今回のお気に入りは、たくさんのふしぎ2です。
昨年たくさん読んだたくさんのふしぎ。
今年も早々に「たくさんのふしぎ」の第二弾です。
昨年たくさん読んだたくさんのふしぎ。
今年も早々に「たくさんのふしぎ」の第二弾です。
①「海は大きな玉手箱」
出版社の内容紹介を引用します。
=====
回遊する何百何千の魚。
岩を覆う色鮮やかな動物たち。
潜って内側から見た海の息をのむ美しさを写真で報告。
=====
本書の内容紹介があまりに当たり障りないため読むかどうか迷いましたが、とりあえず読んでみました。
スキューバダイビングによる海中散歩の楽しさを疑似体験できる魅力的な写真絵本でした。
駿河湾という魚介類の宝庫が舞台なだけに、その多様さに目を奪われます。
海の中には全く別の生態系が広がっていることを実感できます。
とくに魚たちの身を守るための知恵がたくさん紹介されていて興味深かったです。
ただ冒頭で子どもたちがシュノーケリングで海の中を楽しく観察する場面があり、その後スキューバダイビングでより深みに行くという構成の方が子どもたちを魅了できたのでは、と思いました。
②「あみださま大修理」
出版社の内容紹介を引用します。
=====
どの町にもお寺があります。
そしてお寺には、大切に伝えられてきた仏像がおさめられています。
あるお寺のあみださまは、長い年月を経るうちに汚れたりこわれたりしてきたので、修理されることになりました。
あみださまをていねいに運び、つくられ方をよく見て、少しずつばらばらにして・・・・・・。
慎重に慎重に修理されていきます。
修理をする人は、どんな思いで、どんなふうに修理をするのでしょう。
=====
傷んだ仏像の修理過程を丁寧に描いています。
魂を抜くお経をあげることで「仏様」を「木像」に戻してから解体作業に入ります。
それでも作業をしているときは常に仏様を感じ緊張するそうです。
修理の過程で仏像は江戸時代初期、光背と台座は江戸時代後期の制作であることが明らかになります。
お寺が江戸時代に焼失したことが伝わっていることから、仏像本体だけを運び出したのではないかと推理します。
また修理の過程で元々の色や金箔仕上げが明らかになりその通り修復したり、台座の失われた飾りを同時代の台座を参考に補充したりします。
そして何より未来の修理で解体しやすいように組み立てることの大切さも知りました。
とても興味深かったです。
油絵や掛け軸などの美術品の修復、東大寺や唐招提寺などの建築物の修復などもシリーズの中に加えてくれるといいなと思います。
ちなみについ先日イギリスのヨークを散歩する番組で、教会の修復現場が取材されていました。
石工たちが破損した部分を作り直していました。
300年前の職人のサインが見えない部分に刻まれていることがあるそうで、その職人も300年後に向けてイニシャルを入れていました。
300年後の職人に対して恥ずかしくない仕事をしようとする熱意に魅力を感じました。
修復って一品ものが相手なのでとても大変そうですが、とてもやりがいのある仕事です。
③「カステラ、カステラ!」
出版社の内容紹介を引用します。
=====
ふんわり、ほっこり、しっとりとしたお菓子、カステラ。
いまでは、誰でも知っているお菓子ですが、もとはといえば、ポルトガルからいくつもの海を越えてやってきたものでした。
どんな時代に、どんな人たちがこのお菓子を日本に持ちこみ、その後、どう日本中に広まっていったのでしょう?
また、今わたしたちが目にするようなカステラになるまでに、どんな工夫がなされたのでしょう?
