歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

「全スト!?」と「燕楽」の「豚カツ」

2007年02月16日 | 食事の話し
以前、浜松町、新橋周辺を歩きました。

私が高校を卒業して、最初に就職した会社があるのです。今から40年も前の事になってしまいました。以前に触れたことのある「エレベーター」の会社です。

その日、浜松町の駅を降り、当時の経路で会社まで歩いてみました。
「貿易センター」の前を通り、大門方向に向かって歩いていたら、懐かしい「店」が「当時のまま」であったのです。

その「居酒屋」を見て、当時の事を思い出したのです。それまで、まったく忘れていました。店の名前が「秋田屋」だった事は覚えていません。しかし、この場所、この外観は「間違い」ありません。この店です。

「そうだ、ここで、何回か飲んだ事がある」そう思ったのです。一階が「立ち飲み」で、二階が「テーブル席」だったような気がします。いつも、二階で飲んでいました。

そう。ここで飲んで居て、話しの流れで「松戸」の「ストリップ」を観に行こうという話しになり、酔った勢いで3人そろって松戸に行った事を思い出しました。

その時、同期の新入社員2人と、松戸から通っていた「30代前半」の先輩社員の3人で飲んでいたと思います。その日は、その先輩の家に泊まったような「気が」します。当時、私は赤羽に住んでいました。

その先輩は、協力工場の「娘さん」と結婚して「間もない」頃だった「気が」します。家は「工場」の敷地の中にあったような「気が」します。そうだ「婿養子」だとか云ってた「気が」します。

全てが「ぼんやり」とした「曖昧」な「記憶」しかありません。遠い昔ですね。

しかし、そうです。ストリップが所謂、「全スト」と当時云われた「形式」だったことは「鮮明」に記憶しています。当時「うぶな18歳」でしたから、「全スト!」は衝撃でした。


秋田屋を過ぎ、交差点を渡り、愛宕警察の方向に向かいました。途中は裏通りを歩いたのですが、辺りの町並みは全く変わっていました。

「日本赤十字」の本社ビルは建て替えられていました。あの当時は広い庭が建物の前にあり、「赤レンガの建物」だったような気がします。

古い建物の写真が「ネット」で見つかると思い、検索したのですが、見つかりませんでした。現在の建物は、1977年完成となっており、30年も前の建物でした。そんな風には見えなかったけど・・・・・・・。

愛宕警察署も新しいビルに建て替えられていました。


当然、二階建ての「会社」も新しいビルに変わっていました。

会社も、周囲の景観も当時とは全く様変わりです。そこで、次に、そう!「食い物」です。

そう「豚カツ」です。豚カツを専門店で食べたのは「その店」が始めてでした。それまで「豚カツ」は、お肉屋さんで揚げた物しか食べたことが無かったのです。

それでも大変な御馳走でした。会社の近くの「豚カツの専門店」で、始めてべた豚カツの旨さにビックリしました。 牡蠣フライを始めて食べたのもその店です。

その店は、直ぐに見つかりました。会社から5分位の距離です。

この店です。当時のままです。まったく変わっていません。「豚カツ定食」が、「豚汁」と「キャベツにポテトサラダ」が付いて「500円」でした。

給料が2万6千円でしたから、かなり「高価」な昼食でした。それでも、週に3回は食べていた記憶があります。ホントに旨かった。

この店は、この頃「それなり」に「有名」だそうです。しかし、有名な割には「建物」が、40年以上「そのまんま」とは「何か不思議?」です。利益度外視で「美味しい豚カツ」を「追及し続け」ているのでしょうか?

「豚カツ」を「夢中で食べる」年齢は過ぎました。今までは「カツ」と云えば「ヘルシー?」な「チキンカツ」が専門になりました。チキンは「安く」て「柔らかく」て「美味しい」です。


今晩、久ぶりに「豚カツ」にと思ったのですが・・・・・・。
やっぱり。「チキンカツ」にします。身体に良さそう何で・・・・・・。
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