7月11日は午前のシンガポール航空便でシンガポールからジャカルタに移動だ。
この日は雨が降っていたので外を走る事は出来なかった。いやそれを理由に走らなかった。現役時代、雨などは気にせず走りに出たのに。タクシーでチャンギ空港に。シンガポールはタクシー料金が安いので気軽に使える。(と言っても会社に請求するけど。)タクシーの運転手には確かにシンガポール航空に搭乗すると言ったのに違うターミナルで降ろされた。そこでスカイトレインに乗ってターミナル間を移動する。でもこんな事でもなければスカイトレインに乗車する機会もなかっただろう。
チェックイン、出国手続きを済ませ空港内に入るがここはいつもこの二つの手続きがスムースでありがたい。そして出国手続きを抜けるとそこには Shopping City と名付けられたブランドショップやお土産物屋がずらりと並ぶ。さすが世界一評判の高い国際空港だ。そして大きなスクリーンがありそこにはメジャーリーグのオールスターゲームが中継されていた。イチローが史上初のランニングホームラン Inside Park Home Run を放ち MVP を獲得したのを後で知ったのだが、このシーンは既に過ぎており試合はもう最終回だった。もし韓国人観光客がわんさといる前でイチローの快挙のシーンがアップになれば私も彼らの前で大きくガッツポーズを取ってやったのに ……
すぐ横のテレビ画面では前日行われたアジアカップのインドネシア対バーレーンの再放送が映し出されていた。この試合の結果は早朝の地元のニュースでも報道されたので知っていたけど、やはり詳細は見たいので足を止めて画面にかぶりつきになる。既に70分を過ぎておりインドネシアが 2-1 でリードしている。リードを許しているバーレーンの前大会はベスト4。今大会も上位進出を狙うが同組には韓国、サウジアラビアがいるのでインドネシア戦は負けられない。77分には John Akwani のシュートがゴールネットを揺らすがその前にハンドがあったの判定で無効に。直後に MF Al Dosri のシュートがバーを直撃する。80分にはMF の Mohmed Hubail に替えて FW のHusain Ali を投入する。二人とも2年前のワールドカップ予選の日本戦に出場し馴染のある選手だ。83分にはワンツーで抜け出た Abdulla Omar が抜け出で放ったフリーショートはゴールを捉えられない。84分には Rashed Al Dosari が下がりAbdulla Baba Fatabi が入れられる。そして Tatal Yusuf が放ったミドルはバーの上に外れる。バーレーンの猛攻が続く中インドネシアは MF の Elie Aiboy を下げてDF の Spardi を投入し逃げ切りを図る。アナウンサーは3年前のアジアカップではバーレーンがインドネシアを 3-1 で破ったことを話す。この試合は地元の大歓声を受けたインドネシアがリードしている。決勝点を挙げた Bambang Pamungkas がボールを持つと更に赤一色のスタンドから大きな歓声が後押しをする。87分には Talal Yusuf がボレーでゴールを狙うがその前にオフサイド。4分あったロスタイムを終え日本人の西村主審のタイムアップを告げるホイッスルが鳴り、大歓声がスタンドを包む。そして観客達が飛び跳ねているのだろう、画面が揺れている。これでホスト国はタイ、ヴェトナム、インドネシアと負けが無い。この結果をこの日対戦するサウジアラビア、韓国はどうとらえるだろう?
