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五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

論理的に事運ぶ

2015年05月22日 | 第1章 意識と知覚
あることに論理的に事が運ばないのには諸処の事情があるからのようです。
その諸処の事情の中には、感覚的に判断したものが矛先違いであったり、感情ばかりが先行し、論理的な整理が出来ていないことも含まれているようです。
自分の考え方の傾向があります。それが何らかの強力な防衛機制によるものであれば、それを取り払いかぎり事が運ばないこともあり得そうです。

一過性の癒しを与えあうことも大事ですが、何事も事を成すには、論理的な行為が必要となるのです。
そのために事を成すためのプロセスをシミュレーションする必要があります。
そのシミュレーションが、事を成すための必要条件となっていくわけです。

その必要条件の範囲で、自分が出来る事、出来ない事があるのですが、そこから自分の役割が見えてくれば、論理的な方向へ一歩近づいたことと云う事ができそうです。

論理的に事を運ぶことは、論理的に考えを巡らすだけでは成すことはできません。
つまり、口先だけでは事は運ばないということです。
自分が「自分という心と身体と魂の主人公」であることを受け容れる事が、ある人にとってはとても苦難な事でもあるので、論理的に事を運ぶ前に、感情の整理が必要になるのです。

はてさて、、、自分の抱えている問題の自分の役割とは何か。今一度、胸に手を当てて意識化してみたい今日この頃です。

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愛の希求度 

2015年05月19日 | 第1章 意識と知覚
愛の希求度 昨日の講座のおさらい

たしかに昨日の講座は少々難しかったかな、と思います。
「自分自身の愛の大中小とは?」という設問を投げかけながら、自分が幼い頃に親から愛された記憶を思い出し、「愛の原型」を意識化してみたわけですが、
そもそも「愛し愛される」とは、どんなものなのでしょう。
この「愛の原型」を思い起こしてみると、他者とは意識に上がってくるものが違います。でも、他者の話を聞くと、「ああ、そうね、愛よね。。。」と私の感情も動きます。
「愛されたい」という希求は、親に大事にされたい希求とも重なりますし、親に振り向いてもらいたい願望にも繋がりますし、こうすれば親に褒められる、これを言えば、親から疎まれる、、、という概念も愛の希求の大小で幼い頃から学習しながら自分自身の個性も固定化してゆくようです。

つまり、これ以上希求したら周囲がどんな反応を示すか、ということも、自分の希求の現実吟味力を養わせていきます。
例えば、「これ以上、母親に自分の欲求を求めても無駄だな、」という思いが度々重なってゆくといつしか自分の人間関係における関わり方もそのようになってゆくかもしれませんし、逆に親に対して諦めた分、他者にそれを求めることもありそうです。
自分と他者との距離の取り方ひとつにしても、自分の愛の希求の仕方に傾向が現れるように思います。

昨日は、難しい問題をもっと気楽に考える時間が足りなかったかも、と反省しつつ、駅から自宅まで歩いていると「お兄ちゃん、きらい!」とママに手と手を繋ぎながら後ろを向いて叫んでいる妹とすれ違いました。しばらく歩くととぼとぼと歩いている年長さんぐらいのお兄ちゃんに遭遇。私の目をジーッと見つめて、「だから、僕が「待ってよ」って、言ってるじゃない…」、と、ボソボソと呟くように訴えたのです。
「ああ、他者に言語化できるだけ、偉いよ!」と、心の中で言いながら、「お兄ちゃん、その言葉、お母さんに聞こえると良いね。」とニコニコしながら言葉を返しました。お兄ちゃんは、ゆらりゆらりとしながら同じペースで歩いてゆきました。しみじみと「これぞ家族やなぁ~」と、思う私。
多分、この兄と妹の関係性において、兄は妹に独占されている母親への愛の希求度をかなりの部分節制しているわけで、なんだか今日の講座の締めくくりみたいだと、苦笑いしながら家に着いたというわけです。

