昨日の続きです。
この日は、洞峰公園の駐車場に車を入れ、公園を一周してカビオ方面に向かったのです。
このブログのタイトルは「歩く・見る・・・」なのですが、このところ“看板に偽り”ありで、「漕ぐ・見る・・・」ばかりで、歩かなくなりました。漕ぐ筋肉と、歩く筋肉は多少異なり、漕ぐより、歩く方が数倍カロリーを消費するようです。
「未だァ着かないわねェ!15分過ぎたけど?」
「距離の感覚がちょっと狂ってたかも・・・、このところ自転車ばかりだったから・・・」
この日は“連れ”がいたのです。結局、徒歩で15分との予想は大きく覆り、2倍の30分を費やしカピオに到着しました。
到着してすぐに、これです。エッ! オッ! 何だコリャ!の光景が展開。
牛一頭、丸ごと、解体実演販売です。
何故か?一瞬。不謹慎にも殺人現場のシーンが頭を過ぎったのです。恐ろしいです。こんな人目の多い、こんな場所で、白昼堂々、刃物を手に持って肉を切り刻んでいるのです。
こんなシーンに出会うのは一生に一度ぐらいでしょう。普段、発砲スチロールに綺麗に並べられラッピングされショーケースに並ぶ“お肉”は、こういう工程を経ているのでした。
骨からはずされ、バラバラに解体された肉の塊は、こちらでスライスされています。
でも、しかし、この丸ごと一頭、生解体販売は、何を狙っていたのでしょうか? 輸入冷凍肉ではない、“国産!新鮮!生肉!安全!安心!美味しい!”と云った、ところですかね。
“一頭ま丸ごと骨肉バラバラ解体実演販売”を見て、食欲をそそられる人は居ないと思ったら、かなり長蛇の列をなしていました。マグロの解体実演販売と“そうは、特に、変わらない”と、考える方がかなり居るようです。
解体現場のすぐ隣では、穏やかに“そばの手打ち”実演販売が行われていました。
それにしても、“解体”の隣が“手打ち”と云うのも何かの因縁、
と、思っていたら、その隣では、杵を振りあげ臼で餅をついていたのでした。つきたての餅に、アンコときな粉を付けて販売していたのです。
こちらも長蛇の列、
もし、これが“ぼた餅”だったら、“解体”に“手打ち”に“半殺し”で、冷酷、残酷、虐殺・・・・・・・、何て、非常に恐ろしく、凄惨な三題噺になってしまいます。
まぁ、そんな事、この会場で、考えていたのは、たぶん、わたし一人でしょう。実は“手打ちに半殺し”何て書いていたら、思い出したのです。
・・・山奥の一軒宿で、泊まり客が主人とかみさんが小声で“今晩は手打ちにするか、半殺しにするか”と、相談する声を聞いて、びっくりして逃げ出す・・・何てェ~、まくらです。
そんな、こんなで“六代目圓生”を思い出し、三題噺なんてェ~言葉が浮かんだのでした。
それと、圓生と云うと、もう一つ必ず思い出すのが、
“え~、江戸の名物は、てェ~と、伊勢屋、稲荷に、犬の糞、と申しまして、当時の江戸には、たいそう多うございまして・・・・・・”
何て云う、枕のふりが耳に残っているのです。まぁ、噺の本筋とはあまり関係無い、ホントに大した事では無い、そんな事ばかりなんですが・・・。
それにしても、七代目の跡目争いは、何処までが本気やら、何処までが洒落やら、たぶん、かなり本気なのです。本気過ぎて危険なので、洒落のオブラートで包まないと、かなり凄惨な争いになってしまうのです。
三人で、出方を探り、本音を探り、本気度を探り、世間の見方を探り、互いの有利差を探り・・・、と、いろいろ探りあっているのでしょう。わたしとしては“円丈”が好きなのです、円丈は継ぐと大化けしそうな気が・・・。
こちらでは、日本刀を振り回しての、ガマの油の実演販売。
かなり、会場は危険な様相です。
今日で終わるつもりでしたが、噺が落語関係に逸れてしまいました。
つくばカピオの話しは、明日も続きます。
今晩は圓生のテープなど引っ張り出して“江戸の夢”など聞いてみるか・・・・・・。
それでは、また明日。
