Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

無念の惜敗 でもこれから……..

2008-02-01 | バスケ ハンド

23分26秒韓国、金泰勲監督がたまらずタイムをとる。門山がこの日初得点を決め、これで4連続得点。6点あった点差が2点差に縮まり 21-23 となった。日本の酒巻監督は拍手で選手達を迎える。残り時間から考えても逆転のチャンスはまだまだあった。連続得点後のタイムアウトに流れを切られる気がしたが、ここは切り替えて新たに得点を積んでいこうと勝手に私はテレビに向かって呟いた。
タイムアウトが終わり,試合が再開される。日韓のサポーターの応援がすごい。そこに身を置けなかった事を非常に残念に思う。23分56秒に白元のシュートが決まり
3点差に。しかし直後にベテラン山口のシュートに対してのファールで 7m Throw が与えられ、末松が決めてまた2点差。24分55秒、日本ゴール前で日本DFが反則を取られ韓国ボールに。この判定に酒巻監督は少し不満顔。そこから鄭秀泳を経由して尹京信から左サイドの回った白元に渡り撃たれたシュートが決まり再び3点差。
時間は25分1秒、残り時間5分を切った。その直後の25分21秒、すかさず門山が決めて23-25 の2点差に。しかしその後の韓国の攻撃時、朴重奎のシュートを防ごうとしたディフェンスがラインクロスを取られ 7m Throw が韓国に。5年振りに代表に復帰したベテランGK四方に期待がかかったがこれは止められずまたも3点差に。
時計は26分17秒。時間が無くなっていく中早く攻めたい日本は26分46秒、エース宮崎が高い打点からのジャンプシュートを決め 24-26。その後の韓国の攻撃に対し日本はしつこいマークで尹京信にシュートを撃たせず攻撃に転ずる。ここで決まれば
1点差。しかしポストプレーに入ろうとした山口にボールが入らず、速攻に転じられ、鄭秀泳からボールを受けた白元に決められ 24-27に。白元はタイムアウトから再開後これで3得点目。この得点でほぼ試合が決まったかもしれない。28分15秒、宮崎が今度は右から撃つがGK姜一求に止められる。そして韓国ベンチでは勝利を確信したか金泰勲監督がガッツポーズを見せる。それでも満員の観客からのボルテージは上がる一方だ。29分05秒、白元が豊田を外して左サイドからこの試合9得点目を決め24-28。タイムアウト前に2点差まで詰めた点差は4点差に。29分36秒、古家が意地のシュートを決めて25-28 。しかしリスタートから韓国はゆっくりとボールを回し始める。韓国からのサポーター達はもう喜び始めている。主審がシュートを撃つ意思無しと判断し、日本ボールに。すぐに前に送るが届かずボールはそのままゴールラインを割ってしまう。そして時計の針が….30分00秒を指した…………

2008年の七草明けはハンドボールから始まったと言えるかもしれない。ワイドショーでも取り上げられるようになった中東の笛を因とした五輪再予選。個人的にはやっとハンドボールの五輪予選が関東地区で開催されると言う嬉しさもあった。残念ながらチケットは女子の試合しか入手出来なかったが、それでも試合はテレビで生中継されラジオででも。 この日は勿論仕事なんかすっ飛ばして自宅でテレビ観戦に専念した。しかしテレビの前に到着したのは午後7時18分。スローオフ寸前だった。満員の代々木体育館。観客数は 10,257 人。そこに居られなかったことを残念に思う。当日券も無理すれば買えたかな…..と思った。
日本のスタメンはエース宮崎大輔、怪我から復帰の190cm の富田恭介、主将の中川善雄、190cm の門山、そして富田賢治に GK は34歳ベテランの坪根敏宏。一方の韓国は尹京信の弟、尹京敏、金泰完、190cm の朴重奎は9月の五輪予選の日本戦では9得点、 大ベテラン37歳の趙致考、そして大同特殊鋼でプレーする李才佑と白元。注目の尹京信はベンチスタートだ。
大歓声の中、韓国のスローオフで始まった大一番。先制点をと思うも39秒、白元のシュートが決まり韓国が先制する。早く同点に、と思うが門山のシュートを韓国GK姜一求がストップ。すると日本GK坪根も鄭秀泳、李才佑のシュートを連続して止める。両GK 共に当たりの良い立ち上がり。でも少し時間が掛かりすぎるなぁと思った4分7秒、長身の富田が正面から決めて同点に。5分21秒には中川が金泰完をかわして正面やや右から決めて逆転。もう1点決めて2点差にして主導権をと思う。逆転された韓国はオフェンスファールを取られ日本ボールに。そこから繋いで門山が撃つがクロスバーを叩く。このシュートが決まっていれば試合展開はもう少し日本が優位な展開に変わったかもしれない。
韓国は6分30秒に李才佑、7分00秒に尹京敏の連続得点で 3-2 と逆転するが、3失点目は門山から宮崎へのパスがカットされてそのままシュートに持ち込まれたもの。やはりミスは避けたかった。そしてこの時間帯からお互いのGKがファインセーブを連発する。中川の倒れ込みシュートを姜一求が止めれば坪根が鄭秀泳のシュートをストップ。すると姜は末松の正面からの一撃を顔面で止め、バルセロナ五輪ベスト7メンバー趙致考のシュートを坪根がブロック。このGKのファインプレー合戦を止めたのは左に流れてシュートを放った宮崎。10分17秒、3-3 の同点に追いついた。