ジャカルタへのフライトは空席が目立っていた。約2時間のフライトの後ジャカルタ空港に予定通り到着する。しかしここからが長かった。インドネシアに入国するには入国ビザが必要だ。空港内で簡単に発行をしてくれる。私の場合は1泊しかしないのでビザ代金は US$10だったが、米ドルをもっていないのでシンガポールドルで支払う事にしかしなぜかシンガポールドルだと S$20請求された。それは仕方ないとして S$20 のレシートを発行してくれと頼むと、それがそうだと指さされた先には US$10 と印刷されている。少しの押し問答の末係官は手書きで S$20 と書いて投げ返してきた。ビザを求めて約1時間近く並んだ上にこう言う仕打ちは腹も立つが、もっと腹が立ったのは数人前に並んでいた日本人の集団。みなこの蒸し暑いのにスーツを着ており、漏れ聞こえて来る会話を総合すると商社とメーカーの偉いさんの様だ。若い奴があとから列に割り込んできやがった。それだけでない、やっとビザを貰って入国手続きをするとさっきの若い奴が私の前にいる。彼が順番を終え、私があとに続こうとすると隣のカウンターの前で並んでいたメーカーの偉いさんに“どうぞ。こちらへ。”と私がいるのに手まねきしている。頭に来てその若い奴と、偉いさんの間で立ち止まって交互に思いっきり睨んでやった。入国手続きが終わってもその若い奴を目で探してしばらく立ち止まって睨んでやったが、ここは鼻血が出るほど殴れば良かったと後悔している。どうせ一期一会なのだから。
海外にでると特に大商社のこうした振る舞いに何度か喧嘩をした事がある。大商社の連中は会社の規模が自分価値と同じと勘違いする馬鹿が多い。哀れな奴は定年して商売を始めた老人連中だ。定年前は何十億単位の取引をいくつもこなし、退職後はその延長とばかりに商売を始めるが定年前のキャリアーはその人間自身ではなく、大商社の看板にすぎなかったと気付きショックを受ける。
そしてもっと迷惑なのは大商社内での厳しい出世競争に敗れ、30代中盤から40代前半で他の会社に転職してくるバカだ。会社の看板で仕事していたのにそして自分の能力の無さに気付かず会社内に迷惑をまき散らす。もっとバカなのは大会社にいれば全てにおいて実力があると信じて、そういう落ちこぼれを拾い集める他の会社の幹部や人事達だ。今こう言う深刻な被害にあっている会社は少なくない。だから私は大会社、特に商社の連中は大嫌いだ。
頭から湯気を噴出しながら荷物をピックアップし街中に行くタクシーを探す。すると今度は私の自尊心をくすぐる事が。私の着ていたマレーシアで購入した NIKE の Asian Cup のポロシャツを見て、“シャトルバスをお探しですか?”と声を掛けてきた。税関を抜けて外に出るとすぐ Asian Cup の案内所の様なカウンターがあり、そこの一人が私の身なりを見て、報道陣に指定されたホテルまでのシャトルバスサービスがあると教えてくれた。残念ながら私はオフィシャルに登録された報道関係でないので上手く?断り、いつも使うタクシーで市内に向かう事にした。
タクシーの運転手は結構英語を話してくれた。そしてサッカーも好きらしく前日のアジアカップの試合等話が弾んだが、予約したホテルから試合のある Gelora Bung Karno Stadium までの行き方など詳しく教えてもらえた。心配していた試合後のホテルまでの足も“けっこうタクシーが走っているから難しくないと思う。”と言ってくれた。
実際彼が教えてくれたことは結構役に立った。
ホテルに到着し、すぐに仕事にかかった。空港でのビザ取得に時間がかかってしまい、アポの時間が迫る。なるべく夕食時にかからない様に仕事を終えないと食事を誘われてしまう。そうするとこの日のサウジアラビア対韓国の試合観戦が出来なくなるから….. 何とか仕事を終えて部屋に帰り、試合観戦の身支度を始める。そしてパソコンを….. と思うもここではワイヤレスは繋がらない。旅行会社の紹介では“室内にはワイヤレスのインターネットも接続できてビジネス向き”とうたわれていたのだが。フロントで訊いてみるとワイヤレスが繋がるのはロビーかビジネスセンターのある2階そして最上階から数階したのフロアーまでで直に全室完備になるとか…..もう俺は某エイビーロードは信用しない…….
