今回のお気に入りは、100分de名著③です。
100分de名著のテキスト「歎異抄」を読みました。
「絶体絶命の時に浮上する言葉」
というコピーも魅力的ですが、解説者・釈徹宗の前書きにも引き込まれました。
・親鸞が亡くなって30年、解釈が異なってきたことを嘆き、弟子の唯円が師との会話をまとめたのが「歎異抄」。
・元本はわずか原稿用紙30枚程度でとても短い。
・書かれて700年大切に伝えられてきた。
・近年でも西田幾多郎、遠藤周作、司馬遼太郎などをはじめとする多くの人々から高く評価されている。
・「善人でさえ往生できる。ましてや悪人ならなおさらだ。」という逆転の発想が面白い。
・本書ではわずか18条を1条ずつ解説する。
遠藤周作はキリスト教徒のはずなのにどうして「歎異抄」なのか?と疑問に思いつつ本書を読み進めていくと、浄土真宗の教義がキリスト教プロテスタントにかなり近いということを知りました。
西洋と東洋で別々に生まれた教義が驚くほど似ているということは、人間の本質を突いているからに他なりません。
当時の宣教師が驚いた、という記録がしっかり残っているそうです。
遠藤周作が「歎異抄」に興味を持ち、やがて高く評価することになった理由が判ったような気がします。
という小さなことよりもっと大きな疑問があります。
それは「歎異抄」のコピー「絶体絶命の時に浮上する言葉」です。
「絶体絶命の時」「絶望のどん底」で一筋の光明となって胸に蘇る言葉とは?
その言葉を早く知りたくて読み進めました。
第1条、第2条・・・・やはり難解です。
普通の読書のようにサラサラとは読めません。
何度も同じところを読み返し、何とか意味が理解できると次に進みます。
そしてそこにも新しい単語、新しい解釈が登場します。
そしてそれらを組み合わせた新しい教義が登場します。
脳内メモリはあっという間に容量オーバー。
新しいデータが入力されると、古いデータに上書きされます。
途中で放棄したくなりましたが、筋肉と同じで、鍛えている内に脳内メモリが増えていくことを期待して読み続けました。
そして途中でひらめきました。
なぜ無人島に持って行くなら「歎異抄」と言われるのか、その理由が判ったような気がしたのです。
本書の“妙な難解さ”がポイントなのだと思います。
表面的に理解した気になりますが、同時にまだ真意を理解していないという確かな実感があります。
だからこそ何度も何度も繰り返し読むのでしょう。
生涯真意にたどり着くことはないでしょうが、読み返す度、アリの一歩でも近づくことを喜びとして読み返すのでしょう。
それが「無人島に持って行くなら歎異抄」の答えでしょう。
・・・などと字面を追いながら余計なことを考えていました。
気が付けば第18条、そしてあとがきの解説も読み終えました。
結局、これだ!という明確な「絶体絶命の時に浮上する言葉」には巡り会えませんでした。
繰り返し読んで理解を深め、心に刻まれたときに初めて「絶体絶命の時に浮上する言葉」となるのでしょう。
ということで、今回は「歎異抄」とはどういう本なのかを知ることができたということで良しとしたいと思います。
その内、本格的に読みたくなったら解説者・釈徹宗さんの解説書を読むことにしましょう。
ここでいつもは書き終わりですが、続きを少々。
「歎異抄」に続き100分de名著のテキスト、三木清「人生論ノート」を読みました。
高校生のときに読んだ本のガイドなので、当時よりは理解が深いだろうし、当時の記憶がよみがえるかな、などと呑気に読み始めましたがトンデモナイ!