          

ようやく決めたエースの宮崎、この後、鄭秀泳に何か激しく怒鳴っている。宮崎がシュートを放った時後ろから手を出したのだ。このプレーで鄭秀泳は2分間の退場。これは逆転のチャンスと思うが10分40秒右から李才佑に決められ韓国がリードを奪い返す。するとここで韓国ベンチは尹京信を投入するが中川のシュートが止められ、韓国のオフェンスとなるがすぐにベンチに引っ込む。おそらく1人少ない時間帯に尹京信の体格を守備で生かしたかったか?日本は相手が一人少ないチャンスを生かせず12分18秒にはリードされたまま191cmの武田が退場になり今度は日本が一人少ない戦況に。12分44秒に李才佑に決められ 3-5 。この試合初めて2点差とされる。李才佑は前半、大いに日本を苦しめ、この時点で総得点5点中3点を決めた。日本はここから巻き返し13分19秒宮崎から末松にボールが通りそのまま末松のシュートが決まり1点差。ここで再び尹京信が投入され今度は世界レベルの攻撃力を生かそうとするも門山のしつこいマークでシュートを撃たせない。そして白元のシュートを止めると、シュート体勢に入った門山が尹京信、鄭秀泳に挟まれるようにして倒されエリア内ファールを貰い末松の 7m Throw で同点に追い付く。しかしこの後末松が退場になり日本が一人少ないピンチに。6-7 とされ、18分50秒、富田のキャッチミスを拾われ速攻に移った白元に決められ 6-8 に 19分7秒末松から受けた富田がポストからシュートを決めて1点差に戻すも、ここから鄭秀泳、7m Throw を白元に決められ連続失点で 7-10 と3点差に。23分25秒には日本も 7m Throw を貰う。ここで韓国ベンチはGKをアジア大会にも出場したスイス、オマールでプレーする韓景泰に替えるが末松が決めて8-10。韓はすぐにベンチに下がり以降姜一求がゴールを守り通す事に。 23分56秒に尹京信がほぼ正面から決める。このシュートの速い事速い事。しかし尹のシュートが脅威を示したのはこの1本のみ。この試合は結局2得点に終わった。尹京信は抑えたのだが….. 日本も豊田が決め食い下がるが連続得点が生まれない。一方の韓国は朴贊龍、李駄栄の連続得点で 9-13 と4点差をつけられここで酒巻監督はタイムアウトを取る。時計は25分24秒だ。
20分過ぎから韓国が守備体型を 6-0 に替えそれから日本は攻撃のリズムが悪くなる。韓国は強引に日本のDF陣の中に入って来る。24分40秒の朴贊龍の得点はその前に李才佑の強引なドリブルに日本DF3人が寄ってしまい朴贊龍がフリーになってしまった為。また宮崎もマークがきつくシュートに持ち込めない。守備ではGK坪根が相手GK姜一求同様ファインセーブを連発するが、攻撃への切り替えが遅く韓国に余裕で戻られてしまっている。
タイムアウト後、豊田、尹京信がそれぞれ決め、29分20秒に宮崎がこの日の2点目を決め 11-14 とする。そして前半終了間際の韓国のシュートを坪根が止めてそのまま前半を終えた。点差は3点つけられたが、前半終了間際に得点を挙げ最後に失点を防ぎ後半、期待できる終わり方でもあった。しかし出来ればリードしたまま前半を乗り切って欲しかった。
尹京信、趙致考と言った Bundesliga でプレーする二人は抑えた。だが尹京信はコンディションがいま一つなのか出場時間は短かった。問題は李才佑に4点、白元に3点と日本でプレーする選手を抑えられなかった事。彼らの方が相手の特徴をよく知っていたか?日本は末松が前半を終わって5得点と気を吐いたが宮崎はマークが厳しかったせいか2得点に終わった。前半のシュート数は韓国が24, 日本が18。そして退場者数が日本2に対して韓国1。その差が得点差に表れた。そして日韓両GKのファインプレーが目立った。 後半日本はどうやって3点差を埋めていくのだろう…..