キックオフの7時35分までまだ少し時間があったのでホテルに隣接しているショッピングモールに出掛けて昼食兼夕食を探す事にしたが、結局マクドナルドにした。店の店員や周りの数人が私の着ていた NAKAMURA の日本代表レプリカ(と言っても前にバンコックで買ったコピー商品。昨年のワールドカップでもずって着ていた。)を指さし、“オ~ナカムラァ~”とか“ジャパ~ン”と声を掛けて来る。前日の地元インドネシアの勝利の影響だろう。私も“インドネシア、ツゥー、バーレーン、ワン”と指を立てて答えると皆大喜びだ。
ホテルから Gelora Bung Karno 競技場までは途中で渋滞があったがタクシーで30分もしないうちに到着した。ここは試合の行われる陸上競技場のほかにも室内競技場が隣接する運動公園になっていた。ジャカルタの夜は涼しくはないが、シンガポールほど湿度も温度も高くなかった。競技場の門の前で当日券を求める。一番高い席で料金は200,000 IDR( インドネシアルピー )日本円で約2,860円。先程食べたビッグマックが IDR14,455 なのでビッグマックが約13個半分だ。それが地元の人々にはどれだけの貨幣価値なのだろう…. 出発前に AFC の Web Site から予約しようとしたがこの試合のネット予約はすでに終わっていた。そして販売通貨が IDR でなくマレーシアリンギット単位になっていた。インドネシアの通貨がそれだけ信用ないのか???
門の中に入るとサウジアラビアのサポーター、韓国のサポーターが多く集まっていた。そして地元インドネシアの子供達も。私が着ていたユニオフォームを見てみな“オ~ナカムラァ~、ジャパ~ン”と声を掛けて来る。中には“ナカァ~タァ~”と言う子供も。ここでも前日の勝利のせいかみな好意的だ。さらにサウジのサポーター達も声をかけて来る。中には“ジャパンとサウジアラビアで優勝を争いましょう。”と言う人も。残念ながら決勝戦では顔を合わせられなかったなぁ…..
そして韓国人は声を掛けてこない。競技場内への入口前で後ろに並んでいた小学生くらいの女の子二人連れがいたので英語と韓国語で“僕は日本人だけど、貴方達は韓国人?”と話しかけたらその後ろから彼女たちのお父さんが“日本人ですか?私達は韓国人です。”と日本語で答えられた。(別にナンパしようとした訳じゃないので)お父さんに。“日本語話せますか?韓国からですか?こちらにご在住ですか?”と質問の相手を変えると、商用でジャカルタに滞在しているとの事で、前は日本と仕事をしていたので日本語を覚えた事も教えて貰った。好ゲームを期待しますと言って握手をしてそれぞれの座席に向かった。階段の踊り場には多くの韓国人がいた。何人かが“テ~ハミングック”とか“ハングック”とか応援の練習を始めたので、私も“ニッポン!ニッポン!”と声を出したけど気がついたのは数人だけだった。
観客席に着くがそこは韓国人サポーターのまん真ん中。ここは NAKAMURA のユニフォームよりも Majour League All Star Game MVP の IHCIRO の方が充分に彼らを刺激できたか??それは良いとして陸上用のトラックそして濠まである上にスタンドの傾斜が緩やかで非常に見づらい。幸い?空席が目立つのでなんとか少しは見易い所を確保するのに一苦労した。やがて両チームの選手が入場するが、電光掲示板にはスタメンの選手が詳しく紹介されない上にピッチが遠いのでどんな選手が起用されているかを確認するのに苦労をした。
この試合の詳細は下記をご参照ください。
http://blog.goo.ne.jp/conty1ban/e/7ac5a8fb2aa798706c5d9629d189954c
韓国はGKに李雲在。ワントップには大会前のウズベキスタン戦2ゴールの曹宰榛。そして廉基勳、金正友、崔成国らが起用され金東珍、李浩のSt.Petersburg コンビも李天秀もベンチスタートだった。一方の情報量が少ないサウジアビア。2トップの左の20番 Yasser Al Qahataniは知っていたが右の9番の Marek Maaz は知らなかった。その9番が開始39秒であわやのヘッドを放つなど、“こりゃあ要注意だわ。”と思わせられる。(実際に準決勝の日本戦では2ゴールを喫した。) サウジのサポーター達も拡声器を持つリーダーの音頭に合わせて結構リズムよく声援を送る。またスタンドのあちこちに2005年8月1日に即位したアブドゥッラー国王の写真を掲げるサポーター達も。