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的外れなお仕事

2015年05月15日 | 第1章 意識と知覚
新たな表装を手掛けるまでに、やたらと時間がかかるのは、昔、試験が近づいてくると勉強する事よりも部屋の片付けに精を出したのと何となく似ているような気もします。でも、一旦作業に入ると、その作業に没頭してしまうので他の事に手が付かなくなる傾向が私にはあります。そんなわけで、いくつか抱えている仕事を完全に日にちで区切る習慣を強制的に身につけてきました。
いつしか、習慣が身につき、仕事と仕事の間の境界線が明確になり、要領も良くなってきたように思えるようになりました。

しかし、
自分に与えられた仕事を自分の役割としてこなすことができているだろうか?
そんな思いが、ふっと湧き上がってくる事も度々です。

逃避する事の罪悪感も薄くなり、もし、出来ていないことを言い訳しながらやっていとしたら、もしかしたら自分の周囲の人々から信用されていない状況に陥っているかもしれません。

自分の内から湧き出す孤立感は、実は自分が作り上げているものかもしれない、ということを時々胸に手を当て、自分自身を客観的に見てゆくことも必要な事でありましょう。

大人になると、ましてや一つの仕事を任せられ独自のペースでこなしているとしたら、他者は指摘しにくいものです。
仕事は出来ても人柄が…
人柄が良くても仕事が…
大抵、職場での悩みごとはこんなところから始まってゆくものです。

自分のお仕事内容は、仕事の的を本当に得ているか。。。このことを素直に点検してみる事は、机の整理にもきっと繋がることとなるでしょう。

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主語は「私」

2015年05月11日 | 第1章 意識と知覚
主語は「私」

「生き甲斐の心理学講座」某女子中高一貫校の保護者のための講座「2015年度」がいよいよ始まります。
今年で有り難いことに7回目となります。

自分以外の家族と向き合うにしても家族以外と向き合うにしても、まず、自分は「私である」ことを口に出さないと、いつしか子供が自分なのか、自分が子供なのか、はたまた自分は自分なのか曖昧になっている事すら気付かずに暮らしている人が大半であるように思います。それが人の傾向でもあるのかもしれません。他者の事を我がことのように心配する事は、人と人の繋がりを持ちながら生きている人類の大切な生き抜くための方法でもあるようです。

情報を取り入れる道具は日に日に進化しています。
つい、2,3年前の情報やコミュニケーションツールを思い出しても「古さ」を感じたりするのですから、これからどうなっていくのか、私の想像の域を超えていくことは確かなようです。

でも、どんなに情報ツールが発達しようが、社会の風潮が変わっていこうが、「私」という一つの「身体と心と魂を持ち備えた私」は、本当に私自身が操作していかない限りウンともスンとも動かないことが現実なのです。

少なくとも12年間子育てをされてきた保護者の皆様は、子育てのベテランでありましょう。子育てという枠からちょっと離れて、「私」というテーマを改めて思索してみる時期としては丁度良いタイミングであるかもしれません。
「私」という主体を一番大切にする時間をこの講座で愉しんで頂けると幸いです。

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若狭神宮寺の薬師如来

2014年01月17日 | 第1章 意識と知覚
昨日、絵ハガキの寒中見舞いが友人から届きました。

若狭神宮寺の薬師如来の写真です。

物凄くセンスの良い、しかも高い技術を持つ仏師が彫った仏様を観た瞬間、一日の疲れが吹っ飛びました。
お顔良し、ラホツ良し、袈裟も良し、眼差し、眉から鼻筋の曲線も美しや。。。ああ美しや^^。。。

若狭神宮寺といえば、東大寺で行われるお水取りと深く関係のあるお寺です。
伝説によると、若狭と奈良の東大寺は地下水が結ばれており、お水取りが始まる前週の2月末に若狭で東大寺二月堂の袂にある井戸から水を汲むための水を取るのです。
それを「お水送り」と云います。

3月1日から14日までのお水取り(修二会)のクライマックスでもある閼伽井の井戸から水を取る行事に繋がるのです。

冬至から小寒、大寒と時が過ぎ、節分が過ぎると凍りついた水の温度も少しずつ緩んできます。

春分に向けて森羅万象が動きだす頃までに整えるべく精神を神様仏様キリスト様があれこれと人に課題を与えていく時期でもあります。
そう思うと、寒さの厳しい日々も心を整えることで温かさを自分の内から湧かせることもできそうです。

