先日、久しぶりに電車に乗って東京を通過し川崎市に行って来ました。
実は姉が入院したのでそのお見舞いです。入院と云っても重篤で明日をも知れぬ・・・何て病ではありません。『変形性股関節症』で手術をすることになったのです。
それで、入院した病院ですが、歴史と伝統のある日本の工業地帯の代表、京浜工業地帯の労働災害による被災労働者対策をメインに昭和32年(1957年)に設立された“関東労災病院”です。
神奈川県川崎市中原区に所在するのに、神奈川労災病院でもなく、川崎労災病院でもなく、中原労災病院でもなく、関東と名告っているのには何か訳がある?
関東があると云う事は、関西には“関西労災病院”が、と、思ったら有りました。東北には“東北労災病院”があり、九州には“九州労災病院”がありました。
でも、関東には、“東京労災病院”があり、近くには“横浜労災病院”有るのです。
それで、規模をベット数で見た場合てすが、東京が400床で、関東が610床で、横浜は650床で、横浜が一番なのです。
でも、開設は横浜が平成三年で、東京が昭和24年で、関東は昭和32年で、関東労災病院は規模では“関東№2”で、開設時期でも№2で、それでも、関東を名告っているのです。
それで、労災病院は全国に34箇所あり、“労働者健康福祉機構”と云う独立行政法人が運営しているのでした。昔は労働省がやっていたのです。
はい、長くなりましたが、労災病院のお勉強を終わります。
それで、“関東労災病院”へのお見舞いですが、姉からは東急東横線の元住吉駅からが近いと云われたのです。地図を見たら、横須賀線の“武蔵小杉駅”からも近いことが判り、それと、“武蔵小杉駅”と云う駅は、近くに“3つ”もあることが判ったのです。
私にとっては、武蔵小杉駅が狭い範囲に三つもあった!とは、とても、とても、大発見なのです。東急東横線の武蔵小杉、南部線の武蔵小杉、横須賀線の武蔵小杉、こんな事は他には無い?
それで、どうやって行くかと考えたのです。東急東横線の“元住吉コース”だと、常磐線北千住で乗り換え、日比谷で乗り換え、中目黒で乗り換えで、乗り換えは3回、1時間49分で1160円。
“武蔵小杉コース”は、日暮里乗り換え、品川乗り換えの2回乗り換えで、1時間40分で1110円です。50円安くて、9分早くて、乗り換えが少ない、これはもう決まりです。
それに、それにです。“横須賀線”には、これまで63年の人生で初めてなのです。兎に角、ワクワク、ドキドキの初体験です。
と云う事で、日暮里駅に到着。
この日は暑かったのです。
久しぶりの日暮里、
山手線に乗り換えます。“山手線”は“やまて”だったか?“やまのて”だったか?案内板をよく見ると“Yamanote”とありました。
オジサンの若い頃は“ヤマテセン”でした。戦後、米軍が駅にローマ字で“Yamate”と表記した為に、“やまのて線”が“やまて線”になり、戦後は終わったと云う事で、数十年前に“やまのて線”に戻ったのでした。
それで、品川駅で降ります。
品川駅に降りるのは、たぶん、数十年ぶり、案内板を頼りに、横須賀線のホームを目指します。
品川駅は変りました。海側は暗い工場街に倉庫街だったと・・・、今ではオフィスビル街に変貌し、新幹線も発着するのです。
連絡通路を進みます。
曲がります。
“駅中”のショッピング街もできました。
ここが中央連絡通路?
横須賀線の15・16が無いけど・・・、たぶん、コッチ?
有りました! 横須賀線ホーム。
ここで、数分待ちます。
東京駅方向を見ると、人影は疎ら、こんな風景が、私にとっての横須賀線のイメージ。
兎に角、生まれて初めての横須賀線を待ちます。
きょうは、ここまで。
それでは、また。