元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

権威皆無の日本アカデミー賞

2007-02-18 08:39:46 | 映画周辺のネタ
 先日、日本アカデミー賞の授賞式の模様が放映されていたが、相変わらず盛り上がりに欠ける雰囲気だ。今年で30回にもなるのだが、正直言ってこういう賞が30回も続いていること自体驚きである。

 昔、黒澤明がこの賞を辞退したことに対し、その年の司会者の山城新伍が「これから映画人が育てていこうとしている賞を『権威が無いからいらない』とは何たることだ」とか何とか批判していたが、あれから20年以上たった今でも、相変わらずこの賞は権威がないままだ(だいたい、今回キムタクにさえ事務所の意向という理由でソッポを向かれたぐらいだから ^^;)。

 賞を選出する日本アカデミー賞協会の中では松竹、東宝、東映、角川といった邦画メジャー関係者が幅をきかせている。だから、これらの会社が関わった作品以外の映画は、どんなに評判が良くても、いくら国外の賞を獲得しようと、完全無視される。独立系の映画会社による作品が受賞したのは、今回の「フラガール」以外では「午後の遺言状」「ツィゴイネルワイゼン」の2回しかない。本家の米アカデミー賞がマイナーな作品にもちゃんと注意を払っているのに比べると、いかにも閉鎖的だ。

 しかも、日本テレビが授賞式の放映権を持っているためか、同社の手による作品が優先される傾向がある。もちろん、そのあたりの構図も視聴者に見透かされてしまっている。これでは権威を感じろという方が無理だ。

 要するに、本家から拝借した「アカデミー」という呼称で、何とか話題性をキープしているに過ぎないのである。

 しかし、これに代わる“真に権威のある賞”を創出できない我が国の映画人の体たらくの方がもっと批判されてしかるべきだろう。日本アカデミー賞以外の映画賞にはキネマ旬報賞とか毎日映画コンクールなどがあるが、一般ピープルには知られていない。フランスのセザール賞や香港の金像奨のように、国内発のポピュラーな賞がとっくの昔に出来ていて当然だと思うのだが・・・・。

 いずれにせよ、“邦画バブル”と言われるほど興行成績が回復した昨今でも、映画の“権威”を高めようとする賞も作れない状況を見れば、いかに我が国では映画が軽んじられているか分かろうというものだ。
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