若狭、鞍馬、京都、奈良、天河、熊野三山が地図上で真っ直ぐな線で結ばれます。
太古の人々が編み出した見えない規則に守られている自分は幸せです。
この一直線を旅することが私の目標なのですが、残すは若狭と天河です。一度に廻っては勿体無いので、あれこれと回り道をしながら自分の結願を叶えていきたいものです。

それにしても私の喜ぶツボを理解してくれている友人の存在は有難いものです。

☆お知らせ☆
東急セミナーBE雪谷校一日講座:「生き甲斐の心理学」2月1日(土)が決まりました。詳細は東急セミナーBEのホームページをご覧ください。



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絵画を観て心留める

2014年01月16日 | 第1章 意識と知覚
一枚の絵を鑑賞し、その絵から湧き出す感情を自分自身の意識に留める、というようなことは、案外美術展に行ってもしているようでしていない感じがします。
私自身、美術展に行って、自らの内から溢れる様な感情表出する、というようなことはめったにありません。

溢れる様な感動は、若い時の方があったようです。
いくつかの同じような体験を重ねてていくと、段々とその感受に慣れてしまい、美術展に行っても感動よりも確認するという心情のほうが優先しているように思います。

今回、某カウンセリング講座で行っている絵画鑑賞療法は、一人の画家に絞り、できることなら一枚の絵を毎回講座毎に観続けることが理想なのですが、今回は芸術新潮2013年7月号シャガール特集を使っています。そしてそれを媒体にフォーカシングを学習すると云う内容です。

美術館に行き、そこで直接絵画を鑑賞し、その場でワークショップを開きたいところですが、美術館のキューレターであり学習担当者出ない限り叶いそうも無いので、3月まで静岡市美術館で開催されている仙台からスタートしたシャガール回顧展を講座生に個々に行ってもらいフィールドワークを体験しレポートを書く、という流れで講座が進んでいます。

自分がこの世に生まれてから今日までの自分自身の生育史が一番大切なものであり、美術展に出かけるという投げかけをされた瞬間から、フィールドワークは始まっています。
そして、そのフィールドに立ったことで、どんな思考と感情が湧き出すかを、シャガールの絵を媒体に意識化していきます。
その作業を行う事が自己を意識化する訓練に繋がります。

自分自身の成育史に育まれた個性の美を自分自身が意識化して解釈する作業なのです。

自己の傾向を知らずして他者を援助しようとすると諸々の問題が出てきます。

何故自分はこの勉強をしているのか?という自問自答もテーマの一つになることでしょう。

既に静岡市美術館のシャガール展に行かれた方もいらっしゃり、食事したお店の情報を教えていただいたり、駿府城の場所を確認したり、と、情報を収集中です。私自身も皆様と同じ場所に立ち、シャガールを観ることで自分の内から何が見えてくるか、楽しみにしています。宮城県立美術館の広さとは、どうも条件が違うようです。始めて訪れる美術館で、同じ展覧会が箱が違う事でどう見え方が違うか、というところも私の興味の一つです。

来月は、レポートを書き終えた状態での講座になると思います。
寒い中、ご足労をお掛けしますが、美味しい料理と、できることなら富士山を愛でて静岡の旅を楽しんでいただければ幸いです。

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自分の役割を整理する

2013年10月29日 | 第1章 意識と知覚
この10年間、NPO法人CULLkカリタスカウンセリング学会を設立したり、設立27年目の(有)ユースフルライフ研究所通信講座の内容も洗練され身の丈にあった体制となってきました。学校での仕事も色々な経験をさせていただきながら6年目に入りました。

ここにきて色々な事が整理され落ち着いてきたように感じています。

落ち着きだすと、フツフツと次の事が浮かんでくるのです。私はいつもこのパターンで走り続けてきたように思います。

貧乏症と云えば、それまでですが。。。ところがそんな私でも段々と年齢的な制約も視野に入ってきました。

40代ぐらいまでは、時間は無限大にあるような感覚を持っていましたが、50代となると活動できる期間を頭のどこかでシュミレーションしている自分がいるのです。動ける限り仕事をしていたいと思うのですが、意識のどこかで計算が働いているようです。

今や某銀行の頭取のお給料の金額が欧米並みであることを知り、自分の頭がガラパゴス化していることに気付き、改めて囲まれた環境で生きている自分の小ささを思い知り、世界はどんどん動いているんだな~~、という呑気な感想が思い浮かんできます。

