歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

映画『小さいおうち 』 ⑤ 松金よね子と林家正蔵と西村雅彦でいろいろと

2014年02月24日 | 映画の話し
本日も、『小さいおうち』のお話です。

最終回で何ですが、これが、いろいろと些末な話しアレコレと相成ります。

実は4回で終わらすのは、ちと、気分が良くないので、無理やりの5回目です。4と云う数字は「シ」で「死」を連想するので、年寄りとしては、忌み嫌うのでした。


と、云う事で、本来ですと、この作品では“笑える”場面はないのですが、何故か笑ってしまったカットが幾つかありました。

それで、この日、映画を観に行く前、連れ合いが大好きなテレビ東京9時からの“日本の昔しばなし』を見つつ、ナレーションを聞きつつ、私が、

『以前、TBSで放送していた“まんが日本昔しばなし”は、語りが市原悦子と常田富士男だったけど、この声の女性は誰?』

と、横で見ている連れ合いに聞くと、

『男性の声は常田富士男だけど・・・・・・、女性は・・・』
『おとこの声は常田富士男なの?へ~え、未だ、生きていたんだ。それで女性の声は?』
『え~と、え~と・・・ねぇ、何てたっけか?・・・・・・、顔は思い出すんだけど、名前が・・・、あの歯が出ていて、眼は奥眼で、何たっけ?その・・・』
『歯が出て・・・奥眼?・・・、え~と、え~と、松金よね子?』
『そう!そう!松金よね子』
※調べてみたら男性の声は柄本明でした。

と、云う、会話があったのです。

そんな、こんながあった後、スクリーンに、突然、予告もなく現れた松金よね子さん、


連れ合いが肘でこちらを突き、笑ったのです。私も思わずニッコリしてしまいました。

そして、“こち亀の両さん”です。どう見ても、どう聞いても、両津巡査です。以前放映された、、顔つき、セリフ回し、実写版の両津巡査を思い浮かべてしまうのです、笑っちゃいました。、


そして、そして、この方、登場した途端、観客席が、すこしだけ、ざわついたのです。顔を見ただけで、作品から離れ、役柄から離れ“あっ!正蔵だぁ!”と、なってしまうのです。


それにしても、正蔵と云うよりも、私にとっては“こぶ平ちゃん”なのです。それなりに寄席の高座で生で落語を聞けば、それなりに、もう、きっと、立派に『林家正蔵師匠』なのでしょう。

登場場面が短いために、それなりに役柄に見えるまでの時間不足とも云えますが、この作品で、このキャスティングは?ねぇ・・・、お笑い系の方は避けた方が良かったと思います。

そして、この方、時子の夫。何故か、西村雅彦がカツラを被っているの?と思ってしまったのです。登場する場面になると、頭の中で、髪の毛を取り除いて、いろいろ想像を巡らし、いろいろと努力して、西村雅彦の顔と繫げようとしたのです。

※おでこと目つきが似ているような?

いろいろ想像したても、どうしても繋がらず、終盤になり、これはやっぱり別人だとの結論に至りました。後で知ったのですが、歌舞伎の片岡孝太郎でした。何となく聞いたような、知っていたような、そんな方です。

そんな、こんなで、いろいろと、作品の中に入り込めないことが、あち、こちで、ちら、ほら、あったのでした。

それでも、松たか子の時子、黒木華のタキ、そして、時子の衣装、室内のセット、音楽、とても、とても、ヨカッタ!です。

もう一度、いつの日か、テレビで放送されたら、録画してじっくり見たいと思います。


それでは、また。


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映画『小さいおうち 』 ④ 戦争の魔力と魅力

2014年02月21日 | 映画の話し
前回の続きです。

前回に引き続き、何故?を考えたりします。

タキは何故?家族を、家庭を、つくろうとしなかったのか?

戦争の時代を生きぬいたタキの戦後は、時子から正治に宛ての手紙と、正治の描いた赤い屋根の“小さいおうちの絵”と、その想いでのなかで、ひとり生きていたのです。


たぶん、それは、“小さいおうち”での数年間の経験が、タキにとって“人生のすべて”だったのです。

“私に人生といえるものがあるなら”と云う曲を思い出します。タキにとって、赤い屋根の小さなおうちで過ごした数年間だけが人生だったと・・・・・・。まあ、それも人生。



東北の貧しい農村から、時代の先端の東京へ、そこで見た小さいモダンな家と、モダンで耀いていた時子、はじめて意識した異性の正治、ひとつ、ひとつが、タキには、初めての経験であり、強烈で濃密な時間だった。

