Mr.コンティのRising JAPAN

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あぁ 終わってしまった Asian Cup 2007 でもアジアは広いぞ

2007-08-01 | Asian Cup

7月29日。アジアカップはイラクの優勝で幕を閉じた。
サウジアラビア対イラクの決勝戦。 Gelora Bung Karno Stadium は公式発表では 60,000 人の観衆が集ったらしいが、その中の有料入場者は何割だったのだろう? この Gelora Bung Karno 競技場は 1994年の AFC U-20 大会で日本 U-20 が中田英寿、奥大介、安永らを擁して1979年以来16年振りの FIFA U-20 の出場を決めた思い出の競技場だ。1979年大会は日本がホスト国。従って初めて U-20 レベルでアジアの壁を突破したのがこの競技場。
サウジアラビア、イラクの両国は前回のアジアカップではグループリーグで対戦氏イラクが 2-1 で勝っている。1996年大会でもグループリーグで対戦。この時はサウジアラビアが 1-0 で勝っている。1993年のドーハでのワールドカップ予選は 1-1 で引き分けている。
この日、サウジアラビア、イラク共に準決勝戦と同じスタメン。下馬評ではサウジアラビアが圧倒的に有利。政情不安で準備不足が否めないイラクの大苦戦が予想された上、決勝進出を果たしたイラクは既に評価を得ていた。
イラクのスタメンでは MF の Qusai Munir が Arbi に所属する以外はすべてイラク国外のクラブチームでプレーする。その内訳はヨルダンが二人 ( DF Mohammed Gholam , DF Abdur Amer ) カタールが二人 ( MF Jassim Mohammed , FW Younis Mahmound ) あとはDF Bassim Abbas ( レバノン ) MF Nashat Akram ( サウジアラビア ) MF Mulla Mohammed ( U.A.E.)  DF Ali Hussein Rhema ( リビア ) MF Mahadi Karimi (キプロス ) GK Noor Sabri がイランの Mes Kerman 所属だ。控え選手12人もイラクのクラブに所属する選手は半分の6名に過ぎず、残りはイラン(二人)レバノン(二人)そして キプロスとヨルダンが1名ずつとなっている。しかし、イラクの国情は今に始まった事ではない。1986年メキシコワールドカップにイラクはアジア予選を勝ち抜き本大会出場を果たすが当時はイラン・イラク戦争の中、イラク国内ゲームが認められず全て第三国でのホームゲームでありながら本大会出場を果たしている。サウジアラビアの方も“国情。(宗教的な理由と言った方が?)” があり登録選手全員がサウジアラビア国内のクラブチームの所属する。 
サウジアラビアの注目はマレク・アルサウハウィとヤセル・アルカフタニの強力2トップ。一方のイラクはFWユリス・モハマンドとターヘル・ハヴァーが注目だ。今大会の決勝戦は1996年大会以来中東勢同士の決勝戦となったが、この両チームは特徴がだいぶ異なる。サウジアラビアの方が“日本的”にボールを繋ぎ前線にビルドアップしていく。一方のイラクはフィジカルを前面に出した攻守に渡ってタフにプレーするスタイル。サウジ自慢の2トップ、アルサウハウィ、アルカフタニ共にイラクDF陣の前に思う様にプレーできない。一方のイラクFWモハマンド、ハヴァーはサウジのしつこいDFもなんのその相手DF陣を引きずりながら前に突進してくるタイプ。しかし何度か掴んだチャンスはGKアル・モサイレムがセーブ。なんとか打開をしたいサウジアラビアは後半からゲームメーカーのアル・モウサを入れるが替えられたのはA.アルカフタニ。攻撃のヴァリエーションを増やす為に二人とも入れておけなかったか?そして73分ハヴァーのCKをファーサイドにいたモハマンドが頭で合わせイラクが均衡を破る。