小さな世界で生きていても、目の前にはやるべきことが沢山あります。自分が賄える仕事量はたかだか知れているはずですが、自分の仕事をこつこつとやり続けて行くことこそ自分の役割なのだと思うのです。

ノンプロフィットオーガニゼーション(非営利)という考え方の中で仕事をしていると、自分の役割が顕わになります。つまり、思考と行動に関し、余計な雑念が生まれにくくなります。

資本主義的な考え方と非営利的な考え方の経済のバランスが半々になる時代になることが壮大な私のビジョンですが、経済学者でもなければ政治家でもありませんので、自分の信じる良き社会のありようを行動するのみだと思いながら働いているわけです。

夢は大きく、やることは小さく。。。ということを真面目?に実行しながら、ガンジスの砂粒の一つである私は、自分と直に繋がるものや人との関わりを大切にしていけばいいのであります。

自分の役割を時々点検してみると、自分のストレスの源泉が見えてきます。他者は変えられませんが、自分の概念を改めて見直すことでストレスも軽減していきます。そのさい、自分の役割を今一度意識化してみると自分の内に宿っている答えに腑に落ちるかもしれません。

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口を噤むことの効用

2013年10月22日 | 第1章 意識と知覚
自分のストレスから表出する言葉や、
第三者が言っていることを自らの概念を通して口に出す言葉は、聞いている相手をストレスに追い込んでいきます。
言葉のリレーは、互いの解釈が加わるのでとても恐ろしいことです。

カウンセリングの勉強会で出る話題は必ず守秘を守っていただくようお願いしています。
これはどこの勉強会でも常識となっているはずです。
これは個人の人権を守るためのルールです。
ついつい家族や親しい人に話してしまうことで、思わぬ方向に展開してしまう事もあるので、とても大切なルールの一つとなっています。

「口を噤む」ということも、勉強が深まれば深まるほど「噤む」という抑制する力が訓練されていきます。

そのためには、自分のストレスの傾向を知り、自分の生育史によって育まれた概念を自分自身が知っておく必要があります。

誰しも「知らないうちに人を傷つけて」いたり「自分が傷ついた」と解釈する経験も幾度か経験しているはずです。

自分の傾向を知っておくといずれのことも回避できる力が身についていくはずです。

自分がついつい口に出して話している話題の傾向を吟味してみると、何らかのパターンが見えてきます。
そのパターンに隠れている自分の不安感に気付くことで、自分の傾向ももれなく見えてくるかもしれませんし、薄皮を剥がすように何かに気付いてくるかもしれません。

言葉は言霊です。ルン(魂)に乗って自らを表すものです。自戒を籠めつつ自らの言霊を大切にしたいものです。

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シャガールその1

2013年10月04日 | 第1章 意識と知覚
愛と幻想の画家~などと云われているシャガールに関して、確かに夢見心地のメルヘン的な印象を多くの人々が持っておられるようです。

芸術家がこぞって新しい表現方法を模索し、流行に乗って名声を上げるというような時代に、独自の手法で自らを高めていったシャガールは、稀有なクリエーターだったと私は解釈しています。
しかも、この稀有なクリエーターはとても信心深い。。。この信心深いシャガールが描いた旧約聖書の絵画一連は、実際に絵画の前に立った者でないと解らない体感を得る事ができるのです。佇む者を愛で包む、もしくは愛に含まれる、といった感じです。

「自分自身に内在する真実を見る力とそれを表現する力のバランスが取れている」と言っても過言ではないのだと思います。
簡単に云えば、「頭の中で描いていることを筆でも表現できる画家」ということです。

現在、宮城県立美術館で開催中のシャガール展は、シャガールの稀有な才能を出来る限り鑑賞者に伝えたいという意図が伝わり、フランスニースにある「国立シャガール聖書の美術館」に常設している絵画のスケール感とまではいきませんが、オペラ座の天井画や各地の教会のステンドグラスのスケール感やマチエールを感じる事ができ、限られた条件の中で行われた美術展の構成としてはとても質の高いものです。