そして、戦争という時代背景が、より人生を濃密にしたのです。そこが、戦争の怖さ、恐ろしさ、そして、魔力と魅力、なのだと・・・・・・・。

悲しくも辛いタキの人生、でも、何故か、羨ましい時を過ごした、とも、思えたり、するのです。戦争はドラマチックなのです。平和は単調で退屈で薄いのです。

だから、戦争は怖い。

濃密な時間を創ったのも戦争、濃密な時間を破壊したのも戦争。

国家と国家が武力で闘うとき、世の中はとても、とても、濃密になり、判り易くなります。

生き方も、暮らし方も、考え方も、国家が国民に与えてくれ、悩むことなく暮らしていけるのです。多少の不都合があったとしても、みんなが、みんな同じであれば、辛くはないのです。

作品の中でも、戦争は“政治家が何とかしてくれるだろう”との会話があるのですが、何とも成らず、時子も焼かれ、家も焼かれて、地上から消滅してしまうのです。

だから、だから、普通の人が、普通に、暮らしているだけでは、突然、戦地に送られ、家は空襲で焼かれ、人は焼き殺される。だから、だから、戦争には反対しましょう、とのメッセージなのです。

そして、戦争と過去の話しではなく、当然、今、目の前で起きつつある危機に対してのメッセージです。

でも、しかし、です。

悲惨でも、残虐でも、苦しくても、恐ろしくても、辛くても、腹がへっても、相手のいることであり、闘わなければ、自分が、家族が、殺される状況で、それでも、あなたは武器を持って起ち上がらないのか?

武力による衝突が起こり、戦端が開かれてしまえば、もう、なにもかもが、遅いのです。

戦争は悲惨だから反対!なんて事は、とても、とても、云っている場合ではなくなるのです。

勇ましことを、大声で叫ぶ方に、人は流されてしまうのです。

どのような事でも、どのような状況でも、反対というのは、とても、とても、消極的な選択で、少数派で、変わった奴で、正しくない、と、そう、思われ易いのです。

このあたりが、とても、とても、ムズカシイのです。

力強く、幅広く、積極的な選択としての反原発を、普通の人が主張し、多数派を形勢できるチャンスを都知事選で逃しました。

兎に角、反対することが、少数派でいることが、それは、それで、世の中の、ひとつの、役割として、体質として、職業として、躰に染みついた方達はがいる?

まあ、そういうことで、“小さなおうち”はしっかりとして、丁寧で、正しく、それなりに良く出来た、戦争反対の作品なのですが、やっぱり、弱々しいのでした。

後、一回ほどは、“小さいおうち”の話しです。


それでは、また。

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映画『小さいおうち』 ③ 何故手紙を渡さなかった?生きることが躰に一番良くないのでした

2014年02月18日 | 映画の話し
前回の続きです。

前回のタイトルに『何故?手紙を渡さなかった?捨てなかった?』と入れておいて、その事は次回で、何て事になっていました。

今回は、間違い無く、そのことについて綴ります。

それにしても、ベルリン映画祭での最優秀女優賞は嬉しいです。黒木華さん、華は“ハナ”ではなく、“ハル”と読ませるようです、知りませんでした。兎に角、これで、国際的女優?の仲間入り。

それで、老いたタキが過去を綴り、


板倉正治の描いた『小さいおうち』の絵と、

※いつも、いつも、同じような役柄の“吉岡秀隆君”です。『続?三丁目の夕日』での“小雪”との恋は、とても、とても、ヨカッタ!です。

時子から託された正治宛の手紙を届けず未開封で持ち続け、生涯をとじる日が近づき『私、長生きしすぎたのよね』と呟き、嗚咽するタキ。

それで、東北の貧農の娘タキにとって、東京郊外のモダンな“小さな赤い屋根のおうち”は、そこに暮らす家族は、夢の、理想の、憧れの、失いたくない大切なものも、そして、すべて、だった・・・。

新しくて、美しくて、自由で、女中のトキに優しく接する時子に、タキは憧れだけでない想いを抱いていしまうのでした。

時子が女学校時代に同性に持てた話しを、同級生で男性的な松岡睦子(中島朋子)がタキに話して聞かせシーン、その時、睦子がタキに向ける視線、とても妖しさを放っていました。


タキにも、時子にも、同性を惹き付ける魅力がある、そんな描き方しているのです。と云う事で、時子とタキには、互いに気付かない、そこはかとない恋愛感情が生まれていた・・・のです。

