Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

EURO 2008 7.1 セブンイレブン Stockholm

2008-08-02 | EURO Football

朝4時半に携帯のアラームをセットし、ホテルをチェックアウトし Wien Westbanhof 駅前のバス停留所に徒歩で向かう。夏至から1週間程度が過ぎたばかりなので当たり前と言えば当たり前なのだが午前5時を少し過ぎたばかりと言うのにもう完全に夜が明けていた。それでも夏時間だから普通は午前4時。やはり欧州だ。
Westbanhof から空港までバスで予定では約35分。早朝だから渋滞は無いと思っていたし、渋滞に巻き込まれればフライトが午前7時過ぎなので少しピンチだった。ハイウェィから空港方面の出口に分かれるところで多少の渋滞はあったが空港の到着ロビーに辿り着いたのが出発の1時間半前だった。しかし安心は出来なかった。ここはいつも膨大な搭乗客で溢れかえっていて、この日も全く状況は同じ。何年か前は1時間も搭乗窓口の順番待ちで待たされた揚句“チェックイン時間が過ぎましたのでこの便には登場出来ません。”と言われ、腹が立って思いきりカウンターを蹴り上げた事があった。その時は結局荷物を機内預けにせずそのまま搭乗口まで行きすべて機内持ち込みにして何とか離陸に間に合ったのだった…….
この日も大変な数の搭乗客達が。ここも他の国際空港の様に Self Check In の機械が何台も設置されている。そして係員が何人かいてその扱い方法を搭乗客に説明しているのだが、機械も全てが正常に稼働している訳でもなく、発券時の条件などからどうしても搭乗カウンターに行く必要のチケットだったりして思うように列が短くならない。更に “どうしても並びで3席取りたい。”と係員にゴネる家族づれがいる始末。一人旅の私は “スムースに“ 数分とかからず自分で手続きを終え、横に立っていた係員にピースサインを出すと、彼女もにっこり笑って“ Danke Schön !! ”と返してきた。 しかしまだ機内預けの荷物をカウンターに持っていかねばならず搭乗口に就いた時は出発定刻の20分前を切っていた。 しかし、私がそこに着くや否や出発が20分遅れとの表示が映し出された………..

機内では水平飛行に入りベルト着用のサインが消えるとすぐにコーヒー類と軽食が出て、それを食べると機体が着陸態勢に入った時にベルト着用とテーブルを元に戻すことを促しに来たフライトアテンダントに起こされるまで眠ってしまった。そしてテーブルの上は綺麗に片づけられていた…..( 当り前か…….)
スウェーデンでは通貨が EURO でないので両替をせねばならなかった。EURO はまだ一般に流通していなかったと記憶する2000年頃EURO は一時100円を切りそうな時があった。その時は北欧の通貨を含めた欧州の通貨はが軒並み日本円に弱かった。2000年の8月は 1SEK = 11円台だったのが今は18円近くする。その上北欧圏の物価の高さ……….

空港から顧客に電話を入れると迎えに行くから30分ほど待っていてほしい、市内のホテルまで送るから…..と言われたのでここで待つことに。スウェーデンにはセブンイレブンが広く普及しているのが特徴で空港内にもある。と言っても大きくはないし、日本の様にほぼ何でもそろっていると言う訳でもないが…….. サンドイッチとコーラを買ったけどやっぱり 1,000 円近くした。日本ならこの半額も行かないのだが。  

       

顧客は初めて会う顧客、身長が190cm近くある長身の紳士。さすが北欧と思っていると何と彼はオーストラリア人で御夫人がスウェーデンの女性。もともとスウェーデンと貿易のビジネスをしていたので現地の女性と知り合い結婚に至ったそうだ。ビジネスは好調でほぼ2カ月おきにオーストラリアとここを往復しているとの事。6月初旬にはオーストラリアの Gold Coast, Brisbane に行っており、私もその時期にそこに行っていたことを告げ、その時記録的な雨にあった事など“オーストラリアネタ”で車中盛り上がった。彼の出身である Gold Coast はほぼ年中太陽が輝いているが北欧の夏は快適だが、夏季は短く、冬の寒さと日照時間の短さは堪えるのでその時期はオーストラリアに行く様にしていると話していた。 彼の好きなスポーツはラグビーだが、ここでは誰もラグビーの事を知らないので話し相手がいないとも言っていた。昨年のラグビーのワールドカップはフランスまで観に行ったそうだが日本戦は観なかったとの事。まぁ結果はわかりきっているからなぁ……. サッカーはワールドカップ前後に興味を持ち始め一昨年のワールドカップ、そして昨年のアジアカップの事もよく知っていた。やはり故国を離れるとアイデンティティティ精神が芽生えるのかな……… 

    