残念ながら東京近辺の開催はありませんが、現在は宮城県立美術館で開催しています。10月27日までです。
来春まで全国を数か所巡回する予定です。

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東急セミナーBEたまプラーザにて10月19日(土)10時半~12時半「生き甲斐の心理学で自分の旅を考える」講座を行います。
東急セミナーに直接お問い合わせください。

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式年遷宮に思うこと

2013年10月03日 | 第1章 意識と知覚
昨日は伊勢神宮式年遷宮の遷御の儀が執り行われました。

新しい神殿への神様のお引っ越しです。
その様子をテレビで拝見し、毎年奈良の春日大社でおこなわれている「御まつり」を思い出しました。

白い絹幕を大宮司、小宮司がしずしずとその幕を掲げ、暗闇の中を移動します。
その白い幕の中に神様がおられるのです。

この場面を御まつりと重ねると、「ああ、あの中に神様がおられる、、、」という思いがすぐに湧いてくるのですが、初めてご覧になった方はどう思われたでしょう。

いる

いない

そういう問題では無いように思います。

そこに神様がおられることを意識すると、そのような知覚が自分の身体を廻ります。

そこには何もないと意識すれば、知覚に至るまでの意識化はされないでしょう。

天照大神と持統天皇の関係から源氏物語、そして、お伊勢参りのやじきた道中など、時代毎に見合う物語も生まれています。そして今回で62回目の遷宮です。
20年に一度の遷宮により神様の「若常」(わかどこ)を表現することは、日本人の表現性の傾向を表しているようにも思います。

「カケコー …  カケコー …  カケコー …」

鶏が三度鳴く人の声から儀式が始まることは、ゲツセマテから始まるキリストの磔刑までを思い起こさせ、ユダヤとの関係説を改めて意識化することとなり、25,6年前にその説を携えて伊勢神宮を詣でた事を懐かしく思い出しました。

確かな真実が歴史を作っているわけですが、現代に現象として受け継がれているものの背景が見えないことが、ミステリアスで魅力を感じるのかもしれません。

太陽が昇る方向を目指した人々がいた太古の時代に日本という島国に辿りついた人々は何を見て感じたのか。。。

伊勢神宮からその原型を体感できるエネルギーのようなものを感じ取ることができるのです。
私自身、見えない歴史を感じようとする時の脳みその疼きが起こる際、いつもこのような体感から始まります。

20年毎の遷宮は、意識しようがしまいがこの国に生まれ育つ人々のアイデンティティを生み育んでいるはずです。自分自身のアイデンティティの意識化にも繋がることです。

春日大社の御まつりが暮れに執り行われる頃から東大寺二月堂の修二会の話題が耳に入ってきます。

祀ることを繰り返しながら、人は糺されてゆくのかもしれません。今活かされていることを大切にしたいものです。

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自分が選択するもの

2013年08月31日 | 第1章 意識と知覚
好き
嫌い

怖い
怖くない

これは、人の原初感情だそうです。

今の自分が、この人に会えば嫌な気分になると思えば、会わない方が良さそうだし、会うと楽しければ会えば良いのでしょうが、何らかの歯止めが自分に掛かってしまうと、その選択すらできなくなってしまいます。

それでも、

自分が選択するものには、必ず意味がありそうです。

自分が選択するものの意味は、選択してみてからその意味を考えてみるのもよいかもしれません。

選択した結果、自分の感情がどう動くか。。。

それが、嫌なものであれば要注意であろうし、好きなものであれば暫く様子を見てみるの良いでしょうし・・・。
選択したものが好きなものでも、何か違和感を感じるのであれば、その違和感は、何と何のギャップで起こるものなのか自問自答してみることも必要です。

自分がよりよく生きるための条件を整える事は大事なことでしょうが、その条件から湧き出してくる感情が幸福感であれば、こんな幸せなことはありません。

はてさて、、、

自分の幸福感とは何でしょう…?

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私は誰?

