チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

大地震 その15

2011年03月26日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

2011年3月13日(日) 震災3日後

私は、勤務先のことも気になっていた。あの時は何もせずに帰宅してしまった。
おそらく被害があるに違いない。
誰かいるかもしれない。近くまで来たのだ、行ってみよう。
着いてみると誰もいない。だが、入り口ドアに張り紙。

3/13 13:30 緊急召集!
私は、出直すことにした。

10時30分
帰宅すると、ヒロシと長男はまだ帰っていなかった。
給水所はかなり混雑していると思われた。
30分程して、彼らが帰ってきた。
20Lポリ缶満タン。1人10Lの制限があったのだが、2人できたのだからと拝みこんだという。
それよりも、我が家に水専用のポリ缶があったことに驚く。
そういえば、ジェットスキーに行った時、そんな物があったことを思い出す。

さば缶、たくあんをおかずに昼食を済ませた私は、勤務先に向かった。

臨時会議で、被害の状況確認・その後できる限りの復帰作業を行うことになった。
ここで、もしかしたら、我が家の地区は明日14日あたり水道が復旧するかもしれないという情報も入った。

私は、自分の担当箇所の被害状況確認に行く。
まず、自分の部屋。
床に散らばっていたはずの書類が机の上に乱雑に乗っていた。
同室の男性社員に尋ねると、昨日も出勤して、おおよそは片付けたのだという。
私は、申し訳ないと思った。
次に隣室へ。初めは、何も被害はないと思われたが、西側の壁に×状のひび割れがあることに気付く。
それから、廊下に出てみると全ての壁にひび割れと床に亀裂が生じていることがわかった。
思った以上の被害だ。
ただし、倒れた家具はなかった。
2階フロアに報告に行くと、テレビが落下し、損壊したことが判明。
3階フロアの天井が落下し、危険な状況であることも分かった。
オフィスと別棟は電気がつかない。また、セキュリティにも異常があった。

追記
この時点で、勤務先の水はまだ出ていた。
マンションなどと同じで、一旦高架タンクに水を上げ、そこから給水するので、高架タンクに水が残っているうちは、大丈夫なのだ。
そのことを知っていた私は、歯ブラシを持参して歯磨きをし、思いっきりトイレを済ませた。
人間って、非常事態に陥った時、いろいろと考えを巡らせるものだとつくづく思いました。

(画像は、壁のひびわれ。よく見えないかもしれません)


その16へ つづく





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