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五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

役割を整理すると

2016年06月16日 | 第1章 意識と知覚
役割を整理すると2016年6月16日

6月21日から世田谷美術館区民ギャラリーで始まる「江戸表具を愛する会」の作品は、あと一幅の仕上げで出品作品が完了です。
7月5日からの個展は、張り込んだ掛け軸を仕上げるばかりですが、数を数えるとぎょっとするので、ともかく作業日は集中するのみです。
表装は、好きこそものの上手なれ、、、という言葉を信じて手を動かしています。表装との付き合いは20年はとうに過ぎ、多分今年で22年目のはずです。
かといって、奉公や内弟子になって、徹底的に修業してきたわけではないので、師匠に指導していただきながら、親離れできず今日に至っています。

どの世界も同じでありましょうが、自分の役割は時を重ねるごとに変化していきます。
変化の中で、自分に課せられた一つの役割が終わり、次の役割が新たに生まれる事は、自分の生き甲斐にも繋がります。

子育ても然りのように思います。
我が子との関わりは、自己の投影とも関係しています。
子供が大きくなればなるほど、自分が育ててきた故の結果を見せつけられることに納得したりします。
人間はいつでも成長期のように思いますが、自分の問題を子供で叶えようと思えば思うほど、つまり、自分の理想を子供で解決しようと思えば思うほど、互いのストレスが深くなっていくようです。
自他混合せず、「私とあなた」が別の人間であることを時々は意識したいものです。自分の理想を子に託す事に固執してしまうと、返って自分の理想から程遠くなっていくほうが多いように思います。
少しの間立ち止まり、自分の役割を今一度自問自答してみると、偽りでは無い本当の役割が見えてくるのも人の特徴であるかもしれません。
人は誰しも考えて行動する特徴があることを忘れてはなりませぬな。。。

:::

作品展のお知らせ

6月21日(火)から26日(日)
世田谷美術館 区民ギャラリーにて 「江戸表具を愛する会」

私の表装個展:
7月5日(火)から9日(土)12時半~19時半
京橋 メゾンドネコ


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役割と距離

2016年05月14日 | 第1章 意識と知覚
役割と距離2016年5月14日

どんなに他者と関わっても他者は他者です。
でも、自分の問題と他者の問題について距離が測りにくくなるのは、やっぱり親子の関係でありましょう。
身体が痛むほど子供の事を心配するのは、母親の役割のようにも思いますが、自分自身どこの何が心配なのか?不安なのか?を吟味してみると、自分自身の防衛機制と関係している事の方が多いようにも思います。「子を思う」ことが自分の理想と重複しているとしたら、一旦それを離してみる必要がありそうです。
ただ、案外親子の距離感について気付かないことのほうが多いかもしれませんが、敢えて、自分の理想と現実のギャップとそこから湧きだす不安感を意識化してみると、我が子が自分なのか自分が我が子なのか曖昧になって混合している事もありそうです。

自己実現とは、自分自身が目指すものであって、他者である「子」の自己実現とは違います。

かといって、何らかの行為に対して意見を伝える事も他者の役割の一つでありましょう。自分の概念を伝える事も他者のアイデンティティの統合をはかる上で大切な選択肢の一つになるからです。
他者との関係において、他者が何も示さなければ、選択する心の揺れを経験する事ができません。揺れる心は自己の成長を助けてゆくはずです。
諸々を天秤にかけ、ゆらゆらと揺れながらも何かを選択していきながら生きていくのが人であるのかもしれません。

「人と成れ」という言葉の意味は、年を重ね経験を積んでゆくことで初めて見えてくるようにも思います。

親の期待に応えようとする子供も、立派な自己実現でありましょうし、子供の将来に期待する親の望みも立派な自己実現です。
良いとか悪いとかの問題ではなく、そういった感情が芽生える方が自然かもしれません。
そのような現実を知った上で、上手に距離を測ることができると良いのでしょうが、それが上手く出来ないのが、人でもあると思うのです。
ゆらゆらと揺れながらも自分と向き合ってゆけば、自ずと距離が測れてくることは、真の事と信じています。


