Mr.コンティのRising JAPAN

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SEA GAMES 2009 開幕  タイ伝説のスプリンター….

2009-12-13 | 陸上競技
2年に一度 11カ国のASEAN 諸国のアスリートが集うスポーツの祭典 SEA GAMES が12月9日に開幕をした。今回はラオスの首都ヴィエンチャンでの開催。12月18日まで28競技の熱戦が繰り広げられる。 2003年の12月にベトナムで開催された SEA GAMES のサッカーの決勝戦、ベトナム vs タイ戦をバンコックでテレビ観戦した事があるが、スタジアムの熱気はテレビのブラウン管を通じても充分に伝わって来た。

先月商用でバンコックを訪問した時、地元英字新聞の中に懐かしいタイのスプリンターの写真を見つけた。 Anat Ratanapol だった。 
1951年、インドのニューデリーで最初のアジア競技大会、所謂 Asian Games が開催され、以降多くの競技で日本人選手が素晴らしい活躍を積み重ねて来た。しかし男子 100m だけはなかなか金メダルを勝ち取る事が出来なかった。 1970年タイのバンコックで開催された第6回大会、日本の神野正英氏が日本人初の同種目金メダリストを目指して大会に臨んだ。その時のライバルが地元タイの英雄 Anat Ratanapol であった。  1970年代、日本をはじめアジアのスプリンター達が最も恐れたのがアジア NO.1 の実力を持つと言われたこの Ratanapol だった。 
レースは激戦の末、10秒5の同タイムながら神野氏が地元の大歓声を受けた Ratanapol を破り日本陸上界に最初のアジア大会100m金メダルをもたらした。
この時の様子を学生時代に本で読んだ事がある。しかし Ratanapol は200mでは神野氏を抑えて金メダルを勝ち取る。優勝タイムは 21秒1 。2位の神野氏は21秒5だった。更に 4 x 100m リレーでも Ratanapol を擁したタイチームは2位日本に 0秒3 の差をつけ40秒4の優勝タイムで金メダル。 Ratanapol は 200m そして 4 x 100m リレーの2種目にタイ史上初のアジア大会金メダルをもたらした。  Ratanapol の全盛は4年後、テヘランで開催されたアジア大会。 100m では神野氏, 200m では石沢氏ら日本人選手を全く寄せ付けず圧勝で金メダル。さらに 4x 100m でも優勝を果たし、3冠を達成した。 2年後のモントリオール五輪にも Ratanapol は出場し2次予選に進出した。 また 4 x 100m リレーにもエントリーしたタイチームはアフリカ勢のボイコットもあったが準決勝に進出した。 もちろん Ratanapol もそのメンバーであった。 
1978年の再びバンコックで開催されたアジア大会では全盛期を過ぎた Ratanapol は 200m で銅メダルを獲得したに留まったが、彼の後に台頭してきた同じタイの Suchat Chairsuvaparb が金メダル。 4 x 100m でも Chaisuvaparb と Ratanapol を擁したタイチームが日本チームを100分の1秒差でかわして金メダルを勝ち取った。またこの大会のタイリレーチームは女子も 4 x 100m リレーで日本を抑えて優勝し男女2冠を達成した。

    

日本人選手のその後のスプリント種目の金メダルは1998年三度バンコックで開催されたアジア大会での 100m, 200m で2冠の輝いた伊東浩二の偉業を待たねばならなかった。 

しかし1970年代興隆を見せたタイ短距離界は1980年以降凋落を見せ、1998年のアジア大会 100m で Seeharwong Reanchai が伊東に次いで2位に入っただけである。それでも 4 x 100m リレーでは 1998年バンコック大会で日本に次いで2位に入ると、2002年、2006年大会と連続して金メダルを勝ち取っている。 個人種目となるとここしばらくSEA GAMES より大きな大会では目立った戦績を上げられないタイスプリンター達だがこれには他のアジア諸国が台頭してきた事。そして今後の対策として、外国からのコーチを招へいしたりジュニア世代からの育成から始めなければならないと Ratanapol は語っていた。

2007年大阪で陸上競技の世界選手権が開催された。その時のタイチームの短距離コーチとして Suchat Chairsuvaparb 氏が来日していた。 前年のアジア大会では日本チームを同タイムながら抑えて 4 x 100m で2連覇を飾ったタイチームの“走り”を期待していたが、出場はしなかった。理由はわからない。

商用で訪れたニュージーランドで、タイの女性がホテルのレセプションに勤めていた。彼女に Ratanapol の話をすると非常に喜んで、1978年地元で開催された大会の事を話してくれた。特に 4 x 100m リレーの時の事は良く覚えているとの事だった。 しかし彼女は Ratanapol よりもその時 100m で優勝した Chairsuvaparb の方が好きだと言っていた。理由は彼の人間性が良いからとの事。 後に代表チームのコーチを務めたのでそれは当たっているかもしれない。 

SEA GAMES の男子100m決勝は12月13日だ。 誰が優勝のテープを切るのだろう。  そしてまた Ratanapol の様な伝説のスプリンターは生まれてくるのだろうか……..


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