Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

快勝のスタート。このままワールドカップに続いてくれれば……

2008-02-10 | 夏季五輪
2月6日。雪の中のさいたまスタジアム2002 で我が日本代表はタイ代表を 4-1 で降しワールドカップへ向けての第一歩を踏み出した。 この日の入場者数は 35,130 人。日本で開催された ワールドカップ 予選では最低の入場者数と報道するマスコミもあったが、こう言うマスコミには二度とサッカーの取材をして貰いたくない。70年代からもワールドカップ予選は日本で開催されている事を知らない輩は排除すべきだ。

会社を出るのがやや遅れたので帰宅途中のさいたま高速鉄道の中でサッカー観戦に出かける人は見られなかった。そして帰宅したのはキックオフされた直後だった。この日の日本代表はFWが高原と大久保の2トップに山瀬がトップ下。その他のメンバーは右サイドバックにはこの日も若い内田が起用される等先日のボスニア・ヘルツェゴビナ戦と同じ。 2004年のオマーン戦のスタメン経験者は高原と遠藤のみ。2005年の北朝鮮戦の経験者は先述の二人に川口を加えた3人。
一方のタイ代表、昨年のアジアカップメンバーが7人、最終予選に進めなかった前回のワールドカップ予選経験者4人を含んだスタメン。しかし累積警告で出場出来ない Datsakorn Thonglao と右サイドバックで Manchester City と契約した Suree Sukha,怪我で来日出来なかったKiatprawut Saiwaew の3人は Asian Cup メンバー。怪我で来日出来なかったDF Prat Samakrat と合わせて4人の中心選手を欠くメンバー。
この日のユニフォームの色、黄色はプミポン国王ファミリーを表す色で腕に巻いていた黒い喪章は国王の姉君が試合前日に亡くなった喪に服す意を示したもの。 Chanvit 監督としても負けは覚悟しても大量失点は避けたいと言うのが本音か?
午後6時半の当地の気温は3.6℃。最近は関東地方ではお目に掛れぬ寒さにタイイレブン、そしてわざわさタイからやって来た(数少ない)サポーター達にはどれだけ堪えただろう?午後7時20分キックオフ、主審はサウジアラビアのアルカムディ・カリム氏。ここでは中東の笛の心配はないであろう。相手も主審もそしてこのグループもクウェートとは関係ないし…..
試合開始から攻勢に出たのは日本。2分には左サイド遠藤からクロスが入るが高原に渡る前に DF Nataporn Phanrit に当たりCKへ、以降7分40秒まで合計4つのCKを得る。6分25秒にはCKの守備に入った FW Teerathop Winothai のヘッドのクリアが小さくそのまま中村憲剛がボレーで撃つ。CK になると阿部、中澤がエリア内に入って来るがタイのDF陣は CB の二人、Nataporn Phanrit が 182cm, Patiparn Phetpun が187cm, と結構長身なので容易にゴールは割れ無かった。 15分40秒には左サイドを駒野、山瀬、遠藤と繋いぎ最後は高原に大久保を経由して渡り Nathapong、Narongchao Vachiraban をかわして Nataporn が来る前にシュートを放つがポストの右に外れて行く。タイは右サイドバックの Suree Sukha がいないのでそこをよく突いている様に見えた。 
なかなか先制ゴールを挙げられない日本は21分、大久保のドリブル突破からファールを誘いゴール正面24mの位置でFKを得る。7人のタイ選手が壁を造るが遠藤の蹴った弾道にGK Kosin Hathairatthnakul は反応出来ずそのままゴールに吸い込まれるのを注視するだけだった。恐らく前の選手がブラインドになって見えなかったのだろう。

先制ゴールにほっとしたか岡田監督が小さくガッツポーズを取る。この先制点でこのまま波に乗って試合を支配するかと期待されたがその1分後タイが素晴らしいシュートで同点に追い付く。2列目右サイドの Sutee Suksomkit が中央からドリブルで突破を試みる。憲剛がマークに入るが粘って丁度DFラインとボランチの間にフリーでいたTeerathep Winothai に繋がれる。Teerathep はそのまま25mのミドルシュートを放ちGK川口を破ってゴールネットを揺らされた。