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使命感の現実吟味力

2016年04月21日 | 第1章 意識と知覚
使命感の現実吟味力2016年4月21日

熊本の地震から一週間です。
混乱した状態の中、熊本では、諸々の体制を整えるために大変な苦労をされていることと思います。
支援者を受け容れるための準備も整いつつあるようで、段々と役割を担った人々の形が見えてきました。

行政やNPO,NGO等は、東日本大震災の教訓が活かされているはずで、5年前も、阪神淡路大震災の支援活動のノウハウを教えて頂き、それが活かされていることを現地で知りました。
遠くに住む一般の人は、ノウハウを持つ身近な団体の動きを知り、その支援をすることも重要な支援となります。
何かをしたいという思いだけで現地に行く前に、東日本大震災において、支援活動を続けてきた団体が、今回の熊本で何をするのかを知り、それに対してどんな支援ができるかを考えた方が効率的であるのです。

自分に湧き上がる「使命感」が、どんなものであるのか。
立ち止まり、思い巡らす時間が大事な時期かもしれません。

やみくもに郵便や宅配便を使う事も避けた方が良さそうです。
現在の交通網についても、在来線や幹線道路は限られています。

都内では熊本のサテライトショップも活躍しているようですし、熊本出身の文化人、小山薫堂さんが、くまもんを媒体に体制を整え始めたと発表がありました。
地震が続き、断層に沿って移動していく傾向の中、支援する側も注意と覚悟が必要でありましょう。

自分の役割の「時期」を吟味しながら、落ち着いて行動したいものです。

熊本、大分の皆様が安眠できる日が早く早く訪れる事を祈り続けます。

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自律と自立

2016年04月06日 | 第1章 意識と知覚
自律と自立2016年4月6日

自分の思いや考えに従って自分自身自らの意思で行動する事が「自律」で、「自立」とは、組織や誰かに従属せずに独りで行う事と私は解釈しています。

自分の自律性が身に着いたのは随分幼い頃であろうかと思います。自分の幼い頃から強い意思が働いてきたことが現実を吟味する力を鍛えてきたようにも思います。異質な環境、つまり会社勤めや結婚を機に、自分の自律性の強さがどのくらいかは徐々に自覚できるようになっていきました。
自分がどのような生き抜き方をしてゆくかは、家庭の環境も大きく影響するでしょう。でも、自分を取り巻く環境がどんなに厳しいものでも自己の自律性を大切にしていかないとアイデンティティの統合が図りにくくなってゆきます。
与えられた環境の中で、自分らしい自分を自らが体感するには、自己の自律性が如何なるものか、またはどんな傾向なのかを自覚しておく必要がありそうです。
どんなに親しい友人でも、結束の固い家族でも、自分と自分以外の他者は別の人間なのです。自己の自律性について意識化するためには、そのあたりを切り離していないと難しいかもしれません。
「私は何なのか?」という哲学的な問い掛けは、身近な生活と共存している普遍的な問い掛けであるわけで、自己の自律性を思索する上でとても大事な思索となってゆくのです。

昨日は鎌倉の勉強会でした。今年も有り難い事に新たなメンバーが加わり、賑やかに展開しています。今年で11年目の鎌倉勉強会となります。
自らの意思で行うことのできる自分の選択は、長年の経験の蓄積によって迷走する機会が減ってはきましたが、これからの人生においても、重大な問題で岐路に立つことは必ずやってきます。
そんなときに、自分の考えで悔い無い選択して行動できるように、修業?を積んでいきたいものです。
でも、どんなに学んでも学び切れないのが自分自身の事であるかもしれませんし、だからこそ、希望と期待を持ちながら何かを選択していく事ができるのかもしれません。

◎○◎○◎講座生の皆様へ◎○◎○◎
琵琶湖の唐崎WSは、4月8日~10日です。9日は三井(みい)寺の遠足を予定しています。皆様と過ごす三日間楽しみにしています。

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自分の憂いと社会の憂い

2016年02月18日 | 第1章 意識と知覚
自分の憂いと社会の憂い2016年2月18日

嬉しいニュースがある半面、うんざりするニュースも後を絶ちません。
自分のストレスが何処から生まれるかの理由を考えてゆくと、自分の憂いが社会の憂いと混同し、いつしか自分の事を棚に上げ、すべては社会のせいだと思いこむようになると、自分の逃避は、自分自身の現実から随分遠いところまで行ってしまった表れではなかろうか。。。と思うのです。