正治が現れたこと、そして、世の中が戦争へと向かい“小さなおうち”の平和は終わりを告げようとするです。

タキにとって、時子と正治の恋は、タキと時子の、タキと正治の、ほのかな愛を、小さなおうちの平和を、理想も、夢も、憧れも、消しさるとの思いから、正治に手紙を届けるのを、躊躇させたのです。

タキ、時子、正治、三人を巡っての、愛おしくて、狂おしくて、悲しくて、純真で美しい、愛の絡み合い、でも、真実は、裏側は、動物的で、生理的で、官能的で、いろいろな打算が働くものです。

まあ、そこは、観客の想像に任せるのです。いろいろな解釈、いろいろな想像、その余地を残すところが、名作の条件です。

それで、しかし、タキが必死の思い出で守ろうとした「小さなおうち」も、時子も、米軍の空襲で物理的に、跡形もなく、消し去られてしまったのです。

タキの、時子への、正治への、赤い屋根の小さなおうちへの、そのすべての想いを、心の中に持ち続けるために、生涯、絵を、手紙を、捨てることなく持ち続けたのです。

でも、しかし、です。

長く生きると云う事は、いろいろ考えるものです。自分の過去の行為を、否定したり、肯定したり、行ったり、来たり、思い、悩み、迷い、嘆き、苦しむ時間も、長く、長く続くことになるのです。

老いを重ねると、過去が段々と大きくなり、いつしか背負いきれなくなり、そして、『私、長生きしすぎたのよね』と、呟き、嗚咽になったのです。

こういう、人生も、それなりに、わるくはないと、そう思ったりも、するのでした。

と、云うのが、私の解釈です。

生きることが、躰に、一番、良くないのです。

まあ、今日のところは、そんなところかな・・・・・・。

小さいおうちは、まだ続きます。


それでは、また次回。





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黒木華ちゃんベルリン映画祭最優秀女優賞おめでとう!

2014年02月16日 | 映画の話し
やりました!


黒木華ちゃん!


最優秀女優賞です!


山田洋次監督『小さいおうち』の


タキ役での受賞、ホントに!ホントに!オメデトー!!!


華ちゃん!


ホント!可愛いです!



これで、緊急連絡を終わります。

これから、引き続き“カーリング中継”を見ます。

スイス戦は余裕かな?

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映画『小さいおうち 』 ② 何故?手紙を渡さなかった?捨てなかった?

2014年02月14日 | 映画の話し
前回の続きです。

『小さいおうち』 何故かわたしは『小さ“な”おうち』と記憶してしまいました。←どうでも良いことです。


この時代、女性にとっては不倫は犯罪でした。犯罪として取り締まると云う事は、それなりの行為が、それなりの件数で発生していたのでしょう。

いつの世も、男と女、時代背景の制約を受けつつも、それなりに自然に、いろいろな愛情関係があり、いろいろ縺れたりするのです。原作の設定では時子は子連れ再婚だったようです。

人妻と、年下の独身男と、道ならぬ恋に落ちた、時子と正治、


そこに、正治とタキ、


そして、時子とタキ、


三人を、いろいろな糸が、いろいろな絡まり方で、纏わり付いてしまうのです。

そして正治に招集令状が届き、最後の別れ、正治の下宿に逢いに行こうとする時子、必死に思い止まらせるタキ。時子の想いを手紙にしたため、タキに託す事でその場を納める。


時子は正治の訪れるのを待つが、トキから手紙を受け取った筈の正治は、いくら待っても時子の前に現れなかった。

このシーンは真っ赤な屋根、真っ白い窓枠、佇む時子、暗い緑色?との色調の対比がとても鮮烈でした。この作品、時子の衣装がとてもヨカッタ!

時子の想いを綴った手紙は正治には届けず、戦後、死ぬまで開封されずにタキが隠し持っていたのです。


何故?どうして?タキは時子の手紙を正治に届けなかったのか?ここは、観る人の解釈の分かれ道。その人、その人で、いろいろ解釈できるのです。

そうなんです。実は監督も、演じる役者も、判らないのです。判らない事は、判らないまま、曖昧に表現した方が、いろいろと解釈が可能で、そのことで、作品に、厚みと、奥深さと、感動と、余韻と、味わいが生まれるのです。

