Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

Chanvit Phalajivin の憂鬱

2008-02-06 | 夏季五輪

ハンドボールの五輪再予選の熱がまだ醒めないこの頃。
月日が経つのは早いものでサッカーではワールドカップ予選がいよいよ始まる。
2004年 さいたまスタジアム2002 で行われたZICO JAPAN のワールドカップ予選のデビュー戦、中村俊輔のPKは止められ引き分けも必至と思われたロスタイムに久保のゴールでオマーン相手に辛勝を納めてもう4年が経つ…… ワールドカップを追いかける度に年をとっているのか………

昨年11月16日、England の名門 Manchester City はバンコックで記者会見を開きSuree Sukha, Kiatprawut Saiwaew そして Teerasil Dangda のタイ代表3選手と入団契約を締結したと発表した。契約期間は2010年までの3シーズン。この記者会見にはエリクソン監督も来タイし、 “3選手は1カ月以上に及ぶキャンプに参加しクラブの入団テストに合格した。テストの審査基準は他の選手と同じで特別扱いは一切していない。” と説明。 さらに同クラブを8,160 万ポンド(約200億円)で買収し、筆頭株主となり2007年7月に会長に就任したタクシン前首相のビデオメッセージまで披露された。 約10分間のスピーチの中では City に所属する中国代表の孫継海の事にも言及し、“孫継海の活躍が中国での City のクラブ人気を高めている様に、タイの3選手にも同様の活躍を期待する。”と述べた。そして孫継海もこの記者会見に出席した。
           
 









この時期私は商用でバンコックを訪問していたが、街は約1ヶ月後に控えた下院総選挙運動が始まった時であった。そしてこの時期の地元選手の Premiership 入りの記者会見に地元の人々は  “総選挙を見越したデモンストレーションと言うよりもプロパガンダの一つ” と言う人も少なくなかった。それは1998年自ら結成し、今は解散させられた “タイ愛国党”の事実上後継政党と言われている“市民の力党”をバックアップする為の政治的意図と言われているが、 “今回のメッセージ内容は政治では無く、クラブの未来についてだ。 Manchester City を世界トップレベルのクラブにする事に加え、タイだけでなく世界各地でのサポーターの拡大を目指し、資金提供、投資を行っていく。” とコメント。そして Manchester City Club Academy の設立計画にも触れた。そして今シーズン終了後、Manchester City をタイに招き、タイ代表との親善試合を行う計画も明らかにした。エリクソン監督も“私がここへ来たのは契約の記者会見のみの為で、欧州では国際Aマッチデーであり Premiership の試合は無かい。タイの選挙とは関係は無い。”とざわざわコメントを残した
昨シーズン14位に終わった Manchester City 。今シーズンはタクシン会長の提供した 5000万ポンド(約1,114 億円 )に上る初期補強資金を下、チーム力を補強し、この記者会見まで8勝2分3敗で Arsenal, Manchester United に次いで3位につけていた。ただそれ以降は3勝6分3敗と勝点が伸びず現在は7位となっている。ただタイの3選手での Premiership デビューは来シーズン以降となる見通しになる、エリクソン監督もこれから彼らの定位置争いが始まると述べているらしい。この記者会見から数日後に今度はアピラック・バンコック都知事が Premiership の Everton が運営するサッカースクールを設立すると発表。この発表はタクシン会長のビデオスピーチに対抗するものと見られたが、 ”サッカースクール建設計画は以前から検討しており Manchester City の発表より前にアピラック都知事は渡英し関係者とサッカースクール開設に就いて協議していた。” と都庁関係者は述べているが誰がみてもタクシン派の市民の力党に対抗してアピラック知事の在籍する旧最大野党の民主党がサッカーファンを選挙に取り込もうとする意図があるのは一目了然であった。
タイ愛国党は2006年4月の総選挙で弱小政党を買収するなど政党法に違反したとして起訴され2007年5月30日憲法裁判所より解散命令を受けると共に党役員111人が政治活動を含む5年間の公民権停止処分となった。この旧タイ愛国党議員が結集した市民の力党に対し中央選挙管理委員会は顔写真を選挙ポスターに使用する事を認めないとする選挙活動基準を発表したがこれにはライバル政党からも
“憲法で保障されている基本的人権の侵害” と批判する声も上がった。
しかし選挙も蓋をあけると市民の力党が圧勝。下院第一政党となりさらに5政党と連立を組み480議席中316議席を占める事に。 そしてもう一つの関心は“亡命中”のタクシン前首相が帰国するかどうか。 ただ彼が帰国すると即逮捕、その罪状を合わせると最高26年間の服役の可能性もあるらしい………….
        