    

日本の Throw Off で始まった後半、26秒、宮崎のシュートはGK姜一求がストップ。前半同様、後半も最初のシュートが止められる。そして白元が61秒に決めて 11-15 と4点差。これまた前半と同じ後半最初の得点が白元だった。しかしその直後に宮崎が巨漢、尹京信の横を破ってのシュート、富田は門山からのボールを受けてのシュートをそれぞれ連続で決めて 13-15と2点差に詰め寄る。だがここから韓国は3連続得点で 13-18 と引き離す。日本もこの約2分半の間、門山がサイドハンドシュート、宮崎が左サイドからシュートを撃つがGK 姜一求に止められじりじりと点差が開いていく。古家の退場も痛かった。6分36秒にようやく富田が連続失点を止めるシュートを決める。7分00秒鄭秀泳が富田へのチャージで退場になる。そして7分47秒宮崎のパスを受けた古家が決めて 15-18 と3点差に。まだあと1分以上日本は1人多いままプレーできる。この間に点差を詰められればと思うが韓国は遅攻で上手に時間を稼ぎ、8分4秒に22歳の鄭義京にワンバウンドするシュートを撃たれてまた4点差に。ここで日本ベンチは後半当りが止まってきたGK坪根に替わって四方を投入する。 8分36秒に朴贊龍が下川へのチャージで退場となる。今度こそこのチャンスを生かして欲しいと思う。9分6秒古家のシュートはポストを叩いたがそのこぼれ球を拾った山口が決めて 16-19 とする。その後の韓国の攻撃も白元のシュートをGK四方が止めたり、山口がDFで踏ん張るなど失点を許さない。山口は 1997年熊本で開催された世界選手権のメンバー。その時のメンバーでは岩本昌典と共とこの大一番のベンチ入りを果たした。この一人少ないチャンスも点差は飛躍的には縮まらず11分24秒白元に決められ 16-20 の4点差に。この白元のシュートは一度フェイントのジャンプを入れてから放った技ありのシュート。尹京信、趙致考の次に警戒せねばならない選手に要所で決められ得点差が縮められない。


11分50秒に中川が決めて 17-20 とするが、ここから韓国は3連続得点で日本を突き放す。12分22秒には鄭義京から鄭秀泳に繋いだスカイプレーで、12分54秒には鄭秀泳が連続ゴールを決め、15分34秒には李駄栄が決めてあっという間に6点差がついてしまい、酒巻監督はたまらずタイムアウトを取った。この間約3分間、日本も応戦はするがそれに立ちはだかったのがGK姜一求。中川、末松そして宮崎のシュートをことごとくスーパーセーブで防ぐ。

              
   
その後の宮崎のシュートがポストに当たるなど運も無かった。また山口のポストプレーも相手DFに読まれているみたいだった。 この連続失点の間でもベテランGK四方が尹京信の 7m Throw をストップするなど大観衆を沸かせたが流れを引き寄せることが出来ない。 6点差になった時点で 残り時間15分弱。北京への路がだんだん遠のいていく。後半から韓国はずっと 6-0 の守備体系を敷いている。そのせいか、後半はこの時間まで日本は6得点しか挙げられない。GKが好守を連発しているだけにもっと攻撃にリズムが出てもいいのだが速攻が見られない。残り時間と得点差を考えれば攻撃に時間は掛けたくない。満員の観衆の為にも今後のハンドボールの興隆の為にも最後の大切な15分弱となった。