前半を共に無得点で終えてハーフタイムの時に飲み物を求めて売店に向かうが、“ジュースのタンクが空になりました。”との答え。あらら、試合前に買っておけばよかったな。スタンドの中では韓国の女の子達がサウジの小さな男の子を追いかけわして記念写真を携帯で撮っている。日本代表のユニフォームを着た俺には声をかけない。すると大きなテレビカメラを持った男性がカメラを回しながら近付いて来るので“サウジアラビアから来たのですか?”と英語で話しかけると“私はカタールから着たけど、貴方は日本人?”と訊いてきた。どうもあの有名なアルジャジーラのカメラマンらしい。カタールと言えば日本が初戦で引き分けた相手。私は“OH~、 Sebastine Quintana !! “ と言うと彼も笑いながら握手を求めてきた。
後半が始まると今度はジュースを売る売り子を見つけたのでさっそく大声で呼んでコーラを買う。IDR5,000 ( 約70円)とありがたい。さすがにイスラムの国。アルコールは売りに来ない。(当り前か?)またサッカーの試合だと売る事はしないだろうし、売っていてもインドネシアはイスラム大国。そしてここはイスラムの戒律の厳しいサウジアラビアのサポーター席。誰もアルコールは買わないか? しばらくすると横にいた男性が英語で話しかけて来る。“貴方は日本人ですか?” 訊くと彼はインドネシア人で外資の会社で勤めており結構英語を理解する。サッカーはかなり見ており、80年代に日本の富士通などでプレーしたインドネシア人選手の事もよくしっていた。当然日本のサッカーも良くしっている。そしてこのアジア大会でも日本が優勝候補だ、韓国、サウジアラビアよりは上を言っている。イランは良いけど守備に問題がある。中国は優勝なんてできないと結構鋭く指摘する。また何故こんなにサウジアラビアのサポーターがいるのか?彼らはインドネシアに在住しているのか?と尋ねると、“半分近くはインドネシア人だ。イスラム教徒はサウジアビアを応援する。”と言っていた。同国2億2千万の人口のうちイスラム教徒は1億9千万人いるといわれており、1国のイスラム教徒信者の数は最大だ。前日のインドネシアの勝利、そしてベスト8の可能性を尋ねると、“まだ難しい。韓国かサウジに勝ったわけではないから。”と冷静だ。
試合は途中で停電の中断があったりして 1-1 の引き分けに終わった。ずっと話をしていた地元の男性とは握手をして別れ、出口に向かった。しかし階段が狭く大渋滞だ。この競技場は1962年のジャカルタでのアジア大会に向けて建設されたらしい。その後も陸上競技のアジア選手権なんかが開催されたのではないかな?何度か改修工事をしたのだろうが屋内も少し改修した方がいいだろう。遅々として進まない階段を降りる。こんなところで将棋倒しになると大参事になるのだろう、と思っていると競技場に入る時に話をした韓国人父娘と再会した。この韓国人男性にこの試合の印象を尋ねると今大会の韓国には悲観的になると言っていた。そして社交辞令もあるかもしれないが戦術に長けた日本のサッカーを称賛していた。しかし、こちらも韓国は昔からアジアでは勝負強さを持っているので良いところまで行くのでは、と言ったら、この日もそうだが韓国はこの18年間サウジアラビアに勝てない、日本はアジアカップでもサウジアラビアに勝っていると指摘。結構70年代からサッカーを見ているらしくほんの5分ほどだが70年代からのサッカー談議に話が咲く。”何故そんなに詳しいんですか?”と驚いた表情。
“韓国に来た事はありますか?私は日本の千葉県に数か月仕事で住んでいました。”
“前のワールドカップでソウル、蔚山、光州に行きました。光州では金大中(当時)首相を競技場でみましたよ”
“私は光州出身です。金大中氏は若いころからよく見ましたよ。”
“私が子供の時金大中氏が日本でKCIAに拉致されたのを今でも覚えています。”
そして二人の子供には小道具として持っていた韓国代表のキーホルダーをあげた。 “どうしてあなたがそんなものを?良いんですか?” “これオーストラリアで安く売っていたんですよ。私が持っているよりかは良いでしょう。” ってな具合で話がはずみ最後は堅い握手をして別れた。“良いご旅行を。”“そちらこそ、ジャカルタは暑そうなので身体に気をつけて。”
出口の門に向うと今度はサウジアラビアサポーターの人だかり。その中心にはなにやら大きなかぶり物をしたサウジサポーターがいた。こりゃいいと一緒に記念撮影。”これは重いから撮影料10ドル頂きます。”と言われた。もちろん冗談だけど。彼にも”Japan とサウジアラビアで優勝を争うでしょう。”と言われた。でもあのかぶり物は硬いもので出来ていたけど首が痛くならないのかなぁ...
