Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

無念の敗退 五輪出場ならず、でも俺はそこで観たかった…….

2008-04-18 | Weblog
マイナースポーツなんて誰が創った言葉なのだろう?? 
やっている本人や関係者達はマイナーもメジャーもへったくれもないのだ。皆全身全霊、力のある限り自分の取り組んでいる競技に打ち込んでいるのだ。
私は兼ねてから日本ほど先進国の中でスポーツ後進国は無いと思って来た。それは五輪のメダル獲得数や世界選手権やアジア大会での結果を比較しているのではない。その価値観の低さである。恐らく人気のある芸能人やアイドルタレント、お笑い芸人の方が世間一般で上に看られているのではないだろうか? 
大学時代の事だ。当時日本マラソン界は瀬古利彦選手と中山竹通選手の二人が日本のみならず世界のマラソンを牽引する選手で陸上競技の現役選手であった私はいつの日か彼らみたいになりたいと(その時は)本気で練習に没頭していた。(結果はさっぱり届かなかったけど。) 
東京国際マラソンの表彰式の模様が述べられた記事を専門誌に見つけた。当時の司会は後に癌で亡くなった逸見正孝さん。そして記念品のプレゼンターは当時全盛期だったおニャン子クラブの中でも一際人気の高かった国生さゆり。彼女も結構陸上競技をやっていた時期があったのはその当時から知っていた。
中山選手が国生さゆりから記念品を受け取り握手を交わした様子がその記事に載っていたけど、私はそれを複雑な気持ちで読んだのを覚えている。

“中山くらいにならないと国生さゆりと握手出来ないのか………” それだけ世間では国生さゆりの地位が高いのか、陸上選手を誰も知らないのか…….

