歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

新潟市⑦ やっぱり美川憲一で新潟ブルースです!

2012年01月31日 | 旅の話し

先週の続きです。

まだ、新潟市内を歩いています。

来た時とは、反対側の歩道を歩いています。

萬代橋を渡り終え、すこし行ったその先に、何かの碑のようなものが見えて来ました。萬代橋の周辺には、いろいろな碑が建っているようです。何たって萬代橋と云えば、東京の日本橋と互角の“重文”ですからね。


やっぱり!ありました! “新潟ブルース”の歌碑です。


歌が流行ったのが、昭和42年(1967年)あの“美川憲一”のヒット曲です。“黒沢明とロス・プリモス”との競作だったそうですが、美川憲一の記憶しかありません。

市政100周年は1989年(平成元年)ですから、碑が造られて22年。曲がヒットしてから45年。

想えば、45年前はわたくし、まだ高校生の頃でした。こんな詞を、どんな気持ちで聴いていたのか?あれから、いろいろとあって歳月が流れ、いま、こうして新潟を訪れ、ひとり歌碑に向かって立っているのです。

美川憲一の声が聞こえてきます。歌詞をじっと見つめていると、それなりに味わい深いのです。萬代橋の傍らで“新潟ブルース”は、とても、とても、心は旅愁になるのです。

しばし、歌碑の傍らで、旅の寂しさを味わい、そして楽しみ、休日の人気の無い街を、宿に向かってひとり歩きはじめます。宿では“連れ合い”が帰りを待っているのです。


こちらも、やっぱり!の、新潟で“江戸前”の“万代寿司”です。萬代橋の側にあるから万代寿司。かなりストレートな命名です。店の外観は、“重文”の萬代橋と同じく、かなり歳月の移ろいを感じさせます。


こちらは、欄干だけが残る“鏡橋”この辺りは昔、掘り割りが多くあったそうです。新潟国体(1964年)向けて、いろいろ町並みが整備され、昭和30年代末頃までにすべて埋められたのでした。これは、その名残の欄干です。


もうすぐ宿に着き朝食です。


それでは、また。


コメント (2)
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