帰りは公園の敷地内にオフィシャルのお土産物屋があったのでTシャツを買った。1着IDR99,000 ( 約1,400円)だったまだ着ていないので着心地はわからないけど。約10分ほど歩いて大通りに出るとタクシーが止まっていたのでそれに飛びのりホテルへ。こちらが何も言わないのにちゃんとメーター通りに走ってくれたので乗車賃は約IDR30,000 程度(約230円)だった。
ジャカルタはまだ仕事が少ないので街をよく知らない。それに言葉の問題もある上に、物乞いとまではいかないが昼間から路をうろうろしている大人や子供の男性が多いので外には出ない様にしている。もっと土地勘がつくくらいに頻繁に来れば(その前に仕事を作らねば)もっと動けるのだが…… 翌日は早朝のフライトでバンコックに移動だ。ホテルは午前4時にタクシーが迎えに来るので、部屋に帰ってシャワーを浴びたらもう12時前。急いでベッドにもぐりこんだ。明日寝坊しない事を祈りながら….. 続く。
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8月17日。この日の関東地方も灼熱地獄の予感がした。早朝の天候は前日よりもまだましだったが通勤時間には既にアスファルトが溶けそうだった。数年前に、朝の通勤ラッシュを避けるルートを見つける事に成功し世界に冠たる日本サラリーマンの精神を作るあの通勤地獄とはしばらくご無沙汰の朝を過ごしているのはまだ幸福なほうか…. バスに乗り込み会社の最寄りのバス停まで約半時間。乗客も数えるほどで冷房がガンガンに効いた車内の座席に着き2週間ほど前に2年間使って買い替えた携帯電話を取り出す。そうです私には秘密兵器のワンセグ携帯があるのです。参考までに私の前の前の携帯はIモードがこの世に出た時の1号機の携帯でそれを6年近く愛用した。その白黒画面の携帯を私は2005年の夏まで愛用し、永遠に使い続けようと思ったのだが液晶画面が故障し買い替えの憂き目に。携帯ショップに持ち込んだ時のあのショートカットのかわいらしい窓口のおねぇさん、私の古典的な携帯を見て一瞬笑いをこらえやがったなぁ……
NHK にチャンネルを合わせ大会第10日目の第一試合を。放送が始まった8時35分には既に我が母校京都西高校の攻撃が終わっていた。う~ん、この試合も3者凡退スタートかぁ。我が西高の先発は右腕の辻君。甲子園では初登板初先発だが、京都府大会の決勝戦では先発白井君の後を継いで登板しエースの本田君に繋ぐ貴重な中継ぎを果たし、バットを持っては2打点のかつやくだった。2回戦では1塁手としてスタメンに入り延長12回表の先頭打者として入った第五打席ではレフトにヒットを飛ばし勝負を決める集中打の口火を切った。その辻君の注目の立ち上がり。ストレートは140km出るも先頭打者の永田君を歩かせてしまった。長崎日大は続く出口君がきっちり初球を送りバントを決め早くも得点圏に走者を送る。続く上戸君を140kmのストレートでセカンドゴロに打ち取り2死としたがランナーは3塁に進塁し続く4番で投手、文字通りエースで4番の浦口君に、1-2 からのスライダーをうまくセンターに弾き返され先制点を許した。浦口君は2回戦の星稜戦でも2安打。長崎県大会でも打率5割の強打者でもある。投手浦口君自身の先制打は以降のピッチングも調子づかせてしまうなぁ….と思う。.