自分の現実を見るにしても、どこを見るかにもよるでしょう。

見たくないところは見ないでしょうし、気付かないところは見えないでしょうし、かといって、他者から指摘されようものなら良い気分にはなりません。
、と、すると、もし、自分が憂いでいるとしたら、自分でその憂いをどうにかしない限り、明るい方向にはいかないようです。

自分は、何に気付きたいのだろう。
自分は、他者からどんなふうに愛されたいのだろう。面倒を見てもらいたいのだろう。関わってもらいたいのだろう。。。
もし、天の邪鬼な感情があるとしたら、自分の天の邪鬼はどこから来ているのかを意識してみないと、自分に覆いかぶさっている衣はなかなか剥がれません。

社会の憂いと自分自身の問題を一色単に考える前に、自分自身の問題に焦点付け出来るか否かを胸に手を当てて思索してみる時間も時には必要なようです。

自分の問題なのか。
他者の問題なのか。

私なのか。
あなたなのか。

これらがすっきりと分けられるのであれば、自分の憂いが晴れる時は近いようにも思います。

◎○◎○◎講座生の皆様へ◎○◎○◎
琵琶湖の唐崎WSは、4月8日~10日です。今回も琵琶湖周辺の遠足を企画しております。

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私のルーティン

2015年10月14日 | 第1章 意識と知覚
私のルーティン2015年10月14日

雨降り以外は、朝起きると玄関の扉を開けて深呼吸しながら空を仰ぎます。スワイショウをして、軽くストレッチ。
毎朝、5時半に起床して、メールチェックとフブログを書きながら洗たく機を回すのですが、メールの返信が多い日は、ブログはパス、、、という具合にその日次第の気ままな決まりごとがここ数年の私のルーティン?です。
夜にパソコンをあけるのを止めて2年ほど経ちますが、早朝にまとめてメールチェックをしたほうが効率が良いのです。ほんとうに急いでいる場合は、スマホか電話で済ませます。便利な世の中です。

朝の決まり事を6時半~7時ぐらいまでに終わらせてしまえば、大抵の場合、出掛ける時間に間に合います。
ブログを書く行為も朝の方が脳味噌の整理になり、有り難いことに読んでくださる方もいらっしゃるので一石二鳥なのです。

これらの決まり事が習慣化した事で、夜にパソコンの画面を見ないことが疲労の軽減に繋がっていることも体感的に立証され、余計な事が頭に巡らず、気になる案件の思考を一旦しまって蓋することも可能にするのです。

朝の私のルーティンが上手く整えば、あとは一日を大切に過ごすのみ、と言っても言い過ぎではありませぬ。。。
そんなことを書きながら、今日も一日が始まります。

ラグビー日本代表が無事に日本に戻り、スーパーに行けば、幼稚園児でさえも五郎丸さんのあの忍術的手合わせでジッと立っていたり、、、「いやいや、中指から小指にかけては絡ませないのよ!」と心で叫び、ニヤニヤしつつ、暫くはこの光景を目の当たりにすることを楽しむことができそうです。
私がラグビーを見ていた時代から遥かに時が経ってしまい、今や学生時代に活躍していた選手の息子さん達が活躍していることも解り、時の流れを感じる今日この頃。
自分のルーティン、今日も整えて、現在6時52分。。。はい、予定通りです(笑)
みなさま、今日もよき一日を~^^/

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信頼感

2015年09月27日 | 第1章 意識と知覚
信頼感 2015年9月27日

東日本大震災から四年半が過ぎました。
震災がきっかけで出会った人々は数え切れず、東急セミナーBEでの生き甲斐の心理学講座も同じく、講座の必要性を感じたスタッフさんのお陰で今に至っています。東急セミナーでの講座も雪谷講座が始まってから丸四年が経ち、五年目を迎えようとしています。
「雪谷講座」立ち上げから半年後には「たまプラーザ講座」が開設され、これらの講座での出会いも今では講座生同志が信頼感を持って臨んでくださり、益々暖かな雰囲気の講座へと育まれてきました。

