歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

咲いた咲いた桜が咲いてソバの味が堕ちた

2012年04月09日 | つくば市の風景
昨日は、お天気は最高、青い空、白い雲で、桜を求めて、あちら、こちらを巡って来ました。

こちらは、「高崎自然の森公園」で、先ずは、桜は桜でも、芝桜からです。


未だ、5~6分咲きですが、それでも、とても眩しく、華やかです。


そして、梅、


そして、山盛りのスイセン。


太い幹から伸びた細い枝。とても可憐で、一生懸命で、可愛らしいです。


こちらはレンギョウ?だと思います。


そして、やっと、桜で~す!咲いてます!咲いてます!


未だ、5分咲き?


つくば市の名所、「農林試験場通り」の桜。


そして、こちらは、科学万博公園の桜。


こちらは、3~4分咲きといったところです。


それでも、あっち、こっちで、お花見です。次の土日の頃には、たぶん散り始めるでしょう。


こちらは、エキスポセンター近くの民家園。茅葺きをバックに枝垂れ桜。


中央公園には、時空戦士“イバライガー”が居ました。


子供達もイバライガーになれるようです。


お昼は、いつも行くお蕎麦屋。ところが、その蕎麦屋、いままでの場所から、向かい側に引っ越していたのです。TXが開業し“Qt”が出来て、人の流れが変わり、この地下の食堂街は閑散なのです。半分ほどがシャッターを閉めたのです。

それでも、この蕎麦屋の入り口には空席待ちで数人並んでいました。向かいの和食の店は、TXにもQtにも関係なく、ずっと、ずっと閑散でした。

遂に閑散の和食屋が諦め撤退し、その後に蕎麦屋が移転したようです。流行っていた蕎麦屋よりも、流行っていなかった和食屋は、店の面積が3~4倍も広いのです。

広くて、テーブルの配置もゆったりで、窓側の陽ざしも明るく、ヨカッタ!、ヨカッタ!で、連れは“とろろ蕎麦”で、私は“肉汁そば?の大盛り”をオーダー。

先に並盛りの“とろろ蕎麦”が運ばれて来て、その盛り具合に“オャ?”と、思ったのです。以前よりも、量が多く“見える”のです。


当然、大盛りは、かなり予想外に大盛りに見えました。この写真では残念ながら、大盛り感が表現できていません。実物はまさに“オャ?”だったのです。それと、肉汁ソバに御飯が付いてくるとは知りませんでした。

それで、その謎は、すぐに解けたのです。ザルの中央部が“出っぱって”いたのです。


何か、こういうことは、あまり、やっては、イケナイ事だと思います。実態よりも多く見せる魂胆には、瞞すとか、卑しいとか、狡いとか、抜け目がないとか、マイナスの言葉が浮かんできます。

以前は、真面目に、一生懸命に、そばを打っていたのに、何か、最近は、経営とか、商売とか、儲けとか、そんな事を優先しているのように“見えて”しまいました。

店が広くなり、行列も無くなり、行列効果分の客足が減り、面積を広くした分、賃貸料もそれなりに上がり、かなり経営的にムズカシクなり、そんな焦りの一つとして、“ざる裏返し盛り”なのでしょうか?


ザルは、中央部が凹んでいて、はじめて、ザルと云うのです。何か、そんなこと、あんなこと、いろいろ考えた所為か、ソバの味が以前よりも、何となく、堕ちたような、そんな気がしました。

いや、気がしただけでなく、明らかに、確かに、付け汁の味は、堕ちています。“トゲトゲ”しいと云うか、“カド”があると云うか、まろやかさが足りないのです。

これは、明らかに、“返し”を、じっくり、“寝かせて”いないのです。熟成させる、手間、時間を、かなり惜しんでいるのです。

強気の拡大経営策が裏目、裏目の、負のスパイラル地獄に? 

何か、花見の話しから、かなり逸れてしまいました。

兎に角です。つくば市の桜は、今年も綺麗に、咲いているのです。


それでは、また。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

つくば宇宙センターそしてゴミとシカ

2012年04月05日 | つくば市の風景
先日、気の向くまま、脚の向くまま、何となく、つくば市の中心地に向かったのです。

この日は天気も良く、とても快適なポタリング日和。

はじめて走る田圃道、何やら看板が、


何と、何と、豪族の館です。「豪族居館跡」で、“ゴウゾク・キョカン・アト”とのフリガナ。居館で、キョカンですか、これは遺憾!ナ~ンちゃって!独りギャグを飛ばしたりして・・・・・・。兎に角、この道路の下に、今も遺跡が眠っているようです。

梶内向山遺跡。このあたりの地名でしょうね。それにしても、何とも、まあ、統一感を壊す書体です。


このあたりで、こんなモノが発掘されたようです。資料の提供は“財団法人茨城県教育財団”ですか。最近はどうも、財団法人と云うと、何となく、天下りの受け皿的で、胡散臭く見えてしまいます。


この高架の向こう側で、今も、眠っているのです。


遺跡を越えて、畦道、裏道、狭い道を走っていると、こんなゴミ置き場を発見。

“燃えないゴミ”に“燃えるゴミ”この表現、最近見かけなくなりました。環境への影響を意識している表現として、“燃やすゴミ・燃やさないゴミ”とか、“燃せるゴミ・燃せないゴミ”何て表現が、最近のトレンドのようです。

学園東大通りに出ました。

ここは“梅園1丁目”とあるのですが、縦書き表記では漢数字の“一”の方がスッキリするのです。これって、最近のトレンド?

それは、それで、まあ、イイのですが、直ぐ後ろのバス停に、ここは“並木二丁目”と、横書きで漢数字、これは、これで、イイと思います。

でも、しかし、ここは、いったい何処なんだァ? 梅園1丁目なのか?並木二丁目なのか?