長崎日大は続く曲渕君の初球、エンドランがかかっていたか1塁走者の浦口君が素晴らしいスタートを切った。幸運にも曲渕君はそのストレートをバットに当ててファールにしてくれた。空振りなら完全に盗塁成功であった。さすがに鍛えられた長崎日大。揺さぶって来るなぁ。マウンド上の辻君は何とか曲渕君をスライダーで打ち取り追加点を阻んだが、折角ストレートが走っていたので浦口君に対してはストレートで押せば良かったか?辻君は以降もピッチングは安定しない。2回は先頭打者の板谷君にストレートをセンター前に弾き返され、続く砂原君に初球バントを決められピンチを招く。3回も1死から出口君に137kmのストレートセンターに弾き返された。幸い2回はストレートで内野ゴロで打ち取り、3回は盗塁を田中君が刺してそれぞれ後続を断ったが、4回も先頭のエースで4番、浦口君にこの試合2本目のヒットを喫し、続く曲渕君に送りバントを決められる。しかしここも後続の板谷君をセカンドゴロ、続く左打者の砂原君には左投手の安達君を起用。安達君は見事に砂原君をスライダーで三振に打ち取り追加点を阻んだ。安達君は中学時代、同級生を交通事故で亡くしたらしい。天国の友人は彼の快投を看た事だろう。
一方の打線だが、好投手浦口君の前に5回1死まで13打者連続凡退。左腕から繰り出されるカーブが右打者の外角低めに決まり、スライダーのキレも良く右打者は切って取られる。むしろ左打者の方が打ち易そうだ。右打者には外角低めに決まるカーブが左打者には肩口から入って来るので打ちやすいのだろう。初ヒットは左打者の斉藤君だったが、後が続かなかった。
5回裏の長崎日大。1死から柴田君が140kmのストレートをレフトへ流し打ち出塁を許すと、西高ベンチは常総学院戦で先発、好投した左腕の白井君をマウンドに送る。しかし、次の永田君は右打者でこの日はまだ無安打1四球。この次の左打者で1安打1犠打の出口君で左投手の白井君にした方が…と思っていると、永田君はファーストゴロ。エンドランが掛かっていたので1塁ランナーは2塁に進塁し、続く出口君にスライダーをレフト前に運ばれた。レフトの斉藤君が打球を弾く間に2塁走者のホームインを許し追加点を入れられた。ここで白井君は動揺したか上戸君、浦口君に連打を浴び、曲渕君には初球をぶつけてしまいリードは3点に広げられる。常総戦は好投したのだが、イニングの途中、ランナーを背負っての登板はプレッシャーが違うのだろう。ここで西高はエース本田君の登場となる。本田君は相対する板谷君を最後は139kmのストレートで空振り三振に切って取った。本田君のガッツポーズが出た。このマウンドでの振る舞いに“高校生らしからぬ”と言う奴がいるがそれはスポーツを知らない輩だ。チームが劣勢の中、チームメイトを鼓舞するのは当然だ。そして 2-2 からの6球目、微妙なハーフスイングをボールに取られたことに対する意地もあっただろう。
6回表、京都西高は反撃に出る。先頭打者の小牧君が 1-2 からストレートを1塁線に転がしセーフティーバントで出塁すると1番に帰って都藤君が2-0 からストレートを叩いた打球は左中間を破り2塁打に。1塁走者の小牧君が長躯ホームに駆け込み1点を返す。 1-0 からの2球目をバント失敗した直後のストレートを叩いた都藤君の見事な一振りだった。
次打者内山君はバントで都藤君を3塁に送り、中川君はセカンドゴロに倒れるが続く辻君が初球のスライダーを鋭く振りぬき三塁線上にとんだ速い打球を柴田君は上手く処理できず内野安打とする間に都藤君が帰って再び1点差とする。辻君は前打者の中川君が打ち取られたスライダーを狙っていたのかもしれないが、2安打された浦口君にこれで雪辱出来た事だろう。
