カレヴィポエクを描いた画家

 

 エストニア国立美術館(KUMU美術館)で観たエストニア絵画のなかで、最も印象に残っている画家の一人は、オスカル・カリス(Oskar Kallis)。純然たる好みの問題なのだが、エストニア民族の創世を描いた、木版画的に骨太でノルディックにカラフルな物語画が、いかにもエストニアチックに感じたからなんだ。

 解説によれば、カリスはエストニア民族ロマン主義の流れに位置する主要な画家の一人とされる。こんなふうに評価されるのは、彼がエストニアの民族叙事詩「カレヴィポエク(Kalevipoeg)」のシーンの数々を描いたからだ。

 カリスは首都タリンで、エストニアに印象派を取り入れた画家アンツ・ライクマー(Ants Laikmaa)のアトリエで学んでいた。ライクマーがタリンを離れているあいだも、デザインなんぞをちびちびと学んでいたのだが、フィンランドの美術館まで遠出した際に、フィンランドの民族叙事詩「カレワラ」を描いたガッレン=カッレラの絵に出くわして、ドカンと一発ショックを受ける。

 以来、彼は「カレヴィポエク」をせっせと描くようになる。鷲の背に乗ってフィンランド湾を渡り、エストニアの王となった、伝説の巨人カレフが、その地で美しい娘リンダを妻とした。「カレヴィポエク」は、王カレフの継承者である英雄カレヴィポエク(「カレフの息子」の意)の冒険の物語。
 結核で、25歳の若さで夭逝する、その死までの5年ほどの短いあいだに、カリスは国民的叙事詩のシーンを描きに描き続け、それら作品によって国民的画家のひとりとなった。

 そしてもう一つ、常に死の影に寄り添われた病身の画家が描き続けたテーマが、ただちにムンクの生と死を思わせる、生命のダンス。不穏に揺らぐ大気のなかで、狂気と絶望の男女が、愛を醸して横たわる。
 死は、伝説のなかではすっきりくっきりしているのに、現実では不健全に見えてくるもんだな。

 画像は、カリス「地獄に赴いたカレヴィポエク」。
  オスカル・カリス(Oskar Kallis, 1892-1918, Estonian)
 他、左から、
  「岩を運ぶリンダ」
  「板を運ぶカレヴィポエク」
  「天球に星を打ちつけるイルマリネン」
  「鷲に乗るカレフ」
  「生命のダンス」

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