名作は、細部を、あまり語らず、あまり描かずで、曖昧なのです。

それで、タキは死ぬまで一生、ひとりで秘密を抱え、罪として背負い、悩み苦しみ、責め続けて、一生を終えるのです。

でも、ホントに、人間は、それほど長く過去を引き摺るの?と思ったりするのです。心の片隅に、すこしだけ、いつまでも・・・が、自然で普通に思えるのです。

それで、タキは、何故、手紙を渡さなかったのか?捨てられなかったのか?です。

続きは次回。

※次回は2月18日の記事
 こちら http://blog.goo.ne.jp/cocoro110/e/2bb920d0d54506ca3604354887cf74ce


それで、都知事選挙の細川護煕さんですが、何と云っても準備不足でした。“原発ムラ”の反原発、反細川のキャンペーンへの対応がまったく無策でした。小泉任せ、風任せでした。

そして、そして、護煕さんは、やっぱり殿様で、賞味期限も過ぎていました。ところが、奥さんの佳代子さん、私、初めて見たのですが、見た目も、演説も、元気さも、旦那より、ずっと、ずっと上で、とても魅力的な女性でした。

都知事候補は、細川護煕ではなく、細川佳代子だったのです。政治家に向いています、小泉さんの勘も賞味期限が切れていたようです。

宇都宮陣営は細川の得票を上回り、前回の得票も上回り、かなり喜んでいるようですが、2位では負けなのです。やはり、始めから選挙の目的は当選ではなかったのです。

再稼働を第一の目的とした勢力と、都知事選を単なる党勢拡大の一つの手段として考える勢力に寄って、原発即時ゼロを第一の目的とした勢力が潰されたのでした。

ホント、細川を担ぐなら、護煕さんではなく、佳代子さんでした。


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映画『小さいおうち』 ① 黒木華はヨカッタ!彼女が主役でしょ!

2014年02月11日 | 映画の話し
観て来たのは先週の日曜日、2月2日の日でした。

この日は連れ合いとふたり、180数席のところに観客は20数名といった入り、観客のほとんどが私たちと同じ年代です。第1回目の上映で10時10分と早かった所為もあるかも。

あれからもう一週間、印象は少しずつ薄らいできたいるような、でも、しかし、書き進むにつれて、いろいろな場面が、いろいろなセリフが、いろいろな登場人物が、いろいろと蘇ってくる筈。でも、なかなか蘇らない時も・・・。

見終わって直ぐ、何か書きたくなるほど、強烈な印象が無かった事も・・・、それに、この間、いろいろとあったりして、そんな気持ちになれなかった事も・・・。

兎に角、当日、見終わって、一番最初の感想は、二人揃って、『女中“布宮タキ”がヨカッタ!』でした。若いときのタキを演じた『黒木華』です。主役は“若き日のタキ”で間違い無い。


黒木華、初めて見る、初めて聞く女優です。とても昭和の顔をしていて、とても懐かしいのです。衣装や、化粧や、演技や、演出もありますが、素の部分でもきっと昭和の匂いがする方だと、それでこそのキャスティグだったと思うのです。

控え目で、純朴で、優しくて、可愛くて、常に腰を曲げ前傾姿勢で、奥様に仕える姿が、とても、とても印象的でした。

それに対して、背筋を伸ばし、和服で、きりりとした立ち姿の奥様、平井時子役の“松たか子”これは、これで、とても魅力的でした。


36歳いい女優になってきました。


都会のお嬢様育ちの『平井時子』、東北の貧しい農村育ちの『布宮タキ』、対照的な二人の女が出会い、戦争を背景として織りなす微妙な三角関係の物語。

これまでは“正しい男と女、正しい夫婦、正しい家族”を描いてきた山田監督としては、珍しいと云うか、初めてと云うか、いろいろあっての物語なのです。

それでも、やっぱり、当然ながら、激しくも、狂おしい愛欲場面はありません。そんなところが山田洋次で、それは、それで、リアリティーなのです。

がぁ、でも、どこか、何か、綺麗事に見えたりして、印象が薄くて穏やかで、松竹大船調で、教科書的で、物足りなく思ったりして・・・・・、ちょっと言い過ぎでした。

まあ、それは、それとして、この作品で、山田洋次監督の戦争に対する歴史観が、もしかして、変化したのでは、と、思いました。

『母べい』では、暗くて、“特殊な時代”として戦前戦中を描いていましたが、今回の作品では、明るくて、普通な人達の、普通な時代として、戦前戦中を描いています。

過去の時代を、今、この時代に描くと云うことは、当然、あの時代と、この時代、共通する事柄があるとの認識です。

時代に、危うさを感じる監督、いまの世の中、庶民の、インテリの、文化人の、マスコミの、企業家の、政治家の、官僚の、危機感の無さ、と、世の中の表層の明るさから、もしかして、あの頃も、そうだったのかも・・・。