本当にありがたい、と思います。

志をもって、何かを成そうとすると、確かに自分自身の意志が第一条件であろうとは思いますが、その志に信頼感を持って支えてくれる人が必要なのです。

台風の大雨で中止になってしまった宮城県山元町・某NPO団体の理事長とその後何度か電話やメールでやりとりし、12月に9月に中止になった「第八回・生き甲斐の心理学講座」をすることとなりました。師走に入り、お忙しいのでは?と尋ねると、「今必要なことは今やっておかないとダメなのよ。止めるのは簡単ですし、忙しいのはいつも同じ事ですよ。色々なイベントの段取りをスタッフにやっていただき、それに参加する近隣の皆さん、被災者の皆さんが喜ぶ様子が嬉しいのです。」と。

止めたらそれまで。
そういえば、私もそんなことを思ってやり続けてきたわ、と。

でも、私も皆様の支援や理解があってこそ、続けられているのであって、独りよがりでは成すことはできません。

色々支えられつつ、互いの信頼感を大切にしつつ、あたたかな学びの会が続けていかれることを望みながら喜び楽しんでゆきたいと自分の志を再確認するのでした。



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原初感情という危機管理

2015年08月24日 | 第1章 意識と知覚
原初感情という危機管理2015年8月24日

世の中の風潮だから~
皆やってることだし~

世の中の風潮から自らを断絶し、世間の流行や習わしに全く興味を持たずして暮らすことは、余程の信念を持たなければ、その暮らしを叶える事は難しいように思います。
しかし、社会で起こっている危険なことは、世の中が守ってくれると思う考え方と危機を想像せず流行している機械や機器にどっぷりと自らを委ねてしまっている風潮がすっかり蔓延していることに私は驚いています。

我が子を守るのは親や保護者の責任です。その責任についての法律について甘さがあるのも先進国であろうかの国でありながら、独特なものかもしれません。
家族の危機管理を遂行するのは基本的に家庭の役割であることの意識が薄れているような風潮は、海外の生活を知る人にとっては信じられないものです。

人間の原初感情を大事にすることを教えるのは、最低限、感性を育む時期に必要な事なのです。
夜の闇が何故怖いか、ということは、生物が誕生した頃から備わった生命を連鎖させるための感情であると学びました。
そして、各地方での言い伝えや民話、童話を周囲から聞かされ、読んでもらい、闇は怖いという感情が、恐怖の想像を育んでいったようにも思います。

せめて、生物に与えられた原初感情「怖い・怖くない」という感性を幼い頃から身につけることが如何に生物が生き延びるために大事なことであるかを改めて話題にしたいと思うのでした。それを教えるのは共に暮らす身近な人々なのです。
原初感情を体得する事が希薄になっていることに、世代の差異を感じ、二学期からの仕事の準備を整えるためのよい刺激になっています。

陰と陽、光と影、善いことと悪いことが共存している世の中であることを教えることは、子育てをしている保護者や教育に関わる人々の大切な役割でありましょう。
「風潮」と「根本」をごちゃまぜにせず、意識していたいものです。