大喜びのイラクベンチ。だがサウジアラビアもこれでは終わらないと思った。だが試合はそのまま目立ったサウジアラビアの抵抗もなくタイムアップ。1984年大会から続いたサウジアラビアと日本のタイトル独占にピリオドが打たれた。イラクはこれまでワールドカップ、五輪の出場がありながらアジアカップでは1976年大会のベスト4が最高の成績。しかし、2004年のアテネ五輪ベスト4のメンバーをベースに見事初優勝を勝ち取った。イラクのターニングポイントとなったのは準決勝の韓国戦。韓国優勢で試合が進みながらPK戦に持ち込み決勝進出を果たした。個人的には優勝はシード国(日本、オーストラリア、イラン、韓国)+サウジアラビアのいずれかから生まれると思っていたのでイラクの優勝には少し驚きだった。とはいえ、決勝戦ではイラクを応援したけど。
3位決定戦の日韓戦を ブラッターFIFA会長が観戦に見えていたが、3位決定戦と異なり決勝戦を観てアジアのレベルを判断して頂きたい。
大会を通して感じた事は“欧州組み”と言うレッテルのみではレギュラーを確保できないと言う事。極論ではあるが、決勝戦にピッチに立った選手で欧州でプレーする選手はいなかった。日本は1次リーグから通算6試合を行った。パス回しや組織プレーでは他国を圧倒していただろう。闘莉王がいて阿部が本来のボランチにいればもっと違った戦いが出来たかも知れない。だが決勝戦で観た様な選手の個人力、一人で局面を打開出来る選手が少なかった。中村俊輔にしても、もっと個人能力を前面に出しても良かったシーンがあったと思う。
1次リーグのヴェトナム戦から3試合連続で先制されるなかですぐに追い付くあたりは日本の強さを見せつけられただろうが、高原の様な個人でシュートに持ち込める選手こそFWと思う。高原とてこの日のイラクDF陣を前にすればどれだけやれるかわからないが。オシム監督の推進する“組織サッカー”は日本人の個人能力を見切っての方策だろうか?帰国後個々の能力アップを示唆していたけど。それでも中村憲剛や阿倍、国際大会初出場の選手達の今後の延びしろが楽しみだ。これに先に終わったFIFA U-20 そして五輪世代が加わるのか…. でもヴェトナム、サウジアラビア、カタール。五輪予選で対戦する国はアジアカップにも五輪世代を多く送っていたぞ。
それにホスト国の健闘が光ったとの事だが、私はタイはもっとやれたのではと思う。オーストラリア戦ではもっと守備的に引き分けを狙えなかったか?それとも日没後の午後7時35分と言うキックオフ時間は実力をそのまま出させる時刻だったのか?インドネシアも後一歩が。でもサウジアラビア、韓国相手にあの試合内容は健闘だろう。マレーシアはふがいなさすぎたがヴェトナムは予想以上の健闘だった。優勝したイラク戦も良い試合ではあったが。 
それから大会運営。東南アジア事情を熟知しない人は大変だっただろう。座席案内は全くいい加減。競技場内でも座席の指定はあってないようなもの。 VIP 席には侵入し放題。その上記者席にもほとんどフリーパス。もう少しお土産品がなかったかな?しかしTシャツは安かった。そしてNIKEショップのポロシャツはいい記念になった。それに空席が目立ち過ぎ無かったか?興行的にはどうだったのだろう?しかし、競技場内の飲み物とかは安くて有難かった。ハーフタイム中には人が多くて間に合わなかったけど。しかし日韓が激突した3位決定戦もジャカルタで出来なかったか?何故 Palembang で行う必要があったのだろう?前回のアジアカップも決勝戦と同じ競技場で3位決定戦を行ったのに。 Palembang に行った日本、韓国の協会は宿泊設備の手配、Palembang までのアクセス手配に不手際が多すぎると抗議文を提出するとか。しかし抗議をされた当事者は何も感じないと思う。
東南アジアの株価が下がり始めた昨今、大会を1年前倒しで行ったのは良かったかも知れない。しかし4カ国共同開催は机上の空論で止めておくべきであっただろう。

昨年のワールドカップに続いて現場で大会を楽しめる機会があった。日本戦は看られなかったがアジアカップは日本も参加している大会で自分も当事者の様な気がする。それに日本代表はどこの国に行っても人気だ。次回のワールドカップは南アフリカ、アジアカップはカタール。ちょっと“足が”届きそうにもない。オーストラリアが2015年のアジアカップに立候補すると言う話を聞いた。

8年後か….. それまで体を大切にしよう。その時は息子はもう成人している。
ならば家内とフルムーン旅行….. 納得するかな?

その前に離婚されないようにしよう…..

 

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