歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

シャルリー・エブドは“週刊チャーリー”と表記で言論の自由に?マークが?そして、チャーリー浜は何処に?

2015年01月15日 | 世間話し
どうも、何か、変?、と、思っていたのです。

やっと、マスコミも、それなりに、“週刊チャーリー”の編集方針に、疑問を投げかけた、記事や意見が、ちらほら、目にし、耳にするようになり、少し安心しています。

テロは絶対に、絶対に、容認できません。しかし、表現の自由を錦の御旗に、イスラム教を侮辱することも、絶対に、絶対に、容認できません。

11日のフランス全土での大規模デモに、“9・11”の報復として“テロとの戦争”を宣言した、あのアメリカの、あの熱狂が、オーバーラップするのです。

不況で低支持率の“オランド大統領”も、テロとの戦争を宣言したようです。オランドも、週刊チャーリーも、表現の自由を守る!“自由・平等・博愛のフランス!”と云いたいのです。

でも、です。外から冷静に見ていれば、明らかに、そこには、フランスとしての、フランス文化優位の、上から目線からの、匂いを強く感じるのです。

イスラム教文化圏の“経済的貧しさ”から逃れ、キリスト教文化圏に移住してくる現状を、文化の優位性と誤解しているのです。

GDPと文化とは直接的な関係性は有りません。貧しくても豊か、豊かでも貧しいのです。

それで、チャーリーですが、イスラム教が偶像崇拝を堅く禁止している事を承知していながら、“ムハンマド”を描いて、“すべてのイスラム教徒”を侮辱し、原理主義者を挑発し、そして、それこそが、フランスの“エスプリ”であり、表現の自由だと叫んでいるのです。


確かに、彼らは、それなりに“イスラム教侮辱”にも命を懸けているのでしょう。でも、しかし、ちょっとお門違いだと思います。もっと、もっと、命を大切にして下さい、と、私は。云いたい。

それにしても、日本のマスコミの“シャルリー・エブド”と云う表記ですが、“エブド”固有名詞ではないので、日本語では、“週刊”と翻訳表記すべきです。

そして、“シャルリー”は親しみ易い英語表記で“チャーリー”とすべきです。元々は、アメリカ漫画の、“チャーリー・ブラウン”から命名したそうですから。

そもそも、“シャルリー・アブド”は、“週刊チャーリー”で、“軽いのり”で、少し怪しい、少しいかがわしい週刊紙なのです。フランス語に弱い我が国では、高級そうな誤解を招きます。

そうなんです!チャーリーと云えば、アノ!吉本新喜劇の“チャーリ浜”です。最近はまったく見かけなくなりました。

チャーリー浜は何処に?


それでは、また。





コメント (2)
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