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必要なものだけ

2015年08月13日 | 第1章 意識と知覚
必要なものだけ2015年8月13日

今年も毎年恒例の山中湖に。渋滞が無ければ2時間もかからずに行くことのできる場所ですが、下界とは大違いの涼しさに心身緩む三日間を過ごしました。
毎年恒例のメンバーと過ごし、やることといえば食事とお喋り。森の中で過ごしながら、お喋りは尽きません。
6月から滞在中の91歳の某人は、お昼は頂きもののジャガイモを茹でるだけ。そのジャガイモは軽く洗い水からコトコトと茹でるのだそうですが、何故か一個のジャガイモを茹で上げるのに一時間もかかるとか。
人が訪ねてきた時だけワインを開け、あとは原稿を書いたり勉強したり、近所の修道会の朝ミサを一日おきに司式して、生活を崩すことなく暮らしていらっしゃいます。
戦前から戦中にかけての故郷スロベニアでの話も、終戦から時が離れるごとに詳細な思い出話をしてくださいます。隣国の国々との複雑な関係は、日本が経験したものとは違い、網の目の様なものでヒトラーだけでなく、チトーやスターリンが関わることで、第二次世界大戦後アメリカの介入が無かったことで長きに渡る共産国となっていく様も、私自身段々と頭の整理をしながら理解できるようになってきました。12.3年のお付き合いの中、歴史の点と点を結びながら話の内容を理解できるようになったのは、ここ数年の事です。

自分にとって必要なものと言えば、「自分の身体と心と魂」と「自分が大切にしている人々の身体と心と魂」との関係性だけで充分かもしれません。
美味しい料理と美味しいお酒がそれらを引き出す役割りになっていたとしたら、自分と他者との関係とパンと葡萄酒だけで存分に幸福であるはずなのです。
今年も例年通り自分にとって最低限必要なものは何かを豊かな時空で思索出来たように思います。俗人は、年に一度、このことを心に留める程度で良いのかもしれません(笑)

私の夏休みは、これにて終了です。助走を付けながら働くと致します。
必要なものを選択する知恵は、少し前よりはましになってきたかなと、思いつつ。

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表装の話

2015年07月18日 | 第1章 意識と知覚
表装の話 2015年7月18日

毎年恒例夏の大掃除をぼちぼち始めました。
8月になったら家のカーテンを全て洗うことが私の真夏のルールです。
今年は夏に作品展が無いので、追い込まれて表装三昧ということにはなっていません。のんびりと本を読み、表装三昧しながら日々是好日といきたいところですが、まだそういう時間は与えられていないようです。

ぼちぼち、ゆるゆると続けてきた表装も20年を越えました。
そうはいっても、怠け者で好きなことしか出来ない私は、まだまだ習得していない技術が数多くあります。
そろそろ、やらねばならない目標を立てて向上したいという気持ちが湧き出しており、そんな中、今まで制作した表装作品の写真は撮っているもののファイリングしていないことにハタと気付き、台風吹き荒れる二晩、過去を振り返りながら纏める作業をしました。
チリも積もれば山となる、とは、本当の事で、バラバラに保管していたものを纏めてみると、師匠の文章、会報、作品展の写真や葉書がいかに自分の宝物であるかを再認識しました。
断捨離しなきゃ、と、思いつつも結局、たくさんのゴミが出るわけでなく、 分類する整理が8割ぐらい出来てきました。
自分の生きてきた証しの様な様々の物を捨てるにはまだ時期が早いと諦め、貯め込み方の工夫をしたほうが良いという結果になったわけです。

昔使った裂も懐かしく、小さな端切れを処分するにも勇気がいるので、この整理は後回しとなりそうです。
「まだまだおやりなさい、と天から言われているのだ」という解釈が、無難なようです(笑)

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善意と抑圧の関係

2015年07月09日 | 第1章 意識と知覚
善意と抑圧の関係2015/07/09

「私は善い行いをしている。」
この概念における自分自身の現実吟味力は、果たしてどうなのだろうか。

「今、私は、私にとって善いと思う行いをしている。」
私の場合、この方が、軌道修正しやすいので、今、自分が判断して善いと思うことは「今、現在の自分の思いを肯定的に捉えて」行動するようにしています。

もしかしたら、一週間後、この行為が反省に変わるかもしれないからです。

自分の善意は、自分の防衛機制と深く関係しているように思います。

自分が他者のために良かれと思ってすることは、自分自身の罪悪感や不安感、後悔を学習したことによる防衛機制の回避的な現象とも云う事ができるようです。

自分の善意が他者を混乱に導くことに繋がったり、関係性が悪くなったり、同じようなトラブルが続いたりすることは、自分の不安感に気付いていないからかもしれません。
自分自身の抑圧的な不安感を意識化していない状態だと、バランスを取るために無意識に他者に向けてゆくようです。

