ラトビアの雪の肖像

 

 ラトビアのリガを訪れたのは、ちょうど夏至祭の日。相棒が日程をそう合わせたからだった。
 リガではもちろん、国立美術館に立ち寄るつもりだった。が、夏至祭で夜っぴて歌い踊り明かしたリガの街は、翌朝はどこもかしこも静まり返っている。国立美術館は、何と臨時休館。夏至祭の翌日は、公共施設はことごとく休みになるのだった。

 ラトビア画家ウィリヘルムス・プルヴィティスの絵は、是非観たかったんだけどな。
「また来ればいいよ。フェリーでなら、北ドイツからリガまで簡単に来れるさ。ハンザ同盟の頃は、云々……」
 そんな相棒の慰めにまんまと慰められたけど、あとで地図を調べてみたら、リガはドイツから簡単に来れるほと近くはなかったんだ。うう……

 ウィリヘルムス・プルヴィティス(Vilhelms Purvītis)は、近代ラトビア最大の画家。ラトビアの美術アカデミーを創設した教育者としても知られている。

 サンクトペテルブルクのアカデミーで、光の風景画家クインジのもとで学んだ。プルヴィティスの絵が奏でる独特の光の心象は、師クインジに負うところが大きいのだろう。
 古典的リアリズムへの素直な敬愛に根差し、印象派の陽光の表現を吸収して、けれどもモダニズムの独創性が色濃い理知的な画風へとたどり着く。モダニズムの画家として、ロシアの芸術家組織「芸術世界」にも参加している。

 プルヴィティスの真骨頂は、空を目指し、溶け出した雪の川にも映りこむ白樺の樹木と、徐々に広がりながら大地を這う雪岸の川の流れを描いた、北の国らしい雪の情景。直線と曲線の構成とリズム、明滅する色斑が織りなす明暗のコントラスト、それらが作り出す、リアリズムとは異なる独特の質感。……こういうのは、現物を観ないと感じ取れないものが大きい。つくづく残念。

 サンクトペテルブルクのアカデミーを去ってから、ヨーロッパ各地で個展を開催して成功を収め、リガへと落ち着く。以降、彼が取り組んだのはもっぱら故国の雪の風景。
 雪の習作のためにノルウェーを訪れ、おそらくそこでムンクあたりからも影響を受けたのだと思う。彼の風景画には、単純明快さを越えた、被写体である故国の自然そのものに語らせる、ある種の霊性、心理性が感じられる。

 第二次大戦末期、ドイツ軍が占領していたイェルガヴァをソビエト赤軍が解放した際、プルヴィティスの絵の多くは破壊されたという。プルヴィティスはドイツに移住するのだが、このときにも残された絵が散逸した。
 翌年、ドイツにて死去。彼の遺骸は、ラトビアがソ連から独立を勝ち取った後に、ドイツから故国へと移され、改葬された。

 画像は、プルヴィティス「三月の春」。
  ウィリヘルムス・プルヴィティス(Vilhelms Purvītis, 1872-1945, Latvian)
 他、左から、
  「冬」
  「雪解け」
  「春の雪解け水」
  「夏景色」
  「ツェースィス」

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