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歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

女化道標“左右問題”これでスッキリ!

2009年03月31日 | 女化道標問題
昨日は般若院の垂れ桜でしたが、龍ヶ崎まで来たのですから、序でに近くの“女化道標”に寄って来ました。

先だって、牛久市教育委員会に質問を送った件は、3月6日記事にしましたが、その回答が、やっと、3月25日に届いたのです。


---引用開始---

****様

女化の道標について3月6日にご質問いただいた件ですが、不明な点が多く現段階では、回答を用意することができませんでした。

つきましては、4月に行われる“文化財保護審議会”に調査を依頼する予定ですので、回答をもう少しお待ちください。よろしくお願い申し上げます。

  牛久市教育委員会 生涯学習課 **


---引用終わり---

牛久市にも、文化財保護審議会があるのです。最初の“裏表”に関する質問の時は、

“詳しい方や茨城県文化課と検討し、正式な向きを掌握してまいります”

との回答でしたが、やっと、2回目の質問で、やる気を起こしたようで、“牛久市文化財保護審議会”が動き出したのです。


そんなこんなで、道標の様子が気になり覗いてきたのです。

それで、この日は、その場の思い付きで、遂に!大胆にも!独自!の“調査活動”を実施し、新しい事実を発見したのでした。

それで、調査活動なのですが、道標の埋もれている文面を、発掘したのであります。


発掘活動は、道標の足下を被う枯れた雑草を引き抜き、土を靴で踏み固め、道標を5㎝ほど露出させたのです。

この調査の目的は、「左側」に“右わかしば”、「右側」に“左りゅうがさき”と刻まれている問題です。


説明板の文面を図にすると、こう云う事になります。
     

“右わかしば”を「左側」に刻み、“左りうがさき”を「右側」に刻んであると、云うのです。不自然だと思うのです。そこで、「右」は「左」の間違いでは? 「左」は「右」の間違いでは、と思ったのです。

どうですか? “右わかしば”と読めますか? 「右」誤りで、正しくは「左」と刻まれているのでは? 


ちょっと修正して見たのですが、「左」と読む方が違和感が少ないのでは?

それでは、“左りゅうがさき”は、と云うと、


どうでしょうか? 「右」と読めませんか? 書き順から云えば「一」の横棒が先で「ノ」の縦棒が後になって、「左」の書き順になっています。

でも、しかし、大正時代に教育を受けた母は「右」と読みました。書き順も「横棒→縦棒」だと、断固主張しています。

“ああじゃない!、こうじゃない!”と、親子で協議の結果、これは「右」に間違いないとの見解に至ったのです。

それで、道標の地理的な関係を略図にすると、こうなるのです。


“左”に行けば「わかしば」があり、“右”に行けば「りうがさき」があり、道標との関係は“とてもスッキリ”するのであります。

どうでしょうか、この解釈は、牛久市教育委員会の説明板とは解釈を異にします。

今回、わたくしの質問に対して、牛久市教育委員会は「文化財保護審議会」に調査を依頼するそうです。どのような見解が出るのか楽しみです。

それで、次回は、田宮問題をいろいろと考えます。

“ザルツブルクを歩く”は、お休みです。


それでは、また明日。


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女化道標の“裏表・田宮・左右・西酉”問題について

2009年03月06日 | 女化道標問題
また、また、牛久市は“女化道標”ついての問題です。

先日、牛久市教育委員会より送られてきた、資料について、下記の質問を教育委員会に送りました。


牛久市教育委員会生涯学習課 ** 様


先日は、ありがとう御座いました。送って頂いた資料・・・「牛久市史料」石造物編・・・参考になりました。

それで、気付いた疑問点を、2、3質問をしたいと思います。

ここに書かれている文面は、道標に刻まれていた文面を、「そのまま」転記したものと解釈して話しを進めます。

それでは、一つ目の質問です。

道標の脇に建てられている「説明板」の文面と、史料に書かれている文面が、一部異なるのですが、「説明板」の文面は、何か別の史料も参考に書かれたのでしょうか?