4月13日午後2時5分。私が子供の時から変わっていない御馴染のNHKのスポーツ中継のテーマ曲が流れて来る。 1985年10月26日、サッカーのワールドカップ予選の中継がこの曲と共に始まった時 “あぁ、サッカーの日本代表の為にこの曲が流れた。”と思い、そして今 “男子ホッケーの為にこの曲が流れている。”と思った。この日の関東地方は曇り時々雨、試合のあった岐阜のグリーンスタジアムの天気はどうだったのだろう。スタンドはほぼ満員だ。全国から熱心にホッケーを愛する人たちが多くやって来たのだろう。この競技場も立派だが、マレーシアの Bukit Jalil 競技場の様にもっと観客の入る競技場であればこの試合を完全に“ホームゲーム”に出来ただろうに….と思うのは私だけか?? それでも試合開始前からここに集った人達は精一杯の声援を “さむらいJAPAN” に送る。
赤堀主将がホッケー人生を賭けてこの試合に臨むと試合前に話していた事がテレビを通じて紹介される。私も 
 “マイナー競技が何だ、オリンピックは出たもん勝ちじゃ。出場権を勝ち取って鼻をあかしてやれぃ !! “
と勝手な意味のない声援をテレビに向かって送った。そして。NHKのアナウンサーの “歴史的な日に出来るでしょうか。” と言う言葉と共に古里のセンターパスで試合が始まった。このアナウンサーなかなか言うじゃないか….. しかしフィールドの上もなかなかだ。坂本、古里が積極的にドリブルで仕掛ける。これまでドイツは5戦全勝。そして得点30、失点はなんと0だ。勝つ為には得点が必要だ。いやそれよりも失点しなければ良いのか?それにしてもドイツのレベルの高さはホッケー素人の私でも一目了然。先週のスイス、ポーランドはおろか前日のマレーシアとも格段の違いだ。まずロングパスが非常に速くて正確だ。あれだけ身体がでかいのに動きは早い上に小回りが利く。スティック捌きも違う。そしてあれほど有効だった片山や小澤のドリブルも簡単に行かせてくれない。 特に小澤にはマンマークがついていて自由にボールが出せないしもらえない。
それでも最初の絶好機は日本だった。11分に伊藤満が左サイドを上がりゴール前に入れたパスがドイツGK Ulrich Bubolz を破り坂本がフリーで飛び込むがスティックに当たったボールは浮いてしまいゴール枠を外れる。少しスティックの角度が違ったらそれこそ歴史的なシュートになっていたかもしれなかっただけに本当に惜しいチャンスだった。
その後は目を醒ましたのか、本気モードに切り替えたのかドイツの怒涛の攻撃が始まる。13分にFlorian Keller がワンハンドドリブルで持ち込みサークル内に打ち込めば15分にはFHから Niklas Meinert が打ち込みそこに Oliver Korn が飛び込むが必死の防戦で得点を許さない。 だが16分に Matthias Witthaus がセンターライン付近でパスカットをするとワンハンドドリブルで一気にサークル内に入って来てそのままリバースショットを左から右に放つ。これを走り込んだ Keller が合わせてあっさりと先制点を許してしまった。 勝為には絶対に先制点を…と思っていただけにこの失点はショックだった。
しかし、選手達はそんな事で怯んではいなかった。19分には小野からボールを受けた小澤が右から打ち込みボールがサークルの左に出たところを坂本が拾ってドリブルで粘る。そこにフォローに穴井が入りパスを受けるが穴井は上手にドイツ選手のキックを誘いPCを得る。予選リーグのドイツ戦では1つもPCを取れなかったが大事な決勝戦で技ありのプレーが出た。このPCのチャンスに山堀が放ったドラッグフリックはGK Bubolz のファインセーブに阻まれる。昨日のマレーシア戦からPCからの山堀のシュートはGKのファインセーブに阻まれっぱなしだ。その後ドイツはスクープからカウンター攻撃に転じ最後は Tobias Hauke からパスを受けた Korn がシュートを放つがバーの上を越えてくれた。その後も波状攻撃を受けるがGK三好が最後は足でクリアーしピンチを凌ぐ。22分には穴井がゴール右上にシュートを放つがまたも Bubolz がセーブ。その際に伊藤亮が Bubolz と交錯して倒れる。35分今度は片山がドリブルで持ち込みサークル内に侵入。そこから坂本がシュートを放つがおしくもゴールの右に外れる。この時点のシュート数はドイツ4に対して日本が6。これは日本の優勢かと思った32分、Zeller Christopher がドリブルで持ち込みサークル内に侵入したところを穴井が倒してPCを献上する。ここは穴井が行かなかったら Zeller にシュートを許していただろう。だがこのピンチは Zeller のシュートを坂本が跳ね返して凌ぐ。そして日本は攻勢に出る。右サイドを坂本が突破しサークル内に打ち込んだ所を片山が合わせに行くがここは防がれる。終了直後にはFHから片山が撃つがコーナーへ。坪内のFHからまたも片山がサークル内で粘るがここもクリアーされ、前半を 0-1 で終えた。シュート数ではドイツの5に対し日本は7で数では上回った。後はそのシュートをゴールに入れるだけなのだが…….. 

 