この日は、洞峰公園の駐車場に車を入れ、公園を一周してカビオ方面に向かったのです。
このブログのタイトルは「歩く・見る・・・」なのですが、このところ“看板に偽り”ありで、「漕ぐ・見る・・・」ばかりで、歩かなくなりました。漕ぐ筋肉と、歩く筋肉は多少異なり、漕ぐより、歩く方が数倍カロリーを消費するようです。
「未だァ着かないわねェ!15分過ぎたけど?」
「距離の感覚がちょっと狂ってたかも・・・、このところ自転車ばかりだったから・・・」
この日は“連れ”がいたのです。結局、徒歩で15分との予想は大きく覆り、2倍の30分を費やしカピオに到着しました。
到着してすぐに、これです。エッ! オッ! 何だコリャ!の光景が展開。
牛一頭、丸ごと、解体実演販売です。
何故か?一瞬。不謹慎にも殺人現場のシーンが頭を過ぎったのです。恐ろしいです。こんな人目の多い、こんな場所で、白昼堂々、刃物を手に持って肉を切り刻んでいるのです。
こんなシーンに出会うのは一生に一度ぐらいでしょう。普段、発砲スチロールに綺麗に並べられラッピングされショーケースに並ぶ“お肉”は、こういう工程を経ているのでした。
骨からはずされ、バラバラに解体された肉の塊は、こちらでスライスされています。
でも、しかし、この丸ごと一頭、生解体販売は、何を狙っていたのでしょうか? 輸入冷凍肉ではない、“国産!新鮮!生肉!安全!安心!美味しい!”と云った、ところですかね。
“一頭ま丸ごと骨肉バラバラ解体実演販売”を見て、食欲をそそられる人は居ないと思ったら、かなり長蛇の列をなしていました。マグロの解体実演販売と“そうは、特に、変わらない”と、考える方がかなり居るようです。
解体現場のすぐ隣では、穏やかに“そばの手打ち”実演販売が行われていました。
それにしても、“解体”の隣が“手打ち”と云うのも何かの因縁、
と、思っていたら、その隣では、杵を振りあげ臼で餅をついていたのでした。つきたての餅に、アンコときな粉を付けて販売していたのです。
こちらも長蛇の列、
もし、これが“ぼた餅”だったら、“解体”に“手打ち”に“半殺し”で、冷酷、残酷、虐殺・・・・・・・、何て、非常に恐ろしく、凄惨な三題噺になってしまいます。
まぁ、そんな事、この会場で、考えていたのは、たぶん、わたし一人でしょう。実は“手打ちに半殺し”何て書いていたら、思い出したのです。
・・・山奥の一軒宿で、泊まり客が主人とかみさんが小声で“今晩は手打ちにするか、半殺しにするか”と、相談する声を聞いて、びっくりして逃げ出す・・・何てェ~、まくらです。
そんな、こんなで“六代目圓生”を思い出し、三題噺なんてェ~言葉が浮かんだのでした。
それと、圓生と云うと、もう一つ必ず思い出すのが、
“え~、江戸の名物は、てェ~と、伊勢屋、稲荷に、犬の糞、と申しまして、当時の江戸には、たいそう多うございまして・・・・・・”
何て云う、枕のふりが耳に残っているのです。まぁ、噺の本筋とはあまり関係無い、ホントに大した事では無い、そんな事ばかりなんですが・・・。
それにしても、七代目の跡目争いは、何処までが本気やら、何処までが洒落やら、たぶん、かなり本気なのです。本気過ぎて危険なので、洒落のオブラートで包まないと、かなり凄惨な争いになってしまうのです。
三人で、出方を探り、本音を探り、本気度を探り、世間の見方を探り、互いの有利差を探り・・・、と、いろいろ探りあっているのでしょう。わたしとしては“円丈”が好きなのです、円丈は継ぐと大化けしそうな気が・・・。
こちらでは、日本刀を振り回しての、ガマの油の実演販売。
かなり、会場は危険な様相です。
今日で終わるつもりでしたが、噺が落語関係に逸れてしまいました。
つくばカピオの話しは、明日も続きます。
今晩は圓生のテープなど引っ張り出して“江戸の夢”など聞いてみるか・・・・・・。
それでは、また明日。