    【「牛久市史料」石造物編より 】
     

      【 説明板より 】
       

史料では、“西ハたぐ・・・”と書かれていますが、説明では、“西はたみや (田宮)”となっています。

“田宮”は、現在においても、「たぐう」と読むのが一般的であり、日本郵政の郵便番号表の読みも「たぐう」と表記されています。

宝暦14年から、現在に至るまで、田宮の地名は「タグウ」と呼ばれてきた事実に対して、敢えて「たみや」と表記したのは、どのような理由があるのでしょうか?

田宮の読みは「正式」には、「たみや」であり、「たくー」とか「たぐー」は、「訛」と解釈されたのでしょうか? 

この変化は、五浦海岸の五浦(いつうら)が、いまでは“いづら”となってしまった様に、茨城訛の、特徴である、「短縮」と「濁音」による変化と同一とも、解釈できます。

田宮も、この変化過程を辿り、「たみや」が「たぐー」と云われるようになったが、ここは敢えて教育的配慮で“訛”を訂正し、正しい読みに戻した?


二つ目の質問です。

史料では、“犬いハ志しこ”とあり、説明では“(乾猪子)”と、かっこで一括りに表記されていますが、「犬い」は、「乾・戌亥」で、お解りと思いますが、十二支による方向表記で、「戌」と「亥」の間、北西方向を意味する訳です。



説明板の“乾猪子”との表記では、方向表記と地名表記が、一つに括られ、「乾猪子」と云う地名が存在するような誤解を招くと考えます。如何ですか?



そして、三つ目の質問ですが、

これは、両方に云える事なのですが、「右は若柴」と“左側”に書かれ、「左は龍ヶ崎」と“右側”に書かれています。これは、どのように解釈されたのでしょうか?

実際にその様に刻まれているのか?、誤った転記なのか? 現状では、道標の下半分程度が土に埋もれて確認できません。

それと、質問2の、方向表記に関係するのですが、史料でも「西」と表記されていますが、「酉」と刻まれていたのでは?との疑問です。

方向表記は「十二支表記」で統一され刻まれていると思うのです。

それで、です。

西と酉の件、右左の件、そして、一回目の「表裏問題の件」、を併せて、一度、道標の現地確認を実施するお考えはありませんか?


以上、質問と、お願いです。


よろしく、ご検討下さい。

 --- 以上引用 ---

と云う、ことです。


それでは、また来週。



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牛久市 “女化道標” 裏返し問題”で教育委員会の見解は?

2009年03月02日 | 女化道標問題
今日は“ブタペスト”はお休みします。

それで、1月19日に「牛久を歩く“女化道標は狐の悪戯”」の記事で触れた、道標の“裏表”の件についてです。

あの後で、どうも気になり、「裏表問題」を解決する為、翌日、「牛久市教育委員会」宛に質問のメールを送りました。

※教育委員会のメールアドレスは「指導課」しか載っていなかったのですが、当然、担当部署に連絡は行くと思って指導課宛に送信しました。


---以下引用---

はじめまして、早速ですが、先日、「女化道標」を訪ねたのですが、一つ疑問が生じましたので質問をいたします。

説明板を読み、


「みぎ若柴、ひだり龍ヶ崎」との説明、及び、分岐の道標ですから、この方向が当然に表と考えたのです。
地理的に見ても、右は若柴方面ですし、左が龍ヶ崎で間違い有りません。

【写真-1】


ところがです。

道標に近づいて見ると、「すぐ」と、


「道」の、


3文字だけが確認できました。

「説明板」では、“裏面に” 西はたみや   すぐは水戸道・・・・・・・・と、あります。

それで、道標の裏側を確認すると、


ハッキリと「南無阿弥陀仏」と、「宝暦」の文字が確認できます。 

ですが、説明板には、

「表面に」、「南無阿弥陀仏」と、「宝暦」の文字が・・・・・・・と有ります。


それで、まとめると

1、分岐点の道標ですから、当然、「表面」は 【写真-1】 の方向が正しい。

2.すると、【写真-1】の方向から見た、道標の面には、「南無阿弥陀仏」と「宝暦」の文字が
  刻まれている筈。

3.しかし、写真側の表面に刻まれている文字は「すぐ・・・・・・道」の文字。

4.ウラ側には、「南無阿弥陀仏」と、「宝暦」の文字がせ刻まれている。

1~4の事実から、道標は「表」と「裏」が、「逆」になっているのでは?