チャンスを作ったSutee は4年前 Atletico Madrid からスカウトされかけ、2004年のAsian Cup では日本から先制ゴールを奪った実績を持つ選手。この同点ゴールはボール支配率が4割に満たなかったタイにとっては大きなゴール。そのまま守りをもう一度固めて勝点を狙える様になった。タイの布陣は 4-1-2-1-2 。2列目の両サイド, 右サイド Sutee 左サイドの Suchao がボランチの Nirut Surasiang と並んでDFラインの前にもう一本のラインを形成しトップ下のNarapongchai Vachiraban がボールの展開により左右に動き守備にはいる。これでタイゴール前に入っても二人目、三人目の選手が次々に現れシュートをなかなか撃てない。42分には啓太、43分には山瀬が相次いでミドルシュートを放つが追加点には至らない。39分12秒にはまたも大久保のドリブルからFKを貰い遠藤が再び直接狙うが今度はクロスバーを大きく越えた。ロスタイムに入った46分にCKを得るが先に前半終了のホイッスルを吹かれ前半は 1-1 で終えた。シュート数を比較するとタイが1に対して日本は7。しかし枠内に飛んだシュートは2本のみ。スコアーを裏付ける数字だった。

後半にはいると降雪量は増えた。タイイレブンには早く試合を終えたいと思っただろう。立ちあがり2分には阿部がミドルを放ち、4分には憲剛が Sutee をかわしてシュートを放つが追加点は奪えない。 3年前の北朝鮮戦、4年前のオマーン戦を思い出し、早く2点目を….と思う54分。山瀬がで左サイドを上がり Apichate をかわして中に切れ込み後方から走り込んだ憲剛に送るが Narongchai がカット、そのままゴールラインに逃げた方が良かったのだがサイドに出そうとし、マークについた憲剛の足に当たりボールが中に入るとそこにいた大久保がそのままタイゴールに蹴りこんで追加点を奪う。山瀬のドリブル、憲剛のしつこいマークから生まれた貴重な追加点であった。

              

山瀬はかつてのホームスタディアムでのプレーで気合いが入っていたか?憲剛は同点ゴールのきっかけを作ってしまった事を帳消しにしたかったか?5年前の東アジア選手権ではここで疑惑のレッドカードを突きつけられた大久保はその悪夢を払拭出来たか??
追加点直後の55分33秒、遠藤のグラウンダーのセンタリングをそのままダイレクトで放った高原のシュートはGK Kosin にファインセーブで防がれ、その直後のCKからの大久保のヘッドはまたもGK Kosin がブロック、こぼれ球を詰め様とした高原が撃つ前に Natthapong がクリアー。高原はどうも得点に結びつかない。
3点目が先に入れば楽なんだけど….. と思った64分、 Narongchai が中澤へのチャージにこの日2枚目のイエローカードが出て退場。日本にとってはありがたい状況となりそうだったけど、出来ればDFの選手が消えてほしかったけど…..
しかし2点目を失ってからタイの選手は反則が目立ったが、10人になってから更に反則は多くなり結果的にそれが日本に有利に働く。66分、左サイドを上がった駒野へ Suchao がファールでFKを得る。そのFKを憲剛が入れると中に入った中澤が Nataporn に競り勝ちヘッドを決めて試合を決定づける3点目を挙げた。

             