自分の善意の行為を「そのことで他者が混乱する想像も出来ず、善意だと信じて疑わない場合」、長年抑制してきた不安感を意識化するのは、とても難しいかもしれません。

昨日、「某異文化の場所」を体験してきました。
良いとか悪いとか、そういう問題ではなく、信じて疑わない中に潜む抑圧的な不安感は、自分が馴染んできた文化の中に居る時は感じにくいものでしょう。異文化の中で生き抜こうとするときに初めて自分と対峙することができてこそ、健全な心身の動きであろうと思いました。

人の持ち備える逞しさは、誰しも平等に与えられているはず、と、妙に確信し、有意義であった昨日の体験を回想しています。

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成熟という表現

2015年07月08日 | 第1章 意識と知覚
成熟という表現 2015年7月8日

バブルの全盛の頃、確かに仕事は楽しかったです。ポストモダンが流行り、国内外の有名な建築家が日本の都市で自由で贅沢な建物を表現し、発表する場としての日本は、世界からも注目されていました。それぞれの都市がその頃建てた建造物を街の象徴としてアピールし、以降時を経て今に至っているのです。
私自身その時代の只中を歩んできたせいか、今はよりシンプルなものに五感が傾きます。

インフラが整備される中、1964年の東京オリンピックの頃に建てられた諸々の建造物、新宿の都庁、東京湾の埋め立てによる都市開発、横浜みなとみらい、派手さのある建物が建ち出す時代に私は育ちました。その時代からバブル崩壊、さらにリーマンショックが起こり、世界の経済が停滞しつつも日本は豊かな才能を持つ人材が育ち、それなりに成熟してきました。

私の父の仕事の関係で、日常の会話は建設関連の話題が当たり前でした。発展途上国の人材育成のため、海外からの留学生の面倒も見ていたし、住んでいた社宅の広大な敷地には、地質調査の土山や、巨大なダムの模型があり、そんな風景を眺める日常は、もしかしたらそこに住む私達だけの日常であったのかもしれません。
そのような時代の流れを生きてきた私は、この度話題になっている国立競技場の設計デザイン内容と巨額な予算には、呆れた感情を抱いています。
この時代に、関係者がかつての東京オリンピックと同じ土壌で立っている事は、せっかく築き上げてきた日本の成熟を台無しにしていると思えるのです。
「これが成熟した日本を見せるに値する表現なのだろうか?」
利権と既得権ばかりが先行し、とある権力者の一声だけで決まることに、日本の成熟度はまだまだなのだと思うことに口惜しさを感じます。

高度成長期に生まれて育ってきた世代は、洗練とは何か?成熟とは何か?がより判別できる世代でもあるはずです。関わる人材の頁もそろそろ数頁捲る時期なのではないでしょうか。
そろそろ成熟した日本で海外の人々をおもてなししたいものです。

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情報の取り扱いに注意

2015年06月12日 | 第1章 意識と知覚
情報の取り扱いに注意2015年6月12日

親切心か、自分自身の存在の何らかを示したいためか、それは解りませんが、色々な情報を自分に伝えてくれます。
それが、「また聞き」であったりすると、とても困ります。

人から聞いた「第三者」のことを更に私にしてくれても、その事実を確かめる事も出来なければ、手を出すことも出来ません。
その伝言ゲームの様な話題を更に私が他の人に伝えたらどういうことになるでしょう。ましてや「誰さんが誰さんの事を○○と言っていた」等と言う「負の伝達」は、無意味で幼稚な伝達内容です。
根も葉もない噂とはそうやって拡がってゆくのです。

悩みの当事者のお話は聞きますが、それ以上の人間関係の輪を広げて話を聞くことは大変危険なことでもあります。悩む当事者は、まさか輪唱されると思って打ち明けるとは思っていません。