Thaksin Shinawatra


昨年7月東南アジア4カ国で開催された Asian Cup で、タイはベスト8入りを果たせなかった。イラクに引き分け、オマーンに快勝するも最後は雨の中のオーストラリア戦で力尽きた。その後2010年の ワールドカップ を目指して予選に入るが10月に行われた1次予選ではマカオを 7-1, 6-1 で一蹴し、11月のイエメンとの2次予選はアウェーで 1-1 であったがホームゲームを 1-0 で勝利し3次予選に駒を進めた。その後12月に地元で開催された SEA GAMES では対抗のベトナムが振るわなかった事も手伝い、決勝戦ではミャンマーを 2-0 で破り大会8連覇を飾った。しかしこの大会には U-23 で臨んでいる。フル代表の次の大会は昨年末に開催された King’s Cup であった.
SEA GAMES メンバーの中で今回のワールドカップ予選メンバーに選ばれたのは下記の選手達。

GK :Sivaluk Terdsungnern
DF :Prat Samakrat, Kiatprawut Saiwaew
MF : Thana Chanaboot
FW : Teerathep Winothai, Teerasil Dangda, Anon Sangsanoi Kiatprawut Saiwaew、

Teerathep Winothai, Teerasil Dangda の3選手は昨年の Asian Cup メンバーで出場も果たしている。 12月には地元にウズベキスタン、北朝鮮、イラクを迎えて第38回 King’s Cup を開催、3連勝で決勝に進み、決勝戦ではイラクを破り優勝を飾った。

12月22日 vs ウズベキスタン 3-2
GK : Kosin Hathairattanakul
DF : Apichate Puttan, Kiatprawut Saiwaew, Niweat Siriwong , Punnarat Klinsukon MF : Nirut Surasiang, Phichitpong Cheuichiew, Suchao Nutnum ,Narongchai Vachiraban  FW : Sarayuth Chaikamdee Pipop Onn-mo

Tawan Sripan, Datsakorn Thonglao ,Sutee Suksomkit. Tawan の主力3選手を欠きながらも開幕戦のウズベキスタン戦を 3-2 で勝利のスタート。

12月24日 vs イラク 2-1
GK : Kosin Hathairattanakul DF : Niweat Siriwong, Kiatprawut Saiwaew, Prat Samakrat, Nattaporn Phanrit Suree Sukha
MF : Phichitpong Cheuichiew, Narongchai Vachiraban Nirut Surasiang
FW : Sarayuth Chaikamdee , Anon Sangsanoi

Sutee Sukha が怪我から復帰、FW Pipop Onn-mo をSEA GAMES 得点王の Anon Sangsanoi に替えて臨んだイラク戦、前半44分、 Sarayuth のクロスに合わせた Nattaporn Phanrit が先制ゴールを上げるがイラクはMouslim Mobarak Almas のゴールで追い付くも後半37分Mohammed Ahmed Abid Ali のオウンゴールが決勝点となり、タイは連勝をかざった。
12月26日には北朝鮮を 1-0 で破り、上位2カ国で争う決勝戦ではイラクを再び 1-0 で破り大会優勝を飾ったが、この大会では FW Chaikamdee の活躍が目立ち、 Asia Cup 後ベテランの Sripan, Therdsak そして Kiatisak が去った後のタイのエースとしての地位を築きあげようとしている。この Chaikamdee は2003年ベトナムで開催された SEA GAMES では延長戦に入った決勝のベトナム戦では試合を決定付けるVゴールを決め大会6連覇をもたらした。しかし昨年のAsian Cup では最後にメンバーから漏れただけにこの予選には巻き返しを誓っている。2次予選のイエメン戦では決勝ゴールも決めている。

