Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

届かなかった北京五輪….. しかし強化は続けてくれ

2008-04-14 | Weblog


残り時間35秒。右サイドから塚田の放ったシュートはドイツの選手の足に当たりPCを得る。日本は最後のチャンスと言うよりも最後のプレーだ。北京五輪への可能性は全くない。センターサークルに戻ったドイツの選手達はもう五輪出場権獲得を喜んでいる。それはゴール前でスタンバイしている選手も同じだ。私の目からは涙が溢れている。

“決めてやれ。ここで一泡吹かせてやれ。あのGKから1点取ってやれ。そしてホッケーを目指す子供達に見せてやってくれ………”

もう時計は残り時間0秒だ。坂本がボールをセットする。そして撃つ。小澤がボールを止める。主将の山堀が渾身の力をこめて放ったシュートはゴールの僅か右に外れる。 40年振りの五輪出場を賭けた日本男子ホッケーの挑戦はここで幕を閉じた……….

フィールドホッケーは欧州では大変人気があり商用で出かけた時に現地にスポーツチャンネルでよくワールドカップや世界選手権が中継されそれをテレビ観戦をするのも楽しみに一つだ。ホッケーはマレーシアでも盛んで地元紙に紙面を大きく割いて国内リーグや国際試合の報道が掲載されているのをよく見る。ホッケーをやっていた人や長年応援して来た人には失礼であるが残念ながら日本ではホッケーはどちらかと言うとマイナーな部類だ。最近では女子の代表がアテネ五輪に出場を決め、タレントがスポンサーになったりして話題になり2006年12月のアジア大会で2大会連続五輪出場を決めた。 しかし男子は1968年メキシコ五輪以来出場出来ていない。1972年のミュンヘン五輪は参加資格がありながらエントリー忘れで出場出来なかったとある人から聞いた事があるけど……

ホッケーもサッカーを除く他の殆どの競技同様オリンピックが最もその存在価値を示す種目と思われる。
五輪種目に採用されたのは1908年のロンドン大会からと歴史も古い。ただその時は England, Ireland, Scotland, Wales と英国4協会が参加する形。1928年アテネ五輪でインドが金メダルを勝ち取りインドの時代が始まる。1885年にインドで最初のホッケークラブがコルコタで結成され1926年ニュージーランドと最初の国際試合が行われた。そのアテネ五輪の英雄 Dhyan Chand はインドと言うよりも世界でも伝説の選手で(ペレみたいなものかな?)後のインドの名手 Balbir Singh は“現代の Dhyan Chard “ と呼ばれパキスタンの名選手 Habib-ur-Rehman は”パキスタンのDhyan Chard “ と呼ばれたらしい。だが戦前は大英帝国の植民地でユニオンジャックの下でのプレーを余儀なくされた。以降インドはメルボルン五輪まで大会6連覇を果たす。特に1948年のロンドン大会は独立を勝ち取ったばかりでなく宗主国の地で地元英国を決勝で 4-0 で破り金メダルを勝ち取ると言う快挙に国民は狂喜したらしい。そのインドの連覇を止めたのがパキスタン。メルボルン五輪では決勝でインドに 0-1 で敗れるもその時のメンバー6人を擁して臨んだローマ五輪の決勝戦ではインドを 1-0 で破り雪辱。そしてその次の東京五輪では今度がインドが決勝でパキスタンを 1-0 で破り再リベンジを果たす。そして日本が最後に出場したメキシコ五輪では準決勝でインドはオーストラリアに 1-2 で敗れて決勝に進めなかったが予選リーグでもニュージーランドに 1-2 で敗れ、五輪史上初めてインドが2失点を喫した試合であった。尚このグループリーグで日本はインドと対決。 0-0 の55分インドにペナルティーストロークが与えられた事に腹を立てた日本選手達がフィールドを後にしてしまった。メキシコ五輪の決勝戦はパキスタンがオーストラリアを 2-1 で降し2大会ぶりの金メダルに。しかしインド、パキスタンで独占し続けた金メダルは続くミュンヘン五輪で途絶える。地元西ドイツが決勝戦でパキスタンを激戦の末 1-0 で破り1920年アントワープ大会以来52年振りに欧州に五輪タイトルを持ち帰った。そして世界のホッケー界は激変する。ミュンヘン五輪以降公式戦は人工芝で行う事が義務付けられスピード主体の欧州勢が台頭する事に。この影響か1976年のモントリオール五輪ではニュージーランド、オーストラリアのオセアニア勢が1,2位を占めパキスタンが何とか銅メダルを勝ち取った。大学の時にインド人の留学生がこの件に触れていた。
“あの決定は欧州人の陰謀だ。インドやパキスタンのテクニックに対抗する為にボールの良く走る人工芝を義務付けた。大体あれだけインド中にあるホッケー場をどうやって全部人工芝に張り替えるんだ……”
1980年のモスクワ五輪でインドが16年振りの金メダルを勝ち取るがこれは有力国の多くがソ連軍のアフガニスタン侵攻に反対して大会をボイコットした為でエントリーした国も6カ国しかなかった。続くロス五輪では共産陣営がボイコットした中パキスタンが決勝戦でドイツを 2-1 で破りミュンヘン五輪決勝戦のリベンジを果たし16年振りの金メダル。パキスタンの役員が“欧州の女性はパキスタンの男性よりも早く走る。だから我々はホッケーで勝たねばならない。”と言ったのが印象的だった。
ここでもインドは5位に沈む。2年前のニューデリーでのアジア大会決勝戦では地元開催にも関わらずインドはパキスタンに 0-7 で大敗した。この時既にインドの凋落は始まっていた。
1988年ソウル五輪英国が決勝戦でドイツを 3-1 で降して68年振りの金メダルを勝ち取りオランダが銅メダル。1908年大会以来初めて欧州勢がメダルを独占した。1992年バルセロナ大会ではそれまで2大会連続銀メダルのドイツが決勝でオーストラリアを 2-1で降しミュンヘン五輪以来の金メダルを勝ち取る。パキスタンがオランダに4-3で競り勝ち銅メダルを勝ち取ったが、これがパキスタンが最後に取ったメダル。そして世界のトップは欧州、オセアニア勢にとって代わられている。アジアでも勢力図に大きな変化がある。これまでインド、パキスタンの2強時代が長く続いたが1986年ソウルでのアジア大会決勝で韓国がパキスタンを破って以来徐々に力をつけた韓国が今やアジア No.1 の実力を誇るらしい。2000年のシドニー五輪では決勝に進出。オランダとの激戦は Penalty Shootout にまでもつれ込み惜しくも敗れ銀メダルに終わったがこの結果を聞いた時。

“一体日本は韓国に勝てる球技は何があるのだろうか…….” と呆然としたのを覚えている。

この五輪最終予選、欧州選手権の3位決定戦でドイツが格下のベルギーに敗れ最終予選に回って来たのだが関係者はその結果に愕然としたらしい。ドイツは世界ランク1位。何でここに回ってくるのよ…….私でさえそう思った。ドイツのこの予選の戦いぶりを見ても他国との実力差は明らか。欧州勢を1つでも五輪に出したいからわざとこの予選会に回って来たんとちゃうか……とさえ思えた。
リーグ戦でも日本はドイツに 0-4 で敗れている。 しかしドイツとて同じスティックを持った同じ人間。試合が始まる前から諦める理由は何もない……そう思いながらテレビの前で試合開始を待った………………. 続く