それとも、土に埋まっていて見えない部分に、説明文に書かれている文字が刻まれているのでしょうか?

推測として、道路の拡張ないし整備で、業者が掘り返した後で、逆に埋めてしまった? 

まぁ、それは、どうでもいいのですが、兎に角、何とも、スッキリしないので、スッキリする説明を窺いたく、メールを差し上げました。


よろしくお願い致します。

---引用終わり---


それから、1週間、2週間、・・・・・・、そして、3週間が経っても、何の返事もありませんでした。

そこで、2月3日に催促のメールを入れました。

---以下引用---

1月20日に下記の質問を送ったのですが、回答が未だにありません。

いつ頃になるのでしょうか?

それとも、アドレスが不明と思われたのでしょうか?

念のためにアドレスを送ります。

お忙しいところ申し訳ありません。

---引用終わり---


そして、返事を待ったのですが、1週間経っても、2週間経って返事はありません。

そこで、牛久市のホームページから、何処か関係ありそうな部署として、「商工観光課」のアドレスが載っていたので、メールを入れたのです。

今度こそ、担当外であっても、担当部署にメールを転送されるだろうとの期待を込めて、2月18日にメールを送ったのです。


---以下引用---

下記の内容について、1月20日と2月3日の2回問い合わせを行ったのですが、未だに回答がありません。

教育委員会では、この内容は管轄外として、無視されたのでしょうか?

それとも、ホームページに載っているアドレスは実質的に閉鎖されているのでしょうか?

商工「観光」課とありましたので、まったく無関係とも云えないので、メールした次第です。


             宜しく。

---以下終了---


そして、「商工観光課」から、教育委員会に転送され、1月20日の質問メールが、やっと教育委員会に届いたのです。


---以下引用---

******様

返事が遅れまして申し訳ありませんでした。こちらのメールアドレスは、教育委員会の指導課といいます。生涯学習課の方にもメールが行っているものと思っておりましたが、受信されたまま開かずに対応が遅くなりました。申し訳ありませんでした。生涯学習課の方に早速,転送しまして早急に対応してもらっております。本当にすみませんでした。


♪************************************************
牛久市教育委員会 指導課 **

〒300-1292 茨城県牛久市中央 3-15-1
Tel  : 029 - 873 - 2111
Fax  : 029 - 872 - 2550
E-mail : shidou@city.ushiku.ibaraki.jp
URL : http://www.city.ushiku.ibaraki.jp/section/shidou/
*************************************************♪

---引用終わり---

教育委員会の「指導課」は、担当部署の「生涯学習課」にメールを転送したが、「生涯学習課」は、メールを開けていなかったとの事でした。

そして、2月27日に、ホントに、やっと、遂に、質問に対する回答が届いたのです。

---以下引用---

*****様

回答が遅れまして申し訳ございませんでした。
別添ファイルをご参照ください。

牛久市教育委員会生涯学習課 **

別ファイル
平成21年2月27日


 * * * * 様


牛久市教育委員会生涯学習課


「女化道標」について


 貴台よりご質問のありました「女化道標」につきまして、回答いたします。
 先に、回答が遅れましたことで**様にお手数をわずらわせ大変ご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。
 回答が遅れました理由は、**様のメール送信先である指導課から文化財担当の生涯学習課に転送されなかったためにご迷惑をおかけしてしまいました。
 今後、他の部署宛に届いたメールについては、担当課に速やかに転送し回答できるように対処してまいりますので、ご了承いただきたいと存じます。
 さて、「女化道標」についてのご質問についてですが、道標の向きにつきましては、市指定文化財として指定されたときの状態のまま現在に至っておりますが、以前より道標の向きについては疑問がありました。
 今後は、道標等に詳しい方や茨城県文化課と検討し、正式な向きを掌握してまいりますので、ご理解を賜りたく存じます。
 なお、「牛久市史料」石造物編の写しをお送りいたしますので、**様の研究の一助としてご利用していただければ幸いです。

