未だ、まだ、マ~ダ、志村坂下、蓮根町辺りを彷徨い歩いています。
今では暗渠となってしまった「どぶ川」を辿り、生まれ故郷の、面影と痕跡を探し求めて・・・。
この「元どぶ川」の暗渠の上に作られた緑道、そして、方向的に、距離的に、この場所辺りに「花林糖工場」があった気がするのです。
家から、坂下方面に向かい、城北公園を抜けて、二・三百メートル歩き、どぶ川を渡った右側にその工場がありました。写真では左側のマンションが建っているあたりです。
兎に角、この辺りには、零細工場的と云うか、町工場的と云うか、そんな中小零細企業の工場が建ち並んでいたのです。そんな工場の間を縫ってどぶ川が流れていました。
暫く佇み、当時の工場の姿を想い浮かべつつ、マンショの方向を見つめていると、川面には得体の知れない油が流れ、得体の知れないニオイを漂わす、そんな風景が蘇ってくるのです。
それにしても、どぶ川も、お洒落に変身しました。あの頃のニオイはまったくしません。
そんな想いを抱きつつ歩いていると、驚きの光景が出現。
まさに、まさに、これこそ、あの頃です。
夢幻の風景と云っては大袈裟ですが、夢のワンシーンに登場しそうです。
スレートの外壁、割れたガラス窓、ガラスに針金が・・・。
赤錆びた鉄板の扉。残念なのはフェンスが、とても、とても、新しいのです。
この工場の佇まいから、母が一時、近所の主婦仲間と連れだって働いてた、町工場を思い出しました。そこで母達は、ミカン箱と云うか、リンゴ箱と云うか、そんな木箱の解体をしていたのです。短期間だったと思います。
「株式会社 高垣商店」さんのお蔭です。それにしても、高垣さんは、何を商っていた?いる?のでしょうか? 入り口の門柱と鉄の扉は、それなりに最近の塗装とお見受けしました。
道路を渡り、暫し、高垣商店の全景を見つめてしまいました。
そして、遠~い、遠~い、昔の、想い出の世界に誘われた風景の真ん前には、何と、何と、真逆の、現実の世界に引き戻す、あの富士ゼロックスのサービスセンターの姿。
時代は変わって、こんな大企業がです、どぶ川が消え暗渠となり、町工場が消えマンションが建つ、そんな志村坂下なのでした。
そして、向かいには大企業を睨んで建つ、中小零細企業の味方?日本共産党の板橋地区委員会?の事務所です。板橋区は土地柄?革新系?が強いのです。
東京の外れ、板橋区の外れ、志村坂下には、いろいろと、ゴチャゴチャと、あるのです。
こんな、何でもない風景がイイです。
こちらの櫻は、私が生まれる前から、ずっと、ずっと、ここで花を咲かせていたように思います。
こちらの、何でもない風景もイイです。
志村坂下を彷徨っていますが、そろそろお昼の時間になりました。
昼はそば屋に入りたいと思い、ウロキョロとそば屋を探しつつ、ある神社を目指します。
この先は次回とします。
それでは、また。
そうでした、記録的な意味で、書き記すのですが、3月1日、朝のウォーキングで「つくし」を発見。そして、その2日後に「ウグイス」の鳴き声を聞きました。
春が来たので~~~す!
そして、明日は早めの、お彼岸の墓参りを予定しています。
もうすぐ、櫻の開花、お花見です。
では、また。