ダイヤのジャックとロバのしっぽ

 

 ロシア絵画史において、20世紀初頭、耽美な象徴主義のいわゆる“銀の時代”に続いて、アヴァンギャルドと総称される運動がボコボコと現われる。西欧のモダニズムと連動しつつも、ロシアに特有の運動として展開したので、“ロシア・アヴァンギャルド”なる名称で呼ばれている。
 これがまた活発なもので、革命以降もソ連画壇を席巻する勢いで突き進む。モダニズムの苦手な私には、こうなるともう何が何やら混迷状態。
 が、1930年代、スターリンによるアヴァンギャルド批判をもって、運動は一気に終息する。

 このロシア・アヴァンギャルドの最初期に現われた画家に、ミハイル・ラリオノフ(Mikhail Larionov)がいる。
 新しい絵画を模索するなか、画風を何度も転向している。その転向を、モスクワ美術学校時代に出会い、生涯の伴侶となり、ともに74歳となった老境で結婚した、女流画家ナターリア・ゴンチャロワが、ぴったりと付き従っている。

 セミポルノへの偏好、サボタージュやスタンドプレーのラジカルな言動などで、三度の停学処分を食らって、美術学校卒業までに実に12年も費やした問題児。彼に限らず、新しい絵画を目指す若者たちは、挑発的に、喜劇的奇行を繰り返していたらしい。
 コロヴィンに強く影響されて、まずはロシア印象派として出発したラリオノフだが、青バラ派に加われば遠洋のような青を用い、ナビ派に染まれば燃えるような赤や黄を用い、……

 が、やがて「ネオ・プリミティズム(Neo-primitivism、新原始主義)」というスタイルを見出す。この概念は、のちにアレクサンドル・シェフチェンコ(Aleksandr Shevchenko)という画家によって新しいモダニズムとして提唱されるのだが、西欧のセザンニズム(セザンヌ主義)、キュビズム(立体主義)とフュチュリズム(未来主義)と、イコンやルボークなどのロシアの伝統的な民俗芸術との融合を目指すというものだった。
 他にシャガールやマレーヴィチも影響を受けたという、このネオ・プリミティズムに、ラリオノフとゴンチャロワの二人も早くから熱中する。1908年、モスクワの「金羊(Golden Fleece)展」に出品。初めはマティスら、同時代フランス・アヴァンギャルドも出品された同展は、回を追って、それらを排除する勢いで二人の作品に埋め尽くされた。

 ラリオノフは、1909年、モスクワにて「ダイヤのジャック(Jack of Diamonds)」を結成、“ロシア・プリミティズム”とも“ロシア・セザンニズム”とも呼ばれる、西欧芸術とロシア民俗芸術とを融合させた作品群で展覧会を開催する。
 その後「ダイヤのジャック」が、エートス(=気風)の相違から確執が生じ、分裂すると、1912年、より急進的なメンバー、つまり、「クボ=フトゥリズム(Cubo-Futurism、立体未来主義)」を標榜するメンバーを結集し、「ロバのしっぽ(Donkey's Tail)」を結成する。

 この「ロバのしっぽ」の延長の上に、1913年、「標的(Target)展」にて、絵画の純化は物体に反射する光線の交錯の表現に行き着く、とする「レイヨニズム(Rayonism、光線主義)」を提唱。ロシアにおける最初の抽象主義の誕生となった。

 飛躍の進化を遂げたレイヨニズムだが、それが到達点だった。レイヨニズムは次へと継承されることはなく、ラリオノフとゴンチャロワがロシアを去ることで終焉を迎える。ラリオノフ自身、まもなく絵画表現の追求を捨ててしまった。
 この一連の流れを見ていると、独自に飛躍の進化を遂げすぎて滅んでいった、奇態なアノマロカリスを思い出す。

 ところで、スターリン独裁以降、ソビエト美術界には長らく社会主義リアリズムしか存在しなかった。が、スターリン死後、フルシチョフのスターリン批判によって、「雪解け」の時代が到来する。
 同時代の欧米モダニズム美術がソ連に流入し、フルシチョフは、ある抽象画を酷評してこう言ったという。
「何たる下手糞! ロバのしっぽで描いたようなくだらぬ絵だ」

 この“ロバのしっぽ”という形容は、どうやってフルシチョフの頭に入ってきたのだろう。とにかくこの事件以来、ロシア・アヴァンギャルドの再評価が進み、ラリオノフが立ち上げた二つのグループも、再び注目されるようになった。

 画像は、ラリオノフ「牛、レイヨニスム」。
  ミハイル・ラリオノフ(Mikhail Larionov, 1881-1964, Russian)
 他、左から、
  「理髪師と将校」
  「死んだザリガニのある静物」
  「休息する兵士」
  「自画像」
  「レイヨニズム、赤」

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