タイムアウトの間、酒巻監督はどんなアドバイスを与えたのか、試合再開後の日本の動きが良くなった様な気がした。16分29秒にはエース宮崎が決めて5点差に。会場からは“ダイスケコール”が起こる。韓国が攻撃に転ずるが鄭秀泳のシュートをGK四方が顔面の右側面に当てて止める。少し痛んだか時計が止まるがここは四方の“技あり”の間の取り方かもしれなかった。会場からはサッカーの試合でよく歌われる “ Oh Vamos ニッポン “の応援歌が合唱される。後で聞いたがサッカー関係者から青色の応援グッズが差し入れされたとの事。 
18分を過ぎると韓国は攻撃に時間を掛ける様になる。18分41秒に世界選手権熊本大会メンバーだった198cmの岩本が撃つがGK姜一求が止める。しかし19分4秒に古家が決めて3点差。これはメンバーチェンジでコートに入ろうとした豊田がインターセプトを狙ってコートインしそこから生まれたチャンス。 
19分26秒下川が相手DFラインに割って入って撃ったシュートが決まって3点差。この試合初めての3連続得点に観衆から大歓声が沸きあがる。ここで韓国ベンチは試合を落ち着かせようとする意図かベテラン趙致考を投入。豊田のシュートが止められた後の22分49秒、門山が決めて 21-23。これで4連続得点。後半2分30秒に富田が決めて 13-15 として以来の2点差となった。それまで9mラインの外側を左右に回すパスばかりが目立ったが6点差を付けられて開き直ったように相手DFラインに向かっていく縦パスが顕著になり連続得点に結びついたか….
その後の韓国の攻撃をうまく止めたところ23分26秒韓国、金泰勲監督がタイムアウトを取った。大歓声に送られ日本の選手もベンチに戻っていく。頼むぞ、逆転できるぞ。いけるぞ。北京だぞ….テレビに向かってそう呟いた…

この試合での五輪権は獲得出来なかった。韓国選手団、そしてサポーター達の喜びが爆発する。これで対韓国戦は18年勝ち星なしの2引分を挟んで16連敗。 男女揃って韓国の軍門に降ったがこれが実力通りの結果だろう。男子は期待したが。 敗因は何だったのだろう? 
ここぞと言う時にGK姜一求に止められ、さぁこれからと言うときに白元に決められた印象が拭えない。

            

尹京信は2得点に終わったが、コンディションがあまり良くなかった様だ。と言うよりもこの試合, 彼は注意を引き付ける役目を担っていたか….1985年、東京での日韓戦の崔淳鍋の様に…….
日本はもっと速攻が出なかったか?そして韓国が時折見せたスカイプレーも見せて欲しかった。白元の他にも 5得点の鄭秀泳、4得点の李駄栄、李才佑。彼らを見ていると70年代から80年代日本を苦しめた韓国サッカー界を思い出す。エース格の車範根、崔淳鍋 (尹京信、趙致考 )よりも李栄武、許丁茂、李泰昊といった“うるさ型”の選手に痛い思いをさせられた記憶が蘇る。だけど日本も尹京信の様な大砲が欲しいなぁ。かつての“世界の” 蒲生晴明の様に。こういう選手がいてこそ宮崎、末松がさらに生きて来ると思う。ロス五輪で蒲生の現役時代のプレーをテレビででも見られたことは幸せなことなのかもしれない。最近の子供が王、長島、そして釜本を知らない様に。
涙に暮れる日本選手団。そこに観客席から“まだ終わってないよ。”と、声が掛かる。 5月には世界最終予選に一縷の望みを託す。対戦相手はロシア、クロアチアそしてアルジェリア。サッカーなら全勝する自信あるんだけどな。(関係ないか??)
昨年の世界選手権ではクロアチアが5位、ロシアが6位、そして予選ラウンドでは韓国がクロアチアに 23-41 で破れ、ロシアとは32-32で引き分けている。韓国はこの大会16位、日本は2006年のアジア選手権(バンコック)で5位に終わり出場できず。
アルジェリアとて Easy な相手ではないだろう。
アテネ五輪ではクロアチアが金メダル、銅メダルはロシアで韓国は8位だった。ここでも予選リーグで韓国はクロアチア、ロシアと同じ組に入りクロアチアに 26-29, ロシアに 35-32 と言う戦績を残している。最終予選は非常に厳しい戦いとなるが案外ロシアと韓国の試合を分析できれば少しは可能性が上るかも?? しかしもっと大切なことはこれからハンドボールをもっともっとメジャー化することだ。多くの人が忘れているかもしれない、サッカーではアジアの壁を破ってワールドカップ出場を決めたのも、五輪に28年ぶりに出場権を獲得したのもJリーグが発足してからでそれまではまだアジアの中でも位置付けはトップクラスではなかった。
この再予選でハンドの魅力が広く紹介された事だろう。 日本リーグもまだシーズン中だし2月17日からイラン、イスファハンで世界選手権予選を兼ねたアジア選手権が開催される。(でも日本は選手団を派遣できるかな….) 2年毎に開催されるアジア選手権そして世界選手権を追っていけば楽しめると思う。これまではテレビ中継はおろか新聞に結果さえ載らなかった大会だ。アジア選手権が日本で開催される時があればは東京でやって欲しいなぁ……….