2013年08月06日 | 第1章 意識と知覚
我が家に映画レミゼラブルがやってきた。というか、息子からの誕生日プレゼントがレミゼのDVDでした。
毎年、なんだかんだと工夫してくれるプレゼントが正直嬉しいです。

応援している横浜マリノスの今年のテーマ曲がレミゼで歌われている革命の歌ということもあり、家族皆がHappyになれるよきアイディア。

キリスト教文化に育まれた光と影のアイデンティティが如実に表れているこの小説は、私は何者か?という問いから始まります。

最初から最後まで、私は私であることの太い柱を中心に描かれていることに、それぞれの登場人物の「自由意思」を自問自答という形で、見事に表現されています。

私が小学生の頃の日本語訳は「ああ無情」であったし、レ ミゼラブルをほぼ、直訳したようです。

でも、題名は、無情であり、悲惨であるのですが、神様の元に生きる人々が我が心身に根付いている信仰に忠実に生きていることに、キリスト教の根源的意味を多方面から問いただすことに成功している小説であると思っています。

主人公のジャンバルジャンだけではありません。登場人物すべてに自分は何者であるかを問わせていきます。

私は私でしかないことを自分が受容した時に、光が射してくるように思います。でも、この自問自答に気付く時期は人それぞれであろうし、気付かないで人生を送る人もいるかもしれないし、気付きたくなくて自己否定を続ける人も居るかもしれません。

「私」を生きようとしたジャンバルジャンの最期は、人生のプロセスから得た自己受容であり、他者受容です。
ジャンバルジャンを追い続けたシャベールも、自分の罪をジャンベルジャンに転移していることに気付くことで愛とは何かに気付きます。でも、シャベールの生きた人生は自分自身の善悪の解釈に忠実でした。

普遍的な愛の元に生きているはずなのに、人間は罪と罰を自ら作ろうとします。

ユゴー本人の人生と重ね合わせた社会的かつ自伝的小説は、「私は誰であるか?」という人類の永遠普遍の問いそのものだと私は解釈しています。

パリのカルチェラタンをジブリのコクリコ坂に重ねた若者がいたら、それは大当たりですね^^。

(革命の舞台周辺、サンミッシェルは、パリで一番古い教会です。ソルボンヌ大学があったり、シテ島のノートルダム寺院の前には、フランス革命の時にルイ16世やマリーアントワネット家族が幽閉された場所もあり、その隣は現在は裁判所です。その裁判所のエントランスには自由・平等・博愛、つまりフリーメイソンの思想が彫られてあるのが見えます。その裁判所にくっついて建っているサントシャペル(教会は)貴族と平民でフロアーが別れている時代を表す象徴的な教会として有名です)

舞台のレミゼは、演出が随分変わるそうですね。。。時代は変化しつつも愛は永遠普遍です^^。


告知:8月13日(火曜日)14時から~18日(日曜日)16時まで:世田谷美術館区民ギャラリーにて「江戸表具を愛する会」作品展。私は金曜日16日はお休みしますが、それ以外は会場におります。裏打ちした裂で置物を作るコーナーもあります。

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自分を成り立たせているもの

2013年02月20日 | 第1章 意識と知覚
自分の育ってきた環境における風習や習慣、そして時代背景、祖先の歴史、親からの教育は、自分自身による学習、解釈となって、「私」を成り立たせている一つの要素となっています。

他者との違いは、他者と関わることによる違和感によって、敏感に感じ取ることができます。

その違和感は、時によってはストレスとなったり、幸福を感じたりと、自分を刺激していきます。

違和感による刺激と自分自身がどう付き合っていくかによって、自分自身の暮らし方も変わっていきます。

今日の某場所での講座テーマは、「日本人のアイデンティティ」です。去年の10月から一カ月に一度の講座で本日は5回目となります。
自分がどんな環境で生まれ育ってきたかを自分自身が意識化することによって、他者とそれと向き合うことが、自分のアイデンティティを思索する上で、とても大事素材となっていくのです。

自分自身を成り立たせているもの

五回目の講座は、改めて自分を成り立たせているものを意識しながら講座に臨みたいと思います。

昨日の四ツ谷勉強会では、室内が寒く、体力も消耗した事と思います。春はもう少しですが、寒さはラストスパートです。お身体ご自愛ください。

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通路ギャラリー経過観察

2013年01月24日 | 第1章 意識と知覚
江戸表具を愛する会が始まってから本日で13日目です。2月9日搬出なので、まだ中盤というところでしょうか。

歌舞伎座も建設中ですし、築地市場へも一時の外国人の観光ブームも下火になっているのか、銀座三越から東銀座までの地下通路はビジネスマンが目立ちます。

昨日は、展覧会の案内がてら通行する人の観察を楽しみました。

確かにビジネスマンは多いのですが、案外、立ち止ってじっくり見てくださる方も多いようです。

立ち止まって見てくださる方は、地元の居住者らしき方々です。私自身、乃木坂に住んでいたこともあり、江戸っ子の家に嫁いだという環境のおかげで、何となく江戸人の雰囲気はその人の醸し出す雰囲気で判断できます。