そして、このままでは、みんな、みんな、普通に、普通に、明るく暮らして、もう一度、破局を迎えるのでは・・・。

で、『小さなおうち』を制作した?まあ、そんな作品だと思いました。

まあ、偉そうに云わしてもらえば、『母べえ』より、『東京家族』より、ストーリー展開はずっと、ずっと、面白く、時代背景の解釈も、教科書的、オールド左翼的では無いところが、とてもヨカッタです。

自分で書いていても、褒めているのか? 貶しているのか? 何だかよく解らない感想になってしまいました。

明るくも暗く、普通で異常な、単純で複雑怪奇な、表と裏とホンネとタテマエと、一筋縄ではいかない、そんなところが、生きていて、面白くも、悲しい・・・、何て、思ってしまう作品です。

まあ、そう云う事で?今日のところはお終い。

次回からは、パンフ等をじっくり読んで、いろいろと、書き綴っていこうと思います。


それでは、次回。

 
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映画『新しい人生のはじめかた』さすがロンドンしっとりで良かった!

2013年11月27日 | 映画の話し
こう云う、ストーリー展開も、配役も、オジサンにとっては、なかなかヨカッタです。

そして、舞台がイギリスのロンドンで、映し出される風景も落ち着いていて、しっとりしていて、大人の雰囲気が漂って、とてもイイ作品でした。

オープニングで映し出された年老いたシワだらけの手に、これは誰なの?と、思ったら、


暫くぶりに見た、CM作曲家のハーヴェイ役、ダスティン・ホフマン。


私としては、知らない俳優の方が物語に入り易くていいのですが、今回は残念ながらそうではありませんでした。

年老いて時代に追い越され、仕事を干されそうな状況のなか、離婚し別れた娘の結婚式に出席するためロンドンを訪れ、新たな女性と知り合い、心を通わせ、新しい人生を始めるお話。

それで、イギリスには空港で入国者にいろいろ質問して、統計をとるお仕事があるようです。もしかして、日本でもそんなお仕事があるの?


この“公共統計局”の女性職員“ケイト”、公務員?で地味な仕事で、見た目も、性格も地味で、目立たない中年女性と、お払い箱のCM作曲家とのラブストーリーが展開していきます。

それなりに結論は分かっているのですが、それでも、それなりに、なかなか見せてくれました。

ケイトを演じた女優、知的で、落ち着いていて、しっとりとした演技で、まさに?イギリスの女性?と云う雰囲気をだしています。でも、ちょっと、いや、かなり、身長が高いので<可愛らしさが不足?

でも、イギリス女性と云うと、地味で、知的で、しっかりしていて、ガッチリとした体型で、あまり可愛げなく、男勝りで・・・、そうです! “鉄の女”の“サッチャー元首相”を思い出します。

ケイトを演じたのは、女優でアカデミー主演女優賞を受賞し、脚本家で、アカデミー脚色賞を受賞したと云う、ケンブリッジ大学を卒業したイギリスの有名な方だそうです。

1959年生まれで、この作品は2008年制作ですから、49歳の時の作品です。まあ、そんな感じです。ついでにダスティン・ホフマンは71歳です。かなり若く見える?

それで、ハーヴェイとケイトですが、二人はいろいろあって、


落ち込んで、バーで偶然出会うのです。落ち込んだどうし、それとなく、なんとなく、二人はランチを共にし語り合い、それとない感情を互いに抱き始めるのです。


そして、ハーヴェイはケイトの通う小説の講習会に着いていきます。舞台はロンドンですから、これはテムズ川でしょうね。


河畔のシーンが


とても、印象的で、景色を見ているだけでイイです。さすがは大英帝国の首都です。


そして、いろいろあって、二人で娘の披露宴に押し掛けていき、案内されたのが子供達のテーブル、二人の反応、子供達の反応、このシーンは笑えました。


披露宴が終わり、こんな素敵な広場で、


二人は夜明けまで、語り合い、打ち明けあい、


愛し合い、


昼に、また、ここで、会うことを約束するのです。


このシーンは、ロケーションもイイし、セリフも演技もイイし、バックに流れる音楽も、とてもイイです。

ここで二人は、新しい巡り会いで、新しい愛を掴んで、目出度し、目出度しで、終わるかと思いきや、もう一捻りありました。

そして、昼が来て、ケイトは同じテーブルで待つのですが、


いくら待っても、ハーヴェイは現れません。それなりの不安が、すこしずつ、すこしずつ・・・。


夢のような展開に、それなりの不安をいだいていたのですが、


やはり、これが現実だったと、あきらめ、その場を立ち去るケイト。


まあ、このシーンはそれなりに可哀想なのですが、観客はハーヴェイが心変わりしたのではなく、心臓発作で病院で治療と検査を受けていて来られないのを知っていますから、それなりに安心なのです。