30日の試合後私は2003年のFIFA U-20 の決勝トーナメント1回戦、日韓戦の試合のビデオをみた。この日の悔しさを紛らわすために…

       



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4 コメント

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ハンドボールの思い出(男子編) (中東の太鼓)
2008-02-02 03:24:58
Mr.コンティさんお久しぶりです。
私もハンドボールが大好きですので”中東の笛”というネガティブな騒動とはいえ、今回我が国でこんなに注目を浴びるなんて夢のようです。
(ちなみに私のハンドルネームネームである”中東の太鼓”の由来はまさにこれです)
ここからは私の記憶を辿っての話ですので記憶違いがあったらどうかご了承下さい。
今からちょうど20年前の秋まだ中学生の頃、ソウル五輪が開催されました。
昭和天皇のご容態の悪化に伴う自粛ムード同様、日本選手団も惨敗の連続でした。
特にお家芸の柔道(当時は男子のみ正式種目)は完全アウェー状態の雰囲気に呑み込まれ斉藤仁の金1個のみの有様。
水泳も鈴木大地が優勝するまで誰一人も決勝進出者がゼロという体たらく。
球技に至ってはソウルの地に踏んだのは僅か3種目。
男女バレー、そして男子ハンドです。(野茂や古田を擁して隻腕のアボットを擁する米国に敗れて準優勝した野球はまだ公開競技でした)
男子ハンドは正式種目に復活したミュンヘン五輪以降ボイコットしたモスクワ五輪も含んで5大会連続出場権獲得をしてました。
これは日本の夏季五輪全球技の中で女子バレーの東京五輪からアトランタ五輪までの9大会連続出場権獲得に次ぐ偉業です。
(ちなみに冬季五輪では男子アイスホッケーがスコーバレー五輪からレークプラシッド五輪まで6大会連続出場してます)
尚、この頃のサッカーは”日本で一番弱い球技”と揶揄されミュンヘン五輪からバルセロナ五輪まで6大会連続予選敗退してました。
ただし男子ハンドは1度も入賞が無い為、常にバレーの陰に霞んでたのも事実です。
ソウル五輪も同様で私は正直言ってバレーは生中継で良く見てたがハンドはNHKのダイジェスト番組でしか見ませんでした。
だけど最初は何気なく見てたハンドだがとってもスピードと迫力があり、中でもスカイプレーは圧巻でハンドに結構ハマリました。
ただ残念ながら成績は12チーム中ブービーの11位
尚、このダイジェスト番組でアナウンサーが「球技で五輪に出場する事はとても大変な事です」と庇ったが後にその意味を思い知る事になります。
ちなみに開催国の韓国は男子はソ連に屈するも銀メダル、そして女子はノルウェーを下して優勝。
隣国との余りにも落差にすごく悔しかったです。
そして同時に一抹の不安をも感じました。
何故なら次回のバルセロナ五輪では韓国はアジア予選に回るからです。
即ち3年後のアジア予選こそが日韓の未来を大きく左右する極めて重大な決戦である事を意味しました。
そして決戦の日・・・
日付は1991年9月1日の日曜日 場所は広島
当日の早朝は世界陸上東京大会で谷口浩美が大会初の金メダルを獲得し、いやが上でも精神が高揚。
高校生だった私は期待感と同じくらいの緊張感を持ってテレビの前で正座をしてこの日韓戦を心待ちしてました。
そして試合開始
立ち上がり日本が幸先良く先制シュートかと思ったらバーに当たり逆に韓国が先制。
ちなみに最近知ったのですがこのシュートを外した選手が現男子代表監督の酒巻清二です。
以降の試合展開はまさに今回の再試合と同様、常に韓国が優位に進め、中盤に大差がつき終盤に日本が猛攻を仕掛けるも2点差で敗北。
この瞬間男子ハンドは史上初めて五輪出場権を逃しました。
試合終了後、韓国選手団が太極旗を持ってウイニングランをする姿は屈辱以外何者でもなかったです。
私は腸が煮えくり返るような悔しさと日本の将来に底知れぬ不安感を覚えました。
残念ながら後者の方は的中します。
それも最も悪い形で・・・
20年間五輪から遠のき対韓国戦は18年間未勝利。
人気も低迷し日本リーグの観客動員も低迷。
経済不況の煽りを直撃し国内クラブも休廃部が相次ぎ日本リーグも2部制から1部制に変更を余儀なくされる事態。
そして例の”笛”の問題に代表されるようにオイルマネーを背景にした中東勢の台頭(もしくは彼らの横暴)
それに抵抗すらまともに出来ない協会の政治力や財政力・・・
まさに負のスパイラルです。
絶対になって欲しくないけどもしW杯に連続出場しているサッカーが出場権を逃したらきっと男子ハンドが初めて出場権を失ったあの時と同じ気持ちや苦しみを必ず味わうと思います。
ハンドの現状を変える為にも何としても五輪出場を果たして欲しいです。
相当勝ち目は薄いと思うが世界最終予選で日本の健闘を祈るしかないのですね・・・