=====
カステラが元々ポルトガルから伝えられたことは外来語の代表格として一番に習ったはず。
本書ではそれを思いっきり掘り下げて調べています。
長崎が気に入ったため船を降りて地元の娘と結婚したポルトガル人がカステラを作りました。
作る過程でたくさんの卵の白身をまるでお城のように高くなるまで泡立てます。
城の意味でカステロと言っていたのがカステラになったようです。
やがて日本人たちもカステラを作り始めました。
日本にはオーヴンがないため、日本人は下からも上から熱を伝えるための専用鍋を考案してそっくりなカステラを作りました。
鍋の下だけでなくふたの上にも炭を置いて熱する仕組みで、カステラ鍋と呼ばれました。
その鍋が1台だけ現存するそうです。
この当時から日本人の工夫する力って凄かったのですね。
ちなみに本書の冒頭にはコロンブスやヴァスコ・ダ・ガマが遠く外洋へと冒険に乗り出したことが紹介されていました。
ガマはアフリカ南端を越えてインドにまで到達して戻りましたが、船員は1/3になってたと書かれていました。
当時の航海がどれだけ危険だったのかをあらためて知りました。
④「ガリヴァーがやってきた小さな小さな島」
出版社の内容紹介を引用します。
=====
『ガリヴァー旅行記』によると、主人公ガリヴァーは、1709年6月9日、「ナンガサク」に着いたと書いてあります。
「ナンガサク」は、いまの長崎のこと。
その一角にある人工の小さな島が出島です。
そこは、鎖国状態にあった日本で、唯一、外国の風が吹き込んでいるところでした。
ガリヴァーの見た出島はどんな島だったでしょう?
また、そこからどうやって、外国の文化が日本じゅうに広まっていったのでしょう?
=====
スウィフトの「ガリヴァー旅行記」は有名ですが読んだことがありません。
もともとガリヴァーといえば小人の国を訪れて捕まっているシーンをどこかで見たくらいしか知りませんでした。
その後もジブリ映画「天空の城ラピュタ」の舞台になったラピュタが「ガリヴァー旅行記」に登場したらしいと聞いたことがあるだけ。
どれもこれもあやふやな話。
今回、ガリヴァーが長崎も訪れていた事を知りびっくり。
ワクワクしながら本書を読みました。
ところが本書には「ガリヴァーが長崎でどんな冒険をしたか」ではなく、長崎に伝わった西洋の科学知識がどうやって日本に広められたかが書かれていました。
ガリヴァーの冒険を知ることができなくて残念でしたが、違う意味で興味深く読みました。
ポルトガル人たちは貿易を許される代わりに、毎年江戸を訪れて貢物を献上させられていました。
最新の医学書や工業製品、異国の動物たちなどを用意して長崎から江戸へ陸路で移動しました。
日本の医師は毎夜宿を訪ねて多くの質問をぶつけ、医学知識の吸収に励んだそうです。
後に江戸訪問は4年に1度に減らされたそうですが、鎖国中でもこのように西洋の知識に触れる機会があったことを初めて知りました。
タイトルに「ガリヴァー」の名を入れない方が本意が伝わる本になったと思います。
出版社の内容紹介を引用します。
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回遊する何百何千の魚。
岩を覆う色鮮やかな動物たち。
潜って内側から見た海の息をのむ美しさを写真で報告。
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本書の内容紹介があまりに当たり障りないため読むかどうか迷いましたが、とりあえず読んでみました。
スキューバダイビングによる海中散歩の楽しさを疑似体験できる魅力的な写真絵本でした。
駿河湾という魚介類の宝庫が舞台なだけに、その多様さに目を奪われます。
海の中には全く別の生態系が広がっていることを実感できます。
とくに魚たちの身を守るための知恵がたくさん紹介されていて興味深かったです。
ただ冒頭で子どもたちがシュノーケリングで海の中を楽しく観察する場面があり、その後スキューバダイビングでより深みに行くという構成の方が子どもたちを魅了できたのでは、と思いました。
②「あみださま大修理」
出版社の内容紹介を引用します。
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どの町にもお寺があります。
そしてお寺には、大切に伝えられてきた仏像がおさめられています。
あるお寺のあみださまは、長い年月を経るうちに汚れたりこわれたりしてきたので、修理されることになりました。
あみださまをていねいに運び、つくられ方をよく見て、少しずつばらばらにして・・・・・・。
慎重に慎重に修理されていきます。
修理をする人は、どんな思いで、どんなふうに修理をするのでしょう。
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傷んだ仏像の修理過程を丁寧に描いています。
魂を抜くお経をあげることで「仏様」を「木像」に戻してから解体作業に入ります。
それでも作業をしているときは常に仏様を感じ緊張するそうです。
修理の過程で仏像は江戸時代初期、光背と台座は江戸時代後期の制作であることが明らかになります。
お寺が江戸時代に焼失したことが伝わっていることから、仏像本体だけを運び出したのではないかと推理します。
また修理の過程で元々の色や金箔仕上げが明らかになりその通り修復したり、台座の失われた飾りを同時代の台座を参考に補充したりします。
そして何より未来の修理で解体しやすいように組み立てることの大切さも知りました。
とても興味深かったです。
油絵や掛け軸などの美術品の修復、東大寺や唐招提寺などの建築物の修復などもシリーズの中に加えてくれるといいなと思います。
ちなみについ先日イギリスのヨークを散歩する番組で、教会の修復現場が取材されていました。
石工たちが破損した部分を作り直していました。
300年前の職人のサインが見えない部分に刻まれていることがあるそうで、その職人も300年後に向けてイニシャルを入れていました。
300年後の職人に対して恥ずかしくない仕事をしようとする熱意に魅力を感じました。
修復って一品ものが相手なのでとても大変そうですが、とてもやりがいのある仕事です。
③「カステラ、カステラ!」
出版社の内容紹介を引用します。
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ふんわり、ほっこり、しっとりとしたお菓子、カステラ。
いまでは、誰でも知っているお菓子ですが、もとはといえば、ポルトガルからいくつもの海を越えてやってきたものでした。
どんな時代に、どんな人たちがこのお菓子を日本に持ちこみ、その後、どう日本中に広まっていったのでしょう?