そして、翌日、小説の講習会が終わり出て来たケイトに事情を説明するハーヴェイ、このシーンのセリフがイイです。

「とても楽しかったわ、あなたのことが好きよでも夢物語は終わりね、私はロンドンに住みあなたは・・・」
「ニューヨーク」
「そのとおり、月曜日には日常に引き戻される、仕事もあるし家族もいるわ、楽しかった、ありがとう、だけど・・・現実じゃない」
「現実だ」
「違う」
「現実だ、現実だよ、夢物語じゃない、僕には現実さ」
「でも私にとっては現実とは言い切れないの、あなたは私を知らない“噴水に来ないで”と思った、約束の昼に現れないで”と願ったわ、そのほうが気が楽だから、あなたは私の人生に飛び込んできたの、そんなあなたを受け止められないわ、自分が傷つくのが怖いから、いずれ“性格が合わない”とか何とか始まる、そして別れて傷つくそれがイヤで・・・」

「正直言うとこうよ、あきらめて生きるほうが楽なの、楽な生活を奪おうとしてるわ」

「私たちうまくいくと思う?」
「まるで見当がつかない・・・・・・、でも頑張る・・・・・・、約束するよ」
「散歩する?」
「しよう」



いろいろあって、


結ばれるのです。


ケイトは背の低いハーヴェイに合わせてハイヒールを脱ぎます。


とても良い笑顔です。


これで、ハッピーエンド。


とても、とても、ヨカッタです。

それではまた。


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映画『アイリス』 悲しくも情け無いジョン・ベイリーに同情

2013年11月25日 | 映画の話し
先日、『アイリス』を観ました。

いつものように“NHKBS”で放送された録画です。

この作品、出演俳優も、作品内容も、世間の評判も、何の予備知識もなく見たのです。

オープニングは全裸の水中シーンから始まるのです。もちろん全裸で泳ぐのは女性です。もう一人の男は下着姿です。まあ、それほど鮮明ではなく、それほど美しいシーンでもありません。

若き日のアイリスを演じた女優もそれなりに有名な方だそうで、



かなり大胆に脱いでいました。オジサンは眼が醒めました。立派な?躰です。



この全裸で泳ぐシーンには、それなりの意味があったようです。娯楽映画としての、サービスカットでもあり、私は知りませんでしたが、イギリスの観客は、それなりにこのシーンを分かって観ていたようです。