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ハンドボールの思い出(女子編) (中東の太鼓)
2008-02-02 23:07:07
Mr.コンティさんこんばんは。
またまたお邪魔させて頂きます。
私は女子のハンドも好きです。
中学時代、沖縄出身のサウスポーの比嘉晴美さんはとても人気があり私はファンでした。
もし今ならオグシオ並の人気を博していたかもしれませんね。
ところで昨年8月無効になったアルマトイでの女子予選。
初戦で日本が韓国に勝利を挙げた報道を新聞のベタ記事を知った時、私は飛び跳ねて喜びました。
何故なら対戦成績でも分かるように韓国との実力差や国際的実績が余りにも歴然としているからです。
だからこそすごい奇跡であり大番狂わせだと思いました。
(しかしこの試合が中東の笛で操作されている事を今回の再試合で皮肉にも証明されました)
韓国はロス五輪以降の6大会の内、決勝進出は5回。
地元ソウル五輪とバルセロナ五輪で連覇。
5本の指にも満たない対韓国戦の勝利数。
もうこれは宿敵というレベルではなく日本は韓国の咬ませ犬と呼ばれても過言ではないです。
2004年8月のアジア選手権での勝利は韓国はアテネ五輪直前だった為、実質的なB代表です。
即ち真剣勝負での韓国戦勝利は1975年の世界選手権アジア予選まで遡らなくてはいけません。
そしてこの予選の決勝戦には知られざる逸話があります。
準決勝で韓国を倒した日本は1975年2月28日&3月2日に世界選手権アジア代表の座を賭けてイスラエルとの2試合制で行われる決勝に進出。
実はこの試合こそが我が国のスポーツ史上唯一実施された無観客試合だったのです。
無観客試合は地元の声援を得られず入場料収入も当然発生しない為、通常懲罰的な意味合いがありますがこの試合は全く違います。
理由は言うまでも無く過激派のテロ対策です。
ミュンヘン五輪でのアラブ過激派グループの「黒い九月事件」の記憶がまだ生々しく対戦相手もその時のテロの被害国であるイスラエルだった為、治安当局はテロを相当に警戒してました。
会場も関東近郊の公的な体育施設は全て断られたがなんとか調布市のある企業の体育館を確保。
ただし会場名は非公表でした。
(その為、当日の新聞には調布市”某”体育館と表記されており、運動面の行事の告知欄にはこの試合は掲載されていません)
会場には30数人の制服&私服警官が警備にあたり装甲車も3台配備の厳戒態勢
選手&大勢の報道陣は護送車で送迎
しかも協会関係者からは「市外局番が03から始まらない場所(つまり23区ではない場所)」としか告げられてなかったそうです。
会場内には報道陣の来場は可能でした厳重な身体検査を受け外部との連絡は完全に遮断された状況でした。
選手も「まるで檻の中での試合です」とコメントしてました。