ドイツのセンターパスで後半が始まる。次に先に1点を取らないと….. と思った開始4分、PCを与えてしまい、Zeller に決められ追加点を奪われる。この追加点は痛いと思った。さらに47分にもPCを献上。今度もZeller が一旦他の選手にパスを出して坂本の動きを外して壁パスの様に戻って来たところを撃たれて3点目を喫する。残り時間は20分以上あるとはいえ、この時点で北京への路は閉ざされたのかも知れなかった。あぁ前半の最初のチャンスが入っていれば.......
日本は前半に比べると明らかに運動量が落ちた。それに気が付いたのかドイツはロングパスを多用しだし日本をさらに揺さぶる。前半は日本に攻めさせてスタミナ切れを狙ったのか……. そんな中気を吐いたのがGK三好。66分には Witthaus のシュートをファインセーブで防ぐ。しかし時間は過ぎる。日本はシュートサークル内に入れ無い。よしんば侵入してもドイツはゴール前に多くを配置しシュートを撃たせない。 それでも日本はドイツがカウンターに転ずれば必死に戻る。 
残り時間が10分を切ったあたりから私は涙が止まらなくなってきた。 ここにいる選手達だけではない、北京五輪出場を目指して来た関係者達、かれらの心中を察すると涙が止まらない。ホッケーだけじゃなく一度でもスポーツに取り組んだことのある人ならわかるはずだ。“マイナースポーツ”と言われてどんなに悔しい思いをしただろう。 アジア大会で中国がパキスタンに勝ってしまった時、欧州選手権でドイツがまさかの4位に終わった時、なんと不運が降りかかるのだろう…. と思った事だろう……. 68分にPCのピンチから今度は Draghun Sebastine に決められ予選リーグを同じ 0-4 のスコアーとなってしまった。
しかしまだ試合は終わっていない。最後に一矢報いてほしいと思った。1点を取って欲しかった。ホッケーをしている少年達に、これから目指すであろう子供達に意地の1発を….. と思った。そして終了直前にPCを得る。大歓声が起こる。
さぁ見せてやれ、 世界1位に日本の力を見せてやれ…………..

残念ながらこの決勝戦もドイツから得点を挙げる事が出来なかった。 ドイツの選手達は憎らしいほど勝って当たり前と言った表情。後半のシュート数は日本の2に対してドイツが9.最後に本領を少し発揮したと言ったところか…… 

 

大会期間中はグリーンスタジアムも多くの観客が詰めかけたらしい。特にマレーシア戦、決勝のドイツ戦はほぼ満員だったそうだ。遠くからここに駆けつけたホッケーファンも少なく無かったらしい。私もそこに居たかった………

夜のNHKスポーツ番組で山堀主将が “期待にこたえられなくて申し訳ありません。”と涙ながらに記者会見で語っていた様子が伝えられる。 貴方はちっとも詫びる必要はない。選手、関係者達には敬意を表する。五輪出場はならなかったが多くの人がこの大会を通じて日本選手の事、世界でもトップクラスのドイツの選手を知る事が出来た。私もその一人だ。 

ホッケーの試合のテレビ中継なんて五輪予選くらいしか無いのかもしれないがこの大会を中継したNHKにも敬意を表したい。そして民放は相変わらずくだらない春の特別番組ばかり垂れ流している……… あぁ日本が真のスポーツ大国になる日はいつなのだろうか…….. 

 


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2 コメント

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伸びゆく者の喜びを (中東の太鼓)
2008-04-20 01:27:25
こんばんはコンティさん
女子ハンドに続いて男子ホッケーも敗れて日本の団体球技の予選は残すはあと男女バレーと男子ハンドと女子バスケです。
私の予想では国内で予選が開催される女子バレーは参加国や出場枠を考慮しても出場権獲得は堅いと思いますが他の3つは客観的に見て厳しいと思います。
スペイン開催の女子バスケは組み合わせは悪くはないが、如何せん協会の無能な幹部達の内紛の影響のため代表チームに対する後方支援が全く期待できないのが余りにも不幸です。
(一番恐れているのは予選に派遣すら出来ない事です)
日本の団体球技のアトランタ五輪以降の傾向は男子はプロ化しているサッカーと野球以外は出場が遠のいてます。
女子はIOCの男女同数での参加選手数の実現という方針もあり出場枠が増加された事によってバレー以外にも出場の可能性が広がりました。
ただ女子ホッケー代表の「さくらJAPAN」は近年の躍進を見ても分かる通り決して”水増し”の恩恵を受けたのではなく自らの実力で現在の地位を築き上げました。
アテネ五輪に初出場を果たし”清貧”ぶりもあって国内で注目を浴びましたが私は今から18年前に幸運にもこの競技での可能性を感じる試合を見ました。
(以下、記憶違いがあったらどうかご了承下さい)