その裏、本田君は長崎日大の攻撃を試合初めての3者凡退に打ち取る。しかもフォークとカーブを交えて。エースの快投に奮起したか西高は7回同点に追い付く。先頭の古屋君が四球で歩き続く田中君が初球をバントで送る。続く“強打者”本田君はスライダーで三振に打ち取られるが、小牧君がしぶとく選んで歩く。そして前の打席で2塁打を放った1番の都藤君はストレートの四球で歩き2死ながら満塁とチャンスを広げた。浦口君はスライダーでストライクが取れなくなり苦しいピッチング。続く内山君の初球に投じたスライダーもワンバウンドになり捕手の上戸君が取れない。3塁ランナーの古屋君が突っ込んでくる。タイミングはアウトだがカバーに入りタッチをした浦口君はボールをこぼしてしまい、ついに京都西高が同点に追いついた。尚もランナーが2,3塁に残ったが内山君はセカンドゴロに倒れこの回の逆転はならなかった。しかし、浦口君は暴投の次もよく同じスライダーを投げたなぁ…..
本田君は7回も力の投球だ。先頭の永田君、続く出口君がバントで送った後の上戸君も歩かせ、1死1,2塁のピンチを招くが、続く浦口君と曲渕君を連続三振に打ち取った。打ち取った後のガッツポーズが印象的だったが、この回は永田君のボールになった初球のカーブ以外はすべてストレート。どこまで続くか少し心配にもなる。
一方序盤の快投と打って変わって変化球でストライクが取れなくなった浦口君。8回、西高打線はまたも彼を捉える。先頭のこの日3打席無安打の中川君が初球のストレートをピッチャー返しで出塁する。スピードも126kmと落ちて来ている。ここで迎えるは4番の辻君。前の打席では3塁線に痛烈なゴロの内野安打を放っている。しかし1-0からの2球目のスライダー、1塁走者の中川君がスタートを切る。しかし盗塁は失敗。折角の無死の走者をしかも4番打者を迎えて….と思ってしまう。しかも次のスライダーをライトに流し打ってくれたので…確かに無死1塁と1死無走者とでは投球内容も変わるのは解るんだけど…. しかし続く斉藤君が初球のスライダーをライトに撃ち返しこの日二本目の安打を放ち、続く古屋君はストレートの四球で歩き1死満塁のチャンス。マウンド上の浦口君。ストレートはスピードが落ち、スライダーでストライクが取れない状態なので、西高は一気に逆転のチャンスだ。浦口君、次の田中君には渾身の投球で三振に打ち取る。そして強打者本田君を迎える。初球スライダーが外れた次の外角高めのストレートを本田君は引っ張りゆるい打球が三遊間に転がる。遊撃手の永田君は少し処理を焦り内野安打に。そして辻君がホームに駆け抜けこの試合初めて西高がリードを奪う。
今年の西高は守備力のチームで打力は今一と言われていた。初戦の常総学院戦も9回まで1安打。この日も5回途中までヒットが出なかったが、共に終盤での集中打は見事だった。ただ7回、8回の点を取ってからランナーを残しながらもう一点取れなかったのが後で響いた……
リードを背負った8回裏の本田君。先頭打者の板谷君に 1-2 から135kmのストレートをレフト頭上に打ち返される2塁打を許す。板谷君にも全部ストレート。もう2巡目になっているので、変化球を織り交ぜ緩急をつける組立にすればと何度も思ったが… しかし、続く砂原君の初球、捕手の田中君が素晴らしい牽制球を2塁に送り板谷君を刺してしまう。常総学院戦でも(白井投手だったけど)2塁ランナーを刺してピンチを切り抜けた。よしこの回もいけるぞと思った矢先に砂原君をストレートの四球で歩かせ、続く瀬戸口君がバントで送りまたも2塁にランナーを背負う。そして迎えた柴田君に外角真ん中のストレートを流し打ちでレフトの頭上を破られ同点にされる。