もし、誰かが第三者の悩みの話を自分に伝えたとしたら、ここで伝言ゲームを終了したいものです。

口を閉じる。
SNSやメールでの発信は自分のところで止める。

SNSでの情報についても、その人の現実吟味力が問われます。

何らかの悩みを他者に打ち明ける時は、その人がどのような傾向の人であるかを思い巡らしたほうが良さそうです。

情報伝達のための口や手を慎み大事にしてこそ、思いやりなのです。


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惑わされている自分

2015年06月07日 | 第1章 意識と知覚
惑わされている自分2015年6月7日

湧き出る感情の取り扱いについて、ほんとうに自分自身の傾向を知っているだろうか。
その自問自答ができるのは、身近な家族との関係性を意識化したときかもしれません。
最近、自分が半世紀間ある概念にとらわれ続けていたことに気付き出し、「ああ~~損したわ~」と、思うことが度々あるのです。
つまり、感情の取り扱いが上手でないのは、自分では無く身近な家族であることに改めて気付いた時に、今までそのことに気付いていたはずなのに、実は私自身が、その呪縛から本当に解き放たれていなかったことにハタと気付いたのです。
湧き出る感情の処理の一つとして、同じ事を第三者に訴え続けたとしてもそれは解決にはなりません。同じ事を繰り返して訴えたところで、訴える先は焼け石に水のようなものです。第三者は確かに静聴してくれますが、悩みが深くて長い期間の問題であればある程、広い広い宇宙に小石をポンと投げる事と同じなのです。
ほんとうに返してほしい人が自分の理想の答えを返して欲しくても、その相手が自分の傾向と向き合わない限り、叶うことではなさそうです。
であるから故に、問題意識を持った自分が何らかの気付きを求めて自分自身の傾向と向き合った方が手立てがあるようです。

変わらない家族の傾向を変える事に力を注ぐことよりも、「自分の傾向と向き合い、変わらない相手との関係をどのような解釈で向き合うか」を優先してみると「自分自身の個性の正中線」が如何に大事なことであるかが見えてくるのです。自分の一貫性を他者に惑わされないためには、現在相手に惑わされている自分を認める事が転換のきっかけになるようにも思います。

相手に惑わされている時は、暗示にかかったように自分の役割があたかも相手のニーズに応える事であるかのように思い込んでいるのですが、自分がその相手に惑わされていると体感的に自覚した時に、澄んだ青空を感じたのです。
「人の身体は神の神殿である」とは、そんな気付きがある時に「なるほど」と思うわけです。

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不意打ちの地震

2015年05月26日 | 第1章 意識と知覚
不意打ちの地震
2015年5月26日

ひさしぶりに時間に追われない一日。仙川のギャラリーのテラスでのんびりと過ごさせていただきました。道路沿いにあるにも関わらず、ギャラリー前のテラスは長居するには最適で、ガラスを通してギャラリー内を見渡すことができるので、一層気楽にテラスでダラダラとできるのです。一時間ぐらいのつもりが、随分長い時間語らっておりました。

そうはいっても、二時半ごろに起きた震度4の地震で、初めて緊急地震速報がスマホからけたたましく鳴り、東日本大震災の当日が見事に蘇りました。
4年前の経験から今に至る諸々の事が自分に蓄積されているせいか、かえって心臓の鼓動が激しくなり、落ち着くまで少々時間を要しました。
のんびり過ごす時間の中で、このような不意打ちを食らうことは、ままあることではありますが、嫌なものです。

自分が本日持っている物を頭で巡らし、いつもは持っているスマホの充電コードを持って来なかった事を若干反省し、夜を越すには少々薄着であることも気になり、「そういえば…」と、仙川から歩くことの出来る親しい人の家も思い浮かび、いざとなればそこに辿りつけば良いな、、、と考えが至り、安心安堵を取り戻しました。地震が起こっている最中からその思索が始まり、治まる頃には考えがまとまっていたわけですから、過去の経験が自分の財産になっていることは確かなようです。
我が家の備蓄が少々甘くなっていることに気付きましたので、備蓄点検を早急にすることと致します。

☆☆ ☆☆
ブログの下に掲載される広告は、私個人に関わるものではなく、一切関係ありません。有料の広告非表示でブログをアップしているのですがスマホ対応はされていないようです。

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