哲学者が哲学書を解説するとこうも難解になるのか!という見本です。
理解の及ばないところはテレビ放送を参考にすると何とかなるかも、というレベルではありません。
文字通りただ字面を追いながらページをめくり半ばを過ぎても全く理解できません。
絶望の中、AMAZONの内容紹介を目にしました。
=====
死について、幸福について、懐疑について、偽善について、個性について、など23題――
ハイデッガーに師事し、哲学者、社会評論家、文学者として昭和初期における華々しい存在であった三木清の、肌のぬくもりさえ感じさせる珠玉の名論文集。
その多方面にわたる文筆活動が、どのような主体から生れたかを、率直な自己表現のなかにうかがわせるものとして、重要な意味をもつ。
=====
そうですか、論文集だったのですか・・・。
「歎異抄」以上に難解で、繰り返し読んでも理解が深まる気がしません。
残念ですが中途で脱走することにします。
脱走は「ビリーズ・ブート・キャンプ」以来かな。
次は身の丈に合ったものを読むことにしましょう。
気になるのは高校生の自分が「人生論ノート」を読み切ったのか、ということ。
同時期に「どくとるマンボウ航海記」を読んで夢中になったことはよく覚えています。
「人生論ノート」の一節も記憶にないということは、今回のように途中で脱走したのではないかと思います。
100分de名著のテキスト「歎異抄」を読みました。
「絶体絶命の時に浮上する言葉」
というコピーも魅力的ですが、解説者・釈徹宗の前書きにも引き込まれました。
・親鸞が亡くなって30年、解釈が異なってきたことを嘆き、弟子の唯円が師との会話をまとめたのが「歎異抄」。
・元本はわずか原稿用紙30枚程度でとても短い。
・書かれて700年大切に伝えられてきた。
・近年でも西田幾多郎、遠藤周作、司馬遼太郎などをはじめとする多くの人々から高く評価されている。
・「善人でさえ往生できる。ましてや悪人ならなおさらだ。」という逆転の発想が面白い。
・本書ではわずか18条を1条ずつ解説する。
遠藤周作はキリスト教徒のはずなのにどうして「歎異抄」なのか?と疑問に思いつつ本書を読み進めていくと、浄土真宗の教義がキリスト教プロテスタントにかなり近いということを知りました。
西洋と東洋で別々に生まれた教義が驚くほど似ているということは、人間の本質を突いているからに他なりません。
当時の宣教師が驚いた、という記録がしっかり残っているそうです。
遠藤周作が「歎異抄」に興味を持ち、やがて高く評価することになった理由が判ったような気がします。
という小さなことよりもっと大きな疑問があります。
それは「歎異抄」のコピー「絶体絶命の時に浮上する言葉」です。
「絶体絶命の時」「絶望のどん底」で一筋の光明となって胸に蘇る言葉とは?
その言葉を早く知りたくて読み進めました。
第1条、第2条・・・・やはり難解です。
普通の読書のようにサラサラとは読めません。
何度も同じところを読み返し、何とか意味が理解できると次に進みます。
そしてそこにも新しい単語、新しい解釈が登場します。
そしてそれらを組み合わせた新しい教義が登場します。
脳内メモリはあっという間に容量オーバー。
新しいデータが入力されると、古いデータに上書きされます。
途中で放棄したくなりましたが、筋肉と同じで、鍛えている内に脳内メモリが増えていくことを期待して読み続けました。
そして途中でひらめきました。
なぜ無人島に持って行くなら「歎異抄」と言われるのか、その理由が判ったような気がしたのです。
本書の“妙な難解さ”がポイントなのだと思います。
表面的に理解した気になりますが、同時にまだ真意を理解していないという確かな実感があります。
だからこそ何度も何度も繰り返し読むのでしょう。
生涯真意にたどり着くことはないでしょうが、読み返す度、アリの一歩でも近づくことを喜びとして読み返すのでしょう。
それが「無人島に持って行くなら歎異抄」の答えでしょう。
・・・などと字面を追いながら余計なことを考えていました。
気が付けば第18条、そしてあとがきの解説も読み終えました。
結局、これだ!という明確な「絶体絶命の時に浮上する言葉」には巡り会えませんでした。
繰り返し読んで理解を深め、心に刻まれたときに初めて「絶体絶命の時に浮上する言葉」となるのでしょう。
ということで、今回は「歎異抄」とはどういう本なのかを知ることができたということで良しとしたいと思います。
その内、本格的に読みたくなったら解説者・釈徹宗さんの解説書を読むことにしましょう。
ここでいつもは書き終わりですが、続きを少々。
「歎異抄」に続き100分de名著のテキスト、三木清「人生論ノート」を読みました。
高校生のときに読んだ本のガイドなので、当時よりは理解が深いだろうし、当時の記憶がよみがえるかな、などと呑気に読み始めましたがトンデモナイ!
哲学者が哲学書を解説するとこうも難解になるのか!という見本です。
理解の及ばないところはテレビ放送を参考にすると何とかなるかも、というレベルではありません。
文字通りただ字面を追いながらページをめくり半ばを過ぎても全く理解できません。
絶望の中、AMAZONの内容紹介を目にしました。
=====
死について、幸福について、懐疑について、偽善について、個性について、など23題――
ハイデッガーに師事し、哲学者、社会評論家、文学者として昭和初期における華々しい存在であった三木清の、肌のぬくもりさえ感じさせる珠玉の名論文集。
その多方面にわたる文筆活動が、どのような主体から生れたかを、率直な自己表現のなかにうかがわせるものとして、重要な意味をもつ。
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そうですか、論文集だったのですか・・・。
「歎異抄」以上に難解で、繰り返し読んでも理解が深まる気がしません。
残念ですが中途で脱走することにします。
脱走は「ビリーズ・ブート・キャンプ」以来かな。
次は身の丈に合ったものを読むことにしましょう。
気になるのは高校生の自分が「人生論ノート」を読み切ったのか、ということ。
同時期に「どくとるマンボウ航海記」を読んで夢中になったことはよく覚えています。
「人生論ノート」の一節も記憶にないということは、今回のように途中で脱走したのではないかと思います。