もしかして、町名表示板とバス停の間に境界線があったりして? 何て、考えつつ走っていると、“つくば宇宙センター”に到着。


「宇宙航空研究開発機構つくば宇宙センター」です。


H-2型ロケット?が横たわっています。つくば市には、いろいろな研究機関があり、見学が出来るのですが、ここが一番、絶対、面白いと思います。


それで、わたくしは、これまで、いろいろな研究機関を見学してきたのですが、ここだけは、まだ見ていないのです。一番美味しいところは、最後までとっておくのです。

最近は、“もうそろそろイイかなァ~”と思ってはいるのですが、この日も、外から眺めるだけで、我慢したのです。

外から眺めていると、足下に何だァこれ?


日時計だそうです。


何か、コムズカシイようです。


携帯で時間を確認し、日時計をじっと眺め、“そう云うことですか”と、それなりに納得、時間は11時50分でした。


それにしても、特別に何を警戒しているのでしょうか?


兎に角、昼飯タイムです。久しぶりのラーメン!美味しかったです。餃子も注文したのですが、ラーメンを食べ終わってから出て来ました。別々に食べるのは、何か、チョット、間抜けな感じ。


炭水化物を摂りすぎたので、休憩は短めにして走ります。食後1時間が勝負なのです。血糖値の上昇を抑えるのです。

見えて来ました!今度は立っているH2型ロケット。孫が3歳の頃、ロケットの真下に私が入ったら真剣な顔をして“じぃじぃ!危ないから!早く出な!と叫んだのを思い出しました。


可愛い孫のことを想い出しつつ走っていたら、この看板、ポイ捨て2千円、先日の北千住では千円だったような? 1万円でもイイと思います。


この看板、驚きました。ビックリしました。“鹿”を捨てない? シカ? 鹿? えッ~! ホントかよ?と思って、じっくり見たら、塵の字の下の「土」の部分が消えかかっていたのでした。


そんな、こんなのポタリングでした。


それでは、また。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京スカイツリーの下は東京物語

2012年04月02日 | 東京の風景
前回の続きです。

東京スカイツリーの周囲を歩いています。

今日が最終回になります。

スカイツリーを見終わり、これより帰路につきます。この日、行きは東武伊勢崎線の浅草駅で降り、吾妻橋を渡り、ウンコビルじゃなくて、炎のオブジェ、墨田区役所、長命寺の桜餅、言問団子、そして、業平橋駅、東京スカイツリーと、辿って来たのです。

帰りは、ぶらぶらと、路地を歩き、曳舟駅から東武伊勢崎線に乗ろうと思います。

こちらは、スカイツリーの真下、押上通り商店街です。ありました!“東京都指定食堂”の“大衆押上食堂”です。


残念ながら本日はお休みです。あの、戦中戦後の食糧難の時代に活躍した“外食券食堂”の面影を残す、東京都指定食堂なのです。“飲食営業臨時規整法”に基づく“東京都指定民生食堂”なのです。


2008年6月9日に記事を書き、2011年に“もう無くなった”と書いき、“まだ存在しています”と押上在住の方からコメントを頂いた“押上食堂”は、確かに、いまも、スカイツリーの足下に、しっかりと存在しておりました。

ホント、デジタル時代の電波塔の下、外食券食堂の面影を残す、東京都指定民生食堂が、いまもなお、ここに存在していました。

歳を重ね、未来よりも、過去が、ずっとずっと長くなると、こういう、古くて、消えそうなものに、自らを重ね合わせ、愛おしくなるのです。

でも、ホントのところ、外食券食堂はリアルタイムでの記憶はありません。でも、兎に角、それでも、いつか、何処かで、すれ違ったような気がするのです。

東京スカイツリーが開業すると、押上商店街は、これからどのように変化して行くのか?とても楽しみです。


この商店街の風景はどう変わって行くのか? それとも変わらないのか?


この、東京の“端っこ感”が、とても、とても、好きなのです。


こんな高層マンションの景色も現れ、


民家の先にスカイツリーが現れても、


路地も、


アパートも、


餅菓子屋も、町工場も、


日本そば屋も、


お風呂屋も、


みんな、みんな、好きです。「東京物語」の世界です。

それにしても、東京の端っこに暮らす、地方出身の家族を描いて、小津監督は何故?「東京物語」と云うタイトルを付けたのか? 

戦後の混乱から復興期、地方出身で、地方を引き摺る、東京暮らし一世達の「東京」での「物語」。


東京以外の地方で暮らす人達、東京の端っこで暮らす人達、都心の高級住宅地に暮らす人達、「東京物語」は、それぞれに、いろいろと、違って見えたことでしょう。きっと。

東京は地方出身者の集まりです。地方出身の曾祖父と曾祖母、東京生まれの祖父と祖母、東京生まれの父と母、そして、東京生まれが3世代続いて、初めて東京人の誕生。

いま、山田洋次監督によって「東京家族」と云うタイトルの映画が制作中だそうです。

世の中は、先の見えない停滞期、平成の時代です、地方を引き摺った東京人の物語ではなく、“東京人の東京での物語”のような気がします。妻夫木聡が主演のようです。

山田洋次監督は御年80歳の地方出身者ですから、もしかして、また、地方を引き摺った東京に出て来た人の物語だったりして? まあ、それは、それで、ありだと思いますけどね・・・・・・。

話しが逸れてきました。そんな、東京の端っこの、曳舟駅を目指して、二人で歩いています。この日は暑く、ドーナツ屋さんでアイスコーヒーだけを飲んで休憩。


曳舟駅。


特急の名前が、“りょうもう”です。いかにも、東武鉄道で、伊勢崎線で、イイです。


はい、これで、お終い。

それでは、また。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする