今回のお気に入りは竹鶴政孝パート、「日本のウイスキー革命①」です。
古いハイニッカを入手しました。(箱付き、レアオールドハイハイニッカ)
フタを開けると中に小冊子にもならないような三つ折りパンフが入っていました。
そのパンフがとても興味深かったのでご紹介します。
まずはパンフの表紙。
題名「日本のウイスキー革命」
副題「スコッチと同じカフェ・グレーン調合(ブレンド)によるブレンド・ウイスキー」
次に裏表紙。
題名「いちばんソフトな口あたり ハイニッカ500円」
最後に1枚めくって中表紙。
題名「日本でひとつ!」
副題「カフェ・グレーンを全製品にブレンド」
製品写真・製品名・価格
「ニッカエキストラ」340円
「ハイニッカ」500円
「新ブラックニッカ」1000円
「ゴールドニッカ」1600円
「スーパーニッカ」3000円
パンフの5製品で最後に発売されたのは1965年の新ブラックニッカ。
新ブラックニッカは、特級の旧ブラックニッカをあえて一級に下げて売り出し、カフェ・グレーンをブレンドしたので特級並みに旨い!とPR。しかも1000円という切れの良い価格で発売しました。
このパンフはカフェ・グレーンを前面に打ち出したニッカの一大戦略時代、後に「1000円ウイスキー戦争」といわれた「日本のウイスキー革命」の真っ只中のものでした。
ウイスキーのブレンドには醸造アルコールではなくグレーン・ウイスキーを使うという現在では当たり前のことが、この当時は「日本のウイスキー革命」であり戦略になったことがわかります。
この「革命」が成功したからこそ、グレーン・ウイスキーでのブレンドが当たり前になり、ジャパニーズ・ウイスキーが一気にスコッチの品質に迫り、後に追い越すことになったのでしょう。
表紙3面だけでも読み応えがありました。
次回は、本文をご紹介します。
古いハイニッカを入手しました。(箱付き、レアオールドハイハイニッカ)
フタを開けると中に小冊子にもならないような三つ折りパンフが入っていました。
そのパンフがとても興味深かったのでご紹介します。
まずはパンフの表紙。
題名「日本のウイスキー革命」
副題「スコッチと同じカフェ・グレーン調合(ブレンド)によるブレンド・ウイスキー」
次に裏表紙。
題名「いちばんソフトな口あたり ハイニッカ500円」
最後に1枚めくって中表紙。
題名「日本でひとつ!」
副題「カフェ・グレーンを全製品にブレンド」
製品写真・製品名・価格
「ニッカエキストラ」340円
「ハイニッカ」500円
「新ブラックニッカ」1000円
「ゴールドニッカ」1600円
「スーパーニッカ」3000円
パンフの5製品で最後に発売されたのは1965年の新ブラックニッカ。
新ブラックニッカは、特級の旧ブラックニッカをあえて一級に下げて売り出し、カフェ・グレーンをブレンドしたので特級並みに旨い!とPR。しかも1000円という切れの良い価格で発売しました。
このパンフはカフェ・グレーンを前面に打ち出したニッカの一大戦略時代、後に「1000円ウイスキー戦争」といわれた「日本のウイスキー革命」の真っ只中のものでした。
ウイスキーのブレンドには醸造アルコールではなくグレーン・ウイスキーを使うという現在では当たり前のことが、この当時は「日本のウイスキー革命」であり戦略になったことがわかります。
この「革命」が成功したからこそ、グレーン・ウイスキーでのブレンドが当たり前になり、ジャパニーズ・ウイスキーが一気にスコッチの品質に迫り、後に追い越すことになったのでしょう。
表紙3面だけでも読み応えがありました。
次回は、本文をご紹介します。
こういったパンフレットは当時の背景が読み取れて非常に興味深いですよね。
全製品にカフェグレーンをブレンドとの事で、こちらのパンフには載っていない様ですが、新角も発売末期にはカフェグレーンでグレードアップしていたのかな、と考えると楽しくなります。
私が以前入手したG&Gには『日本ウイスキー年代記』という12ページ程の小さな冊子が入っていました。竹鶴さんがスコットランドに渡り、実習を行ってウイスキーづくりを学び、帰国してから鳥井信治郎氏に招かれて共に国産ウイスキーを誕生させ、独立して北海道でニッカを作り、カフェ式蒸溜機を導入した、という流れが簡単にまとめられています。
その中で、最後の方に記されていた文が印象的でした。
『日本でただ一社ウイスキー専業メーカーをつらぬきながら、竹鶴はつぶやく ー ニッカはスコッチよりいいとは決していわない、しかし劣るとは思わない。』
この文に竹鶴さんのスコットランドやスコッチウイスキーへの尊敬や、自社のウイスキーへの愛情が現れている様に思うのです。