世紀の恋人

 

 ロシア未来派の女流画家ナターリヤ・ゴンチャロワ(Natalia Goncharova)の名で検索すると、ロシアの国民詩人プーシキンの美貌の若妻ナターリヤ・ゴンチャロワまでヒットする。この同名の二人、後者は前者の大叔母なのだという。

 ゴンチャロワの伴侶は、革命前夜のロシア・アヴァンギャルド運動の先駆者で、レイヨニズム(光線主義)の理論を提唱したミハイル・ラリオノフ。美術学校時代、ラリオノフと出会い、彫刻から絵画に転身して以降、ゴンチャロワは自身の絵画の活動拠点・分野・主義・表現傾向すべてにわたって、ラリオノフと同じ道筋を同じ歩調で歩みつつ、生涯にわたって添い遂げている。
 ロシア語講座の恭子先生は、“世紀の恋人”サルトルとボーヴォワールに触れて、ラリオノフとゴンチャロワもまた“世紀の恋人”だったと評している。

 私がちょっと不思議に思うのは、科学ならともかく芸術において、しかも受け手ではなく描き手として、こんなにもピッタリと同じ歩みを歩むということが、どこまであり得るんだろう、ということ。

 ゴンチャロワは印象派から出発するが、新しい絵画を模索する時期には、その色彩が禁欲的に暗くなっていく。そして、イコン(聖像画)やルボーク(手彩色木版画)などの、ロシア農村に伝統的な民俗芸術に触発された“ネオ・プリミティヴィズム(新原始主義)”、それを西欧のキュビズム(立体主義)・フュチュリズム(未来主義)と融合させた“クボ=フトゥリズム(立体未来主義)”、そしてレイヨニズム(光線主義)へと到る画風の変転は、伴侶ラリオノフのそれと、不自然なまでにそっくり一致している。
 ただし、ゴンチャロワがそのときどきに描いた絵は、どれも真似なんかではなく、しっかりとしたコンセプトの上に立つ、内面の素直な発露を感じさせる自然な表現なのだ。特に、ロシアの民衆表現を取り入れたプリミティヴへの嗜好は、育ちのよいお嬢さんの眼が農村に見出す、ある種の神聖さ、高尚さを、韻を踏む詩のようにリズミカルに表わしている。

 こういうことは、彼らの生涯の発展を事細かに研究しなければ答えを出せないことだと思うのだが、素人の眼で、ごく一般的に勘繰ってみると……

 ロシア絵画の銀の時代、新しい絵画への野心と愛国心とに燃える青年がいた。彼は理知的ではないが才走り、陶酔しやすく、中身よりも形を先に取り繕うところがあったが、それでも真面目に探求を続け、自分も世間も納得する新機軸を打ち出すに到った。
 感受性の強い娘がこの若者に心酔した。愛すれば、感じ方も考え方もその人と同じになってしまう資質の娘だった。優れた文化・教養の環境で育った素養ある彼女は、恋人が、様式を様式として表現する、その同じ様式を、自分自身のものとして、ごく自然に、表情豊かに表現した。それだけのセンスと描写力とを、彼女のほうは持ち合わせていた。

 ラリオノフは芸術家タイプには見えないが、ゴンチャロワは芸術家だった。その彼女が、夫の芸術理論を本物にし、豊かな、生命あるものにした、ということだろうか。もしそうなら、ラリオノフもそれくらいの自覚はあったに違いない。

 レイヨニズム宣言の後、二人はロシアを去ってパリに移り、ディアギレフ率いるバレエ・リュスのための舞台美術を手がける。故国ロシアには二度と戻らず、さらなる絵画表現も追求しなかった。

 長いあいだ事実婚にあった二人は、お互い最晩年の74歳で、正式に結婚する。……なんでわざわざ結婚したかな? 謎は尽きない。

 画像は、ゴンチャロワ「自転車乗り」。
  ナターリア・ゴンチャロワ(Natalia Goncharova, 1881-1962, Russian)
 他、左から、
  「馬鍬を持った農婦たち」
  「聖母子」
  「スペインの踊り子」
  「レイヨニスム、青緑の森」
  「聖餐式」

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