とても懐かしい気分になりました。

江戸に三代住めば江戸っ子だと云われていますが、銀座の空気は、やはり江戸っ子の素地から成り立っているんだな~~、とちょっぴり嬉しい気分になりました。

義母の山の手言葉が懐かしく響いてくるのを感じました。
絶対に真似のできないカツゼツと抑揚です。

通路のギャラリーの公共的な発表は、出品者への反応が伝わりにくい現実がありますが、見て楽しんでくださる方が多くいらっしゃることが解り、同時に江戸情緒を感じることができることに嬉しく思いました。

歌舞伎座のオープンまでもう少しです。

お江戸の雰囲気を「江戸表具を愛する会が繋いでいる」というような自負もあってもいいかな。。。と、呑気な喜びを感じております。


告知:
「江戸表具を愛する会」本日から地下鉄銀座線「銀座駅」近くの地下通路で開催中。

銀座三越の地下から東銀座にかけての地下通路のショーウィンドーです。
作家の常駐はありません。作品のみの展示です。

期間:2013年1月13日から2月9日まで、銀座プロムナードギャラリー(銀座三越下~東銀座までの地下通路・歌舞伎座の手前)

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やっていることは見られている

2012年11月18日 | 第1章 意識と知覚
他者の行動を見てその他者を判断している私。
それと同じように、
他者は私の行動を見て私という個性あれこれと判断しているわけです。

昨日は年に一度の表装の会「表導会」の最終日でした。

表装という技術を学ぶ人
表装の技術を伝達する人

伝達することは技術を学び続けることでもあり、技術を学ぶことは伝達することでもある、ということをしみじみ感じた最終日となりました。このことを感じさせてくださる師匠に心から感謝しています。

大量生産をすることで、求めやすさや便利さ、快適さを求め続けてきた結果、私達がほんとうに求めているものから徐々にずれてきて、ここ数年、このずれを交わせることが不可能な所まできてしまったように思います。

今や、「さざえさん」の住んでいる磯野家のような家は、希少価値のある豊かな一軒家となってしまいました。床の間の設えを季節ごとに入れ替える掛け軸や壺、食卓の窓から見えるところに植えてある花はいつも季節に見合っていて、敷地は、垣根で囲まれ玄関先は風情のある広さ…。

特別な場所に行かない限り、このような家には巡り合わなくなったように思います。

しかし、長年かけて、気負うことなく正麩糊を使い、なるべく手すきの和紙を使い、時間をかけて表装することをし続け、発表し続けてきたことで、これからの時代にとても役立つような存在に成ってきたのでは、と思います。

日本の文化を継承することは、実直さや忍耐力を好む日本人ならではのアイデンティティと深く結び付いているのです。

手先の細かい作業や手間暇かけて制作する姿のありのままを見せてこそ、他者は解るきっかけをもつはずです。

何事も自分がやっていることは見られている、ということです。

しみじみと人の身体は神様の神殿であるな、と思った一日でありました。

じぃーっとして、他者から見てもらうのを待っていても誰も五感で感じてはくれません。

自分の信じていることが普遍的なことに繋がっていればいるほど、他者は感じてくれるはずです。

今年も二足のわらじで頑張ってきた表装ですが、来年に向けて益々作業をしなくてなならなくなりました。
腰を痛めず手が動き目が効く内は、表装を粛々やり続けることとなりそうです。

日本文化の誇れる技術を一つ修業し続けていることは、私の生き甲斐に繋がるのです。

やっていることを見ていただくことは、伝承と伝達という使命も担っています。

見ていただきながら、あれこれと助けられ、継承していくことができれば幸いです。

ともかく、やっていることを見ていただきましょう…^^

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