1990年11月奈良・天理市で開催された第1回アジア女子クラブ選手権決勝戦
(現在はこの大会はどうなったのか不明ですが・・・)
当時国内無敵の天理大学がソウル五輪で銀メダルを獲得し北京アジア大会でも連覇を果たした韓国代表選手を多数擁する韓国王者の木浦市庁と対戦。
得点経過は忘れてしまいましたが、試合は強靭なフィジカルを前面に出した木浦市庁が試合開始から優勢に運ぶも徐々に組織力を活かしたパスワークで天理大学が試合を支配。
そして天理大学が遂にゴールを陥れ先制。
その後木浦市庁が猛然と天理大学のゴールを襲撃し何度も決定機を作るがGKの好守や体を張った守りでゴールを許さずそのまま1-0で試合終了。
見事天理大学が下馬評の不利を覆し地元で初代アジア女王を戴冠しました。
当時高校生だった私はNHK教育テレビでこの試合を見ました。
多分何気なくチャンネルを回して偶然見てたんだと思いますが、生まれて初めてホッケーの試合を見た私はこの死闘に感動し、またこの競技の面白さに引き込まれました。
ホッケーは体格と身体能力は重要だがスティックを肩より上に上げるのは反則になるので高さは関係ないから機動力を活かせば日本人の体格や身体能力でも十分に世界でも戦えると思いました。
そしてこの天理大学が主体だった当時の日本代表に初の五輪出場の可能性を感じました。
尚、当時の日本代表監督は天理大学を国内最強に育て上げた名伯楽・恩田昌史(現日本代表監督)です。
バルセロナ五輪の世界予選は翌年の1991年10月に開催されました。
この予選での出場枠は5
詳しい予選の経過は忘れてしまいましたがはっきり覚えているのは日本は予選最後の大一番でバルセロナ行きの最後の切符を賭けて韓国と戦い0-3で完敗し出場を逃しました。
もちろんこの予選はテレビ放送をされてなかったのでこの予選期間中は私は新聞のベタ記事を隅々まで追いかけました。
5位決定戦の韓国戦の翌日は恐る恐る新聞の運動欄を開いて記事を探しましたが「日本、バルセロナ行きを逃す」の小さい見出しを目にした時は期待が大きかっただけにすごく落胆したのを昨日のように覚えてます。