そして打った柴田君は3塁に。なかなかの流し打ちだったけど、本田君の直球のスピードががっくり落ちた様に見えた。そしてバッターボックスはさっき飛んできたゴロを内野安打にしてしまった永田君。初球、2球目のストレートが外角に外れた為だろう、3球目はストレートが中に入り、そこをレフトにライナーで打ち返され痛恨の逆点打を浴びた。やや気落ちしたか、永田君には次打者柴田君の初球に走られる。それでも何とか柴田君を抑え最少リードに抑えたまま最後の攻撃に望みを託すことに。しかし8回裏の逆転は非常に痛い。逆転した側は元気になって最終回の守備に就ける上に逆転された側はそれが最後の攻撃になりえなくなる。しかし点差は1点。この日の打線と今の浦口君の調子ならまだまだチャンスはと思った。
先頭打者の都藤君はスライダー3球で 2-1 と追い込まれた後の4球目のストレートをライトへ流し打ち出塁する。よし、同点のランナーが出た。ここで長崎日大ベンチが動く。次の打者は左の内山君でこの日は無安打。そして次も左打者の中川君だ。しかしここで何故左腕の浦口君を下げて小山君を投入したのだろう?内山君は初球をきっちりこの日2本目の送りバントを決め得点圏に都藤君を進める。そして続く中川君はストレートの四球で歩き、逆点のランナーが出た。そして迎えるはこの日2安打の辻君。一打同点。長打が出れば逆転のチャンスだった。ここで再び浦口君がマウンドに戻る。その初球、浦口君はスライダーを投じた。辻君は第一打席でスライダーを2球空振りしながら、第三、第四打席はすのスライダーを痛打している。だがこの打席のスライダーはやや高めに投じられた。バットが一振りされるが打球は三遊間に大きく跳ね、遊撃手の永田君が掴み二塁を封殺。そして一塁へ転送され………
今年の京都西高の戦いはこれで終わった。この初球がストレートだったら恐らくセカンドの頭上を抜けていただろう……. 今大会の京都西高校。最後はエースで主将の本田君が連打を喫した。変化球がもう少し投げられれば重いストレートは生きただろう。ゲームセットの瞬間、呆然と打球と送球を見る西高ベンチ前の本田君が映し出された。二年振りの夏の甲子園。彼は悔いは無いと試合後語っていた。プロ入りして二年前の決勝戦で投げ合った現在楽天の田中投手との対決を煽る一部マスコミもあったが、卒業後の進路はどうするのだろう?
大会前あまり期待できそうになかった打線ではあるが、好投手清原君(常総学院)そして浦口君を相手に序盤こそ抑えられるも勝負どころでは連打が生まれ効果的に得点を重ねた。そして長崎日大戦はきっちりとした送りバントが目立った。
そして守備は鉄壁だった。特に三遊間は素晴らしかった。遊撃手小牧君は二年生。三塁手中川君は何とまだ一年生だ。一年生と言えば五番の斉藤君。常総学院戦は先制の二塁打を放ち、長崎日大戦は二安打を放った。 新チームで来春の選抜を目指してほしい。
そしてベンチにもスタンドにもいた3年生は残った高校生活を有意義に、そして卒業後も頑張ってほしいな。卒業後の人生を更に良くすれば高校生活の殆ど全てがいい思い出になる。京都西高の野球部諸君。本当に御苦労様。私も大いに楽しませてもらった。
そしてユニフォームもよかったぞ。次は私が在校生時代の NISHI のロゴを使ってくれ。
この試合は会社に着いてからも就業時間にかかわらずずっとワンセグで観戦していた。いやぁ~ありがたや文明の利器ワンセグ携帯。しかし、試合後は目が大いに疲れて午後の勤労意欲が全く沸かなかった事を書き落としてはならない….. 後輩たちよ、俺みたいになるなよ。
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