歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

鎌倉を歩いて見たい ① 原節子さんは浄明寺の何処かに?

2014年04月25日 | 鎌倉の風景
忘れていたと云うか、見逃していたと云うか、鎌倉!

鎌倉と云えば、鎌倉幕府で、大仏さまで、鎌倉文士で、そして、そして、私にとっては、何と云っても“原節子”なのです。


※1951年 成瀬巳喜男監督作品の『めし』

原節子は、いま現在も、鎌倉の地で、“会田昌江”として暮らしているかも?1920年6月17日の生まれですから、もうすぐ94歳になります。

原節子さんは、小津安二郎監督の葬儀に(昭和38年・・・1961年)に、会田昌江として姿を見せてから53年もの間、世間に顔を見せていないのです。すべての取材を断っているのです。

マスコミにその姿が載ったのは、昭和45年の週刊平凡、昭和50年のTBS、昭和53年の週刊文春、昭和58年のフォーカス、昭和60年のEnma、平成の12年のはフライデー、そして、平成14年の女性自身が最後でした。すべて隠し撮りです。

昭和54年(1979年)の週刊文春の写真、『めし』から27年後で、この時は58歳。今から36年も前の58歳としては、かなり、かなり、お若いと思います。


ホントに、余談ですが、ぱっと見、しぐさ、顔立ち、立ち姿が、ことしで65歳になった、私の連れ合いに似ているのです・・・・・・失礼しました。

それで、折角、鎌倉に行くのであれば、是非とも、“節子さん”のお住まいに、密かに接近し、近接した空間の、陽ざしを、空気を、風を、匂いを、音を、このからだで感じたいのです。

それで、いろいろ情報を集めて見て、複数の情報から、かなりの確度で、お住まいの場所を絞り込めました。

最初は、大仏から、鎌倉駅を挟んで、ちょうど反対側に位置する、ある“お寺”に近接する住宅地の一画との情報を見つけました。


次に、そのお寺は“浄妙寺”であるとの情報を見つけました。

※この地図の範囲に原節子さんのお家があると思います。

そして、浄妙寺の参道を左に折れた一画で、傾斜地で住宅はそれなりに密集して、裏手は山林との情報を見つけました。

でも、しかし、です。この居場所を探っていたら、どうも、この浄妙寺の近辺で暮らしていたのは、どうも平成14年あたり迄のようで、それ以降は、お身体の具合が悪く、東京の医療施設に移られたとの情報を見つけました。

でも、しかし、しかし、です。いゃ、現在も、この鎌倉の“浄明寺”の地にお住まいとの情報もあるのです。因みに、住所表示は“浄明寺”で、お寺の名称は“浄妙寺”と表記されます。お寺と同じ表記では、恐れ多いとの配慮のようです。

浄妙寺は、

『浄妙寺(じょうみょうじ)は、神奈川県鎌倉市にある臨済宗建長寺派の仏教寺院。山号は稲荷山(とうかさん)。詳名は稲荷山浄妙広利禅寺という。本尊は釈迦如来。開基(創立者)は足利義兼、開山(初代住持)は退耕行勇。鎌倉五山の第五位。鎌倉三十三観音第9番 創建年文治4年(1188年) 』・・・ウィキペディアより転載

と云う事で、それなりに由緒正しいお寺のようです。

ここまで判ると、歩いて見たくなってきました。

鎌倉はと云うと、湘南に近い。

鎌倉を歩いて見たいは、まだ続きます。

それにしても、ここまで辿り着くには、昨日から、それなりに時間が掛かったのです。


では、また。



コメント (6)
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