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花と肌

 

 冬休みは美術館三昧。絵をどっさり観た。
 なかなか元気の出ない私、相棒に連れられて生まれて初めてのケーキ・バイキングを体験。その後、「キスリング展」へ。
 キスリングだけの企画展というのは珍しい。私はどちらかと言うと、キスリングの絵は苦手なのだが、この企画展は非常に観応えがあった。疲れずに観ることができたのは多分、お腹いっぱいのケーキのおかげ。

 モイーズ・キスリング(Moise Kisling)はポーランド出身のユダヤ人で、1920年代のエコール・ド・パリ(=パリ派)を代表する画家。

 ところで私の場合、キスリングと聞いて真っ先に思い出すのは、何かの美術書で読んだ、ろくでもないエピソード。
 ……あるとき、悪評に激怒した彼は、相手の顔に自分のウンコをなすりつけて復讐。結果、警察沙汰、裁判沙汰となる。で、キスリングがその場でウンコしてなすりつけたなら情状酌量だが、あらかじめそれを紙にくるんで持ち歩いていたので計画犯罪、従って有罪、という判決が下ったのだとか(確か証人は藤田嗣治)。
 このエピソードから入ったせいで、私は、キスリングもまた、モディリアーニやパスキン、ユトリロのような、酒や麻薬や乱痴気騒ぎに身を持ち崩した、自己破滅的な画家かと思っていた。
 
 が、実際のところ、キスリングは温厚な奴だったらしい。陽気で社交的、若いうちから画家として成功し、他の不遇な画家たちの面倒を見た。愛妻ルネ、愛犬クスチとの幸福な家庭にも恵まれ、まさにモンパルナスの寵児。
 第一次大戦では、志願して外人部隊に従軍。戦地で重傷を負うが、この功績によってフランス国籍を得た。第二次大戦が勃発すると、ナチスによるユダヤ人迫害を避けてアメリカに亡命、戦後はフランスへと舞い戻る。このあたり、異邦人であった彼の、フランスを求める想いがうかがえる。

 キスリングの絵には、多くのエコール・ド・パリと同様、独特の華やかさと翳りがある。私が苦手なのはその官能性。和歌で言う、「匂うような」ムード。
 のっぺりとした背景にボッと浮かび上がる、童顔の女性。ぼてっと大きな眼は、曖昧な眼差しをしていて、どこを見ているのか分からない。
 肌は陶器のように、エナメルのように、冷たく硬質的な、けれど透明な、つややかな光沢を放つ。キスリングは描いているあいだじゅう、モデルたちに夢中だったというが、彼女らはどこか人形のようで、その妖艶さは気味が良くない。なぜか神経に触る。アンニュイすぎて正視できない。

 この画家のびっくりするところは、彼の描く花も同じくらい妖艶だということ。ごく普通の花瓶に、これでもかと活けられた、あふれんばかりの花々は、生命への讚歌のようでいて、得体の知れない何かを暗示し、それに肉迫しているように見える。

 彼は世間が言うほど単純に陽気ではなく、単純に幸福ではなかったということなのだろうか。何度観ても、私はキスリングに慣れることができない。

 画像は、キスリング「モンパルナスのキキ」。
  モイーズ・キスリング(Moise Kisling, 1891-1953, Polish)
 他、左から、
  「無題」
  「女性像」
  「赤い上着と青いスカーフのモンパルナスのキキ」
  「アルレッティの裸像」
  「ミモザ」

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