1月10日には Manchester で2週間の強化合宿を慣行。帯同した選手は29人にも昇ったらしい。この合宿中には Manchester City のエリクソン監督も指導に入った日があったとか、これもタクシン効果か?最初の1週間はトレーニングに専念し、以降練習試合を慣行、 Manchester City の U-18 チームに4-3 と敗戦を喫するもリザーブチーム 3-1 そしてユースチーム 1-0 と連破。日が経つにつれて選手の守備能力がアップしていることに Chanvit 監督も手ごたえを感じるがやはりFWの決定力のアップは必要と感じたらしい。 Manchester の気候は常夏のタイから2月の真冬の東京での寒さ対策も兼ねていたのか?
その後更に2試合、Hyde United tomorrow と Manchester United との練習試合を組んだがその結果はどうだったのだろう?また Chanvit 監督は Manchester City が使っている"Games Breaker" と言う選手達を分析する約 20万バーツ(約60万円)のコンピューターを協会に購入するように依頼したらしい。これもタクシンに買ってもらったのか??
2月1日、Rajamangala Stadiumで韓国の全北現代モータースと試合を行い 2-0 で勝利を収めた。前半多くのチャンスを作りながらもなかなか先制できなかったがSutee Suksomkit が 25m のFKを直接決め先生すると69分にはSutee が送ったクロスをPhichitpong Cheuichiew が合わせて追加点を奪い試合を決めた。
Chanvit Phalajivin 監督は試合後“自身をもたらす試合内容、試合の殆どを支配し選手達は自信を持ってボールを扱っていた。”と満足のコメント。そして特に海外でプレーするSutee Suksomkit, Datsakorn Thonglao Nirut Surasiang のパフォーマンスが目を惹いたとの事であった。
その翌日2月2日代表チーム一行は日本に向けて出発。試合4日前に現地入りすることは異例との事。これまでは対戦チームが滞在費を負担してくれる2日前より早く現地入りすることはまれだったらしい。日本入りし怪我で出場が危ぶまれていた中心選手Jetsada Jitsawad Datsakorn Thonglao, Prat Samakrat そしてKiatprawut Saiwaew が回復に向かっていると言う吉報を耳にするが、翌2月3日よりタイ関係者が最も危惧していた寒波が関東一円を覆い2年ぶりの降雪に見舞われる。練習場の確保やら日本側の対応に Chanvit 監督は不満を隠さない。更に試合前日Datsakorn Thonglao と右サイドバックで Manchester City と契約した Suree Sukha の二人が累積警告で出場できない事が判明、“日本と異なり1次予選から参加している我々にとって不利だ。”と怒りを爆発させるがそんなこと試合前に解らなかったのかな?? その上 CB の Kiatprawut Saiwaew と Prat Samakrat が来日出来なかった。これには Chanvit 監督も選手構成に頭が痛いところ。こうなってくるとMFのSutee Suksomkit、Narongchai Vachiraban, の頑張りが頼り。Sutee は 2004年の Asian Cup の日本戦で先制ゴールを挙げている。そしてSarayuth Chaikamdee と組む2トップのもう一人のFWは22歳で Asian Cup にも出場したTeerathep Winothai または Manchester City と契約をした Teerasil Daengda そしてSEA GAMES の得点王 Anon Sangsanoi らの誰であろうか? しかし2月のさいたまで思う様に動けるのだろうか?
日本が留意するとすれば初戦の難しさ。4年前のオマーン、3年前の北朝鮮に苦戦した様に。タイとすればここで負けても大量失点さえしなければよしとしている。守備的な布陣を敷いて来ると思われるが彼らのカウンターとセットプレーは注意する必要がある。
試合開始まであと1時間半窓の外は雪が降ったり氷雨になったり。この天候は少なくともタイには有利にははたらかない。何度でも言わせて貰うが1984年シンガポールで開催されたロス五輪予選、日本は初戦のタイ戦でピヤポンに掻き回されて 2-5 で大敗し以降3連敗。敗因は日本協会のスカウティング不足や予選直前になってベテラン選手を入れたりと色々あるが、もう一つの大きな理由はシンガポールの蒸し暑さ。あの時は3月まで寒さが残り雪の降る日もあった。それから赤道直下のシンガポールに移動し気候の変化も少なくは無かったはずだ。予選のあった4月は東南アジアでは“地獄の4月”と言われている蒸し暑さだ。(私も数度体験した……) ワールドカップに向けての長い戦いが始まる。しかしまず目の前に試合を確実に勝って貰う事を祈るよ。