あとは余分な警告を受けない事とリーグ戦と言う事を考えれば出来ればあと1点、2点を奪う事。 68分には山瀬を下げて巻を投入し高原と2トップに。そして大久保がトップ下に下がる。81分には高原が下がり播戸が入り、巻の1トップに播戸、大久保が2列目に控える布陣に。そして87分には大久保が下がり羽生が入る。攻撃陣を替えるのはまだ攻撃の手を緩めるなと言うベンチからのサインか? 羽生は Asian Cup のPK 戦の悪夢から脱却できたか??
タイも72分に得点者の Teerathep を下げて Asian Cup メンバーだった MF のPichitpong Cheuichiew を、77分にはエースストライカーの Sarayuth Chaikamdee を下げて Pipat Tonkanya を入れる。 Pipat は昨年 Asian Cup のオマーン戦で途中出場しながら2ゴールを挙げた。また大会前の中国とのテストマッチでは彼のゴールで勝利を収めている。2000年のレバノンで開催された Asian Cup 予選でも活躍し本大会にもメンバー入りしたが出場機会は無く、翌2004年の中国での Asian Cup ではメンバー入り出来なかった。 エースの Chaikamdee はこの試合はシュート1本に終わった。 83分には MF の Suchao が下がり SEA GAMES 得点王の Anon Sangsanoi を入れた。 Chanvit Phalajivin 監督も何とか1点を返したいと言ったところか? 
しかしロスタイムに日本は巻が遠藤のCKから頭で決めて4点目。しかしあれだけDFがいてフリーにするとは…….

               
日本は4点中3点がセットプレーと言われているがこう言う予選は試合結果が全て。確実に勝点と得点を稼いだ結果はよしとすべきだ。次はアウェーでのバーレーン戦。この試合にもしっかり勝ってほしい。 Jリーグが開幕し選手達の調子も上がってくるだろう。

一方のタイは雪の天候、そして主力4選手を欠いての条件下では致し方のない結果だったかもしれない。 4年前、チェンマイで12日間の合宿の後、北朝鮮にホームで 1-4 と完敗した時は当時の首相であったタクシン氏に “この日の選手達は国民を絶望させるもの。”と酷評されたが今回はどうだろう。

              

Manchester でキャンプを張ってまたタイに帰って日本に出直したのではちょっと効果は表れないか…….. またタクシン氏に資金を出してもらってキャンプを張るか??

タイには親しい人も多く、みな友好的だ。タイのサッカーにも非常に興味がある。しかし、個人的にはタイにはサッカーで絶対に負けてほしくない。それは1984年のロス五輪予選で完敗したからではなく、1976年バンコックで開催されたアジアユース大会で起こった事だ。
数年前に専門誌に掲載されたのを読んで知ったのだが、1次リーグで北朝鮮、タイと同組になった日本は2戦を先に終え2分けで最終戦の北朝鮮対タイ戦を待った。負けた方が1次リーグ落ち、引き分けた場合は3チームが同勝点で並びベスト8進出を決める為に大会規約で抽選をおこなう予定であったが、その最終戦の朝、突然規約は書き換えられ勝点、得失点で並んだ場合は再試合を行うと通達された。そして完全な出来レースとなった最終戦の北朝鮮対タイ戦は 1-1 で引き分け、再び総当たりのリーグ戦が行われる事になった。これは地元タイチームと当時注目を集めていた北朝鮮ユースチームに揃って準々決勝に進んでもらい集客を落としたくないと言う開催側のタイの魂胆であった。ここで日本チーム首脳陣は棄権を決定、タイを後にするつもりであった。しかし、タイ協会は“棄権するなら大会規約により飛行機代、宿泊代そして罰金(合わせて約750万円)を支払え”と通告してきた。 当時の日本サッカーは慢性的な赤字でそんな金は無かった。(いまならすぐに払えるかも?)
仕方なく選手団は忸怩たる思いでこの再リーグ戦に臨むことに。 その初戦、格上の北朝鮮相手に日本ユースは健闘。金田喜稔のゴールを守りきり勝利を収めるが続くタイ戦では精魂尽きはて 0-3 で完敗。最終戦の北朝鮮対タイ戦はまたも出来レースで北朝鮮とタイが台本通りに準々決勝に進出した。
ハンドボールで話題になった中東の笛を彷彿させる30年以上前の出来事だ。 あれから日本サッカーは目覚ましい進歩を遂げ、各年代でタイにも北朝鮮にも負けない力をつけた。 

           

今、日本サッカーにこれだけの実力がついたその背景には上述したような屈辱的な事を乗り越えて来た積み重ねを絶対に忘れてはならない。 
まぁそんな事を言っても若い人達には “ J リーグが始まるまでのサッカーなんてサッカーじゃないですよ。”と言われてしまいそうだけど……….. がんばれニッポン !!