また、今わたしたちが目にするようなカステラになるまでに、どんな工夫がなされたのでしょう?
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カステラが元々ポルトガルから伝えられたことは外来語の代表格として一番に習ったはず。
本書ではそれを思いっきり掘り下げて調べています。
長崎が気に入ったため船を降りて地元の娘と結婚したポルトガル人がカステラを作りました。
作る過程でたくさんの卵の白身をまるでお城のように高くなるまで泡立てます。
城の意味でカステロと言っていたのがカステラになったようです。
やがて日本人たちもカステラを作り始めました。
日本にはオーヴンがないため、日本人は下からも上から熱を伝えるための専用鍋を考案してそっくりなカステラを作りました。
鍋の下だけでなくふたの上にも炭を置いて熱する仕組みで、カステラ鍋と呼ばれました。
その鍋が1台だけ現存するそうです。
この当時から日本人の工夫する力って凄かったのですね。
ちなみに本書の冒頭にはコロンブスやヴァスコ・ダ・ガマが遠く外洋へと冒険に乗り出したことが紹介されていました。
ガマはアフリカ南端を越えてインドにまで到達して戻りましたが、船員は1/3になってたと書かれていました。
当時の航海がどれだけ危険だったのかをあらためて知りました。
④「ガリヴァーがやってきた小さな小さな島」
出版社の内容紹介を引用します。
=====
『ガリヴァー旅行記』によると、主人公ガリヴァーは、1709年6月9日、「ナンガサク」に着いたと書いてあります。
「ナンガサク」は、いまの長崎のこと。
その一角にある人工の小さな島が出島です。
そこは、鎖国状態にあった日本で、唯一、外国の風が吹き込んでいるところでした。
ガリヴァーの見た出島はどんな島だったでしょう?
また、そこからどうやって、外国の文化が日本じゅうに広まっていったのでしょう?
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スウィフトの「ガリヴァー旅行記」は有名ですが読んだことがありません。
もともとガリヴァーといえば小人の国を訪れて捕まっているシーンをどこかで見たくらいしか知りませんでした。
その後もジブリ映画「天空の城ラピュタ」の舞台になったラピュタが「ガリヴァー旅行記」に登場したらしいと聞いたことがあるだけ。
どれもこれもあやふやな話。
今回、ガリヴァーが長崎も訪れていた事を知りびっくり。
ワクワクしながら本書を読みました。
ところが本書には「ガリヴァーが長崎でどんな冒険をしたか」ではなく、長崎に伝わった西洋の科学知識がどうやって日本に広められたかが書かれていました。
ガリヴァーの冒険を知ることができなくて残念でしたが、違う意味で興味深く読みました。
ポルトガル人たちは貿易を許される代わりに、毎年江戸を訪れて貢物を献上させられていました。
最新の医学書や工業製品、異国の動物たちなどを用意して長崎から江戸へ陸路で移動しました。
日本の医師は毎夜宿を訪ねて多くの質問をぶつけ、医学知識の吸収に励んだそうです。
後に江戸訪問は4年に1度に減らされたそうですが、鎖国中でもこのように西洋の知識に触れる機会があったことを初めて知りました。
タイトルに「ガリヴァー」の名を入れない方が本意が伝わる本になったと思います。