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近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

下山事件は「謀略」!?1ヶ月の命

2006年11月17日 | 下山事件
前に、帝銀事件(1948年・昭和23年1月)の現場周辺を歩いた時のことを書きましたが、今回は下山事件の現場周辺を歩いた話しです。

帝銀、下山とくると、三鷹、松川と繋がって頭に浮かびます。すべて、私が生まれる前、1年から2年前に起きた事件です。

帝銀以外は「下山、三鷹、松川」は国鉄を舞台とした事件です。4件は間違いなく「謀略事件」ですね。

下山事件は1949年7月5日に発生。三鷹事件も同年7月15日に発生。松川事件も同年8月17日発生しています。この時期、この連続性が「臭い」ですね、何か「怪しい匂い」が漂ってますね。

※各事件の内容はネットに多くの情報があります。詳細そちらで調べて下さい。調べると、多分「はまって」しまい、睡眠不足になる可能性大です。

それでは、全く知らない方の為に、下山事件の一応概略の説明です。
昭和24年7月6日午前零時19分に貨物列車により轢断された国鉄総裁「下山定則」の死体が発見されました。

現場は常磐線綾瀬駅の手前で、東武伊勢崎線と交差する、線路が緩やかにカーブし、前方が見にくい地点です。

これが下山さんです、47歳で亡くなりました。この歳で「国鉄総裁」ですからね。鉄道省から公社に変わったのが6月ですから、就任後1か月で亡くなった訳です。

それで、この事件は当初より「自殺説」と「他殺説」の論争があったのですが、捜査本部は正式な結論もなく12月に解散。

そして、現在まで「論争」は続いているのです。

私としては、「謀略事件説」ですから、当然「他殺説」です。

当時の世界は、第二次大戦が終わり、「自由主義」対「軍国主義・ファシズム」の闘いから「資本主義」対「共産主義」の闘いに変化した時期であり、日本に置いてもアメリカの占領政策が「民主化政策」から、「反共政策」へ転換した時期です。

「民主化政策」として「育成」してきた労働組合を、「反共政策」に転換したことにより「弾圧」し始めたのです。「下山、三鷹、松川」事件を契機として「労働組合の勢力は低下していきます。

組合の勢力低下は「共産党」の勢力低下に繋がりました。翌年の1950年に朝鮮戦争が勃発し、そして、今現在まで「休戦状態」が続いています。

状況証拠としての世界情勢、そして、事件により誰が「利益」を得たのかは明らかだと思います。

そして、事件の詳細においても、死後に線路に置かれた「死後轢断」の東大鑑定に合理性があること、「生体轢断」の慶応鑑定は書類による鑑定で、鑑定とは言えないこと。

又、、自殺説の大きな根拠となった「末広旅館」の女将の証言が、下山の特長を、詳し過ぎるほど覚えており「不自然」であること。

【下山総裁を見かけた証言のあった東武線五反野駅】

そして旅館の経営者が「元特高警察官」であったことから、証言の信憑性に疑問。(下山事件後、旅館の「羽振り」がよくなった事。証言に対する「報酬」の可能性あり)

【下山総裁が休憩した末広旅館があった場所】


【下山総裁「追憶」碑・・・・・・常磐線のガード脇にあります】



【ガード脇の公園・・・・・・この先あたりが現場です】


それと、もし自殺としても国鉄総裁が「鉄道自殺」するのは「不自然」です。下山の性格から、自らの組織、部下に対して迷惑のかかる死に方しなかったと思う。もし、自殺するならば首を吊るか、服毒等の他の手段をとる筈です。

現在の論争も、「自殺説」対「他殺説」ではなく、他殺を前提とした「犯人」探しです。

就任後、1ヶ月で殺された下山総裁。はじめから殺される事を前提として「選ばれていた」そんな可能性も感じるのです。

初代から、民営化されるまでの10代の総裁がいましたが、10人の内、1人が死亡、7人が引責辞任です。国鉄は誕生から不幸な組織だったのですね。

 
初代:下山定則(S24.6~S24.9・同年7月に下山事件で死亡)
第2代:加賀山之雄(S24.9~S26.8・桜木町事故で引責辞任)
第3代:長崎惣之助(S26.8~S30.5・紫雲丸事故で引責辞任)
第4代:十河信二(S30.5~S38.5・東海道新幹線建設費問題で辞任)
第5代:石田禮助(S38.5~S44.5・高齢により引退)
第6代:磯崎叡(S44.5~S48.4・上尾事件で引責辞任)
第7代:藤井松太郎(S48.4~S51.3・違法ストに対する引責辞任)
第8代:高木文雄(S51.3~S58.12・国鉄再建に関して政府の圧力を受け辞任)
第9代:仁杉巌(S58.12~S60.6・国鉄分割民営化で政府と対立し辞任)
第10代:杉浦喬也(S60.6~S62.3・最後の国鉄総裁)
(Wikipedia調べ)

現場周辺を歩き回り、「下山、三鷹、松川、轢断、五反野、末広旅館」言葉の響きから、暗いモノトーンの世界を連想しました。

翌年に朝鮮戦争が始まり、日本の経済が復興し「高度経済成長」の時代に入る訳です。日本の「影の時代」の出来事であった「下山事件」。

調べれば、調べるほど「謎」が深まり、事件発生時よりも、事件発生後の経過の中に、より「謀略」の匂いを強く感じる、複雑怪奇な謀略事件です。

しかし、最近は、全く別の事を感じたりもするのです。それは「複雑に見えるものこそ単純である」という事です。

それは、下山総裁の死は「個人的」な理由によるもので、死後「情報機関」により、「謀略的」情報を流し、政治的に利用したのではないかという疑問です。

まぁ。兎に角、真実は永久に闇のなかでしょう。
「真実」と認定する、機関、組織、個人など無いのですからね・・・・・・。

国家がこれが「真実」だと云ったところで、信用できませんからね、それは歴史が示す「真実」ですから・・・・・・・。

              

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