Mr.コンティのRising JAPAN

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1966年の功績 知られざる内側

2005-06-26 | Football Asia
奇蹟のイレブンを観て

先日楽しみにしていた映画を観て来た。英国のダニエル=ゴードン、ニコラス=ボナーが共同で製作し、2002年に発表された“奇蹟のイレブン”と言う映画で1966年にイングランドで開催されたワールド杯にアジア、オセアニア、アフリカ代表として参加した朝鮮民主主義人民共和国チームの活躍を纏めた記録映画だ。この二人はNHK衛星でも放映された同国のマスゲームに参加した家族を描いたドキュメンタリー“A State of Mind”の製作も行った。
この映画を製作するにあたり、北朝鮮当局と4年がかりで交渉をした上に協力を得られたらしい。当時の大変貴重な映像、例えば地区予選を前に合宿をする映像、カンボジアで行われたオーストラリアとの予選の模様、ワールド杯の試合を終えた直後のロッカールームや移動バスでの選手の様子など北朝鮮当局からの協力無しでは得られない映像だ。そして映画は当時の映像と、現在その奇蹟をおこしたイレブンがどう過ごしているかも紹介されている。イタリア戦で決勝ゴールを決めた朴斗翼(ぱく=とぅいく)は後に北朝鮮代表の監督となり、平壌にマンションも与えられている事が紹介されているが、私が最も驚かされたのは、政治犯収容所に入れられたはずの朴勝人が登場した事だった。事実ある脱北者が書いた手記に彼を収容所で見たと書かれており、同様に脱北した北朝鮮のあるサッカー協会の関係者も70年代に入って何人かのサッカー協会関係者が野放されたり粛清されたりと証言している。 だが、脱北者の手記は時には販売部数を伸ばすために大げさに表現されている事もある。 しかし、北朝鮮当局はプロパガンダの為に朴勝人のインタビューを演出させたのかもしれない。事実、もう一人の英雄でモントリオール五輪にも出場し、日本にも平壌 4 25 チームの一員として来日した事もある楊成国は今、煙草工場体育団のコーチを務めていると紹介されたが、彼ほどの経歴なら協会の要職についていてもおかしくない。そして朴勝人が今どんな職に就いているかも言及されていなかった。映画の中でも大会後、選手、役員が政治犯収容所に入れられたかと尋ねると彼らは真っ向から否定したと語られている。全てが明るみになるのは今の体制が崩壊した後かもしれない。
だが、彼らが1次リーグの間に滞在したミドルスブラの人達にいかに愛されたか、そして彼らがどれだけ礼儀正しく地元の人達に接していたかも紹介されている。当時は1次リーグの間は同じ地域でゲームをしていたので滞在期間も長かったのだが。そして準々決勝のポルトガル戦が行われたリバプールにはミドルスブラの人達多くかれらを追ってきていた。2002年に朴斗翼を始め当時の北朝鮮代表選手の何人かがミドルスブラを訪問し、当時かれらを応援した人々と旧交を温める企画があった事を知っていたが、この映像を見れば例えそれがプロパガンダであっても、ミドルスブラの人々が彼らを暖かく迎えた事がよく分かる。またその一方で共産主義国の受け入れ、国名呼称で当時の英国政府が頭を痛めていた事にも言及されている。事実2年前の東京五輪では韓国との兼ね合いで国名呼称問題から北朝鮮選手団は大会直前に祖国に引き上げていった。
映画は他にも彼らと対戦した当時のイタリア代表、ジャンニ=リベラやオーストラリアの選手のインタビューも紹介されている。 今をもってワールド杯史上彼らを上回る功績を残した代表チームは無いと言える。例え日韓両国が今後どれだけ成果を挙げても彼らの功績は褪せる事は無いだろう。
今、ジュニアユースではアジアではトップレベルにある北朝鮮サッカーの次の目標は2008年の北京五輪だろう。7月の東アジア選手権以降、どういう強化が施されるかが楽しみだ。


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