試合は2試合とも日本が2桁の点差をつけて大勝。
しかし莫大な警備費用などの為、僅か2試合のために当時の協会の年間予算の4分の1である1000万円近く出費。
もちろん無観客の為、入場料収入も無く会場を非公表にしている以上テレビ放送も出来ないので放送権収入や広告収入も皆無。
つまり支出がそっくりそのまま赤字になりました。
(皮肉にも今回の再試合も大幅な赤字みたいですね)
私はこの試合の逸話は13年前のニュースステーションの特集で初めて知りましたが「これは本当に日本で起きた出来事なのか!!」と思いすごく驚きました。
ごくありふれた普通の日常生活がいかに尊く素晴らしい事をも思い知りました。
ちなみにイスラエル問題を同じく抱えている競技団体が他にありました。
それはサッカーです。
ただしサッカーはせっかっくモントリオール五輪のアジア予選の開催権を獲得したのにも関わらずやはり警備と財政上の問題を理由に放棄しました。
(ただこの当時の日本は暗黒時代だった為たとえ地元で開催しても多分イスラエルや韓国に屈していたと思うが・・・)
この後世界選手権の切符を手にした日本は12月の本大会では4位以内に入れなかった為、五輪切符獲得は持ち越しするも翌1976年7月本大会直前に行われたアジアとアフリカとパンアメリカンの3代表による最終予選を勝ち抜き本大会でも開催国カナダを下して見事に5位に入賞しました。
また蔵田照美選手が大会得点王にもなりました。
(ちなみに蔵田さんが最初に所属した大洋デパートは1973年11月に103人が死亡する大火災に見舞われましたが蔵田さんは海外遠征中だった為、難を逃れました)
ただこの大会を最後に現在に至るまで日本は五輪出場から32年間遠ざかります。
言うまでも無くそれは韓国の台頭です。
また男子同様残念ながらマイナーの地位に甘んじている為、競技人口も少なく体格や身体能力の高い子供が他の競技に流れて集まりにくい事もあります。
追い討ちをかけるように経済不況の煽りを直撃し男子以上にチームの相次ぐ休廃部。
そしてとどめは中東勢が参加しない女子には今まで無いと思われていた例の”笛”の問題(つまりアジア連盟の女子部門に影響力があるカザフが有利になる事)
3月の世界最終予選は東欧の3ヶ国と戦う為、相当の苦戦が予想されます。
ただ目先のことよりも大切な事があります。
せっかく今回の再試合でメディアの脚光を浴びたのだからそれを有効に活かさないと女子の再建は出来ないと思います。
(もうこれ以上選手の受け皿となるクラブの休廃部はこりごりですから)
また女性のハンド愛好者を増やせばやがて結婚して子供が産まれれば必然的に競技人口の増加に繋がると思います。
今の日本の女子は短期的なことよりも中長期的な視点に立って強化&育成をしてほしいです。









