることが傾聴ではありません。

五感を体感し、それを言語化し、解釈してく訓練を「感受性訓練」と云います。

そもそも私のブログは、私自身の五感の言語化を訓練するために書き始めました。
わからないことへの興味は生涯持ち続けたいものです。

明日は傾聴訓練の「熱意」について書きます。

傾聴訓練おさらいメモ:「無防備」「感情の共感」「あるがままの受容」「間」「理解力」「熱意(人が好き?)」

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何を聴くのか「傾聴8」

2010年03月04日 | 第1章 意識と知覚
傾聴の修練で大事なことは、傾聴する人自身の傾向を見つめることです。

自分の傾向を知るということはどういうことでしょうか?
それは、自分の思考と感情と行動を受容する努力をしていることに繋がっていきます。
受容することで、これから起こりうる「傾向」に予測を立てることができます。
予測を立てることができると、想定外の話題で慌てふためくという事態を防ぐことができます。
つまり、心の安定感を保つ術は、自分の成育史を自己分析していくことから始まるのです。

そして、もうひとつ大事なことは、「話を聞く」のではありません。「話を聴く」のです。

聞くというのは、話の内容のことです。
聴くというのは、話す言葉から表れる人の「思考と感情と行動」を総合的に見据えながら、その人の「感情」に焦点を当てることだと私は理解しています。

話すことですっきりするのは話す本人です。
聴き手は、その話す方の感情に寄り添うのです。

話の内容に惑わされると疲れますが、感情を理解し、ありのままの感情を受容しようと心がけると話の内容が薄っぺらい表層的なものに見えてきます。

話す人の内容を聞きながら、その人の感情を「否定もせず肯定もせず」聴いていくことが傾聴です。

では、言葉には表れない見えないものを見る力をつけるには、何が必要なのでしょうか?

明日は、五感について書いてみます。

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‘聴く’と‘聞く’の違い「傾聴7」

2010年03月03日 | 第1章 意識と知覚
「私は質問が得意だから人の話を聞くのが上手である」

と主張する人に出会うと、私は戸惑います。

質問は、時として刃になります。
じりじりと突きつける刃になったり、ぐさっと刺さる刃になったり、刃で心臓をえぐられるような不快感など、多様な「刃」の体感経験を思い出します。

私の概念における「質問」は、明確に答えられる氏名とか家族構成とか、、、せいぜいそのくらいかな、、、と思います。相手の信頼感を感じることができて初めて「質問してもいいですか?」と必ず聞くのが礼儀かもしれません。もちろん、年齢問わずです。

傾聴しようと心がけるのであれば、
聴くことと聞くことの違いを傾聴する人はわきまえておく必要がありそうです。

モヤモヤした感情や悩み、不安を解決したい、自分のほんとうの悩みは語ることから見えてくるようですが、話したい的確な言葉が自分の口から出てくることが理想ですが、感情を表現する的確な言葉は、やすやすと出てくるわけではわりません。

そんなわけで、聞くことよりも「聴く」ことが大事な作業になってきます。
そのためには、言葉や表情、しぐさから醸し出すものを感じ取っていく必要があります。

傾聴に感受性訓練が必要なのはそんな所以もあるように思います。

心と体にぴったりくる腑に落ちる体感は、話す本人にしか分かりません。

聴き手が腑に落ちるのではないことを肝に銘じてから、傾聴訓練を積んでいきたいものです。

明日、もう少し「聴くこと」について書いてみます。

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理解力「傾聴6」

2010年03月02日 | 第1章 意識と知覚
私たちはいろいろな職業の人に出合います。年齢、性別、それぞれです。
地球の人口は6,700,000,000人(67億人)と云われています。でもその67億人一人一人の「魂と心と体」は、尊い個性の美で成っています。

「命の尊厳」は、生命の尊厳だけのことを言っているのではありません。「心と体と魂」すべてのことを言っています。

信頼関係を持つことができ、共感しつつ人の不安にお供しながら、言葉に秘められた心の奥底にある不安感を感じ取ることは、あらゆる五感を体感する感受性が必要です。

ただ、自分の感受性に翻弄され自分の取り扱いが上手でなければ、傾聴は難しいかもしれません。ミイラ取りがミイラ。。。です。

先日、匂いが気になりました。無意識が不安を呼び起こしているケースだと思いますが、人から発する匂いから感情の動きを察することができます。話すことを傾聴するだけではなく五感すべてで傾聴していく必要があります。

心が不安定な人は、五感が滞っている人をちゃんと避けます。不思議だと思いますが、その人の原初感情が「怖い・怖くない」を見分けているのです。

理解することは「話す内容」を理解することではなく、「感情」を理解することです。

この理解力を高めるには、傾聴する人の感受性を訓練する必要があると思います。
訓練を積んでいくと、人の衣である表層的なことが気にならなくなっていきます。

「衣」、、、私も衣を着ています。コートになったり、薄着になったり、いろいろです。
でも、それが常に鎧でないよう心がけたいものです。

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良い人悪い人「傾聴5」

2010年03月01日 | 第1章 意識と知覚
「私は、良い人である」と面と向かって言う人は少ないけれど、私も良い人でありたいという願望は心の中に持っています。

でも、「良い人」ってなんだろう???

悪いことをした人は、「悪い人」でしょうか?

では、良いことと悪いことの定義は何でしょうか?

傾聴しようと心に決めた人は、この定義に振り回されないよう気をつけなくてはなりません。

倫理道徳に関係なく、相手の湧きあがる感情を理解し共感することがカウンセリングです。

そのためには、自分が定義している倫理道徳とは何か?自問自答しておく必要があります。

相手の湧き出す感情と表現する言葉を自己概念で裁いてしまったら、相手は二度と感情を見せません。つまり「答えを見出すお供」は失敗ということです。。。

そのためには、傾聴する人自身の「アイデンティティの統合」を常に意識化する努力をしておくことが必要です。

ひたすら勉強するしかないようです。。。

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