それで内容ですが、まあ、云ってしまえば、いわゆる“老老介護”なのです。但し、介護されるのはアルツハイマーの奥さんで、介護するのは旦那。それなりに良くある事です。

但し、奥さんが著名な作家で、旦那もそれなりの作家で、物語は旦那の視点で、過去と現在を行ったり来たりしながら展開していきます。

とても、とても、旦那の“ジョン”には同情を禁じ得ないのです。兎に角、奥さんの“アイリス”に振り回されるです。

兎に角、アイリスには堅苦しい世間の常識は通用しないのです。知識への興味、人間への興味、気の赴くまま、自由奔放なのです。


生真面目で、優しくて、常識人のジョンにとって、そんなアイリスは、とても、とても、魅力的に映ります。自分にないモノに惹かれるのは、古今東西世の常なのです。

アイリスには、ジョン以外に付き合っている男が何人も居るのです。

そして、その事をジョンに隠す風でもなく、問いかければ答えてくれるのです。


相手に知的な興味を抱けば、セックスしても当然、相手に妻子がいても、それは、それで、何の不都合もないと・・・、それが同じ女性であっても当然なのです。

アイリスにとってジョンは一部であり、ジョンにとってアイリスは全てなのです。自分が愛した女性の全てを知らないことの苦しみ、可哀想でした。

30代?で出会って結婚し、70代?で奥さんはアルツハイマー。作品では、40代、50代、60代は描かれていませんが、それなりに自由奔放だったのでしょう。

そんなアイリスを愛し続け、それでもアイリスは自分だけのものにできず、そして、そういうアイリスだからこそ、惹かれ、愛してしまう自分。

アイリスを理解しようとする自分が居て、しかし、許せない自分も居て、理解している素振りをし続ける事で、アイリスに振り向いて貰う、悲しい自分。

これは、とても、とても苦しいことです。ジョンに同情しました・・・・・・が、でも、男として、すこし情け無くも思えたのです。

でも、ふつう、アイリスのような女性は固定的な婚姻関係は嫌うと思うのですが、何故にジョンと結婚したのか? 単なる、心と身体の休憩所的な存在? だとしたら酷い女ですが、そこまでではなくても、アイリスはジョンの苦しみを充分に理解していた様には描かれていません。

老境に差し掛かり、ジョンは、やっと、やっと、アイリスを自分一人で独占できる、と、思っていたら、アイリスはアルツハイマーになりジョンを認識できなくなるのです。悲しいです。可哀想です。情け無いです。



アルツハイマーのアイリスは、すべてをジョンに頼らなくては生きて行けなくなったのです。アイリスにとってもジョンがすべてになったのです、でも、しかし、ジョンが誰だか分からないのです、ホント、可哀想です。

そんなアイリスの寝姿を見て、昔を思い出し、“誰と寝ている夢を見ているのか!”と感情を抑えきれず、大声で問い詰めてしまうのです。

未だに嫉妬しているのです。これは、ホント、悲しくて、可哀想で、そして、情け無いシーンした。

見終わって、悲しくて、寂しくて、少しだけ可笑しくて、どうしてそんな女に惚れたんだ・・・惚れてもいいけど・・・、でも、結婚はしない方が良かったのに・・・、男って、女って、男女関係って、そういうことが、あるんだよなぁ・・・何~て、思ったりしたのです。

それで、“アイリス”は実在の方で、『イギリスで最も素晴らしい女性』と形容された作家アイリス・マードックで、“裸で泳ぐのが好き”で、“バイセクシュアル”で、イギリス人はそれなりに知っているようです。

そりで、見終わって、調べたら、

アイリスの晩年を演じたのは、イギリスを代表する大女優“ジュディ・デンチ”で、

ジョンの晩年を演じた“ジム・ブロードベント”がアカデミー賞助演男優賞を受賞したそうで、

監督はイギリス演劇界の重鎮リチャード・エアーで、

原作はアイリスの夫で作家で文芸評論家の“ジョン・ベイリー”なのだ、そうです。

もしかして、“ジョン・ベイリー”はこの原作で初めて名前が知られるようになったの?

それと、“作家アイリス・マードック”の晩年の私生活は、この作品で知られるようになったの?

そして、見終わって考えたのですが、当たり前ですが、これは、“ジョン・ベイリー“から見た、“アイリス・マードック”なのです。

と、云う事は、そして、ですから、描かれているのは、“アイリス・マードック”の半生ではなく、これって、もしかして“ジョン・ベイリー”の半生では? と、思えてきたのです。

たぶん、間違い無い。

兎に角、それなりに、イイ作品でした。

それでは、また。



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映画『そして父になる』は不完全燃焼作品でした

2013年10月14日 | 映画の話し
昨日は二人して、あの、それなりに話題の『そして父になる』を観て来ました。





連れは、前評判から準備万端ハンカチを手にスクリーンを見つめていたのですが、残念ながらハンカチの出番はありませんでした。


私も最近はそれなりに歳のせいで、かなり涙腺は緩んできているのですが、目頭も熱くならず、目尻から何も滴る事はありませんでした。


まあ、涙が滴り落ちる事と、作品の善し悪しとは関係はありませんけどね・・・。でも、こころを揺り動かすとか、胸を熱くするとか、感動するとか、そうか、そうか、ヨカッタ!ヨカッタ!とか、何もないのです。


作品が全体的に緩慢と云うか、ダラダラと云うか、平板と云うか、山場が無いと云うか、坦々と始まり、坦々と終わるのです。監督の意図?とも思えません。


でも、だからと云って、終わってから、じんわりと余韻を残すと云った風でもなく、上演時間は121分は長くも無く、短くも無く、何となく始まり、何となく終わるのでした。


厚みも無く、奥行きも無く、深みも無く、テーマの重さに、脚本も、演出も、演技も、潰されたと云うか、空回りと云うか、消化不良と云うか、不完全燃焼と云うか、そんな感想を抱かせる、そんな作品でした。


