Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

テレマカシ マレーシア

2006-01-17 | Football Asia
最低気温が氷点下まで下がった関東地方を後にして空路をシンガポールに。そしてそのままBugis Bus Terminal に直行し約1時間。国境を越えてマレーシアのJohour に入った。シンガポールから続く雨は止むどころか更に勢いを増し、Johour でタクシーが捕まるまで雨に濡れる事を余儀なくされた。マレーシアではJUSCOが既に10店舗以上あり、この Johour 地区にも3店舗ある。その中の最大店舗がこの1月にオープンし、連日訪問客で賑わっている。しかし現地に赴任している JUSCO の方に尋ねると“2週間もすれば今の半分くらいになるでしょう。いつもそうですから。”と冷静だ。むしろ1月12日の Grand Open に訪問する本社の御偉方の方が気懸かりだったそうだ。 Johour と言えば記憶に新しい方も多いと思う。1997年11月、ここで行われたワールドカップ予選でイランを岡野の劇的な Golden Goal で降し、日本サッカー界の悲願が達成された思い出の地だ。その年の夏にはFIFA ワールドユース大会が行われ当地で日本は準々決勝でナイジェリアに敗れた。 ここマレーシアでは人口約2,500万人、そのうちマレー系が65.5% を占め、華僑系25.6% そしてインド系7.5% そしてその他の民族が 1.3% という多民族国家だ。東南アジアで最初にムスリムに改宗したのはマラッカの王で、人口の多数を占めるマレー系は敬虔なイスラム教徒が殆どだ。JUSCO で働くマレー系の女性もみな頭からヌカーブで包んでいる。そして訪問客の殆どは華僑系だ。大きな ショッピングカート に食料品等を入れている。JUSCO や Carrefour といった外資系のスーパーは地元の人から見れば値段が高く、ここで Daily Foods 等を買えるのは殆どが中流階級以上の華僑系だ。中華系の客で賑わう売り場では品出し補充をしているインド系の店員達がいる。インド系の多くは英国の植民地時代、大農場の労働者として同じ英国領であったインドから連れて来られた末裔だ。当地ではマレー系、華僑系よりもずっと生活レベルが低い。ここマレーシアではフィールドホッケーがサッカーと並んで人気のスポーツだ。一時期はインド、パキスタンに次いで3番手の地位を守り続けオリンピックへの出場実績も。最近は韓国が台頭してきたので今後の巻き返しが課題らしいが“人工芝での練習場さえ増えれば”とは地元のファン達。その原動力になっているのがインド系の選手達だ。国内リーグの報道も地元新聞で紙面を大きく割かれている。インドからやって来た“外国人選手”がそのリーグを盛り上げており、代表入りを目指して帰化する選手達も。2000年に大阪で開催されたシドニー五輪最終予選で日本はマレーシアに 1-2 で敗れたが、そのマレーシア代表にターバンを巻いたインド系の選手が何人かいた。だが一番の人気スポーツと言えばサッカーだ。しかし今はここでも他の東南アジア諸国同様話題にあがるのは欧州のサッカーで、一番人気は Premiership だ。街には LivepoolやChealsea のレプリカシャツを着た人達が。中田、稲本そして中村俊輔の事を良く知る地元のサッカーファンも。しかしマレーシアサッカーに就いて話題を向けると殆どは“どうしてそんな話を?”と言われてうのはまだましな方。そんなの全く興味なしと言われる事が多い。だが若い世代は知らないのかな?マレーシアこそかつて韓国、日本が勝てない時期があり堂々五輪にも出場した事を。続く


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