市内に着いてランチを一緒に摂りながら商談を済ませ、ホテルに入ったのは午後2時。さすがにオーストリアと比較しても気温の低さはすぐに感じ取れて北欧の短い夏の快適さを堪能…… と行きたかったが、次にアポイントまであと数時間あったこともあり、睡眠不足も手伝い一旦寝ることに……
夕方、次の顧客に会いに出かけたが太陽はまだ高い位置にある。それでいて暑さは感じない。街ゆく人々の中には長袖の人も。 
次に会った顧客はここに20年以上在留されているKさんと言う日本人男性の方でいろいろ北欧事情に詳しい方だ。スウェーデンの人気のスポーツはやはりサッカーらしい。最近はハンドボールやアイスホッケーが五輪や世界選手権で優勝を競う様になったがやはりサッカー人気は根強いらしい。
私が初めてワールドカップに触れた1978年アルゼンチン大会では予選でノルウェー、スウェーデンを寄せ付けず本大会に進出して来た。ブラジル ( 1-1 ) オーストリア ( 0-1 ) スペイン ( 0-1 ) と同組になり2次リーグには進めなかったがテレビで観たブラジル戦でファインセーブを何度か見せた 当時1FC Kaiserslautern 所属のGK ローニー=ヘルストレームのプレーが忘れられない。ブラジル戦では 1-1 のロスタイム、最後のブラジルのCK のチャンスからジーコのヘディングシュートが決まったがウェールズ人の John=Thomas 主審は CK のボールが空中にある時に試合終了のホイッスルを吹きノーゴール。リベリーノを始めブラジルの選手達が主審に詰め寄ったがThomas 氏は腕時計を指すだけでもちろん判定は変わらず。対照的にヘルストレームの元に駆け寄り喜びを露わにするスウェーデンイレブンが印象的だった。
スウェーデンは1970年大会にはフランス、ノルウェーを抑えて準優勝を収めた地元開催以来12年ぶりに本大会出場を決めたが1次リーグで敗退となった。
その翌1974年大会ではオーストリアをプレーオフで降し欧州予選を突破。1次リーグをオランダと共に勝ち抜き2次リーグに進出。豪雨で試合開始時間が延期された西ドイツ戦では死闘を演じ 2-4 で敗れたが、この試合の先制ゴールとなった当時の中心選手エドストレームのロングシュートは“大会で最も美しかったゴール”との評価を得たらしい。西ドイツ大会では4得点を挙げたエドストレームは次のアルゼンチン大会にも出場したが大会前の負傷の為に充分な活躍が出来なかった。
1978年のワールドカップ後のシーズンに始まった Europe Champion Cup ではスウェーデンの Malmö が AS Monaco, Dynamo Kiev, Wisla Krakow, Austria Wien を降して決勝戦にまで進出、Nottingham Forest との決勝戦ではトレーバー=フランシス のヘッドに沈んだがその健闘ぶりは大いに湛えられた。 この数年前に日本でも“サッカー小僧”のタイトルで上映されたスウェーデンのサッカーを題材にした映画 ”FIMPEN" が作成され、試合のシーンでは当時の現役選手エドストレーム等が実名でアナウンスされたシーンがあったがその当時まだワールドカップに16カ国しか出場資格がなかった次回3大会連続で欧州予選を勝ち抜いたスウェーデンサッカーの興隆の時期であったと思う。 

その後しばらく低迷に時期に入ったが1992年の地元開催の EURO では準決勝に進出しドイツと死闘の据え2-3 で敗れたが1次リーグで強豪のEngland, France を抑えて準決勝に進出した事は欧州でも評価された。特に1次リーグ最終戦の England 戦はPlatt のゴールで先制されながらブローリンのゴールで逆転勝利を収めた試合。Gary Lineker の最後の代表での試合であった。
そして前回に続いて連続して本戦出場を果たした1994年ワールドカップアメリカ大会では準々決勝でルーマニアをPK 戦で降し(私はその試合をブカレストでテレビ観戦していた)地元開催の1958年大会以来のベスト4に進出。準決勝ではブラジルに敗れたが3位決定戦ではブルガリアを 4-0 で破り(といってもブルガリアのモチベーションはかなり低かった。)久々のワールドカップでの好成績に大いに国が沸いたらしい。
GK Raveli, FW Brolin らが名を挙げた大会であった。

 今回の EURO では最低でも準々決勝進出が期待されていたらしい。ギリシア ( 2-0 ) 、スペイン戦 ( 1-2 ) を終えロシア戦を迎える前でもベスト8は……と思われていたらしい。日本の専門誌もロシアよりもスウェーデンの有利を伝えるものばかりが目立っていた。 しかしスウェーデンの前には復活したアルシャビンを擁したロシアが立ちはだかり前回の様にベスト8進出はならなかった。2004年大会はイタリアを抑えてデンマーク、スウェーデンが揃って1次リーグを突破し、観客が試合後 Scandinavia 2-0 Italy と言うプラカードを掲げていたが……. 

 

Kさんによると地元の人々は “1次リーグ敗退は仕方ないが最後にロシアに敗れたのは……” と思っているらしい。ロシア対スウェーデンと言うと一時期のアイスホッケーの決勝戦で両国がよく激突していたが歴史的に見ても因縁が深いらしいが、第二次大戦中は武装中立政策をとるものの反ナチ、レジスタンスを匿い、ユダヤ人保護の態度を貫いた。

Kさんと色々話し込んで時計を見るともう10時を回っていた。それでも外はまだ薄明るい。ホテルに送ってもらったら時計は10時半を回っている。それでも丁度日没直後も様だ。Kさんと飲んだビールのおかげで睡魔が襲ってきてそのままベッドに倒れこんでしまい、翌朝は5時に目が醒めた。まだもう一寝入り出来る時刻だったけどそのまま起きていることに。あとは日本に帰るだけ、帰りの機内か日本に就いてからゆっくり眠れると思っていた。 しかしまとまった睡眠時間を確保できたのは帰国して何日も経ったからだった……….

やっぱり欧州は良いなぁ……ここに来る度に思う事はいつか移住したいという思い。

でも何年か経てば日本が恋しくなるだろう……しかしその前に家内が付いてきてくれるかな?? 

その心配は移住しなくても消えないか???