まあ、とわ云っても、休日の午前、久しぶりの映画鑑賞、それなりに、“千円分”は楽しかったです。鼻をすする音は客席の、あちらこちらから、それなりには聞こえてきました。


本日は観た直後の感想を綴ってみました。これから、700円で購入してきたパンフレットをじっくり読んで、後日また、それなりに、いろいろと考えてみたいと思います。




それでは、また。


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グラディエーター・花のあと・抱かれた花嫁・の三本立て

2013年08月19日 | 映画の話し
昨日は映画を三本観ました。

むかし、むかし、近所の映画館は三本立てなのでした。

観たのは、最初が『グラディエーター』、次に『花のあと』、最後に『抱かれた花嫁』の三本です。何となく、それとなく、録画目録より選びだした、ジャンルのかけ離れた三本なのです。

でも、しかし、見終わって、何か、それは、それで、何処かで繋がっていたような、そんな三本だった気がしています。

それで、最初の“グラディエーター”ですが、わたしとしては、この手の、英雄が登場する“史劇大スペクタル映画”は苦手なのです。感情移入する相手が居ないのです。


でも、しかし、冒頭の戦闘シーンの迫力に圧倒されて、いつの間にか見入ってしまい、その後は“人間ドラマ”に嵌っていったのです。


敢えて感情移入と云えば、父である皇帝の“アウレリウス”を殺害し、皇帝に付いた息子の“コモドゥス”かも?


尊敬する父に愛されることもなく、能力もなく、人徳もなく、信頼できる部下もなく、ローマー市民から見捨てられ、ひとり寂しく悲しい最期を遂げる・・・。

それにしても、ローマ軍将軍“マキシマス”を演じた“ラッセル・クロウ”ですが、13年後に撮った 『レ・ミゼラブル』の“ジャベール警部”と比較して、かなりほっそりと引き締まって、小柄に見えました。


兎に角、膨大な制作費を掛けた超大作で、戦闘シーン、決闘シーンは映画館の大画面で観るのと、家で観るのとでは、相当印象が変わる映画です。

戦闘シーン、決闘シーンで眼を奪われ、人間ドラマで心を奪われ、とても良く出来た娯楽映画でした。


そして、15分の休憩の後に、次は『花のあと』です。こちらは、ぐっと制作費を抑えた“こぢんまり”とした、人間ドラマ中心の日本の時代劇です。

舞台は東北の小藩で、下級武士で、耐えに耐えて、最後に悪い上司を切り捨て、最後は目出度し、目出度し、で、終わる藤沢周平作品です。

冒頭から、見知らぬ俳優ばかりの登場で、ずいぶんと地味地味の印象でした。興味はロケ地に移り、時代劇の町並シーンと云えば、近所の“ワープステーション江戸”そして、時代劇の屋敷と云えば、隣町の水海道の“坂野家住宅”です。

あそこ、あそこ、あの通り、あの橋、あの城門、あの離れ、あの庭、あの裏庭、あの納屋、何て、事で、背景を楽しんでしまいました。

それにしても、冒頭から、見知らぬ主演女優の、仏頂面に、分厚い唇に、下手くそな芝居に、参りました。表情での演技がまったくダメなのです。


北川景子と云う女優だそうですが、まったく知らない方です。


役者が大根ならば、カメラアングル、カット割りで、それらしい演技をしているように見せるのが監督の腕です。棒立ち仏頂面は、監督の責任が大きいと考えます。

それにしても、武士の一分の“板東三津五郎”と云い、今回の“市川亀治郎”と云い、敵役に歌舞伎役者を使ったのは、単なる偶然?


役者にとって、敵役はかなり魅力があると聞いたことがあります。二人とも、歌舞伎ではそれなりの名門、歌舞伎の舞台ではたぶんやれない?敵役を映画でやってみたかった?

監督は山田洋次かと思っていたら、あの『青い鳥』の中西健二でした。山田洋次ならば、北川景子もそれなりの演技者に見えたことでしょう。

但し、殺陣のシーンは景子ちゃんもヨカッタです。これって殺陣優先のキャスティグ?

そして、最後は、人情喜劇の『抱かれた花嫁』です。


日本映画黄金期の、とても、とても、安心して観られる、楽しい映画です。松竹初の大画面シネマスコープの作品です。

大震災も、大津波も、原発メルトダウンも、放射能汚染も、少子高齢化も、不正規雇用も、過労死も、格差拡大も、デフレも、誰しも、夢にも思わなかった、いい時代の、楽しい映画でした。

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