歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

①映画“利休”で細川護煕

2011年09月20日 | 映画の話し
いつものように、NHKのBSで放送されたもを録画しての鑑賞です。

やはり、放送当日に観るよりも、好きな時間に、観たくなったその時に、勝手に観るのが良いのです。

それにしても、今回の“利休”は、“濃かった”です。録画で観てホントに良かったと思うのでした。あまりの濃さに身体が固まってしまうのです。眼を離せないのです。トイレに立てないのです。でも、録画でしたから、何回か眼を離しトイレにも立ちました。

1989年公開、監督勅使河原宏、脚本“赤瀬川原平”と勅使河原宏、原作は野上彌生子の“秀吉と利休” 上映時間2時間15分。


最初から最後まで緊張の連続でした。どの場面、どの台詞、すべてに無駄が無いのです。完成されているのです。まさに“わび茶”の世界でした。かなり悩み、かなり疲れ、かなり納得したりするのです。映像、音楽、衣装、なかなかよくできた作品です。

三国連太郎の利休。


山崎努の秀吉。


でも、しかし、わたしとしては、この手の“権力闘争話し”はあまり好みではありません。どうして庶民が、好むのか不思議なのです。

歴史を、映画や小説で、人間ドラマとして娯楽として見るのは、それなりに面白く、それなりの知識と一般教養が、楽しみながら身についた気分になれるのかも知れません。

“利休”は、当然、映画ですから、あくまでも野上彌生子さんと、勅使河原宏さんと、赤瀬川原平さんの解釈です。

でも、今回の「利休」はそれなりに“へェ~、ほォ~、そうなの、なるほどねェ”、と納得したり、感心したり、それなりに、興味津々で、面白かったのです。

野上彌生子の原作は“秀吉と利休”、映画のタイトルは“利休”で、“秀吉”は消えています。原作は読んでいませんが、秀吉と利休の両方の視点で描かれているので「秀吉と利休」、映画は利休を中心に描き、「利休」としたのでしょう。

それにしても脚本が、あの“トマソン”の、あの“路上観察学会”の“赤瀬川原平さん”が草月流家元の監督と、共同作業とは驚きでした。わたしとしては、この二人が、どこで、どう繫がったのか、とても不思議です。

「トマソンと路上観察」は、とても、とても、“わび、さび”の世界なのかも?


それにしても、冒頭近くのシーンで、何処かで見たような殿様だと思っていたら、


エンドロールに名前を発見。


数秒のカットでしたが、本物の殿様が演じていたのです。1989年当時は熊本の県知事時代です。この4年後に権力の頂点、総理大臣になるのでした。

懐かしさだけではなく、最近の政局では野田氏を担いで、裏でそれなりに動いていた事が、すこしずつマスコミが伝え始めた今日この頃。

豊臣秀吉に、千利休に、細川護煕で、民主党野田政権で、なかなか、今っぽいドラマとして、見えても来るのです。


それでは、ここらで、この先は次回とします。


コメント (3)
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