それから時は流れて13年後の2004年の3月
ニュージーランドで開催されたアテネ五輪世界最終予選(この予選も出場枠は5)
日本は予選リーグで2連勝し次の試合に勝てば準決勝進出(=五輪出場)が決定しましたがスペインに敗れて足踏み。
そして予選リーグ最後の試合
やはり相手は因縁の相手韓国でした。
しかし日本は韓国を立ち上がりから圧倒し4-0で完勝。
13年越しのリベンジを果たしたと同時に遂に念願の五輪初出場のニュースをネットで知った時、私は過去の苦い思い出や選手達の苦労が走馬灯のように思い出され仕事中なのに涙ぐんでしまい同僚に不思議がられました。
この世界最終予選はその後準決勝で強豪ドイツ(アテネ五輪では優勝)に3-0で完勝し決勝でもスペインを1-0で下して優勝という最高の結末を迎えました。
アテネの本番は8位入賞しましたが私は本来の実力を発揮できなかった印象がありました。
最大の原因は経験不足です。
特に初戦の中国戦は過緊張で浮き足立ってしまい0-3で大敗したのが全てを物語っています。
しかしこれを埋めるべくこの4年間日本は着々と強化に邁進しました。
2005年10月にマカオでの東アジア大会優勝
2006年9月にW杯で史上最高の5位に入賞すると同時に世界上位6ヶ国が参加するチャンピオンズトロフィーの出場権を初めて獲得
同年12月にはドーハアジア大会に準優勝し2大会連続の五輪出場権獲得
2007年1月にはアルゼンチンで開催されたチャンピオンズトロフィーでは世界の強豪には敗れるもののスペインを破り5位に入り翌年の出場権を確保
同年9月の香港でのアジア杯で優勝し史上初のアジア王座獲得
また国内での親善試合ながらもアテネ五輪優勝国のドイツに2勝3分と無敗で大健闘してます。
そして現在の世界ランキングは6位です。
女子ホッケーは常に資金難に付き纏われドーハアジア大会直前にもハンバーガーチェーン店の最大手の某会社(もうおわかりですよね)が米本社の都合でスポンサー契約を解除されたため危機に陥りましたがアジア大会で無事に五輪出場権を獲得したので新規に大企業2社からスポンサーを獲得して資金難の危機を自力で回避させました。
そしてソフトボールに次いで日本では2番目に早く出場権を獲得したので五輪本番への強化の為に1年8ヶ月もたっぷり時間を与えられたのは日本にとっては大きなアドバンテージです。
また早期の五輪出場権獲得が選手達にも余裕を生み日本のエース千葉香織らが欧州のクラブに移籍して厳しい環境でもまれて個人としてもレベルアップされてます。
現在は韓国と中国に親善試合に負け続けてやや不安視されてますが決して周囲の雑音に惑わされる必要はありません。
5月にはドイツでチャンピオンズトロフィーもあり現在の世界の3強ともいえるオランダ、豪州、アルゼンチンとも戦います。
セカンドグループのトップである日本はこの3強にはまだ劣りますがこの貴重な強化試合を五輪本番の強化の為に有効に活かし何としてもこの3強に食らい付いてもらいたいです。

是非とも8月の北京では季節外れの桜吹雪が見たいです。
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女子ホッケー (Mr.コンティ)
2008-04-28 04:33:49
中東の太鼓様

アジアクラブ選手権の事は知りませんでした。勉強になります。
80年代の始めに確か女子のアジア選手権が京都の西京極で開催されたのが記憶の片隅にあります。私が大学時代で,京都の大学に通学していた私が偶然西京極駅でこのポスタオーを目にしました。今から考えれば観に言っとけばよかったなぁと後悔しています。あの時は貧乏学生でアルバイトと陸上競技の練習との”両立”に忙しかったので.......

2004年ニュージーランドで開催された五輪予選。実は私はその時商用で丁度ニュージーランドを回っていました。ホッケーの予選がちょうど当地で行われる事も解っていました。 既に出場を決めていたソフトボールの五輪代表も遠征していてニュージーランド代表と試合をしていたました。(ただし仕事の都合で観にいけませんでしたが。) 
そしてオークランド入りする前日に韓国に勝って五輪出場決定のニュースを耳にしました。
その後日オークランドから次の訪問地シドニーに移る機中でロシア代表チームと一緒になりそのコーチから ”日本がスペインに 1-0 で勝った。”と教えてもらい、準決勝、決勝を観戦しなかったことを後悔しました。
五輪決定のニュースで”もうええわ、仕事に集中しよう。”と思った自分が腹立たしかった......
このロシア人コーチは機中でふるまわれるタダ酒を大量に飲んでました。私はしばらくつかまって大変だったけど、かわいらしいロシア代表の選手の何人かとも話しました。彼女の方が英語上手かったなぁ.....

アテネ五輪は8位でしたが、北京はもう少し上を行って欲しいですね。そうそうオーストラリアに”留学”していた小野真由美の記事を在留邦人向けのフリーペーパーで読みました。 
そしてこちらで女子の最終五輪予選の中継も見ました。インドがフランスを 7-0で破っていました。
ホッケーは素人ですが、これを機に私も少しずつ観ていきたいと思います。
それからご指摘の通り女子バスケの予選、少し心配ですね...... 五輪出場の有力種目なのに......
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