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次はアジア選手権、そして五輪最終予選 (Mr コンティ)
2008-02-02 23:59:12
中東の太鼓様

(いつも以上に)熱のこもったコメント有難うございます。
貴方のハンドルネームの由来は”ハンドボール”からでしたか。
ソウル五輪からNHKのBS放送の中継もありハンドボールも何試合か中継され日本戦や決勝戦を含めて何試合か録画し今でも保存しています。と言っても奇麗に再生できるか不安ですけど。
バルセロナ五輪予選も憶えています。韓国は地元ソウル五輪で銀メダルを勝ち取り力関係が完全に逆転していたのは解っていましたが前年の北京でのアジア大会では敗れたとはいえ1点差だったのでこの五輪予選は期待していたのですが......
この試合の録画テープもまだ残っていると思いますが.....

1997年、熊本で世界選手権が開催されましたが、ロス五輪のあと購入した専門誌にこの世界選手権の事が載っていたので楽しみにしていました。だけどBSのチューナが調子悪かったので良い画像で見れませんでした。録画もしなかったし.....

今回降って沸いた様な”ハンドボールブーム”と”中東の笛”への関心事。
クウェートのアル・サバハAHF会長のアジアハンドボールの私物化は決して許されるものではないですが、アジアハンドボールの歴史を見るとアジア連盟の旗揚げや黎明期にアジア選手権への資金注入をしてきた先代アル・サバハ会長(今の会長の親父)の尽力も見逃せないと思います。 
そしてハンドボールに限らず日本の”外交下手”がここでも....とも思いました。
それに日本のマスコミ達の報道の仕方も.... 少しくらいハンドボールを勉強しろよ・・・・と多くの方々が思った事でしょう。私が Jリーグ旗揚げ時に感じた様に.....
今月にはアジア選手権がありますがどれだけ報道してくれるでしょう.... その前に選手団を派遣出来るかどうかですけど.... 心配なのはIHFから梯子を外され韓国は五輪に出場出来たが日本だけがわりを食って一番不幸な目に会うこと。アラブの連中ならそれくらい平気でやります。韓国も自国に火の粉がかかってくればそうそう日本を擁護はしないでしょう。
5月の最終予選、奇跡が起きる事を信じますがそれまでに肝心の選手達が集中してトレーニングできる様にそれに携わる人に頑張ってほしいですね。

これからもまたハンドボールネタを追いかけていきます。応援よろしくお願いいたします。

返信する
なるほど女子も.... (Mr コンティ)
2008-02-03 00:40:54
中東の太鼓様

”女子ハンドの歴史”いろいろありがとうございました。唯一出場したモントリオール五輪への出場権の話、非常に興味を持ちました。
イスラエルとの試合が開催された調布市にある某企業の体育館とはおそらく JUKI の事ではないでしょうか? JUKI は日本リーグにも参加しており、JUKI 体育館には80年代2回ほど日本リーグの試合を観に行ったことがあります。私が会社勤めを始めた時、JUKIグループと付き合いが広かったので仕事で何度も足を運び(と言っても体育館でなく会社社屋の方ですが)当時の JUKI ハンドボール部の人達とも数人話をしたことがありました。
また当時の役員の人から”モオントリオール五輪ではうちのチームからも何人か行ったんだよ。”とも教えてもらいましたけど選手の名前までは....
そういういきさつがあったとは驚きでした。13年前のニュースステーションを見れなかったのは非常に無念。その時なら転職前だったので JUKI の人達とも話せたのに。でも私、その時は海外に駐在していました....

サッカーに関するイスラエルの事も憶えています。
私の前に書いたブログを参照ください。

http://blog.goo.ne.jp/conty1ban/e/457cbb5e74a68b6882e0e00b6f8f6919

蔵田選手は大洋デパートの所属でしたか。
あの火災も憶えています。熊本城の横にある樹齢100年を越える大木が天守閣の高さより高くなると九州で善からぬ事が起こる、と言う言い伝えがあり西南戦争の時がそうだったとの事、その後木を切って短くしたもののまたも天守閣の高さを越えた時に起こったのが大洋デパートの大火災。小学校の時修学旅行でここに来た時に美人のバスガイドさんに教えてもらいました。 その大洋デパートにハンドボール部があったとは知りませんでした。

モントリオール五輪、アルゼンチンワールドカップ予選と日本はイスラエルと同組でした。五輪予選の時はイスラエル問題とIOCに復帰してきた中国の事情を鑑みた”台湾呼称問題”もあり日本での集中開催返上を知ったときは残念でした。その時私は中学生でした。
ワールドカップ予選ではイスラエルが編入されたので北朝鮮が棄権を申し出てきたのを覚えています。

女子の最終予選は日本が所属する組はルーマニアでの開催でしたね。そこがかつて駐在していた国でした。
3月には飛んでいきたいです。しかしこの試合、テレビ中継してくれますかね.....

1月29日の女子の日韓戦は現地で観戦しましたので、その事もまたアップします。
これからも情報よろしくお願いいたします。
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