問合せ先
牛久市教育委員会生涯学習課
℡029-871-2301 FAX029-871-1334
メール chuuou@city.ushiku.ibaraki.jp

 また、当市文化財等に関するご指摘等ございましたらお知らせいただきたいと思います。今後ともご指導を賜りたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。

---引用終わり---

と云うことでした。結局、

“表裏は逆かも? 疑問は当初よりあったけど、何だか良くわからないので、これまで、そのままにしていました。今度、良く知っている人や、「県の文化課」に聞いてみます”

との内容でした。牛久市の教育委員会では結論を出せないようです。もしかして、県の文化課も結論は出せず、文部科学省の判断を仰ぐのでしょうか?


牛久女化道標の“謎”は、これからも、ずっと、ずっと、続きそうです。


それでは、また明日。


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牛久を歩く “女化道標は狐の悪戯”

2009年01月19日 | 女化道標問題
先週の続きです。

カントリーラインを左折して、牛久の市街に向かって歩いています。

道の傍らに“南無阿弥陀仏”と刻まれた石を発見。


道が二股に分かれる分岐点。


脇に牛久市教育委員会作製の説明板があります。「女化道標(どうひょう)」とあります。「どうひょう」の振り仮名の語感と、辺りの風景とに隔たりを感じます。

「どうひょう」よりも「みちしるべ」の方が、「田舎道」に相応しいと思います。


まぁ、それは兎も角、分岐点の道標を観察します。


表面に、「宝暦・・・、南無阿・・・、左りゅうがさき、右わかしば・・・」と、説明書きにはあるのですが、


確認できるのは、「すぐ」と、


「道」の3文字だけで、他は判読できず。


それではと、裏側を見ると、「南無阿弥陀仏」、「宝暦十四年」の文字が鮮明に彫られています。


でも、しかし! 説明書きには、


“すぐは水戸道・・・・・・”と、書かれているのです。

そうなのです! 「説明書き」と「現物の道標」は逆になっているのです。

分岐点の道標ですから、こちら側が当然に表面です。地理的方向も間違い有りません。


道標の「表と裏が逆」になっているのです! 

ここで、道標を見つめ考えました。何たって「女化」の道標です。狐に「つままれた」可能性が考えられます。

じっくり、落ち着いて、何遍も、何遍も、説明書きを読み、「オモテは、ナムアミダブツで、ウラはスグニミトミチ」と、呟きつつ、何遍も、何遍も道標の裏表を確認したのです。

この後ろ姿の女性、遠くからずっと、道標の周囲をウロツキ、しゃがみ込み、覗き込む私に不審の視線を送りつつ、通り過ぎて行きました。


思わず、後ろ姿の女性に向かって、

「おじさんは怪しくありません! 怪しいのはこの女化道標です!」と、小さく呟いたのでした。

それでも、何か? 狐に“つままれている???”・・・・・・・、そんな気が今でもしているのです。

たぶん?原因は、道路の拡張とか整備工事の際に道標を移動し、工事終了後に裏表を逆に設置したと思われます。

たぶん? アルバイトの「ヒロシ君」が、先輩の「吉田さん」から、

「おぃ。ヒロシ!生コン流す時あの石じゃまだから一旦、退かせ!」と、云われて、方向など気にせずに引き抜いたのです。

そして、何日かして、型枠を外し、

「おぃ! ヒロシ。退かした石、元の場所に埋めとけ!」

「ハィ。判りました吉田さん」

「終わったら、昼飯だ!ヒロシ」

何て事で、退かした時も、何も考えず、戻した時は昼飯に何を食うかだけ考え、道標を埋めた可能があります。

道路工事は「土木課」の仕事、土木課も工事で道標の移動は想定していなかった為に、教育委員会へは連絡していなかった?

工事で道標が移動された事を知っているのは、「吉田先輩」と「アルバイト」の「ヒロシ君」だけ?

まぁ、そんな、こんなを想像させる、何とも、よく判らない、とても怪しい、女化道標なのでした。

それでは、また明日。


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